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9月9日(日)・運動会・深夜・二回目

 姉貴が「これなら片手でも食べられるんじゃない?」と握ってきた巨大おにぎりを俺たちは食べた。

「どこか触ってれば良いの?」

 手を繋いだまま、おにぎりを食べている俺たちを見て、姉貴は言った。

「分からないけど、とりあえずそうっぽい。俺の手が、七海の素肌に触れてるのが大事みたいだけど」

「エロ」

「しらねーよ!」

 俺は叫んだ。

 七海は、あはは……と力なく笑った。

 俺の右手と、七海の左手はしっかりと繋がったままだ。

 汗をすごくかくので、そのたびにハンカチで拭いた。

 指の隙間にハンカチを入れるのが恥ずかしくて……少しエッチで、そのたびに俺たちは照れた。

 七海も右手でおにぎりを掴んで、食べている。

 その頬には影が落ちている。要するにすごく痩せている。でも表情は丸い。

 七海がひとりで持っていた荷物を、三人で持てたと思いたい。何が出来るか分からないけど。

 姉貴が「情報集めてくるー」と、会社に向かったあと、俺たちは洗面所で歯を磨くことにした。

 二人で手を繋いで、俺の家の洗面所に向かう。

 分かってる、非常事態だ。でも、その状況がいつまで経っても慣れなかった。

 手を繋いでいると七海のアザも発光しないので、ただ何があっても手を繋ぎたいだけのカップルのようで恥ずかしくなってしまう。 

 俺は洗面所の扉をあけて、新品の歯ブラシを七海に渡した。

「ていうか、家、隣なんだし、取りに行けば良くないか?」

 七海は小さく首を振った。

「事情の説明をちゃんとしてないから」

 そうか。俺の家の説明はなんとかなりそうだけど、七海の家には何の説明もしてない。

 運動会に行った娘が突然深夜まで帰ってこないのは問題だろう。

 俺は取り出した歯ブラシを置いた。

「今から行こうぜ」

 七海は再び静かに首を振った。

「ちゃんとラインで言ったよ。今日から諒真と暮らすって」

「はーーーーーーーーー?」

 俺は口を斜めにして叫んだ。何を言ってるんだお前は。

 七海は俺が置いた歯ブラシを持って、歯を磨きだした。

「何も説明できないもん。それにもうアザが首元まで……。ずっとマフラーが必要な状態。こんなの見ただけで倒れそう、うちの両親。ずっと隠してきたから。深く話すことが、キツいこともあると思う」

