9月16日(土)運命の日(七海視線-1)
諒真の匂いに包まれて眠ったからだろうか。
懐かしい夢を見た。
二人でずっと秘密基地を作っていた時の夢。
男の子、女の子なんて意識しなくて、一緒に居られたあの頃。
私は諒真と一緒にいるのがすごく好きだった。
一番覚えているのは、近所の工事で捨てる場所に置いてあった巨大な板を、二人で秘密基地まで運んだ時のこと。
勝手にどうぞと言われて二人でそれを運ぶことにした。
板は二枚あって、一枚ずつ持つことにした。
私たちは屋根にしようか? 床にしようか? なんて話ながらそれを運んだ。
その板は重くて、私は何度も板を置いた。地面に置くたびに諒真は待っててくれた。
ついに動けなくなった私の板を、諒真がすっと持ってくれた。
そして、私の手を見て、指先に触れたの。
諒真の指は思ったより太くて、私の指と全然違った。
男の子なんだ。
こんな指先ひとつ、違う生き物なんだ。
その瞬間に雷に打たれたみたいに意識した。
諒真は私のキズが出来た指先に触れて、小さく撫でてた。
「七海の手って、こんなに小さかったんだ、そりゃあ持つの大変だよ」
私が持てなかった大きな板を、諒真は軽く持ち上げて続けた。
「七海は女の子なんだなあ」
私は「何よそれ」と一言いって、黙った。
でも泣きそうなほど嬉しかった。
私が諒真を男の子だと気が付いた瞬間に、諒真も私を女の子だと気が付いてくれた。
私たちは同じ瞬間に指と指で繋がって、お互いを知ったんだ。
あの瞬間から、ずっと私は諒真を男の子として意識して、一番近くの女の子として諒真に意識して欲しかった。
でも家が隣で、ずっと幼馴染みだった関係から一歩踏み出すのは、困難ってレベルじゃなかった。
諒真は家にお姉さんがいることもあって、私を女の子と意識しても、お姉さんと同じ場所に置いた。
「女の人って、そういうもんだよね」
諒真は苛立つ私に笑顔で言い切った。
お姉さんと私は違う女なんだけど! そう思ってアピールするたびに諒真が引いていくのが分かった。
私なにか間違ってる? 女の子だって言ってくれたのに、それって違うの?
だったら女の子の前に、友達、隣の家の子のが良かったの?
どうしたら良いのか分からなくて、結局距離を置いた。
中学三年間はずっとずっと諒真を見てるだけで、むしろ距離は離れた。
諒真はその間に椎名くんとどんどん仲良くなって、本当に数えるくらいしか話してない。
小学校のときに仲が良かった分、その反動は酷くて、茶化す親に苛立ち、自分にもイライラした。
意識しぎてるから? と殴ったりしてみたけど、嫌がられるだけ。
当たり前だよね。
もう本当に、どうしようも無かった。
だから高校も悩んだ。何かしたいことがあるわけじゃないし、一番近い高校にいくつもりだったけど、諒真と同じだと知った。
もう物理的に離れたかった、諒真から。二つ駅が遠い女子校にしようかと思ったんだけど、諒真をチラリと見ても、あまり気にしてくれてなくて。
一人で気を揉むのがバカみたいに感じて、結局同じ高校にした。
でも高校に行っても、同じ日々の繰り返しだった。
友達関係さえキープ出来てればそれで良いような距離感で、でもずっと一番近くに居たくて。
もうずっと友達で良いかと思いはじめていた。
だって友達のが近いもん。
家も隣だし、ずっと見ていられる。
恋人なんて不確定なものより、ずっと近いんじゃないか?
