9月9日(土)・運動会・夜・二回目
「わっ……! 七海ちゃん? え、どういう状況? 体操服のまま? え??」
声で目を覚まして部屋の入り口を見ると姉貴が立っていた。
姉貴が帰ってくるような時間……もう夜かと思った体を起こそうとして、七海と手を繋ぐ必要があることを思い出した。確認すると外れそうになっていた。
それもそうだ。七海もベッドにもたれ掛かって眠っていた。
俺は慌てて、しっかりと手を握った。
夜寝るときは、紐とかで縛ったほうが良いかもしれない。いや、今すぐ縛るべきか……。
「ねえ。諒真……」
部屋に入ってきた姉貴が部屋の電気をつけた。まぶしさに目を細める。
どうやらかなり遅くまで二人で眠っていたようだ。
スマホを見ると九時を過ぎていた。着信履歴が複数残っている。すべて椎名とクラスメイト。
そりゃそうだ、運動会を二人で抜け出したんだ、騒ぎになってるだろう。
でもそんなのはどうでもいい。
姉貴が俺と七海のほうに来た。
「諒真? 大丈夫?」
姉貴の表情は真剣だ。二人とも体操服のまま、手を繋いで眠っているのだ。異常事態だとすぐに察したらしい。
「姉貴……」
俺は声を絞り出した。
熱のせいなのか、喉がカラカラに乾いていた。
ユンケルと一緒に買い、枕元に置いていたアクエリアスを一気の飲んだ。そして繋いだままの手を引いて、七海を起こした。
「ん……」
七海も目を覚ました。
俺は姉貴に説明することにした。
まずアザを見せた。姉貴は研究者なので、信用させるために事実が必要だ。それに何より手っ取り早いと思った。
七海は静かに体操服を脱いだ。下着の隙間からもアザが広範囲に広がっているのが分かる。
俺もしっかりと見るのは初めてだった。
アザは背中から胸の方向に、まるで樹が根をはるように広がっている。
あまりに体中に広がっているので、俺は恐ろしくなった。
まるで背中に誰かが種を植えて、体中に根が張っているような恐ろしさ。
そのまま床に押さえつけたら、背中から巨大な樹木が伸びていきそうな感覚に唇を噛んだ。
痛みはないのか? と聞くと「アザ自体に痛みは全く無い」と七海は薄く微笑んだ。
でもその微笑みが今にも泣き出しそうで、俺は繋いだ手を強くした。
そして俺が手を離すとどうなるか、姉貴に見せた。
手を離して数秒後、背中から一気に光が移動して、指先まで走り抜けた。
まるで七海の体に雷が落ちたように光が駆け抜けた。
俺は怖くなって、一瞬で七海の手を握った。
怖い、本当に怖い。
俺は七海の両手を握った。
横で見ていた姉貴の目の色が変わった。
そして俺たちの話を真剣に聞いてくれた。
「……分かった。言葉を選ばずに言うと、アザがあって良かった。時間を飛んできたなんて言われたら聞かなかったけど」
姉貴は俺の勉強机の椅子に座って、足を組んだ。
そして定期的に足首を動かした。考え事をしている時の姉貴の動きだ。
まだスーツのままだから、帰ってきたばかりなのだろう。
姉貴は口を開いた。
「そのアザ。パターンに覚えがあるわ」
「え?!」
俺と七海は同時に顔を上げた。
「期待しないで」
姉貴はピシャリと言った。
分かってる、分かってるけど、何でも良いからすがりついてしまうほど、俺たちは疲れていた。
「私が働いている神宮司研究所が何をメインに調べているか、知ってる?」
「いいや、全く」
俺は首を振った。当然黙秘の義務も色々あるだろうし、正直興味も無かった。
姉貴はアゴに触れながら続けた。
「人間のmRNA活動レベルをメインに研究してるんだけど」
俺は全く理解出来ないが、少しでも食らいつこうと頷いた。
「その研究過程で見たパターンに良く似てるの。ゼブラフィッシュとマウスで見たもので、もちろん人間に対しての物じゃないけど、似てるわ」
「なんでもいいよ。もし何かあるから、調べてほしい」
「七海ちゃん、私の部屋で詳しく写真撮らせて貰っていい?」
「いや、ダメだ」
俺は断言した。
「あ、そうか、手を離したら症状が進むんだっけ。じゃあ諒真、手だけ伸ばしてあっち向いてて。下着もブラも取ってほしいの。アザの全体像が見たい」
「分かりました」
七海は俺があっちを向くより早くブラのホックを体操服の上から外した。
「ちょっと待てよ!」
俺は慌てて壁のほうを向いた。
姉貴が手伝いながら、七海は全ての服を脱いだ……ようだ。
ガサガサと衣類がすれる音だけが聞こえる。七海と繋がっている手首に何かかけられた。薄目をあけてそれを確認すると
「……?! ちょっと待てよ、お前!」
俺の手首に七海の服がすべてぶら下がって、そこにはブラが……!