 俺はかける言葉を失った。

 体中に広がったアザ。俺が見てもキツいのに、親だったらどれほど苦しいだろう。

 問いただされても何も言えない。だって七海も分かってないのだ。ただ心配をさせるだけ。

 でもだからと言って、これからずっと俺と行動を共にすることを、説明しないのは問題があると思う。

「いや、でもさあ……」

「何も聞かずに、数日間、諒真と居させてくれって言った。知らない苦しみと知った苦しみで比べたら、知らない方が楽だと思う、これは」

 七海はピシャリと言った。

「えー……」

 俺は不満げに歯ブラシを咥えた。

 でも頑固な七海だ、俺が何を言っても聞かないだろう。

 俺たちは鏡の前で二人で並んで歯を磨いた。姉弟のように二人で鏡の前に並んで。

 俺の動かした右肘が、七海の肩に当る。

「……ごめん」

 くふっ……と七海が吹き出すように笑って、鏡の中で俺の方をみた。よく見るとマスクがない顔は久しぶりに見た気がする。

 七海はクスクス笑いながら、俺の横で歯を磨いた。七海の小さな歯が白く光ってチラチラと見えている。

 俺は繋いでいる手にクッ……と力を入れた。くそ、緊急事態なのに、どうしようもなく興奮してしまう自分がイヤだ。

 俺が力を入れた手を、七海も握り返してきた。

 ずっと繋いでいるので、どうしようもなく汗をかいている。

「……ねえ、この手。このまま洗わない?」

 七海が口に歯ブラシを咥えたまま、繋がっている手を持ち上げて言った。

 むしろその咥えたままの姿が個人的には好きで……じゃなくて。

「あ、ああ、そうだな」

 俺は七海と繋いだ手を蛇口の下に置いた。

 そして水を流した。

 俺たちの繋がった手に水が流れ込む。離れないように恋人繋ぎ……というのか、指と指を交互にして繋いでいるので、そこを少しずつずらしてみる。

 そして隙間を洗う。人差し指をずらして洗い、中指をずらして洗う。七海の親指が俺の掌の腹を撫でた。

 くすぐったくて、背筋がぞくりとした。鏡越しに七海をチラリと見ると、顔だけじゃない、耳まで赤くなっていた。

 んだよ……と思って自分の顔も鏡で見たら、もっと赤かった。

 俺たちは長い間、顔を赤らめたまま、繋いだ手を水で濡らしていた。


 何やってるんだ、本当に。


 そして水を止めて手をゆっくりと拭く。

 隙間にタオルを入れて、親指からゆっくりと一本ずつ。

 俺が拭いていると七海が「くすぐったい……」と文句を言った。

「じゃあお前がやれよ」と俺はタオルを繋がっている手の隙間に押し込んだ。

 七海がそれを取り、繋がっている手全体にクルクルと巻いた。

「なんだよ、その適当ぶりは!」

 俺は思わず叫んだ。

「だって恥ずかしいんだもん、もうヤダ!」

 七海が手を繋いだまま、顔を背けた。背けたけど、鏡では見えている。耳まで赤いなんて正直可愛すぎる。

「なあ」

 俺は繋がった手を引っ張った。なによ……と七海はこっちを向かずに言った。

 俺はアゴを動かしてクイと風呂を指した。

「……風呂はどーするんだよ……」

 七海はクルリと首を回して俺の方を見た。そしてにっこりと微笑んだ。

「一週間くらい入らなくても大丈夫だよ」

「えーーーー……」

「じゃあ、一緒に入る?」

 七海がニンマリと笑った。眉毛をあげて、いつものイタズラっ子の表情で。その表情は【こんなことになる前に】七海がよくしていた顔だった。

 俺を怒らせたくて、よくこういう物言いをしていた。それは俺も分かっていて、乗っていた。

 でもそれは七海なりの気遣いだったんだ。唐突にそれに気が付いた。

 お風呂に入りたく無い女の子なんて居ない。姉貴なんて毎日一時間以上出てこない。母さんもよく風呂で寝ている。

 俺の統計上(二人しかサンプルがないけれど)女は風呂が好きなんだ。

 俺を怒らせることで、俺の思う通りにさせてくれてるんだ。

 七海は俺にケンカを売って、俺を安心させていたんだ。

 俺はずっと、ずっと、七海に守られていた。

 情けなくて、どうしようも無かった。

 思っていた反応と違ったからだろう。七海は焦って俯いた俺の顔を覗き込んだ。

「……どうしたの?」

 目の前に七海の耳が見えた。おかっぱの髪の毛が耳にかけられていて、耳の一番上が切れているのが分かった。

 ずっとマスクをしてたからだ。

 これも俺のため。

 ずっとアレルギーとか嘘ついて。

 俺は反対側の手を伸ばして、七海の耳に、ツン……と触れた。

「……っ!! 何?!」

 七海が叫んで俺の目の前から逃げた。

「ありがとうな」

 俺は今まで一番素直に、小学生の時のように、七海の声をかけた。

「な、何よ」

 七海がまっ赤になった耳を押さえて言った。

「俺、目にタオルとか縛って、見えないようにするから、手を繋いだまま風呂に入ろう。水着とか着て入ればいいじゃん」

「えーーー、ちょっと待ってよ!」

 今度は七海が慌てる番だった。

「お風呂、好きだろ」

「う……そう、だけど……」

 七海はチラリと俺を見た。

「今日は遅いから、明日な」

「う……え……諒真……どうしたの? なんか、変」

「いや、七海を好きだなーって思っただけ」

「へっ?!」

 七海がものすごい速度で俺の方を向いた。モショモショと歯を磨き続けていたので、口に歯ブラシを咥えたまま。

「ずっと七海を好きだったよ」

「へ……なんでいまそんな……なんで歯を磨いている時に……?」

 七海は口に入れていた歯ブラシを高速で動かし始めた。一気にもの凄く歯を磨いている人になってきた。

 それが面白くて俺は声を出して笑った。

 七海は「何よ、なんなの!!」と叫び続けていた。俺はそれを静かに見ていた。

 そして決めていた。

 今度は絶対、俺が七海を守るんだ。


 眠るときも手が離れないように、繋いだ部分を日本手ぬぐいで縛ることにした。

 お互いに片方の手しか開いてないし、やりにくかったけど、アザが発光するより遥かにマシだった。

 強く縛り、二人で布団に入った。前と同じように七海が奥で俺が手前。

