表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/33

9月9日(土)・運動会・昼

 やはり熱中症っぽい気がして、友達に塩飴を貰い、水道水で頭を冷やす。

 何度言うが、この時期に運動会をするのは間違ってる。

 どう考えても非効率的。

 蛇口の下に頭を置いて濡らす。耳の後ろや、おでこを伝って水が流れるのが気持ち良い。

 まだ午後の部があるのだ。すぐに乾くだろう。


「ちょっと、バカなの?」


 蛇口の水を止めて、そのままの姿勢で後ろに下がると、布らしきものでお尻を叩かれた。


「……んだよ」


 犯人なんて分かってる。


「アンタのお母さんが探してる」

 七海絢子は、濡れた俺の頭にタオルを投げた。 

 そのタオルからは七海の家の洗濯物の匂いがして、一瞬体が熱くなる。

「……どーも」

 俺は赤くなっている顔を悟られないよう、タオルで顔を隠しながら、歩き始めた。

「タオル貸してあげるんだから、感謝くらいしなさいよ」

 大騒ぎしながら七海は俺の後ろをついてくる。

「だからありがとうって言っただろ」

「言ってないし!」

 七海は俺の背中を後ろから叩く。

 どうしてこんなに常に凶暴なんだ。

「いてーな……。今言っただろ」

「アンタ、本当にクソガキね」

「二時間しか先に産まれてない人に、ガキ呼ばわりされるなんて心外だ。で、母さんどこ?」

 俺が立ち止まると、すぐ後ろを歩いてきていた七海が、俺の背中にぶつかった。

「あ、わり、ごめん」

「突然止まらないでよ」

 七海は鼻血を気にするように、鼻に触れた。

「お前は近いんだよ」

 俺は血が出ていないか確かめよう……と手を伸ばしたが、七海は大きく一歩下がって、鼻を拭いた。

「……大丈夫だし」

 俺から顔をそらして、目を合わせようようとしない。

「……そっか」

 俺も目を反らして、タオルで頭を拭いた。


 そのたびに七海の香りがして心臓が早く脈をうつ。


 七海の弟、奨太はたまに遊びにくるけど、いつも抜きたての雑草みたいな香りがして、こんな匂いじゃない。


 やっぱりこのタオルの匂いは、七海の汗……?


 ……ヤバ。俺は大急ぎでタオルを頭から取った。


 一歩離れていた七海が、俺に近づき、手元からタオルを奪った。

 白いタオルが蛇のように舞う。


「体育館裏の芝生にいるから!」


 と言い、走り去った。


「……おう」


 すぐいく。


 そう小声で言いながら、俺はうるさいほど暴れる心臓を押さえつけた。





 七海との関係は、こんなじゃ、無かったのに。





 前のように軽口叩いて、戦っていた時のほうが、近かった気がする。

 いっそ殴り返すか。いや、でも、もう触れるのが無理だな。

 友達にも幼馴染みにも家族にも恋人なれない関係は、何て言うんだ?

 この距離感は、なんていう名前なんだ?

 どう進めばいいのか、進むのが正解なのか、間違っているのかも、分からない。


 俺と七海の付き合いは長い。


 七海が俺の家の隣に引っ越してきたのは、俺たちが八歳の頃。

 挨拶にきた七海は弟を従えて、真っ直ぐに俺の家に玄関に立った。「同じ作りなんだ」それが第一声。そりゃ同じ会社が建てた戸建てだからな。

 話すと誕生日が同じ日だと分かった。

 でも二時間だけ七海の方が早く産まれていると知り、その瞬間から七海は俺に「姉貴」ぶった。

 事実、年が離れた姉貴しかいない俺は甘えん坊で、弟がいる七海はしっかりしていた。

 小学生のときは毎日七海が迎えにきて、一緒に登校した。

 それは偉そうに俺の世話をやき「男の子って、みんなクソガキ!」と叫んでいた。

 まあ、さっきも叫んでいたけど。

 中学にあがると、男女ゆえ距離も出来たが、家族の仲もよく、よく一緒に出掛けた。

 ずっと悪態をつかれ、クソガキ扱いされ、殴り合い、戦った。何度も一緒に寝ている。同い年の姉弟のように。


 こんな……距離感じゃなかった。


 決定的に変わったのは、二ヶ月前。


 夏休みに、神宮司さくらが主催するパーティーがあった。

 神宮司家はこの土地で一山と湖を所有していて、定期的にパーティーしている。

 クラスメイトの俺たちも毎回招待されて「ただで旨い物食べられるなんてラッキー」と行っている。

 もちろん椎名は絶対来ないし、椎名家は椎名家でパーティーがある。

 俺は金持ちに挟まれて迷惑ばかりしていない。旨い物が食べられたら、それで良い。

 女子にはドレスの貸し出しがあったり、ゲーム大会には景品なんかもあって、俺は毎回楽しみにしている。

 神宮司家と椎名家はパーティーの内容で戦っていて、毎回派手になっている。

 