「また着るから良いじゃない。人間ハンガーよ」
「ああ……」
分かってる、興奮してる場合じゃない。
でも手首にブラかけられて落ち着くのも難しい。
姉貴のブラは全く飾り気がなくて、というか常にブラトップだからブラ自体が存在しなくて、でも七海のブラはちゃんとレースとかついてて、くそ可愛いじゃないか。
俺は手を限界まで伸ばして布団の中に丸まった。
暗闇の中で目を閉じていると脳内がグルグルと回っているのを感じた。ヤバい、熱が上がってきてる。
体制を何度か変えて、姉貴は七海のアザを全て写真に収めたようだ。
俺の手首がどんどん軽くなっていく。要するに七海が服を着ていく。
「もういいよ、すけべさん」
「見てねーし!」
俺は布団から顔を出した。
「あら、まっ赤」
姉貴はケラケラと笑った。
見ると七海も笑顔で、俺はそれだけで、もう何でも良かった。
「……何でもいいんだ。何でもいいから、情報がほしい」
「分かった。私は今から会社に戻る。参照したい画像があるから。父さんと母さんにも説明する。この写真を見れば黙ると思う」
「あの!」
七海が声を上げた。
そして脳内を整頓するように、丁寧に言葉を選びながら話し始めた。
「犯人は、まだ分からないままなんです。でも、私の読みが間違ってなければ、犯人はこの時間軸では【まだ悪いことをしてない】と思うんです」
「どういう意味?」
姉貴は立ち上がっていたが、座った。七海は続けた。
「前と前回。私が一番最初にクラスメイトのアザを確認したのは運動会のあと、来週の水曜日なんです。私に出たのはもっと後、模試試験の前日……金曜日くらいでした。私が知ってる限り、このアザがあるのは、私たちのクラスメイトたちだけ。つまり、私たちのクラスだけ【何かされた】。教室に何かがあった、教室で何かが撒かれた……色々考えたし、調べたのですが、諒真と椎名くんと神宮司さくらちゃんにはアザがない。その説明がつかなくて。それに私たちの学校に給食や学食はない。三人を覗いて、クラスメイトだけに何かをするのは、ほぼ不可能だと思うんです。考えた結果。私たちクラスメイトが同じものを食べて……それに諒真と椎名くんが食べてない時があるんです」
「神宮司のパーティー!」
俺は叫んだ。
七海は頷いた。
「二日後の振替休日の月曜日。神宮司さんの自宅でパーティーがあります。諒真はずっと熱で来てない。椎名くんは元々神宮司のパーティーには来ない。その他のクラスメイトは全員居た。何かあったとしたら、そこじゃないかと思ってます」
「なるほど。じゃあ神宮司関連の所で派手に動くなって言いたいのね」
「すいません。そういう事です。お姉さんが派手に動くことによって犯人が気が付く。そして私の読みであるパーティー以外の場所で犯人が何かすると、更に被害が広がる可能性がある、と思っています。私、今回こそ、あのパーティーで何かを掴みたいと思ってるんです」
「なるほど。じゃあ両親には二人はラブラブで離れたくない程度にする。あと会社では秘密裏に動くわ」
「よろしくお願いします!」
七海は頭を下げた。
俺は静かに二人のやり取りを聞いていた。
そして先週の七海を思い出していた。
ずっと深夜まで起きていた七海。
顔色が悪い七海。
本をずっと読んでいた七海。
俺に近づくときは、マスクに手袋だった七海。
ずっとずっと、一人で考えていたのだと思った。
可能性を一つずつ潰して、必死に考えたのだろう。
一人で、誰にも何も言わず。
「適当に食べもの持ってくるね。諒真は風邪? 明後日だっけ? パーティー。それまでに治すなら、手持ちの薬持ってくるわ。あと超DXユンケルMAXも」
姉貴は話しながら出て行った。
俺は姉貴が出て行ったのと同時に、七海を後ろから抱きしめた。
「……わ! 何、諒真、どうしたの?」
七海は俺に抱きしめられたまま、体を小さく動かした。
俺はその動きが静かになるまで、強く後ろから抱きしめた。
一人でどれほど苦しかっただろう。
どれほど泣いただろう。
俺は何も知らないまま、七海に守られていた。
今度は俺の番だ。
何とかしたい。
人生で初めて、強く思った。




