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暗殺者と一緒に生活しています

作者: ハツキ

灯りがない真っ暗な部屋に少女がいた。

ぼんやりした月明かりが少女の影を伸ばし白い肌がはっきりしている。ベットへ腰かけたまま俯きがちな姿勢で肩から黄金の髪が窓からの光に反射し上下する肩から零れた。人形のように整った顔に大きな瞳、かわいらしい顔が影に覆われじっといる姿は不気味であった。

どんどん髪が前に流れ静かな深い色合いの藍色の瞳が隠れ唇は強く引き結ばれ尋常でない雰囲気を出している。

そっと風が揺れた気配がありいつのまにか歳を経た白髪をオールバックにしたご高齢の男性が執事服を着こなし紅茶を今もふるふると震えている少女に差し出した。

紅茶をはしたなく一気に飲む少女は満足げに笑い、次に親の仇とでもいうような見るに堪えない形相になりかわいらしかった面影が残念なことになっている。


「ほんっとうにむかつきますわ」

「そのお顔は子供が見れば泣きますのでもうしないでくださいませ」

「ふん。ここにはおまえ1人だけよ」

「このおいぼれでも充分に恐ろしいのですが」


どういうことよ。容姿を褒められることが常のわたくしに恐ろしいだなんて失礼でしょうこの駄目執事。それは社交辞令ですお嬢様とまじめな表情でいわれそうね。

ああもう。


「お姉様を苦しませるあのにっくき男を懲らしめてあげますわっ」

「お嬢様、無理だと思います」

「どうしてよ」

「もう一度、計画を復唱してください」

「お姉様のフリをして隠し持ったナイフで襲いかかり兵士に突き出す。この華麗なるわたくしにできないとでも?」


ナイフを突き刺すように腕を振り上げると執事は頭を抱えて嘆息した。


「男というものをなめていらっしゃいます。お嬢様ではやり返されてしまうでしょう」

「そしたらあなたが助けるのではなくて」

「不肖この私めが助太刀しますが……腰が抜けてしまわぬことを祈っていてください」

「…いい歳なのだから無理しなくていいわよ」


最近はぎっくり腰になることが多くいつも腰をかばって軽い作業をしているところを見かける。お父様の代から仕えておりわたくしのお目付け役としていつも一緒にいる。


「それにしても今回は何が盗まれることやら」

「決まっているでしょう。お姉様です」


わたくしは確信している。

泥棒が盗むのはお姉様自身だと。公爵家令嬢として地位、金、頭の良さ、美しい容姿に周囲を圧倒させる身振りを兼ね揃えた才色兼備である。

お姉様に1ヶ月前から相談されたことがきっかけで考えていたのだ。

最初はお姉様の物が夜の間に盗まれるようになった。

大切にされていたドレスや宝石、髪飾りなど私物が狙われ、どれだけ警備を強化しようとお姉様の部屋から盗まれてしまう。

そう、お姉様の部屋から。

いつのまにか警備の兵士、侍女も眠らされ朝になると目を覚ますことの繰り返しで犯人が捕まらない。

おかわいそうにお姉様はどんどん疲労から痩せられてしまった。

最後にはきっと私物だけに飽き足らずお姉様に手をかけるでしょう。

許すまじ。

だから、お姉様の安全を考慮しわたくしがここにいるのです。


「いったい、どこの変態泥棒なんでしょうね。さっさと現れてくれませんこと?」

「酷い言い様だな。お言葉通りにきてやったぜ」


誰かに問いかける質問ではなかったのに答えられてしまった。急いで振り返ると窓を背景に男が立っている。

全身黒づくめの衣装に黒い髪、切れ長の金目が愉快気に細められた。

こいつがお姉様を!

っといけない。今のわたくしはお姉様なのだから別人だと気づかれないようにしなければ。お姉様と同じ金の髪でよかったわ。瞳は藍色と違うけれど暗い所だと判別しにくいでしょう。顔を俯かせ身体を縮こまらせる。

どうして、わたくしは眠らされていないの?


「愛しのマリー。君を迎えに来た」


やっぱりお姉様目当てで最後の余興として眠らされなかったのね。

お姉様の名前を下賤な泥棒が言わないでくださいませ。下を向いていてよかったわ。じゃなかったら執事曰く子供の怖がる顔になっていましたもの。

乗ってあげますから早くこちらにいらっしゃい。


「まあ、嬉しいですわ」


本当のお姉様はこんな見知らぬ怪しいやつにほいほいついていくバカではなくってよ。

男の顔は緩みきった見るに堪えないことになっているのでしょうね。それを、恐怖に変えてみせますわ。

その身をもってお姉様を苦しめたこと後悔させてあげる。

ゆっくりと男との距離がなくなっていき視界に靴が入ってきた。真新しい綺麗なそれに今日のために新調したのがわかる。

ナイフを握りしめ一撃のもとに葬れる機会がやけに遅く感じられる。あれだけ覚悟していたのに震えているなんて。こんなことは今までにもあったのにどうしてこの男だと緊張しているのよ。心臓は飛び出そうなほど暴れているし気を抜けばあまりの興奮状態に意識がとんでしまいそう。

ゆっくりとわざと歩いてくる男に捕食者の雰囲気が漂いそれに絡められまいとお姉様の豪奢なドレスを握りしめた。


そして、男の上半身めがけてナイフを放つとあっけなく手首を取られた。

渾身の突きは男にとってはどうでもよさげでおもしろそうにニヤと嘲られる。


「どうした?おまえの怒りはこんなものか」

「このっこの、離しなさいこの下郎がぁ」

「お嬢様っ」

「ジジイは腰を大事にしろ」


執事が駆けつけるよりも早く何かを投げつけ、派手に転び壁に激突した。起き上がる様子がない。腰は大丈夫なの!?