そう思い始めていたし、そう自分を納得させようとしていた。
でも神宮司のパーティー、湖畔で眠る諒真を見て、そんな気持ち一瞬で消えた。
泡のように、雫のように、霧のように、全部消えた。
諒真は指先に怪我をしていて、バンドエイドをしていた。
それは見たことが無いバンドエイドで。
ピンク色のキャラクターの書かれたもので、クラスの誰かが諒真の指先に張ったのだと想像できた。
私はその指先をずっと見ていた。
諒真の指先。私と諒真が繋がった、はじめて溶けた指先に、誰か触れたの? 私じゃない誰かが。
そして理解した。友達という選択肢を選ぶということは、こういう小さなことを無限に見せつけられるという事だ。
延々と、隣で。
そんなの絶対に許せない。
気が付いたらキスしてた。
私は些細なことでも、あなたを手放すつもりは無いの。指先ひとつでも。
あの時のことは、今も鮮明に思い出す。
パーカーだけかけて逃げるように帰ってきた。あの後にバンドエイドを張ったのは神宮司さくらちゃんで「ちょっと怪我したみたいだから、私のバンドエイドあげたよ。触らないよー、七海の諒真くんに~」と言われて顔から火が出るほど恥ずかしかった。
どうしても諒真の顔を見たくて部屋を飛び出したら、部屋の前に諒真が居て、心底驚いた。
あげくそのパーカーを諒真に投げて返されたことで、キスに気が付かれたことを知った。
もう倒れた。もう立ち直れなくて、部屋で泣き続けた。
私はパーカーの袖を、くいと握った。
このパーカーは、あの時投げられたものだ。
今夜、最後になると分かってる今日、わざと着てきた。
ゆっくりと首を動かして、横で眠る諒真を見る。
「……ん……」
諒真が隣で寝返りをうつ。
先に私が寝たみたいだけど、すぐに目がさめてしまった。
最近は神経が高ぶってるみたいで、簡単に眠れない。
今、同じベットで眠る諒真の横顔を見ながら思う。
あの湖畔と同じ表情。ほら、口が少し開いてるよ?
その間抜けな感じ。
でも諒真は、すごく優して、言葉はストレート。
人が言って欲しい言葉を、ちゃんと言えるのが諒真。
みんな恥ずかしくて言えないような言葉も、行動も、ちゃんと出来るのが諒真。
それがすごく好きで、好きで……。
私は諒真にしがみついた。
温かい……。
涙が出てきて、それが諒真につかないように離れた。
私の体液は、何か含まれるかも知れない。この数日間、私のアザは広がるばかり。
もう分かってる。
今日が最後だ。
諒真を起こしたくない。
でも聞いてほしくて、耳に口を近づけた。
「諒真……好きだよ……」
諒真は起きない。
昔から一度寝たら起きない。そんな所も好きなんだけど……。
諒真から離れようと思うけど、どうしても離れられなくて、腕にしがみついた。
イヤだ、離れたくない。
絶対に離れたくない。
その瞬間に【前回の諒真の姿】が浮かんで、私は離れた。
でも、ダメだ。やることが、沢山ある。
諒真のベットから出て、諒真の部屋の窓を開けた。
目の前、1m先には弟、奨太の部屋がある。奨太には窓の鍵を開けておくように言っておいた。
「姉ちゃん夜這い?!」と叫んでたけど、もう今日で最後だから、別に構わない。
小学校までは、ここの私の部屋があって、何度もここを飛び越えて諒真の部屋に、私の部屋に移動してた。
1mの隙間をジャンプするのが楽しくて、諒真の部屋にいくのが、楽しくて。
奨太の部屋の窓を開けて、諒真の部屋からジャンプした。
この感覚、懐かしい。
奨太は「絶対起きてて現場押さえる」とか言ってたけど、ぐっすり寝てる。
私は冷たい窓をしめて、速攻で部屋に戻った。
そして膝を抱えた。
マスクを取って、手袋を取った。
こんなもので諒真を守れたかな?
でも今日まで諒真の体にアザはない、と思う。
守りたい、どうしても。
私は音がする窓外を見た。
バイクのエンジン音……?
