9月11日(月)・神宮司パーティー・7
ずっと高速と併走している道を、俺は走り出した。
すぐ横を車が高速で走り抜けていく。
車に乗っていると分からないが、すぐ横の道を走ってると、車の速度はすごい。
ヒュン……ヒュン……と車が走り抜けていく横を、俺は走った。
後ろを確認すると、高速の入り口はすぐそこだ。
ここから上がっていけば、必ず車を見つけることが出来る。
だって朝倉先輩がいう通りなら、車は故障して止まるのだ。
だったら追える……!
俺は必死に腕を振って走った。太ももが鉛みたいに重くて、もう腕が上がらない。
酸欠で息が苦しくて、吸っても吸っても空気なんて入ってこない。
もっと運動しておくべきだった。椎名の「だから言っただろ?」という自慢げな顔が浮かんだ。
同時に椎名の泣き顔を思いだす。あんな風にポロポロ泣くなんて……マジかよ。
よく考えたら、おかしいことは沢山あったんだ。
俺は二人が恋仲だなんてこと、最初から頭にないから疑って無かった。
でも椎名は俺の家に泊まりに来たのに、俺が朝目覚めると部屋に居なかったりしたんだ。
もう台所に居たりしたから「早く起きたんだなー」と単純に思ってたけど、あれは姉貴の部屋に行ってたのか?
「っ……と、待てよ……本気、かよっ……!」
俺は脱力して笑いながら走り続けた。
椎名はずっと婚約者と別れるために弱みを探してた。
それは俺も知ってる。でもその理由が、姉貴と付き合うためだったのか。
椎名と姉貴……? 俺は一緒にたこ焼きパーティーをした時のことを思い出していた。
二人とも楽しそうで、椎名はたこ焼きを焼くのが上手くて、俺も七海も姉貴も、みんな笑顔でっ……!
なんかもう、それだけで良い気がしてきた。
絶対にたこ焼きパーティー、もう一回するんだ。俺は握り拳に力を入れて、腕を大きく振った。
小学生の時に椎名が走りを習ってるのを見ていた。
平たく言えば、腕を動かせば、足は動くんだろ! と無理矢理動かすが、どう考えてもヘロヘロで、そのまま金網にぶつかった。
やべえ、ホント。体力なさすぎ。
俺は手で汗をぬぐった。髪の毛がおでこに張り付いてベタベタして、目に汗がしみて痛い。
ズボンから上着を抜き、それで顔を拭いた。
頭を金網にぶつける。そして空を見上げた。
まだ走れる、まだ行ける……!
走り出した俺の横を黒い車が走り抜けた。……が、その車は、一番左側、路肩に近い道を俺が目視できる速度で走って行く。
……遅くないか、あの車。
高速であの速度はおかしいだろ!!
俺は加速して車を追った。
遅いと言っても、時速30キロくらい出てるのだろう。普通の車道を走っている車を追う感覚に近い。
後ろから見ると、中に二人の影…やっぱり三本の車だ!
「うおおおおおお……!」
俺は全力で走った。あの車に七海がいる。
俺から離れて大丈夫なのか? アザは? 熱は?
脳裏に牙が生えたクラスメイトが浮かぶ。
でも車は普通に走っている。だったらまだあんな風には……!
「っ……!!」
俺は車だけを見て走っていたので、足がもつれて転んだ。
手をつく暇がなく、アゴを強打して目の前が一瞬暗くなる。
「くっそ……!」
立ち上がろうとするが、膝に力が入らない。
それでも立つんだ、俺はもう、七海を諦めない。
力の入らない腕を使って体を動かす。なんとか立ち上がったが、頭の重みでふらつく。
よく考えたら俺、病み上がりだな。
「ははっ……」
俺は小さく笑って走り出した。
あの漢方よく効くよ。なんだっけ……姉貴の同僚さん。
俺は疎くて、誰と誰が付き合ってるとか、好きとか、全然分からないんだ。
自分の気持ちさえ分からないのに、どうして人の事がわかるのだろう。
だから一見して、あの二人がどれくらい親しいかなんて、分からない。
俺は何も分からない!!
でも、ここで七海のことを諦めたら一生後悔することだけは、分かるんだ。
再び走り出した視界の奥に、黒い車が見えた。
俺が走ると、近づく。
間違いない、あの車、止まってる!!
車をみたまま走っていると、車の助手席が開いた。
黒い髪の毛を高い場所で纏めている女の人……朝倉さんのお母さんだ。同じく助手席から男性……きっと三本地所の社長だろう……も下りてきた。
まさか、車を捨てる気か?!