「死んでないわよね」

「大丈夫だろ。さあ、お嬢様」

「なによ」

「浚われてくれ」


嫌よと言う前に視界が暗転しやけに楽しそうな男の笑い声が聞こえ意識が途切れた。




「わたくしは今、ピンチなのでは?」


目覚めると見知らぬ部屋にいた。

豪華ではないがシンプルになりすぎないように机や椅子、カーテンなどには緻密な文様が描かれており金がかかっていることが容易に想像できる。

わたくしは誘拐をされたのよね。

違和感を感じる首に手を向けると金属の輪っかが嵌められている。鏡台の前に立つと綺麗に装飾されたチョーカーにつけられている宝石がキラリと光っていた。

あら、いい色ね。それにわたくしの好きな宝石だわ。

まじまじと見ているとフワリと揺れるスカートに次は釘づけになった。我が家、いいえお姉様でもこんな触り心地が良くてかわいいドレスはあまり見たことはないのでは?他国のドレスなのかしら。

高名な服飾の方がつくったのかしら。

かわいい。

新しい靴をリズミカルに踏み鳴らした。

先程の危機感がどこかへ消え去り興奮のあまり無意味に踊っていると低い、それでいて聞いた者を虜にするような声が聞こえた。


「気に入ったか?」

「……ふん」


一瞬にして頭に水をかけられたように冷静になり顔から火がでそうなほど熱くなった。

とても気に入ってるわ。今すぐにお姉様に自慢しに行きたいくらいに。

でも素直に言うのはしゃくにさわる。


「ここはどこですの」

「森深くの俺達だけの家だ」


範囲が広すぎて特定できない。そもそも森なんてたくさんありすぎでしょうに。

しかも俺達の家ってどういうことですの。


「おまえは俺と一緒に暮らすんだ」


わたくしが困惑しているのを楽しそうに見て笑う。獲物を狙う捕食者の目つきで上から下まで舐めるように視線が身体に絡み付く。

この色魔!


「あなた、わたくしの身体が目的なの!?いや、この変態っ」

「なんでおまえのようなまだ子供に欲情しなけりゃならねえんだ。するくらいなら娼館にでも行くさ」

「なんですって。わたくしでは不充分というの」

「興味ねえよ」


チョーカーを引っ張られ男の息がかかるほど近づけられわたくしは殺意を込めて睨みつけた。

首が絞まっていて苦しい。でもこんな男に屈指はしないわ。

何を言われようがされようが令嬢としてのプライドで耐えてみせる。だからお姉様どうか力を貸してくださいませ。


「いい目をするじゃねえか。プルプル震えてみっともなく助けを乞わない…いい拾い物をした」

「そんなこと伯爵家令嬢としてするわけないでしょ」

「おまえ名前は?」

「!?」


やっぱりこの反応はお姉様ではないことに気づいてるわよね。

恋い焦がれるお姉様でなかったのは浚った後でわかったのでしょうけどどうして落ち着いているの。わたくしに八つ当たりをしてもいいはずなのに。

文句は後にしてまずはこの無礼者に礼を教えてやらねばなりませんわね。


「相手の名前を聞くときは自分から名乗るものよ。たとえ泥棒のあなたといえど農村の村娘や王女でも礼を持って接すべきではなくって」

「くくっ…。威勢のいいことだ。……改めまして私はしがない暗殺者のアーノルドと言います。可憐な姫君の名前をお聞かせください」

「ダリアよ。…暗殺者ですってっ」


お姉様が殺されると思ったら瞬時に頭が沸騰し目の前にいる男を殴ろうと身構えると男は目聡く何をされるかわかったのかわたくしごとベットに倒れ込んだ。背中に腕を回され隙間なく身体が密着し動きを制限されてしまった。

