9月11日(月)・朝・神宮司パーティー
処方してもらった漢方を飲んで、指示通り消化に良いものだけを食べて過ごした。
夜はこれを飲んで、と渡された丸薬は、目が飛び出るほど苦くて、寝る前に飲んでと渡された液体の薬は雑草を一週間煮詰めたような味で、そのあとどれだけ水を飲んでも口の中に残った。
でもそれは良く効いたようだ。
「うわ……すげえ元気……」
朝起きると、俺の体はものすごく軽かった。
こんなにスッキリと目覚められたのは記憶にないほど。
「おはよう……熱、下がったの?」
横で眠っていた七海が目を覚ました。
「測らなくても分かるよ、すごく体が軽い。すげえ……」
俺は頭を回した。とりあえず検温すると36.2。完全に回復していた。
七海が俺のお腹にしがみついてくる。
「……良かった、一緒に行けるね、パーティー」
俺は静かに頷いた。そうだ、今日は神宮司家のパーティー。今日何かが起きるはずなのだ。
諒真あー……頑張ろうねえ……と七海が俺のお腹にぐりぐりと頭を押しつけてくる。
その髪の毛が壮大にはねていて、優しく撫でた。
貸したパジャマは大きくて、背中が見えて……昨日一緒に入ったお風呂のことを思い出した。
二日以上お風呂に入らないのは、さすがにイヤなので、俺たちは水着をきてお風呂に入ることにした。
両親は何も聞かずに、むしろ厳しい表情だった。何か考えることがあるのだろう。
姉貴の水着を着た七海は、正直胸が……余裕がありすぎて……ううん、あの時も言わないようにしたんだ。静かに思い出すだけにしよう……。
触れていれば良いのだろうと、お互いに頭を洗いあい、向かい合って湯船に入った。
触れる足の感覚と水がスカスカの水着の谷間を落ちていくのを、見てて……もう俺は正直完全に興奮してて、今思い出しても下半身が痛い。
七海に髪の毛を洗って貰ったんだけど、細い指が髪の毛の隙間に入って、頭皮を押すのが気持ち良くてお風呂の熱さ関係なく顔がまっ赤になった。
逆に七海の髪の毛を洗う時、首筋が丸見えになって、小さなオデコが俺の掌の中に収まって……ああクソ!!
「諒真? どうしたの? 髪の毛グチャグチャになるんだけどー……」
俺は気が付いたら七海の髪の毛を両手でモシャモシャと揉んでいた。
「ごめっ……」
謝って手ぐしで整えた。七海は俺のお腹に頭を置いたまま顔を上げた。
「……諒真が良い匂いになった。今日も一緒にお風呂入ろうねえ……」
「っ……お前は……んっとに……」
「だってお風呂好きなんだもん。ネットで水鉄砲買おうよ」
「子どもか!」
「水風船にする?」
「……ちょっといいな」
俺たちは笑いながら、一階に向かった。
一階のリビングには、朝ご飯を作っている両親と姉貴が……固い表情で待っていた。
もう仕事にいくようなスーツに、笑ってない表情。
「おはよう。ていうか……どうしたんだ?」
俺と七海は手を繋いだまま、リビングの入り口で立ち尽くした。
「おはよう。体調は良さそうね。良かった。……座って?」
母さんは俺たちをリビングの椅子に並んで座らせた。そして俺にホットミルク蜂蜜入り、七海にコーヒーを出した。
俺たちはそれを静かに飲んだ。母さんと父さん、それに姉貴まで真顔で、鞄から書類を出している。
なにこれ会議? 俺たちは小さく目を合わせて、首を傾げた。
「七海ちゃんのアザなんだけど……」
母さんは一枚の写真を俺と七海の前に出した。
そこには七海の体にあるアザとそっくりなものがうつっていた。
「樹の根のような状態で広がってて……色も形も……そっくりだけど……」
俺は二枚目を見た。そこにはネズミがうつっていた。
ネズミの全身にそのアザが広がっていて、灰色のネズミは、全身が紫色のアザで包まれている。
「これは……?」
俺は顔を上げた。
心臓がバクバクと大きな音を立てる。
七海は体を小さくして俺にしがみついて、震えている。
母さんは俺の前の椅子に座った。
「母さんと父さんとお姉ちゃんが働いてる神宮司遺伝子研究所は、基本的にmRNAを用いた新しい遺伝子治療を研究してるのね」
一瞬で遠くに放り出された。苦い顔をした俺を母さんが掌で否める。
「分かるように言うわね。簡単に言うと、遺伝子を調べて薬に活かす方法を探ってる」
「うん」
とにかく遺伝子関係なんだよな、それは知ってる。
「世の中にある多くの薬の始めは、遺伝子を取り出して、他の遺伝子と合成してゆくの。私たちはその研究をしていく中で、生命活動を止めた生物の体のみに発生する遺伝子を見つけたの」
「生命活動を止めた……死んだってこと?」
「そう、亡くなった後にのみ、発生する遺伝子があるの」
「へえ……」
「マウス実験では実に500以上のmRNAが活性化して、のち数日間も活動を続けたの。私たちはその中のひとつに注目した。記憶を司るmRNAよ」
「記憶……?」
「死して尚、人の遺伝子は自分の覚えていたこと、生きていた記憶を、遺伝子情報として残そうとしていることが分かったの」
「へえ……」
ロマンチック、なのか?
