9月10日(日)・昼・二回目
起きたら背中が冷たくて、ビッショリと汗をかいていた。
頭は……まだ少しフラフラする。完全に解熱したわけじゃない。
「起きた? すごい汗かいてたから、何度か拭いたんだけど、着替えよう?」
そうだった。俺は七海の太ももの間に挟まって寝てたんだ。
七海に促されて、ベットから出た。一気に体が冷える。
実は俺たちは、昨日の夜から体操服を着たままだった。初日に着替える余裕は無かった。
七海は体操服の上に、俺のスエットを履いた状態で過ごしているんだけど……。
「さて、どうしようかな」
七海は手を繋いだままの状態で考えた。俺たちの右手と左手は、日本手ぬぐいでキツく縛ってある。
でもその手ぬぐいを汗で濡れている。俺たちはその結び目をまずほどいた。
隙間に空気が入ってきて、涼しい。それほどに密着させていて、しっとりと汗で濡れていた。
俺と七海の汗が混じり合って、正直すごく興奮したが、とにかく着替えに集中することにした。
「まず左手を抜いて……」
七海が俺の上着の袖を引っ張る。俺は素直に従い、腕を中に入れた。
「そして下から頭を抜いて……そのまま右手のほうに持ってきて……」」
結果俺の服を左から右に通して移動させて、手を繋いだ部分に持ってきて、一瞬で落とした。そしてまた繋ぐ。
「三秒ルールみたい」
笑いながら七海は俺の頭に服を通して一瞬だけ手を離して、右手を通して……と服を着せてくれた。
「……あとは、私、目を閉じてるから勝手にしてよ」
下半身をチラリとみて、七海は目を閉じた。
左手さえあれば下半身は着替えられそうだ。全部下に落として、履いた。
同じ要領で七海も着替えた。服は適当に俺の物を。
俺はこれでも身長が175あるので、160前半の七海が着ると大きくて、正直とても可愛い。
ダボダボした服を嫌いな男などいるだろうか。それに俺の服、部屋着、最高だ。
それに大きいから着せやすい。七海は
「えへへ……諒真の匂いすごい……」
と長い袖をダラリと垂らして、クンクンと匂いを嗅いだ。
もう本当に緊急事態じゃなかったら抱きついて離れたく無い。
「入るよー、体調はどう?」
マスクした姉貴が入ってきた。
「37.8。漢方が効いてるっぽい」
俺はベッドに転がった状態、七海もベットに入って座った状態で姉貴に手を振った。
「漢方、体に合いそう? 出られる状態なら漢方専門の薬局に行かない? 知り合いが進めてくれたんだけど、今の状態が一番効くと思う」
姉貴は俺の椅子に座った。
何がなんでも治る必要があるので、俺はすぐに頷いた。
両親は泊まり込みの研究で、今日も居ないが、姉貴が色々立ち回ってくれて、話をしてくれたようだ。
毛布を体に巻いて、姉貴の車に二人で乗り込んだ。
「大滝なんだけど、私もハマってて。冷え性とか、すごく良くなったよー」
姉貴は運転しながら話した。
「漢方って効くんですか?」と七海も興味津々だ。
たしかに姉貴は最近食前に漢方飲んでるな……。俺はよく分からないけど、汗が沢山でて、少し体が楽になったのは間違いない。
「あとね、七海ちゃんのアザなんだけど、やっぱり私たちが研究してる遺伝子によく似ているの。あとで遺伝子を摂取させて貰っても良いかな?」
姉貴はミラーごしに七海に言った。
「もちろんです。本当にありがたいです」
七海は俺と繋いでいる手に力を入れた。
何か一つでも突破口になれば……。俺たちはそう願っていた。
車は国道に入り、大滝駅に移動を始めた。大滝この辺りでは一番おおきな駅で、映画館や本屋もある。
姉貴は慣れた感じで四階立てのビルの駐車場に車を入れた。
大滝……七海が椎名と姉貴を見たと主張していた街。
まさか関係は、ないよな? ちらりと脳裏によぎった。
連れられて店に入ると、一見薬局だが、奥のほうに山ほど棚がある部屋が見えた。
そこに誰かと誰かが話をしている。先客……?