顔を上げると男が嫌な笑みを消してぞっとするほど怖い冷徹な表情をしていた。

この身体の震えは武者震いよ。決して怯んでいるわけではありませんわと自分に言い聞かせる。


「お姉様を殺そうとするなんてわたくしがいるかぎりさせませんわ。あなたを殺してでも」

「物騒なご令嬢だな。そんなに声を震わせながらの情熱的な視線はいいねえ」

「あなた!」

「誤解しているようだがお姉様を殺す依頼は受けていない。おまえを浚ったのは個人的な理由によってだ」

「お姉様を愛しすぎて溢れ出る感情を抑えることができずに行動に移ったのではなかったの!?」

「違うな」

「嘘よ。お姉様は素晴らしい人だわ。賢くてお綺麗でどんな男も微笑んだら惚れる自慢の人なのに」

「……へえ」


白けた様子のアーノルドにお姉様の良さを教えようと熱弁しかけてハッとした。

お姉様を語ったら虜になってしまうわ。

黙りましょう。

それにしてもこんな近くで見つめられるのならお姉様が良かったのに。


「さっきの続きだが俺は装飾品に目端が利く人物なら誰でもよかった。たまたまそれがあの場にいた令嬢のダリアだっただけだ」

「お姉様に何もしないのよね」

「ああ。お姉様はな」


おかしいわ。

目端が利く人なんて商人でいいのにわざわざ令嬢を選ぶなんてありえない。この男はわたくしがおバカな娘だと思っているの?いいえ、他に目的があるはずだわ。

あのとき、部屋にいたのは当日にお姉様に掛け合って変わっていただいたのでわたくしのことを知らなかったはず。

本当かわからないけれどお姉様に手を出さないことを信じたい。わたくしが利用されるだけでいいのなら家やお姉様に迷惑がかからないことなら協力してもいい。

甘いことを考えているのはわかってるわ。

これ以上相手に有利にさせてはいけないとなけなしの勇気をだした。


「勝手にわたくしのことを名前で呼ばないでくださいませ」

「拒否権はねえよ」


ヒヤリと冷たいものが頬に添えられる。見なくてもそれがナイフだとわかる。息をつめたわたくしを嘲笑うように男が口角をあげた。


「俺はダリアをいつでも殺すことができる。大人しくしないとお姉様に不幸が訪れるかもな」

「卑怯者!」

「なあに俺が望むことは簡単なことだ」

「なんですの」

「ここにいろ」


一瞬、何を言われているのかわからなかった。そういえばこの男と暮らすことを言われたけれどどうして。

固まるわたくしの頭を許可なく撫でる男はからかうように笑っている。

試されているのだと思ったら勝手に口から言葉がでてきた。


「いいですわ。けれど、お姉様がわたくしを探してあなたをひっとらえるまでよ」

「交渉成立だ」


獲物を狩った狩人のような笑みに背筋が冷たくなる。

この身はお姉様のためにととっくの昔に覚悟していたのだ。

だから心配しているだろうお姉様、執事はもう少し待っていてくださいね。わたくし頑張って逃げ出しますわ。

お父様、お母様、兄様達、姉様達は心配してるのかしらね。




男が去った後、部屋を確認する。

疲れた身体で見まわすと隠し扉もなさそうだし逃げられそうな窓は意匠をこらした柵によって出られそうにない。

ご丁寧にも唯一の出入り口の扉は外から鍵がかけられ男が入ってくるだけの欠陥入口となっている。

困ったわ。

こうなると男を待ち伏せして逃げるしかないじゃないの。

剣を持たない非力な令嬢で男と勝負だなんてはしたないわ。と、いいつつどう倒そうか考えてしまうのよね。並みの男には負けないのですけどあの男は死がまとわりついている。難しいわ。

皆は今頃どうしているのでしょう。

お母様達や姉様は嬉し泣きをしているのかもしれませんわね。お姉様は無事であることを祈っていそうですわ。執事はぎっくり腰になっているでしょう。

ノックもせずに扉が開いていき憎い男が入ってきた。名前でなんで読んであげないんだから。


「よお」

「あなた以外はいないの?いつも同じ顔でうんざりしますの」

「俺しかこの館にいねえから仕方ない。機嫌悪そうだな…そんなダリアに頼みがある」

「命令すればいいのではないの」

「してほしいか?」

「嫌よ」

「ついてこい。あと、逃げようとしても捕まえるから無駄なあがきになるぞ」

「わかったわ」


見抜かれているのね。

走って逃げられるとは思わない。

古今東西、か弱い乙女が男をいいなりにさせる方法なんてあれしか思いつかない。

それは男を惚れさせること。うん。できそうもないことを考えて消沈してますわ。

男性と話すことなんて家族以外にはあまりなかった。というか武力や金で解決してましたわ。令嬢としてどうなのでしょうね?

そんなわたくしに恋なんて大層なことをできると思って?それでも好き好きと示せばあっさりといけるかもしれないので作戦決行よ。

作戦名、恋せよ男!

これからわたくしはあの男が好きなのよ。

大好き。

好き。

…………できますかっ。恋もしたことないのに人を好きになったらどう行動すればいいんですの。恋愛小説のようにするの?恥ずかしいですわ!


「…なんですの」

「いや…なんでもない」


わたくしをみて少しだけ肩が揺れているのはなぜですの。笑われるようなおもしろい顔をしていませんわよ。

最悪だわ。

廊下をでて階段を下りていき奥の部屋に入るとそこは広い場所だった。大きなテーブルが置いてあり壁には武器が飾られ壁際には棚が置かれていてそこにも怪しげな瓶や本、脇には鎧などの防具がある。


「ここは…」

「仕事に使うのを置いてある」

「あなた、しがない暗殺者じゃなかったの?とんだ大物ね」

「かもな」


暗殺者でもこんなに物を揃えられるわけがない。知り合いの暗殺者でもこの部屋にある多種多様の武器はなかったわ。

暗殺者同士で語られている噂の一つを思い出した。そいつにあったら逃げろと恐れられる変幻自在の影。同業者であっても殺す残忍さと抜きんでた技術を持ち兵士、貴族、平民、調理長とさまざまに姿を変えており誰も素顔をしらない。

まさか…そんなわけないわよね。

男は棚の引き戸から光る何かを取り出していく。それを布をしいた大机に乗せていき近くの椅子に座った。


「宝石を鑑定してほしいの?」

「ああ。ご令嬢はできないのか?俺は鑑定はできない。最近まで贔屓にしていた宝石商がいなくなってしまったから困っていた」

「できますわ。令嬢をなめないでくださいませ」

「よかったなダリア。できなかったら殺してた」

「え?」


男は何の感情も感じさせない無表情でわたくしを見上げている。けれど、見下ろされているかのように冷ややかだ。

顔から血のひいていく音がする。

誤解をしていた。わたくしの命は保障されていているのだと、そして恋云々とバカなことを考えていたなんて危機感が足りないわ。

怖い。

お姉様のために必死にいろいろな分野を勉強していてよかった。


「何もできない役たたずをいつまでもここにいさせるわけないだろ。しかも、俺の姿を見られてるんだ。ここから出られると思うなよ」


やっぱりもう駄目なのね。会いたいというわけではないのだけど家族の元に帰れないのかしら。どうしても離れたくないと思ってしまう。

それにお姉様によからぬことを企む輩はわたくしの手でこれまで排除してきた。

その中で彼は恐ろしく強い。

けれどここに武器があれば油断させて一突きできる自信はある。そうなるほど血で汚してきた。

お姉様にどうしても会いたい。

諦めきれない。


「生きていたいですわ。精一杯させていただきますので殺さないでくださいませ」

「ダリアに価値があればこのままさ」


価値?

わたくしにあるの?

