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9月16日(土)運命の日(諒真視線-1)

 カン……と高い音が教室内に響いた。

 顔を上げると七海が机の上から、バットを床に捨てていた。

 軽い音を立ててバットは教室の床を転がり、誰かの体に触れて、止まった。

 動かない指先。生き物とそうじゃない物の境界線。

 俺は息を吐きだした。細く、長く、全てを吐き出すように。

 今この教室の中で息をしているのは、俺と七海だけだ。

 他には誰も立っていない。そう、七海が全員殴ったのだ。

 昼間の日差しが差し込む教室内、七海は机の上に立ったまま、パーカーのポケットに手を入れた。

 赤い紐が生き物のように揺れた。

 同時に間抜けなチャイムが学校内に響きわたる。

 チャイムが静かになっても、七海は俯いたまま、動かない。

 俺も廊下から一歩も動くことができない。

 俺たちは二人とも、時が止まったようにその場に立ち尽くしていた。

 黒板に書かれた「模試」という文字。汚い黒板、集めたばかりの解答用紙に溢れたごみ箱。

 いつもと同じ教室なのに、足下に転がる無数の体や、黒板に伸びた血は、全く違う世界だと俺に知らせていた。


 今日は土曜日で、このフロアには俺たち商業科一年生しか登校してない。

 商業科の二年生も同じ模試を受けているが、棟が違う。

 きっとかなり大きな悲鳴が響いていたけれど、届いていないようだ。

 その証拠に、誰も来ない。

 いや、あまり時間は経ってないのかも知れないし、一時間も二時間も経ったのかも知れない。

 時間というものが完全に消えているように動けない。

 七海の手がパーカーのポケットからヌルリと出てきた。

 見慣れた手首なのに白さと細さにゾッとする。

 細くて丸い指先でパーカーのフード部分を掴み、自分の頭に乗せた。

 そして振向いて、俺のほうを見た。

 目があった瞬間に心臓が素手で掴まれたように痛んだ。

 まっすぐに俺を見る目。

 

 お前は誰なんだ?

 バットでクラスメイトを全員殴った女。

 そんなことをする人間を、俺は知らない。

 

 恐怖とパニックで足が震えているのが分かる。

 でも俺を見ている七海の表情はいつもと同じで……何も変わらない七海で、俺は理解が追いつかなくて、胃液が上がってくる。

 口の中が酸っぱくなって、なんとかそれを飲み込んだが、胸がむかむかして制服を掴んだ。

 すると全身に汗をべっちゃりとかいていることに気が付いた。 

 怖い。どうしようもなく、目の前にいる女が怖かった。

 次に殺されるのは、俺?

 あの女に殴り殺されるのか、俺は。

 どうして? 理由は? なんでなんでなんで?

 なんどもえずく気持ち悪いさを、浅く息を吐いてやり過ごした。


 でも俺は見ていた。


 最初は七海が無作為に殴りつけているように見えたが、最後は七海が襲われていた。

 何か変な生き物に皆がなっていて、七海はそこから身を守っていたように見えた。

 でも分からない。

 何も分からなかった。

 俺が今分かるのは、自分が心底怯えているということだけだ。


 昼間の日差しが差し込む教室で、俺と七海は見つめ合っていた。

 ここで俺が動いたら、七海の殺されるのか、七海が窓から飛び降りて死ぬのか。

 全部が分からなくて、俺は身動きひとつ取れない。



「……本、持って戻ってきちゃったんだ」



 七海が口を開いた。少し声が擦れている。

 その口調が恐ろしくいつも通りで、俺は現実味が沸かない。

 心臓が早く脈を打ちすぎていて、頭がぼんやりしてきた。 

 でも冷静に言葉を発しなければならないと、俺の中のどこかが命令している。

「本……? 本……?」

 俺はうわごとのように言葉を口から出した。

 言葉というより、記憶を取り戻すように口から空気を吐き出しながら。

 俺はなんで本を持って、ここに立っているんだ?