「それを、元々体の中に直接mRNAを送達するナノマシンを作ってるチームと合流して、人間の記憶をそのまま送達できないか、実験していたの。実際、動物実験まで始めていたわ」
「え? ちょっとまって、それって何に使うの? 誰に?」
「体は滅びるけど、記憶の遺伝子だけ残して、他の体に移植する。人間最後のエゴ、永遠の命よ」
「ええっ……なにそれ……」
「臓器移植の記憶版といったら良いかしら」
「そんなとんでもないこと、あり得ないだろ」
「あり得るのよ、遺伝子状態では」
「えー……」
母さんは俺のマジですか? 完全にとんでもSF話を聞いてる気分だけど……。
ぽかんとした俺の顔を無視して、母さんは続ける。
「そのナノマシンを入れたマウスに出たアザが……これなのよ」
母さんは再び俺たちの目の前にあるマウスが写ってる写真を、トン、と叩いた。
「元々mRNAは不安定で体の中に入るとすぐに分解されちゃうの。そしに自然免疫機構を刺激して生体内で強い炎症反応を引き起こす……」
「炎症作用……?」
七海が俺に強く、強く、しがみつく。
「そう。実際マウスは全身を発光させて、お互いを噛み合い、死んだわ」
「っ……」
七海が俺の腕に顔を押しつけて何度も何度も頭を振った。
同じだ。
このマウスに起きたことと、同じことがクラスで起きた。
間違いない、原因は……。
キッと顔を上げた。
「母さんたちの会社から流出したってこと?!」
俺は叫んだ。
「違うわ」
母さんが制した。
「その研究をしていたのは5年前」
「え……?」
「でもね、半年前。三本地所の取締役、三本峰子さんが亡くなったのを、覚えてる?」
「いや、全然」
「ガンで亡くなられたんだけど、その直前に三本地所の社長さんから相談を受けていたの。記憶を残すmRNA遺伝子を持つナノマシンについて」
「んだよ、それ……」
「もちろん私は説明したわ、全てのことを。もう研究はやめているし、何より危ない」
七海は俺の腕にしがみついて石のように体を硬くした。
分かってる……分かってる……それは、誰よりも知っている。
「多額のお金が動いたのでしょうね。それに三本地所は神宮司研究所の資金の八割を担っている。自分の畑で作ったものを食べない理由はない。そう言い切られたわ」
「マジかよ……」
「結局私たちのチームは正式な依頼として、三本峰子さんの体からmRNAを取り出して、ナノマシンとして作り上げた」
「それを三本のやつらがクラスに流したのか?!」
「おかしいでしょう、冷静に考えなさい。そんなことして何の得があるの」
姉貴が横から口を出した。
得? 損? そんなの……わかんねーけど……。
「三本さまは、奥様の記憶を持った遺伝子が欲しかっただけなの。奥様を深く愛されていて、お骨を愛すように、ナノマシンを大切に保管されていた」
「えっ……?」
「確認したら、完全な同量で、三本さまは保存してらした。だから、三本さんの所から流出したけではない。ご自分が死ぬ時には、一緒に燃やすように遺言書も作成されていた」
「じゃあ何なんだよ」
「でも【金さえあれば、そういうことが出来る事】が、神宮司、三本まで流れたということよ」
「……三本の婚約者がいる椎名の家にも、な……」
俺は、はー……と息を吐いた。
使っても凶暴化するだけなのに? なんでそんなものが欲しいんだよ……。
全然わかんねー……。
さらに、そのナノマシンは粉末で、無味だということを聞いて押し黙った。
本当にそれが明日のパーティーで、何かに入れられているのか……?