いけない。駄目よわたし。卑下してどうなるの。

考えを振り切るように宝石の鑑定を始めると男はナイフを研ぎはじめ時間は過ぎていく。


「できましたわ」

「結果は?」


宝石の種類、等級などを細かく伝えるとそれを紙に書き留めている。


「わたくしを疑わないの」

「理由がないし、嘘ついたら殺せばいい」

「…そう」


目の前のどうしようもない絶望感に心の奥底に隠していたものが浮き上がる。

胸を掠めたのは抱いてはいけない感情。

気づいてしまえばきっとあの日の約束を破ることになる。




あれから何日もたって仕事は順調に進んでいく。時々、男が外出するのを窓から眺めて暇つぶしに読書したり刺繍したりとゆったりとした時間を過ごしていた。

お姉様に構っていたときには考えられないほど穏やかだ。


遅い。

もう耐えきれない。さっきお腹がぐーとなったのよ。


「お腹すいた!」


出れると思ってないけど希望に縋ってドアノブを回すと、回った。

信じられないときょろきょろと辺りを見ると開いた先は廊下が広がっている。

これは脱走チャンス。

男がいないのなら出れるかもしれない。お姉様を本当にあの男が興味がないとはいいきれない。もし成功して再びお姉様を浚いに来たところを万全の準備で撃退してやればいいのよ。

今、帰りますわ。

一歩を踏み出すとまた大きくお腹から音がでた。


「うう。どれだけ距離があるかわかりませんもの。腹ごしらえが必要ですわ」


男が作っているとは思えないほど絶品料理が毎食でていつも楽しみにしてるのは内緒よ。

このいい匂いがわたくしを魅了してやまない。

!?

料理中ですの?

誘われるままに匂いを辿っていくと部屋の前についた。

ごくりと喉がなり耐えきれなくなって扉を開けると男が似合わないエプロン姿で豚を切っていた。豚は肉屋が切ってくれた塊ではなくてそのまま一頭の豚を何事もなく綺麗に切り捌いていく。

じっと見ていると男がわたくしに気づいた。


「どうした。腹がすいたのか」


お腹がすいて匂いにつられたなんて令嬢として素直に認めたくないけれど我慢できなかった。


「ええ。わたくしも手伝いますから早く作りましょう」

「へえ」


噛み殺した笑いが聞こえるのは無視してそばに行く。

とはいえ、何をすればいいのでしょう。メイン料理を作っていそうだからスープでもしましょうか。そう考えていても視線が豚から離れなかった。

綺麗なのだ。

わたくしもまるごとを切った経験があるけれどこれほど断面図が滑らかに切れなかった。


「素晴らしい包丁捌きですわね」

「暗殺者だからな」

「どうすればそんなに切れますの」

「たくさん経験すればいい」

「…」


たくさんの人間を殺してきたのでしょう。

目つきが普通の人とは違う。服からでもわかる鍛え上げられた身体、鋭い視線は熟年の暗殺者だと思う。

本人はしがない暗殺者と言っていたけれど公爵家に入れる実力があるほどだ。とんでもなく優秀であることは間違いない。


「鍵が開いてたのか」

「あなた、本気で閉じ込めようとしてますの」

「してるさ。スープを作るのならそこの鍋を使えばいい。材料はそこにあるものを使え」

「わかりましたわ」


トントンと2人でリズムを刻みながら野菜を切る。その音と同じく胸の鼓動も早くなる。

どうしたのだろう。

緊張しているというより誰かと一緒に何かをするということが楽しい。

こんな気持ちになるなんて久しぶり。

いつも1人だったから寂しかったのだとわたくしは気づかされた。執事はうるさすぎて遠ざけていたわ。それに腰が弱くて一緒に作業することができなかったのよね。


「ふふ」


思わず笑みを零すと男に穏やかに見つめられた。

料理をしているときは無表情だったり人をからかうような表情をせずに驚くほど柔らかく笑っていた。

それがとても綺麗に輝いているように見えて胸がさらに高鳴った。

料理中の男は別人ですわとどうしてかモヤモヤとする。


「おいしいですわ」

「そうだろ」

「ここにいる間に料理技術を盗んでやる」

「やってみろよ」

「覚悟なさい」


情けないことに男の作った料理はわたくしよりもおいしい。その技術があればよりお姉様を喜ばすことができると勝手に超えるべき壁として男を認定していた。

男はなんでもないことだろうがわたくしにとっては競争相手がいることは嬉しいことなのだ。女だからと相手にされずろくに話を聞くことができなかった。

けれど男は質問をしたらきちんと答えてくれる。

嬉しかった。

わたくしを人間として見てくれることがこんなにも胸を温かくするのかと思ったほどに。



食事を終え、片づけると部屋に戻ろうと足が向かっているのに驚いた。男はここにいない。今なら玄関まで行けば逃げられるのに。

迷っているうちに男がやってきた。


「逃げるつもりか?」

「…っ。まだ料理を教えてもらってませんわ」

「そうか」


耐えきれず部屋まで走ってベットに跳ぶ。ボフッと柔らかく身体をつつみこんでくれる太陽の匂いがする毛布に顔を押し付ける。

せっかくのチャンスだったのに。逃げれば即座に男に捕まるけれど逃げることができた。

でも、出たくなかった。

居心地のいい男のいるここから離れたくないと心が叫んでいる。

お姉様はどうするのよ。

わたくしは帰らないといけないの。相反する感情に心が揺れ動く。

衝動が収まるまでただひたすら毛布を殴って、疲れていつのまにか眠っていた。




窓から入ってくる光に刺激され瞼を開ける。痛い。

泣きすぎたせいですわ。

そのせいか違和感を感じた。毛布がしっかりとわたくしに被せられている。

そこで執事の言葉が頭をよぎる。


『お嬢様はいつも寝相が悪いのですよ。ですから、毎回毛布を掛け直すと腰にきます』


嘘つき。

わたくしは令嬢として綺麗に寝ているではありませんの。もしかして、慣れない環境でおとなしくなったのかしら。

ふふ、自慢できるわ。



さて男はもう料理をしているかしら。今は部屋に鍵がかけられていないけれど台所以外は閉まっている。台所と部屋と男に連れられて仕事部屋を往復する生活だ。

支度をして台所に向かうと男の姿はなく準備もされていなかった。

これは…突撃のチャンス!

いつも男からだから今日は逆にわたくしから伺いましょう。どんな表情をするのかな?

よし。作戦名、朝よ!早く起きなさい…かしら。

ドタバタと走り出し令嬢としてはしたないと慌てて早足になる。

この館は部屋が多いのよね。

どこに男の部屋があるのかわからないけれど突撃あるのみ。わたくしを監視しているでしょうし近い所からいってみましょう。


ガチャ、ガチャガチャ。

開かない。

どこも開きませんわ。

これで最後。ガチャ。

あら?あらあらあら。いよっしゃあ!