 そうだ、俺は七海に本を図書室に持って行ってくれと言われたんだ。でも悲鳴が聞こえて戻ってきたら……七海が机に上に立っていた。

 背表紙から、ゆっくりと掌を動かすと、汗で背表紙が濡れている。

 俺は手を浮かして、完全に脱力した状態で、手首をふわふわと空気に漂うクラゲのように動かした。

 七海らしき人間は、いつもと同じように続けた。



「中に手紙が入ってるの、気が付いた?」



 七海は机の上からジャンプして下りた。

 ガシャンと予想以上に大きな音が響いて、俺は「ヒイ!」と小さく悲鳴を上げて、持っていた本を落とした。

 怖い、殺される、俺も殺される、この女に殺される。 

 心の中は殺されるという言葉で支配されて、そのままずるずると廊下を後ずさりした。

 目は女から離すことができない。走ってきて俺を殴りつけるかもしれない。

 だからって俺に自分を守るすべは無いけど。

 女は教室の中で、机にもたれた。

 フードをかぶっているので、表情は見えない。


「……手紙だけ読んでくれないかな」

 女は小さな声で言った。

 でも俺には大きすぎる声……脅しに聞こえる。

 俺は無言で何度も首を振った。

 怖い、動けない。

 七海は机に腰掛けたまま両手で顔を包んだ。

 その手首に、俺があげたミサンガが見えた。

 両手の隙間からは……涙が見えた。

 女は両手で顔を隠して、声の一つもあげずに、泣いていた。

 小指と小指の間から、大量の涙が落ちてくるのが見える。

 女はそれを、パーカー同士をすりあわして、見えないようにしている。

 その仕草は、七海がいつも本音を隠す時にする仕草で……そうだ、俺の恋人になると宣言した時もああやっていて……。



 七海だ、と思った。

 七海はいつも本音を、本当のことを隠すときに、ああして顔を両手で包む。

 本当に七海なのか。

 本当に……?

 


 隠された真実が、この手紙に書かれているの、か?



「……分かった」

 俺は動いて、落ちていた手紙を拾った。

 見ても……? と七海のほうを見ると、七海は机に腰掛けて軽く頷いた。

 俯いていて、こっちは見ていなかったが、少し見えた目はまっ赤だった。

 開くと、中には七海の几帳面な文字が並んでいた。

 パソコンで打ったものではなく、手書きの文字で、一文字ずつ、丁寧に書かれているのが分かる。





 諒真へ。 

 図書室でこれを見つけたら、このまま図書室に居てくれないかな。

 お願い。 

 諒真を守りたいの。

 何を言ってるのか分からないと思うけど、これから私が書くことに嘘はひとつもない。

 全く信じられないと思う。でも、全部本当のことだから。


 この後、クラスの皆がモンスターみたいになって、諒真を襲う。

 そして諒真は死ぬの。

 モンスターにならなかった諒真を、織田くんが食べた。


 お願いだから、手紙を閉じないでほしい。


 諒真も見たでしょう?

 私の胸元にある紫色のアザを。

 クラスメイトも何人かあったのを、見てないかな。

 それを見ていたら、それは真実だから、そこから私の話についてきてほしい。

 諒真に、そのアザは無かったでしょ?


 私が知ってる限り、諒真と椎名くんと神宮司さくらには、無いの。


 なんで私が「みんながモンスターになると知っているか」を書くね。

 私がこの時間に来るのは、実は二回目で、こうなることを全部知ってたの。

 手紙を閉じないで。

 最後までどうしても読んでほしい。

 嘘でもなんでもいいから、絶対に最後まで読んでほしい。


 私は普通に暮らしていた。数日前まで普通に暮らしてたの。

 諒真と運動会でケンカして、神宮司のパーティーに行って、学校で諒真と話をして。

 何も変わらない日を過ごしていた。

 でも簿記模試の日。模試が終わった直後に織田くんが紫色に発光し始めたの。

 そしてそのまま、すぐ横にいた諒真に噛みついて、諒真の頭を、食べたの。

 ガリガリと音をたてて、魚の干物の頭を食べるような軽い音を響かせて、本当に食べたんだよ。

 直後に浜島くんも紫色の発光して、同じような怪物になったの。

 歯が大きくて、体中にアザが広がって……。

 どんどんクラス中のみんなが発光していって、怪物になった。

 慌てて自分を見たけど、私は発光しなかった。


 でも、同じような変なアザがあることには気が付いてたんだ。


 クラスのみんなが怪物になって、お互いを食い始めたのが怖くて、私は逃げ出した。

 教室から逃げ出して、泣きながら家に帰ったの。

 振り返らずに走って、帰ったの。

 部屋に戻ってもずっとずっと怖くて泣きながら何かにすがりたくて、タロットを始めたの。

 いつものカード、私の日常。

 触るだけで落ち着いて、私はやっと普通に息をすることが出来た。

 どうしたら良いのか分からなくて、タロットに聞くことにしたの。

 そんなことしても仕方ないって分かってた。でもタロットをしないでは居られなかった。

 だから私はいつも通り展開して、開いていった。

 何も無かったかのように、いつもみたいに。

 みんながモンスターになったなんて嘘で、それは夢の話。

 私は今、部屋でタロットをしてるだけ。

 そう思い込んで。

 