「……予行練習しといて良かったな」

 俺は半分茶化すように言った。当たり前だが七海が横で寝てる状態は慣れない。

「そうね。練習しといても……ドキドキするけど」

 七海は笑いながら言った。

 お互いに本当にな……とブツブツ言い合った。

 俺は繋いだ手に力を入れて、自分のほうに引き寄せた。

「……整頓して話そう。俺が知ってる事と、七海が知ってる事は、違う」

「そうね」

 七海は少し俺の方に寄ってきた。俺は思わず体を硬くする。七海は気にせず、繋いだ手を俺の肩に乗せた。

 緊張したが、とにかく話して落ち着きたかった。

「まず、する必要があるのは、現時点でクラスメイトにアザがあるのか、確かめることだ」

「なるほど」

 七海はツイと顔を上げた。

「本当に明後日ある神宮司のパーティーで何かあるのなら、今時点で、クラスメイトの誰にもアザは無いはずだ」

「どうやって確かめるの?」

「椎名が使えないのがなあ……椎名の所はプールもあるから……」

「別に大丈夫じゃないかな。椎名くんが真っ白とは言わないけど、別にアザを確認するために裸にするわけじゃないなら……」

「タイミング的に明日しかないんだろ。どーすりゃ良いんだ」

「神宮司のパーティーって……いつも衣装借りれるよね」

「そうだな」

 俺は七海が神宮司のパーティーで借りて着るドレスが好きなんだ。

 派手な物も多くて、みんなコスプレ状態で……。

「あ!」

「そう。みんなに今回は衣装に着替えようって声かけて、着替えてもらおうよ。特に男子。いつも所構わず着替えてるじゃない」

「そうだ、衣装室で雑多に着替えてる」

「そこで確認しましょう。あれはパーティーが始まる前だから、そのタイミングでアザが無ければ、やっぱりパーティーがおかしいと思う」

「了解。次は、誰が……だけど」

「前の時にも、それはずっと考えてた」

 七海は目を閉じて、俺の肩にアゴを乗せた。ものすごくくすぐったいが、七海がそれで落ち着くなら耐えることにする。

 七海は続けた。

「目的も、何をどうしたらこんなことになるのかも、分からないけど、単純にあの場に居なかったのは椎名くんとさくらちゃんなの」

「模試を休んだのは……」

「居ない。あと逆に、居ないはずの人が居たの。聞こえなかった?あの日。遠くでピアノの音」

「えっ……」

 心臓が大きく脈を打った。ピアノって……。

「朝倉先輩が、模試の日に来てたの」

「朝倉先輩って……」

「特進よ。だから模試の日に来てるなんておかしい」

「本当に朝倉先輩が弾いてたのか、分からないじゃないか」

 俺は思わずムキになって言った。朝倉先輩のピアノはすごく好きで……ほんの少しでもそんな可能性、考えたく無かった。

「残念だけど、あんな見事なピアノ……この学校で弾けるのは朝倉先輩しか居ない。それに一緒にお弁当食べてた時に横で鳴ってた曲よ。覚えてる。諒真と一緒に聞いた曲だから」

 七海は頬を、すり……と俺の肩になでつけた。

 俺は七海の頭に、自分の頭をカチンと乗せた。

 それが本当なら、なんであの日に朝倉先輩が……? 

「でもわざわざ来たら危ないじゃないか」

 俺は慌てて付け加えた。

「あれから犯人の心理とかの本も随分読んだけど、放火犯は、放火現場のすぐ近く……ほとんど野次馬の中にまじって見てるんだって」

「んだよ、それ」

 朝倉先輩を放火犯と同じ枠に置かれて、苛立った。

「居る必要がない時に、居たの、たぶん。変なのは、間違いないでしょ」

「……そう、だな……」

 俺は無理矢理七海の言葉を飲み込んだ。

 でも朝倉先輩がそんなことする必要は、全く感じられない……と思った瞬間に思い出した。


 朝倉先輩のお母さんと、三本地所の父親が浮気していたことを。


 あれが何か関係あるのか……?

 俺は慌ててその事を七海に話した。

 パーティーで椎名が怪我したことは話したが、それは話して無かった。

「え……それって……色んな人が壊れる可能性がある……ヤバい話だよね……」

 七海は眉間に皺を寄せて呟いた。そして続けた。

「なるほど……椎名くん……頑張ったねえ……」

「婚約は破棄になるだろうな。神宮司を裏切った人間に、椎名家は興味ないだろうし」

「あのさあ、これ、言おうか悩んだんだけど……」

 七海はコホンと続けた。何? と俺は先を促す。

「諒真のお姉さんと椎名くんって……付き合ってるよね?」

「はあーーーーーーーーーー?」

 俺は完全に体を起こして叫んだ。

 俺が起きたので、七海も引きずられるように体を起こした。

「痛っ……!」

「ごめん、繋がってること、忘れてた」

 俺は静かに布団に戻った。

 え? 七海は今、何を言ったんだ?

「姉貴と、椎名が……?」

「私ね、大滝駅で二人がデートしてるの、二回くらい見てるよ」

「えーーーーーーー?!」

 俺はベットの中で足をバタバタさせた。大滝は三つ隣の駅で、この周辺では一番おおきな街だ。

 そこに姉貴と椎名が?! 全く知らない。

「手も……繋いでたよ」

「……マジかよ……いやいやいや、嘘だろ、椎名と、椎名と、椎名と、姉貴が?!」

 もう絶叫に近かった。俺に七海以外居なくて良かった。

「だからどうしても婚約破棄したかったのかも。証拠を見つけて」

「えー……まじかよー……」

 俺は同じ言葉を何度も何度も言った。

 冷静に思い出す……でも、俺には何も分からなかった。

 俺たちは冷静に話し合っていたはずなのに、結局大騒ぎを始めてしまった。

 手を繋いだまま、二人で小さな布団に丸まって。


「ふあ……」


 話している最中に七海が俺の肩で眠っていくのを、俺は静かに見ていた。

 アザは発光してない。範囲も広がってない。寝息も立ててる。温かい。

 大丈夫だ。

 自分を安心させて、俺も目を閉じた。

 山ほど飲んだユンケルのおかげなのか、前の時より熱は上がってないようだった。

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