「遅いですわよっ。起きなさいって……きゃあああああああああああああ」


扉を豪快に開けるとそこに全裸の男がいた。わたくしの行動を読んでいたのかおもしろそうな表情で仁王立ちしている。


「破廉恥ですわ。乙女に見せつけるなんて慎みを覚えてくださいませ」

「おまえのが痴女だろ」


慌てて両手を顔に置くと視界が真っ黒になった。視界が奪われることで聴覚がより言葉の調子を鋭く聞き取る。


「俺の身体が見たいなら見ればいい。ん?恥ずかしがるなよ」


からかいを含む調子と近づく気配に混乱が極まって目を閉じて走り出した。

行先なんて自分の部屋に決まってるでしょう!


「きゃああああぁー。この変態ー」


叫びながら必死に頭から離れない男の姿を消そうとすればするほどより思い出してしまう。

黒髪は艶がかって肩に垂れていた。濡れていたから湯浴みをしていたのだと推測される。濡れた髪が肌にはりつき色気が普段より増幅されていて自然と顔が赤くなっていく。

そして、身体には大きな傷や小さな傷があるのが気になった。

暗殺者として生きてきた証拠と感じてなぜか悲しくなる。わたくしには関係ないことなのにどうして感情が乱されなければならないのよ。

あいつは変態でいじわるで料理が得意で。

……。

男と過ごす日々が楽しいとすこし、ほんのすこしだけそう思う。




わたくしは外に出ていた。といっても男も一緒だけれど。

いつも部屋にいるのは身体に悪いと連れ出され散歩をしていた。咲き乱れる花畑を歩き木や湖、動物に癒されながら幸せなひとときに感じる。

だけど。


「これはおかしいでしょう」

「似合ってるぞ」


チョーカーに紐がつけられその先には男の手に繋がっている。何を今更という表情でわたくしを見下ろす男の身長は頭2つ分ほど高く、飛んでも同じ目線にすることができない。

これは脱走予防にしても酷いですわ。


「わたくしはペットではありませんのよ」

「同じものだろう?今のおまえは俺のものだ。なにか不満があるのか」

「環境についてはとても快適ですわ。でも、お姉様に会わなくてはいけないの」

「お姉様…ね」


ニヤニヤと嘲る笑みに日頃なら絶対に大声を上げないのに鬱憤が溜まっていたのか叫んでしまった。


「お姉様を侮辱しないで!」

「してないが?」

「態度が物語っていますの。お姉様は素晴らしい人で、とても美しく賢いのです」

「ふーん」

「ふざけないでっ」

「お姉様はダリアにとってなんなんだ?」

「お姉様は」


お姉様は……。

わたくしを救った人。泣いて、つらかった日々に彩りを与えてくれて心の支えになってくれた。だから、お姉様を喜ばすためにたくさん勉強した。すべてはお姉様のために。

あの日の約束がなんにもないわたしを生かしている。



『ひっく。ひっく。うぐっ』

『どうしたの?』

『わたし、駄目な子なの』

『そんなことないわ。泣いてちゃかわいい顔が台無しよ』

『ひっく…かわいい?』

『ええ。わたくしとお友達になりません?』

『え』

『いや?』

『ううん、すっごく嬉しい』

『よかっ―――』



ザーと過去の映像が乱れ一瞬だけ別の光景が見えた。


『くく。おまえは俺のものになれ』


お姉様の優しい笑みが嘲る笑みに花のふんわりした匂いが粘つく鉄の嫌な臭いに変わった。鈴がなるような可憐な声が低い声に。

これは何?

約束したのはお姉様よ。いえ、お姉様と約束・・したことはない。

では誰に言ったの。


「ダリア」


ハッと現実に引き戻される。謎の誰かの声と同じ声だったからさらに驚いた。


「お姉様」


お姉様のはずだ。約束したのはお姉様なの。


「ダリア」


じゃなきゃ、わたしは。


「ダリア、無視するとはいい度胸だな。仕置きが欲しいか」


必死に自分を誤魔化していると息が急にしづらくなり視界が反転した。男が紐を引っ張りわたくしを綺麗に咲いている花畑に押し倒したのだ。

肺に甘い匂いが入りむせてしまう。


「がはっ…な、にを」


男があまり見ない無表情をわたくしに向けている。男のことを多少は理解していると思う。これは本気だ。


「なあダリア、俺はくずが嫌いだ。それと抗う意思を持たない人形はいる価値もない」

「…」

「おまえは俺の役に立っている。だかな、強い意志がなければ必要ない」

「あ…」


わたくしを置いて男が去っていく。

どんどん背中が遠ざかり伸ばした手は届かない。

何をしているの。

どうしようというの。

ずっと逃げて、お姉様のもとに帰りたいと思っていたでしょう。今がチャンスじゃないの。

なのに。

どうして。

あの男がわたくしに背を向けたことがこんなにつらいの。


「捨てないで。嫌だよぉ」


遠い昔に捨てたはずの弱い心がわめきたてる。

まだわたしは役に立てるよ。

意思がない?

わたしの胸のうちは荒れ狂っているのにそれが意思がない?そんなわけない。

つらくて、悲しくて……裏切られたと身勝手にも思っている。

2人で過ごすうちに多少は情を抱いていると思っても仕方ないじゃないの。

わたしの。

この感情は。

唇を噛みしめ溢れる涙が花へと落ちていく。拒絶されて想いを自覚してしまった。


好きだ。


知らなければよかったと思う以上に嬉しかった。だって、これでわたしは生きていける。

気づかなければよかった感情を隠しきれる。


「嘘ついたら殺せばいい」


あの時の言葉に安堵していたことを。




夕暮れの日差しが辺りを照らしている。ボーと花が揺れるさまをずっと見ていたけれど肌寒い風に煽られて腕をさすった。

帰らないと。

頭に浮かんだ言葉にすぐに疑問が生じる。

どこに?