 ゆっくりカードを開いていったの。

 最初はまったく気が付かなかった。

 ああ変な展開だな、でも今の状況からすると、変な展開が出て当たり前だなって思いながら。

 そして、審判の逆カードが出た時に完全に理解した。


 それは運動会の応援合戦をさぼって、二人でしていた展開だったの。


 見れば見るほどその展開に覚えがあって、私の指先はもうカードを持てないくらいに震えたよ。

 その瞬間に、この展開が特別だと理解したから。

 私は震える唇をかみながら、カードの展開を続けたの。

 そして出てきたの。

 死に神の逆カードに、運命。

 同じ、そう、これ。

 あの運動会の日。諒真と二人であの樹の下でしたタロットカード。

 なんで全く同じなの?

 どうして、そんなことありえない。

 今まで何万回もタロットしてるけど、全く同じ並びなんて見たことがない。

 私はもうずっと泣いていた。

 手元にはもう一枚しかなくて、そのカードの内容なんて、分かってた。

 号泣しながら、カードを展開したよ。

 そして私の目の前に開かれたのは、世界のカード。

 ああ、本当に同じ。

 私に世界が微笑んだ。

 ガブリエルも微笑んだの。


 声をあげて号泣した瞬間に、世界の音が消えたことに気が付いたの。

 私の泣き声は大きなトンネルのような場所に吸い込まれて行く。

 そして私も暗闇の中に溶けていくのが分かったの。

 助けて、死ぬ。

 これってそうなんだよね?

 暗闇の中で紫色に光る私のアザだけが、深夜のテールランプみたいに光って見えた。

 光が奥に、奥に、流れていく。

 私は落ちていく、どこまでも落ちたの。

 本当に底なしの空間に漂うように、表が裏になり、裏が表になり、暗闇の空間を流れ続けた。

 洗濯機の中に入れられたみたいに頭が振られて、それでも何かに包まれてるみたいに温かくて、気が付いたらそれは私の涙だった。



 全てが膜に包まれたように苦しくて、あえぐように口あけて声を出したら、次に聞こえてきたのは太鼓の音だった。



 息を整えて、でもまだ目を開ける気にならなくて。

 きっと目を開けたらここは死後の世界。

 私は死んだ。

 

 でも同時に耳に聞き慣れた太鼓の音が、次から次に聞こえてくる。


 この音って……。


 私は瞬間接着剤でくっつけられたように離れない瞼を、なんとか持ちあげた。

 すると強烈な光が私を包んで、世界が見えたの。

 

 私がいた場所は、あの運動会の樹の下だったの。

 膝下には、さっきまでしていたタロットカード。

 展開は全く同じで、私は世界のカードに触れていた。



 時間が戻ったんだよ、諒真。



 私は時を戻ったの。



 理解できない頭を無理やり動かして、まだぼんやりして良く見えない目どんどん小さくなる諒真の後ろ姿を見て泣いてた。

 だって、ついさっき怪物にかみ殺されて、食べられた諒真が、消えちゃった諒真が、私の目の前を歩いてたの。

 嬉しくて嬉しくて、これが夢でもなんでも良いと思ったよ。

 神様、諒真が生きてる世界に私を置いてくれてありがとうって何度も感謝した。

 そのまま右手で体操を服を握りしめて気が付いた。

 見えたの、あのアザが。

 紫色のアザ。


 時間は戻ったけど、体は前のまま。


 つまり私は、あの怪物のように体が発光して諒真を食う可能性があった。

 泣いて泣いてどうしようも無く泣いて、でも現実を受け入れるしかないって思った。


 それからずっと考えてた。

 毎日毎日考えた。

 でもどうしてこんなことになったのか、誰かが何かをしてこうなったのか、そもそもこれは何なのか。

 私なりに考えて考えて、でも全く分からなくて、出た答えはたった一つ。


 私はきっと諒真を守るために時を戻った。


 そこで待ってて諒真。私は必ずやり遂げる。

 クラスの皆が発光しはじめたら、必ず全員殺す。

 もうそれしか方法がないんだよ、私バカでごめん。

 犯人探したり、全部止められなくてゴメン。全く分からなかった。

 せっかく時を超えたのに、神様もビックリするほど、何も出来なかった。

 私に出来るのは、前みたいに諒真を食わせたりしないことだけ。

 だって諒真はアザも無かった。諒真を助けることは、私しか出来ない。

 私はもう無理だけど、もう会えないけど、諒真のことを絶対守る。

 私にはそれしか出来なくて、ごめんね、諒真。

 諒真に最後にしてあげられることが人殺しで、ごめんね。



 手紙はそこで終わっていた。

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