七海は俺にしがみついたまま、静かに口を開いた。
声が震えている。
「……そのマウスたちは、どうなったんですか」
母さんと父さんは黙ったままだ。
「……そのマウスたちを、元に戻す実験は……しなかったんですか」
しないですよね……そうですよね……。
七海は俺にしがみついたまま、ずっと泣いていた。
姉貴が俺の横にたち、静かに話し始めた。
「実はね、こっそり私が研究を継続していたの」
「?! 汐里?!」
叫んだのは両親だ。二人とも知らなかったようだ。
姉貴は悪びれない表情で、眉をつり上げた。
「夢があるじゃない。現代の記憶を持ったまま、別の人間になれるなんて……研究者として興味があったの。だから密かに研究してた。そして七海ちゃんの話を聞いて、アザを見て、私はこのために続けてきたのかも知れないと思ったの」
そう言って、小さなカプセルを机の上に転がした。
「ずっと研究してた。高分子を使用したナノマシン、最新版だよ。元のmRNA遺伝子の攻撃も、出来ると思う。でも!!」
バン……と机を叩いた。
リビングが静まりかえる。
姉貴は、ゆっくりと顔をあげて、俺を見た。
今まで見たことがないような真っ直ぐな目。
「理論上の話だよ」
俺と姉貴は静かに見つめ合った。
そんなことは分かってる。
そして、どれほど危険なことかも、分かってる。
それでも……。
七海は俺の横から手を伸ばして、カプセルを掴んだ。
「飲みます」
七海は言い切った。そして続けた。
「飲んでも飲まなくても、死ぬんです、私」
そして繋いだままの俺の手を握った。
「このままじゃ、絶対に死ぬ。それはイヤなんです」
最後の方は声が震えて言えてない。
「死にたくない。あんな風になりたくない。イヤだ……イヤだよ……怖い、なんでこんなめにあうの……もうイヤだよ……」
でも俺は泣きながら俯いた七海を抱き寄せた。七海は俺にしがみついたまま泣き続けた。
俺は七海が落ち着くまで、背中をゆっくりと撫で続けた。声をあげて嗚咽する七海に、俺は少し安心していた。
こんな事になっても七海はどこか冷静で、俺をからかう余裕さえ見せてたけど、本当は泣きたいはずなんだ。でも恐怖が多すぎると、それを直視できなくて、泣くことさえ出来ずにいたのだろう。やっと七海が大声で泣いている。俺は嬉しくて、抱きしめたまま何度も小さな頭を撫でた。
声もかれるほど泣き続けて、七海はスン……スン……と小さく鼻を鳴らして、テュッシュで壮大に鼻をかんだ。
そして顔を上げた。
「飲みます」
「……うん」
姉貴が運んできた水と共に、七海はそのまっ赤なカプセルを口に入れた。
そして水で飲み込んだ。
俺の心臓は恐ろしい速度で脈を打っていて、息が出来ないほど緊張していた。
七海にまた何かあったらどうしよう。いや、何も無かったらどうしよう。とにかく全てが恐ろしくて、赤い薬が救いの糸にも、七海を殺す刃にも見えた。
でも、選択肢なんて他には無い。
姉貴も両親も真剣な表情で七海を見ている。
飲み終えた七海を見て、姉貴が椅子に座った。
「効果が出始めるまでにマウスで数時間。人間なら二日。経過を細かく見せてほしいけど……今日がパーティーなんだよね?」
七海と俺は頷いた。時計をみるともう10時過ぎていた。パーティーは11時からだ。
「そのパーティーで誰かが何かにナノマシンを入れた……ってことね」
姉貴は膝を組んで何度も揺らした。
「……なあ、ひとつ疑問なんだけどさあ……」
俺は七海と繋いだ手をテーブルの上に上げた。
「手を繋いでるとアザの進行が遅れる……というか、最終段階の発光をしないんだ。何か心辺りは?」
姉貴と両親は、俺たちが日本手ぬぐいでキツく縛った手を見た。
そして顔を見合わせた。
「心拍数じゃないかな……と私は思ってるけど」姉貴が言う。
「自律神経の関係じゃないかな」母さんが言う。
「愛だろ」父さんが断言した。
俺たちは皆で父さんのほうを見た。
「……なんだよ、違う?」
「そうです!」
七海がまた目から大粒の涙を落として、笑った。
心拍数でも神経でも愛でも何でも良い。
姉貴が作ったものが効きますように。
パーティーで被害が広がりませんように。俺は祈った。
「ねえ、目。腫れてない?」
七海は鏡の前で目に触れた。
「んー……、いつも通り腫れてる」
「ちょっと!」
七海が俺の腹を殴る。
その態度、その笑顔が、こんな事になる前の七海で、俺は思わず七海を引き寄せた。
化粧を済ませた七海からは、また違う香りがする。
でも吸い込むと……ちゃんと奥に七海の香り。それがどうしようもなく落ち着いた。昨日は俺の家のシャンプー使ってるから、いつもと違うはずなのに、どうして七海はいつも七海の匂いがするのだろう。どこか甘くて独自の香りだ。
俺は首筋に鼻を埋めて、くんくん嗅いだ。
「っ……、あのさあ……ちょっと、抱っこ、しすぎ……だし、状況になれすぎて、ない?」
「七海は今、遺伝子疾患みたいな状態で、唾液や接触では感染しないってよ」
俺は落ち着きたくて、構わず抱き寄せた。
細い腰。細い肩。アザを隠すために来ているハイネックに包まれた首。
「そんなの確証取れないでしょ!」
七海はグイグイと俺を遠ざけた。
「確証取れないものを飲んだ七海が何を言う」
俺は七海の顔を見て言った。
「……心配?」
「期待がデカすぎて、キツい」
「そうだね、お姉さんに感謝だよ……」
正直、姉貴にそんなロマンチストな部分があることに驚いていた。立場とかそんなに関係ね-! と生きてる人種だと思ってたけど、あれもあれで乙女なのだろうか。
何でもいい。1%に賭けるしか、無いんだ。
そしてパーティーで犯人を必ず突き止める。
七海を、クラスの皆を、今度は守る。
俺は七海の背中をキツく抱いて、心に決めた。