誰がまっているというの。

信じていたかった。誤魔化したかった。

わたしは愛されていると。

家族にも見放されて、お姉様には奴隷のように扱われて。

いいえ、お姉様はそう見せたかっただけよ。

愛されていると思いたかった。

老いぼれた執事だけはわたしの味方だった。腰が弱ろうとも決してわたしから離れずに死ぬまでお世話させていただきますと笑うのだ。

家族には侍女や執事など人がいたけれどわたしには家族のように接してくれなかった。執事はいつも話を聞いてくれて笑ってくれてそれがどうしようもなく嬉しかった。

これまで楽しく生きてこれたのは間違いなく執事のおかげだった。

家族はわたしを必要とは感じてくれなかったしお姉様はよくわからない。ただ、いずれわたしと離れようとしていた。あのことを考えたらわたしのためにも思えるけれどきっとあの方のためでしょうね。

わたしがいてもお姉様の環境はどうにもならない。お役御免かな。


もういいのかもしれない。



きた道を帰っていく。

わたしがいてもいなくても執事以外はどうでもいいはずだ。執事はわたしがいるから穏やかな老後が送れていないのだから悲しまれてもいないほうがいい。

本当の意味でわたしはしたいことをしたい。約束を守ることで生きてもいいのだと思っていたから自分の意思を通すことはなかった。お姉様のためにということで勉学に勤しみ、いつもそばに突き従い欲しがるものを与えてきた。お姉様がいてこそのわたくしだった。

お姉様がいない今、ただのダリアとして生きていくしかない。

わたしは何も持たない娘よ。

たったひとつの想いを胸に歩んでいく。

あの男は玄関の扉に凭れて足を組んでいた。


「外で寝ていたら風邪をひいてしまいますわよ」

「そうだな。手が冷たい」


何を考えているかわからないけれどわたくしをまっていてくれたと信じてもいいのかしら。

男の手を掴み包み込む。ずっと待っていてくれたのだろう手は冷たくてそれと同じくらいわたくしの手も冷えているけれど温かく感じた。


「ありがとうございます」

「礼を言われることはしてねえよ。ダリアが役に立たなくなると俺が困るからな」

「わたくし、優秀で可憐ですの。役に立つに決まっているではありませんの」

「くく。俺のためにしっかり働けよ」

「任せなさい」


手はすぐにふり払われるかと思ったのに繋がれたままで今まで入ったことのない部屋にきた。生活感があり本が雑に机に置かれている以外は綺麗でシンプルだった。


「適当に寛いでくれ。特におもしろいものもないだろうがな」

「ここはあなたの部屋ですのね。おもしろいかどうかはわたくしが決めますわ。それでどうしたのです」

「明日、王都へ行く」


きゅ、と心臓が痛んだ。

お姉様や家族、執事がいる場所。わたくしが帰りたいところ。


「なんのために」

「依頼だ。ダリアにもついてきてもらう」

「わたくしも?」


嫌な予感がするわ。わたくしを帰してくれると言うの?そんなことを男がするなんて思えない。

わたくしに何をさせたいの。

男は真剣な表情をして青ざめるわたくしの手に触れる。

安心してもいいと優しい手つきなのに頭の中は警告が鳴り響く。


「マリーエント公爵令嬢を暗殺する」


ひっと掠れた悲鳴が喉から漏れた。



マリーエント令嬢。わたくしのお姉様。

生きる支えとなった約束をしてくれたお姉様はわたくしがいない間にしてはいけないことをしてしまった。

お姉様は通う学園内で通称、悪役令嬢と云われているそうだ。

王太子が婚約者であり傲慢な性格、美しい容姿のお姉様は平民の少女に悪い噂や悪口、いじめをしていた。それをわたくしは大事にならないように抑え、謝り、謝礼や問題をもみ消しお姉様にも苦言をしていたのに。

まだこれだけだったら権力でなんとかできた。

許されないことにお姉様は他国と通じていたのだ。

…と表向きにはそうなっている。




「マリーエント・ノル・シュタット。君との婚約は破棄させてもらう」

「そんなっ」


お姉様の悲鳴が卒業生達が集まる広間に響いた。

茶番が始まったのね。

目の前で繰り広げられる悪役令嬢の断罪に身を斬られるほど心が痛い。わたくしが守ってきたお姉様があんなに震えて今にも失神してしまいそうなほど青ざめている姿を見たくない。抱き寄せて安心させてあげたい。

酷い扱いをされてきたけれどたまに優しかったの。

疲れていたら休憩を取りなさいと言ってくれたり眺めていた髪飾りをくれたりとただの気まぐれと称する感謝がとても嬉しかった。お姉様に仕えてきた年月は長かったから他の人との見え方は違う。

どうしようもなく我が儘なふりをするあなたが欲しがったものはすべて手に入るけれど本当に欲しいものは手に入らない。広い視野をもつのになぜか狭い視野をしているからそれに気づかない。

わたくしは知っていましたの。

あなたが愛する人のためにすべてを偽っていたことを。


王太子から告げられる内容はすべて本当のことであり言い訳を繰り返すお姉様があまりにもかわいそうで手を握りしめた。


「マリーエント、他国と通じるとは我が国の公爵令嬢として恥ずべき行為であり追って沙汰を言い渡す。衛兵、ひっ捕らえよ」

「…やっぱり流れに逆らえなかった。…………ごめんなさい」


最後の言葉は近くにいても聞こえなかっただろう。ずっとお姉様を見ていたから読唇術で読み取れた謝罪は誰に対してか。

項垂れて抵抗せずに衛兵と去っていく。駆け出そうとすれば男に背中から羽交い絞めにされて動けない。


「離してっ」

「落ち着け。こうなる手順だと納得しただろうが」

「でもっくそ王太子達なんか―――」


口を手で覆われ大きくなりかけた声は途端にしぼんでいく。静かに見つめる男の目で怒りが静かになる。

そこに驚きのこもった声がざわめきを通りこして離れた場所にいるわたくし達まで聞こえた。


「ええ!?」


男はその声に反応したのか瞬時に身体を離してわたくしの前に立つ。背中から顔を出すとお姉様を断罪していた王太子のそばにいた少女がこちらにきている。そして王太子と取り巻きの男性も後を追い周りにいた人達は巻き込まれないように避けた。