「ちょっと待てよ!!!」
俺は全力で声を出した。でも予想以上に喉が乾いていて、声になっていない。
それでも、もう一度声を出した。
「朝倉、三本、ちょっと待てよ!!!」
二人が立ち止まって、俺のほうを見た。
「お前ら、中にいる七海は、どうするんだよ!!」
俺はやっと車の近くまで来た。金網の外から声を張りあげた。
「……お前は……」
三本の父親が俺の顔をみて、目を細める。
「入江諒真、椎名の友達だ!!」
「ああ……」
三本が軽く頷くのと、後ろに朝倉の母親が隠れるのは同時だった。
「分かってるんだよ、あんた達が浮気してんのは! でもそんなのどーでもいいから、七海は?!」
「車が壊れたんだ。じき迎えが来るから」
「だから七海は!」
「一緒に持って行くよ。貴重なサンプルだからね」
三本は悪びれずに言った。
「サンプル……?」
「こんなに症状が進んでるなんて、神宮司さんはこの子だけ先に試したの? この子は神宮司さんのオモチャ? 知ってるかね、君?」
「お前っ……!!」
俺は金網を両手で掴んだ。固くてびくともしない。
何度も何度も金網を引っ張りながら「ふざけんな!」と叫んだ。そして
「お前、どうしてそんなこと神宮司使ってやらせてんだよ!!」
「僕は幸せになりたいだけだ」
三本の腕あたりに、細い指が見える。後ろから朝倉のお母さんがしがみついているようだ。
「だったら離婚しろよ!」
「君のこの街の住人ならわかるだろう。僕たちは永遠に結ばれない。だが……愛し合ってるんだ」
「朝倉のお母さん!!」
俺は叫んだ。叫んだが、朝倉のお母さんは後ろから出てこない。俺は続けた。
「この車が壊れるように仕組んだのは、朝倉先輩です! 先輩は全て知ってて、あなたにこんなことやめてほしくて、したんです!!」
「器物破損だな」
三本が静かに言う。
三本の腕を掴んでいる細い指が、固く握られている。
「朝倉先輩は、何を捨ててもいいから、守りたい物があるって言ってました。それはきっといつものお母さんじゃないでしょうか。朝倉先輩、ピアノ捨てるつもりですよ!!」
「そんなことさせない」
後ろから朝倉さんのお母さんが出てきた。
眼光するどく、前にピアノ発表会で会った時の印象とは全く違う。強い女の表情だ。
「もうこんなこと……やめてください……その男は、動物実験で失敗したナノマシンを人体実験に使うような男ですよ?」
「えっ……? だって問題ないって……」
朝倉のお母さんは三本の父親から一歩引いた。
「問題なんてあるはずないだろう。俺がそんな男に見えるか? ああ、車が来たな」
路肩を走ってくる黒い車が見えた。三本が手を上げる。
「七海を返せ!」
金網を力の限り引っ張る。動かない。
だったら上って入るか?! 見上げると有刺鉄線が見えた。これは無理だろ。
どこか入れないのか。少し離れて左右を見るが、そんな場所はない。
当たり前だ、高速道路にそんな簡単に入れてたまるか。
分かってたけど、でも、来ずにはいられなかった……!!
路肩を走っていた車が、三本の車の後ろに止まった。
もうダメなのか。
俺は金網を強く引っ張って「やめろ!!」と叫ぶしか出来ない。
車が止まって誰かが下りてくる。
やめてくれ、七海を持っていかないで……!!
俺は懇願するように金網を握ってその場に崩れ落ちた。
無力で、無力で、どうしようも無かった。
「よう」
聞き慣れた声に顔を上げた。
車から下りてきたのは、椎名だった。
「なんでお前が三本の車から下りてくる。運転手、何をしている」
三本の父親は車のナンバーを見て、椎名の顔を見た。
すると助手席から三本地所の取締役が出てきた。あの人がナノマシンを頼んだ人か。
杖をついてゆっくりと車から降りてきて、そのまま三本の父親……この人からいうと息子の所に近づき、杖で思いっきりお腹を突いた。
「ぐっ……!!!」
三本の父親は道路に転がった。
取締役は、杖をそのままお腹に刺した。
「ぐっ……くるしっ……!」
「どれだけのことをしたか、わかっとるのか」
そのまま何度も杖で父親の腹を刺した。
「諒真お待たせ!」
三本の車の後ろに、姉貴の車が見えた。
「ここだ、ここに七海が!」
俺は三本の車を指さした。
姉貴と椎名がかけよって七海を後部座席から出すと……完全に紫入りの発光していた。
「七海!!」
俺は金網から手を伸ばしたが、指先しか入らない。
「諒真……?」
俺の近くに連れてこられた七海が静かに目を開けた。ああ、もうアザが顔まできている。
「姉貴!」
俺は叫んで顔を見るが、姉貴は静かに首を振るだけだ。
「私の部屋に……戻りたい……諒真に渡したいものが……あるの……」
七海は口をゆっくりと動かして言った。
「分かった、分かったから」
俺は金網ごしに指を伸ばした。七海を抱いたまま、姉貴が近づけてくれる。紫に発光している指先と、俺の指先が触れた。
七海の発光は止まらない。ただ分かるのは、体が熱いことだけ。燃えるように、どうしよもなく。
「椎名、頼んだ」
俺は言った。
「榊がお前迎えに行くから。あ、もう来てるわ後ろ!」
指さされて振向くと、車が来ていた。
俺は最後に七海を目に焼き付けて、車の方向に走った。
お願いだ、七海。
もう少しだけ、もう少しだけそのままで待っていてくれ。
俺は、俺の仕事をするから。