「やっほー、ごめんね、連れてきた」
店内にいたのは、白衣をきた男性と、スーツ姿の男性……。俺はどちらも見覚えが無かった。横に立っている七海と頭を下げて挨拶をした。
白衣の男性は、挨拶もそこそこに、俺を椅子に座らせて舌を良くみて、口の中の温度を測り、脈を取り、肌の状態を細かく確認、なぜか頭皮や目の下、唇の裏まで確認してから調合に入った。
「すごいんだから! ね?」
姉貴は自慢げにスーツ姿の男性の横に座った。
スーツ姿の男性は「早く楽になると良いね」と優しく微笑んだ。
その距離感は、俺たち家族と同じような感じで、話している様子も……まるで家族の一員のような丸さで……でも俺はその男の事を知らなかった。
俺の不思議そうな顔を見て姉貴はスッと立ち上がり
「あ、紹介がおくれたね。同じ会社のバイク仲間の尾野さん。尾野さんもホンダ好きで、色違いのXLに乗ってるんだよね」
「お姉さんからお話は伺ってます。尾野大地と申します。よろしくお願いします。お姉さんより少しだけ年上かな」
「じじぃだよ!」
「そうだな」
二人は楽しそうに話していた。
俺だってバカじゃないから、この二人がただの同僚だとは思わない。
話をするときに近づける顔、姉貴のリラックスした笑顔。……こんな顔するんだな。俺の心の中で何かがチクリと音を立てた。
俺の知らない姉貴が目の前にいた。
「これを食前に飲みなさい」
白衣の人は沢山の薬を俺にくれた。
手作りの丸薬なんて初めて見た。それに色んな香りがする粉薬。
俺は丁寧にお礼を言い、薬局から出た。
駐車場にある車の後部座席に乗り込むと「ちょっと待っててね」と俺たちに言い、姉貴は尾野さんのほうに向かって行った。
尾野さんはバイクに跨がっている。たしかに姉貴と同じバイクだ。もう売ってないから中古だろうか。結構綺麗な状態だった。
何を話しているのか分からないけど、尾野さんは話ながら目を細めた。その表情が丸くて優しくて……姉貴を大事に思っているのが、それだけで分かった。
二人は親しげに話し、お互いにスマホを取り出していじりながら話している。そぶりから見て今度の約束をしているように見える。
お互いにスマホをいじり、笑顔を見せた。そして尾野さんはヘルメットをかぶり、ビルから出て行った。姉貴は歩道まで追って、手をふり、頭を下げた。
ごめん、待たせたーと言い、車を動かしはじめた。
「帰ろう、早く飲んで寝たら良くなるよ。あそこの漢方すごいから」
姉貴は鼻歌交じりに車を走らせた。そして続けた。
「良かったよ、有名な人で、直接見て貰うために長く待つんだから。尾野さんが知り合いでね、無理言って貰ったよ」
「姉貴さあ、あの人……ただの同僚じゃないよね?」
俺は手元に持って居た薬の袋を抱きながら言った。
袋の中からかすかに香る匂いは、薬というより、草の乾燥した匂いや、甘い煮詰めたような香りだった。
「あー……うん、そうだね、会社では一番仲がいいかな」
姉貴は赤で止まった車のハンドルをトン、トンと指で叩きながら言った。
「彼氏、なの?」
「うーん、まあ、気持ちは聞かせてもらってるし、そう、なるかも、なー……」
姉貴は言葉を濁した。
姉貴はずっと俺の姉貴で……他の人と結婚して家を出て行くなんてこと、想像もしたことが無かった。
よく考えたら姉貴はもう30才も近くて結婚するなんてリアルなのに。
車は静かに動き出す。
……ていうか、あれ?