 夏休みにあったパーティーは湖畔で行われた。

 広い場所で、みんな好き勝手に遊んでいたんだが、俺は相変らず日光に弱い。

 木陰で休憩してたら、眠くなり、そのまま眠ってしまった。


 どれだけ寝ただろう。寒くてうっすらと意識が戻った。


 近寄ってくる足音。


 風が後ろからふいてきて、耳の横を駆け抜けた。湿った土と樹木の香り。背中から湖に向けて抜けていく。


 その風が、追い風から、向かい風に変わった。その瞬間に、香りが変わった。


【あの香り】になった。


 七海の香り。そう、あのタオルの。


 俺の体になにか掛けられた。柔らかい布? 俺は目を開くことができない。見てはいけないと、本能で知っていた。


 掛けられた布から七海の香りがした。


 心臓の音が聞こえてしまうのはないかと、心配になるほど体中で響いていた。


 まだ風の匂いは七海の香りで、気配も近くにあると分かっていた。


 俺は動かないように、一ミリだって動かないように体を固くした。


 起きていることを気が付かれたら、ダメだと分かっていた。


 体を固くしすぎて、浅くなった呼吸が、風に混ざる。


 一瞬、風も音もやんだ瞬間に、俺の手元で小枝が折れる音がした。


 そして【あの香り】が強くなって、俺のおでこに何かが触れた。


 髪の毛……? そう考えるのと同時に温度が伝わってきた。


 そう思った瞬間に、唇に何かが触れた、気がした。


 土を踏みしめる音が続き、気配は消えて、香りだけが残った。


 目をゆっくり開くと、そこには誰も居なくて、香り……七海の上着が俺にかけてあった。


 灰色の、紐部分が赤色の、七海のお気に入り。


 帽子部分が、俺の目の前に垂れている。


 そこから七海のシャンプーの香りがしていた。


 俺は動けなかった。そのまま横に倒れ込んだ。


 パキンと小枝が折れて、目の前にも折れた小枝があることに気がついた。



 ……七海は、俺に何をした?



 俺は自分の唇に触れた。……何が?


 そのまま起き上がることができず、神宮司が探しにくるまで、俺は湖畔に転がっていた。半分凍えながら。


 何だったんだ? 何がおこったんだ? 俺はブツブツ言いながらフラフラを歩いて帰宅した。

 見上げた七海の部屋は、もう電気が付いていて、俺は持ち帰ったパーカーを手に、七海の家の前で立ち尽くした。

 なんて言ってコレを返したらいい?

 おいこれサンキューな。帰る時に声かけろよ、風邪ひく所だったじゃねーか、がははは。

 ……軽い。軽すぎる。それにバカっぽい。

 これサンキュー、助かったよ。

 これだけでいい。

 いや、スルーしすぎじゃないか。

 ……何を?

 俺の唇に触れたのは、何だったんだ。

 希望的観測だと……七海にキス、され、た……わけがねーーーーだろ、死ねよ、今すぐ死ね。

 だったら何だよ、指? なんで指で俺の唇に触れる必要があるんだよ、意味わかんねえよ。海苔でもついてたか? 食べてねーよ。

 俺は大きく息を吸って、吐き出した。

 ……わかった、奨太をラインで呼びだそう。「渡しといてー」でオッケーだ。

 俺はスマホを取り出した。

 その瞬間に目の前のドアが開いた。

「諒真!」

 もう部屋着に着替えた七海が、スマホを片手に立っていた。

 薄いTシャツで、体のラインがはっきり分かる。

 首の長さ、鎖骨までハッキリ見えて。

 それに艶やかな唇。


「……っ!!」


 俺は持っていたパーカーを投げつけて、走ってその場から逃げ出した。


 階段を駆け下りて、もたつく足を無理矢理走らせる。


 動け、俺の足。ここから逃げるんだ。


「くそっ……!」


 いや、何やってるんだ! 戻って「ありがとう」って普通に言えよ。

 

 もう逃げてきたんだ、今更引き返したら意味不明だろ。


 これは時間が開けば開くほど、やっかいなことになるぞ。


 なにがやっかいだ、今もうすでにやっかいだ。


 二人の俺が、脳内で順番に俺に叫ぶ。


 帳が下りてもまだ熱を帯びている夏の街を俺は走り続けた。頭を何度も振りながら、叫びながら。


 坂を下りおりて、インターくぐって、駅前まで走り抜ける。

 俺の声は真っ暗な街に消えて行く。大きな川が俺の声を飲み込む。飲み込んで川の音として吐き出す。いつのもこの街のように。

 田舎だから電灯は少なくて、走る車もいない。大きな橋があるので、そっちにむかって一気に走る。

 汗をかくと、まだ七海の匂いがする気がして、俺は再び頭を振った。

「……ていうか、俺はどこに向かってるんだーーーー!」


 俺の家は七海の家の、隣だ。

 

 走れば走るほど、家から遠ざかっていく。

 でもとにかく走りたくて、橋の向こう側にある椎名の家まで行ったら爆笑された。

 自分の部屋から七海の部屋が見えるので、帰りたくなくて、そのまま椎名のマンションに泊まることにした。

 突然家にきた俺を椎名は笑顔で迎えてくれて、榊さんは俺の好物を沢山運んでくれた。

 俺の話を聞く間、椎名はずっと笑っていて、それでも言葉を吐き出すのを止められなくて、ひたすら「もう帰りたくねー」と叫びながらベットに持ち込んだゲームで惑星を爆弾を爆発させた。

 


 あれから一ヶ月経ったが、俺と七海は、どうしようもなく、あのままの距離感から動くことができない。

 お互いに真実を聞くことも出来ず、妙な距離感のまま。

 口を開けば「クソガキ」「バカ」、俺も売り言葉に買い言葉。

 正直、どうにもならない。

 解決策も分からないままだ。


「惑星爆発させてえ……」


 あの頃から俺と椎名のストレス解消方法は、惑星爆破だ。

「はあ……」

 体育館裏で皆待ってるから、行こう……お昼ご飯……。

 俺は動き出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