「あの。どうしてここにいるのですか」


頬を染めて見上げる少女に男は優雅に受け答えをする。短い間でも一緒に過ごしているからこそ緊張していることに気づいた。


「…こちらのお嬢様をエスコートさせていただいております」

「そうですか。私、パフェットといいます。どうかお友達になってください」


可愛らしくふんわりした雰囲気で明るく笑うパフェット。この娘が王太子を骨抜きにした平民。

愛らしく守ってあげなくてはという容姿をしているが獲物を狙う目を一瞬したことを見逃さなかった。


「ありがたいお言葉ですが遠慮させていただきたい」

「地位なんて考えなくていいんです。私は平民ですけど王太子とこれから誰とでも話すことができるようにしていこうと思ってるんです。…手伝っていただけませんか?」

「申し訳ございません」

「ねえ、後ろのあなたも言ってあげて」

「パフェットが頼んでいるのだぞ、どうして受けないんだ」


王太子も会話に加わり、取り巻き達にも非難の視線を向けられる。

男達に囲まれ好き勝手に振る舞うのは学園にいたころから見てきた。

パフェットはとんだ策士ね。男を何らかの理由で気に入りわたくしを取り込み男を王太子のように惚れさせるつもりだ。

そんなことさせるわけにはいかないわ。


「パフェット様。この男はわたくしの従者でございます。ですのでお姉様の味方であるわたくしはあなたとお友達になるつもりはありません」

「あなたっ!どこにいったのかと思っていたらアーノルドといたなんて」

「危害を加えさせないぞっ。パフェット、後ろに」

「わたくしは卒業式にでただけですのよ。それに近づいてきたのはあなた達ではなくって。それにこの卒業式は卒業生の晴れ舞台。それをまた乱そうというのですか」

「くっ」

「お嬢様、帰りましょう」

「ええ」


パフェットのかわいい顔が歪んだ表情は醜かった。それを王太子達が見たらどうなるのでしょうね。

この男を諦めないと睨みつけるパフェットに優雅に礼を返した。

そして学園から去った。




「…何か言いたいことがあるのなら言えばいい」

「ええっと。……夕食おいしかったですわね。でもあなたの作った料理のほうがおいしいので恋しいですわ」

「褒めても何もでないぞ」

「そうではありませんのっ。……」

「なんだ」

「アー…。ごほん。アーノ。あ」

「その問いかけは意味があるのか?」

「もうっ。……ア、アーニー!!」

「!」


やっと言えましたわ。あの娘が男の名前を言っていて羨ましいなんて思ってないのですから。

そう、この男と短くても一緒に過ごしてきたんですもの。言っても別にいいでしょう。

アーノルドというはずだったのに略称をいってしまうなんて好意があるわけじゃないのですの。


「愛称ではないんですの。誤解しないでくださいませ」

「…そうだな」


優しそうに見つめないで。

恥ずかしいではありませんの。

その笑みに思わず倒れそうなほど衝撃を受けましたわ。恐ろしい人。


「そろそろマリーエント公爵令嬢を殺しに行くぞ」

「はい」


まっていてください。

お姉様が掴めなかった願いをわたくしが絶対、叶えてあげます。




月の灯りが森を照らしている道の真っただ中で馬車が急に止まった。

そこから少女と護衛達が馬車から離れていく。

しかし、様子がおかしい。

少女が護衛達に襲われかけると黒い影が間に挟まり刃を防ぐ。


「ダリア。マリーを頼む」

「はい」


お姉様とその場を離れ安全な場所まで移動しようとするとアーニーの範囲からもれた男が剣を構えてわたくしに走ってきた。


「お姉様。申し訳ありませんが目を閉じていてください」


返事を聞かずドレスの下に隠してあった暗器を取り出し男に投げるとろくに視界がきかない暗さですべて掠るだけで動きを止めることができなかった。

腕が鈍ったわね。

小さな細長いナイフで動きがノロくなった男の喉めがけてしなやかに突きつける。侍女のわたくしが機敏に行動していることに驚いていた男は咄嗟の判断で腕を盾代わりにしてわたくしの攻撃を防ぐ。