諒真のお姉さん、汐里さんがバイクで帰ってきた。
私はスマホを取り出して確認した。ここも【前と違う】。前と違うことが、結構沢山ある。
だから違う結末があるかも知れないじゃない。
体のアザが、暗い部屋の中で発光する。
「……っ……」
無い。
きっと、無い。
胸元の服を掌で握りつぶした。
隠してあった金属バットを自転車に乗せた。
もの凄くバランスが悪いし、とにかく目立つので、お母さんたちが起きる前に家を出ることにした。
野球なんて全くしない私がバット持って登校したら、何事か? ってなるよね。
色々調べたけど、やっぱり血液を出すような殺し方はマズい。
粘膜、体液、血液……、出さずに一発で殺せる方法は撲殺しかない。
本当にそうなのか、結局何も分からなかったけど。
あれから毎日河川敷で素振りの練習をしたから、掌にまめが出来て痛い。
諒真に直接触れないためにしていた手袋だけど、まめを隠すには丁度良かった。
一発で仕留めないと、ダメ。
全員殺す、絶対に。
朝6時に学校についたので、教室には誰も居ない。
バットを隠す場所も前に考えた。この掃除道具入れ。
織田くんがよく自分のバット入れてるんだよね。
……最初に殺さなきゃいけない子。
ずっとずっと苦しかった。
教室で姿を見かけるたび、ううん、普通にクラスで過ごしてても、みんなの事を思い出して、これから殺さなきゃいけないんだって思って苦しかった。
でも今日で、それもお終いだ。
私は教室を出て、そのまま歩きはじめた。
廊下は諒真を追って、よく歩いた。
それに不思議研究室。諒真にお弁当作れて良かった。
他の食べものに入れられる可能性が怖くて、なるべく私が作ったものを食べて欲しかった。
でもまあ、私が一番危ない気がするけど。
だからマスクも手袋もしたまま作ったよ。
諒真が「美味しい」って食べてくれて、本当に嬉しかった。
そのまま歩いて中庭に出た。
大きな樹……朝の風に木々が揺れて美しい。
誰もいない空間で、私は寝転がった。
九月の晴天で、吹き抜ける風が気持ちいい。
私が【ここに戻った】のは、きっと学校の中で一番ここが好きだからだ。
諒真と過ごした時間も、沢山ある。
私はそのまま、木漏れ日を見つめて、登校時間を待った。
「……ウス」
登校してきた諒真の髪の毛は、壮大に寝癖がついていて、その横に私が寝てたんだな……と思うと、もの凄く恥ずかしくて、嬉しかった。
あの寝癖の隙間に、私が居た。
あれが私のカタチかな、と思う。
そんなことを思ったら心臓がつかまれるように涙が出てきて、慌てて何度も睫を動かして飲み込んだ。
「おはよ」
いつもなら、瞬殺で「もう寝癖ついてるよ!」と言って直すけど、今日はそのままで。
お願いだから、そのままで居て欲しい。
ずっとそこに私を置いて。
簿記の模試が始まった。
一年から三年までの商業科しか、今日は登校してない。
それもあってあまりパンデミックしなかったのだろうか。
もし隣の普通科も、特進科もいたら、もっと凄まじい事になってたんじゃ?
正直簿記の勉強は全くしてなかったので、カンで書く。
本当にこの数日はずっと本を読んで、それなりに調べたけど、私が派手に動くことで犯人が予想外の行動に出るんじゃって、それだけが怖くて、結局何も出来なかった。
犯人が誰か、目的も、結局何も分からなかったけどね。
でも目星はついた。だからって、今更どうしもない。
私は、今の私が出来ることをするしかないんだ。
制服の上にパーカーを羽織ってるのに、胸がフワリと発光した気がして、掌でぎゅっと握った。
怖い。
お願いだからもう少しだけ待ってほしい。
私にできる最後のことをさせてほしい。
それが終わったら、私なんてどうなっても構わないから。
私の症状は、このクラスの誰より進んでる。
それは体育の時の着替えで確認した。
みんな、あのアザがある。
でも私が一番範囲が広い。皆の前では着替えられないほどに。
だからいつ【ああなっても】おかしくない。
神さまがいるなら全身全霊で祈る。
もう少しだけ私に時間をください。