七海の見立てでは、姉貴は椎名と付き合ってるんじゃなかったのか?
「七海が姉貴と椎名を見たのはいつなんだよ」
部屋に戻った俺たちは話し始めた。
「5月のGWと……7月に末。先月だよ?えー……見間違えだったのかな」
七海は自信なさげに頭をかいた。でもクッと頭を上げて
「やっぱり見間違えじゃないよ。私、椎名くんもお姉さんも、見間違えたりしないもん」
「だったらもう別れたんじゃないか? 尾野さんと良い感じだったぞ」
「7月に見た時はすごくラブラブだったよ。えー……分からなくなってきたよー」
七海は頭を抱えて髪の毛をモシャモシャした。
でも椎名は元々婚約者がいるんだから……。
そこまで考えて、俺の頭に記憶がパチンと戻った。
「七海に聞こうと思ってたんだ。神宮司と椎名って、実は仲悪くないのか?」
「えっ? えー……うーん、実はね、さくらちゃんは、ずっと前から椎名くんが好きなの」
「えーー?」
俺は思わず顔をしかめて叫んだ。
この街で、この状態で、その恋愛感情だけはあり得ない。
「本当に、ずっと前から」
「それって、嫌いだって意識してる間に気になった……みたいな、分かりやすいやつじゃないのか」
「ある意味一番近いんだよ、椎名くんとさくらちゃんは。運命が決まってて逆らえない。ゆえに、近い感情もあるんじゃない?」
「うーん……」
俺は唸った。
「さくらちゃんは誰にも気が付かれないように、ずっと好きだったけど……なんで諒真はそう思ったの?」
「前の時に秘密基地に行っただろ。七海が眠ってた時に神宮司と椎名が……手を繋いであの裏道歩いてたぞ」
「えっ?!」
思わず七海が立ち上がった。突然立ったので、俺も引っ張られて、意味なく二人で直立した。
俺たちは立って見つめ合った。
でも七海の心はここにあらず。反対側の手で口元を押さえて涙目だ。
「うそ……本当に? じゃあ、さくらちゃんの夢が叶ったのかな……?」
「いや、分からないけど……」
「あんな不毛な戦い、もう終わるのかな……」
俺は七海が溢れるように涙をこぼしていたので、反対側の手でテュッシュを取って渡した。
七海は涙を何度も拭きながら、本当に? ちゃんと見た? を繰り返した。俺は七海を落ち着かせて座った。
「椎名は婚約者の弱みを探して動いてたから、ひょっとして神宮司と付き合うため……なのか?」
「えーーーーーーー?! すっごく嬉しい。だったら本当に嬉しいよ!」
七海がまた泣き出した。もう……。俺はテュッシュを箱で渡した。七海は何枚も一気に取って、大きな音をたてて鼻水を噛んだ。
「そんなに昔から好きだったのか? あんな様子で? あんなにケンカばかり売ってて?」
「私だってケンカ売ってたけど……ずっと諒真が好きだったよ」
突然七海が声を落として言う。
不意打ちすぎて、俺は息を飲んだ。
「……んだよ……、そんなの、俺だってさあ……」
ぽそぽそと言葉を出す。
「好きだった?」
七海がグイと俺に近づく。
「はあっ?! そんなこと言えねーよ!」
「ほらね。簡単に気持ちなんて、言えないんだよ」
七海は小さく笑って体制を戻そうとした。からかわれたことに気が付いた俺は、イラッとして七海の肩に手を回した。そして引き寄せた。
「好きだよ」
「っーーーーーーー!!!」
七海は俺の顔に張り手して、遠ざけた。
「何だよ、素直になれって言うから!」
「何の話してたのか、忘れたー!!」
俺たちは片方の手で張り手しあって、そのままお互いの顔に触れて、そのまま指先を絡めた。
そうだ、恋愛が一筋縄でいかないことなんて、俺たちが一番分かってる。