こんなところにお嬢様をいつまでもいさせるわけにはいかないわ。

素早さはわたくしの方が速くて身長の差が不利。そんなの慣れっこよ。

予備のナイフを取り出し男の背後に移動すると膝裏めがけて体重をかけて足蹴にするとおもしろいくらいに地面に倒れていく。そこを今度こそ首を切って終了した。

女の力では柔らかい箇所に切りつけてやれば男なんて案外簡単に処理できる。これが任務ならば成功といえるでしょうけど失敗しましたわ。

お姉様に男の断末魔と血が流れる死体を見られてしまったもの。


「…ありがとう」

「感謝は不要ですお姉様。大丈夫ですか」

「ええ」


初めて見る死体にお姉様は気丈に顔を逸らさず見ている。

こんな汚いものをお目に映したくはなかった。申し訳なさに胸がいっぱいになる。

顔を顰めていたわたくしにお姉様は儚く微笑む。

反省は後よ。

今は安全なあの方の元にいかなければ。


「見苦しいものをお見せしました。さあ、こちらにおいでください」

「ダリア。それはわたしが悪いのです。あなたの罪はわたしの罪。わたしを罵っても蔑んでもいいわ」


人殺しの罪に苛まれることはあるしどうしようもなくて悪事にも染めたことで泣いたこともある。お姉様の言葉は嬉しいけれどお美しいお姉様にそれを押し付けたくはない。

それにお姉様を守れたのですからそれ以上のことはないのです。

わたしはわたしの意思で貴方を守りたい。


「これは私の罪なのです。後悔はしていませんわ」

「ごめんなさい」


鬱蒼とした森を歩きながら心痛な表情をしていたお姉様が顔を上げてわたくしをまっすぐに見る。あの男の飛び散った血がこびりついたわたくしを恐れもせずに。

普通の令嬢だと失神してしまうか視界にすらいれないでしょう。やっぱりお姉様、素敵です。


「どうしてあなたが?」

「助けにきました。アーニーからの伝言でマリーエント公爵令嬢はたったいま死亡しおまえはどこぞの娘だ。好きに生きろと」

「アーノルド…」


そっと目を伏せるお姉様は寂しそうでアーニーとの仲の良さが窺える。もやもやした嫉妬心が湧きあがった。


「あなたにはこの数年間我が儘なことも酷いこともたくさんしてきたわ。ごめんなさい。許さなくてもいいし働いたお金を今後、謝礼として払うわ」

「しなくていいです。わたくしはお姉様が大好きですしいろいろなことを経験できましたもの」

「ダリア…」

「お姉様の気持ちはとっくにわかっていますわ。わたくしは貴方の約束だけが頼りでした」

「!やっぱりそうだったのね。…よく聞いて。私はあなたと約束したことはないわ」

「わかっています」


驚いた表情をしたあとにお姉様が花が綻ぶような綺麗な微笑みをした。わたくしのことをお姉様は理解している。たぶん約束のことも何を考えていたのかも筒抜けでしたのしょう。

それはわたくしの憧れで美しく賢いお姉様にふさわしかった。


「またお話をしてください。…お姉様をよろしくお願いします」

「幸せにするよ」


お姉様を他国へ連れていく商人がこの場にいて用意していた馬車に乗り込みお姉様をエスコートする。お姉様は泣きそうになりながらもわたくしの顔を見て馬車の中へ消えていく。

商人は目深に被ったローブのまま礼をして馬車は視界から遠ざかった。


お姉様が懇意にしてきた商人だから彼とは長い付き合いがある。

他国の商人は誰にもローブの中の顔を晒そうとはしなかった。素顔を知っていたのはお姉様と商人の家族しかいないでしょう。

商人の声は王太子と同じ声だった。背格好も似ている。

おそらく商人の正体は王太子の双子の片割れ。古来よりこの国は双子は凶事として言い伝えられている。

それがどうして商人として生きているのかわからなかったけれどお姉様が欲していた愛する人だというのは知っている。

今回のお姉様の婚約破棄騒動の他国に繋がっているはこの人のことだったのだろう。


「どうかお元気で」





わたしの一番古い記憶は泣いていた。

それはいつものことだったけれど生きる目標を得た約束をしたことで強烈でとても嬉しかった印象がある。

姉様に頬を叩かれ家にいるのが嫌になり遠い路地に迷い込んだときのことだ。


「ひっく。ひっく。うぐっ」

「どうした?」


痛くて泣いていたわたしにぶっきらぼうに声がかけられた。

その人は至る所に血が滲んでいてわたしよりも痛そうだった。


「止血しなきゃだめだよ」

「あ?…返り血だからいいんだ。おまえは俺を怖がらないんだな」

「どうして?」

「とんだ大物だ」


違うよ。大物だったらお父様達に無視されたり姉様達に叩かれることもない。


「わたし、駄目な子なの」

「そんなことない。泣いてちゃかわいい顔が台無しだぜ」

「ひっく…かわいい?」

「ひっでえツラしてるがかわいいぜ」

「え?」

「かわいいっていってるんだ。不満か?」

「ううん、すっごく嬉しい」

「くく。おまえ、俺のものになれ」


血まみれの男はニヤと獲物を狩るような獰猛な笑みを浮かべた。

わたしは唖然としつつも胸を貫かれた。天啓が全身に衝撃を与え自分の価値観が変えられる。

わたしはこの人のために生きたい。

死ぬことばかり考えていたはずなのにあっけなく塗り替えられた。




低い呼び声に意識が現実へ戻るとそこにあのときのような血に濡れた姿のアーニーがいた。


「お疲れ様。お姉様は無事にでていきましたわ。うまくできましたの?」

「誰にものを言ってるんだ。盗賊に殺されたようにちゃんと偽装してきたさ」

「その姿、初めて会ったときのようですわね」

「ようやく思い出したのか。ついでにいうと催眠術で記憶のマリーと俺を入れ替えていた」


一瞬だけ驚くと、ニヤニヤとわたくしの言葉をまっている。


「わたくしはあなたのものですわ。ですから改めて自己紹介します」


実家はすでに勘当されていた。だから、伯爵令嬢でもないただのダリアとなる。これまでお姉様のために生きてきたがこれからはアーニーのために命を捧げよう。

そして、けじめをつけたい。その場に綺麗に一礼した。


「ダリアですわ」


わたくしのために素敵なチョーカーや綺麗な衣装、装飾を整えてくれたり。


「あなたは?」


わたくしの好物ばかりを作ってくれたり。


「アーノルドだ」


いつも寝ているわたくしが乱す毛布を直してくれたのだろう。

わたくしの本気を受けとり穏やかな愛おしそうな表情でアーニーは応えた。


「おまえは俺のものだ。浚われてくれ」

「はい!」


月明かりにチョーカーについているわたくしの目と同じ藍色の宝石がキラリと輝いた。





その後のレテイル国は王太子の平民の婚約者により悪化していた経済状況が浪費によって国を傾けるほどになっていた。

そこを元公爵令嬢が他国の王に掛け合い侵略という形で貧困に喘ぐ国民を救うことになった。

その戦で黒の死神が大いに活躍し、傍らに常に少女がいたとかおもしろおかしく誰しもが噂していた。

王太子と婚約者は処刑され、貴族は降伏してようやく国が落ち着いた。






  ~数年前のこと~



「マリー。こいつを侍女にしていろいろと学ばせてやってくれ」


それはわたくしを狙ってきた暗殺者と仲良くなったある日のこと。

部屋に戻ったら女の子をアーノルドは浚っていたのだ。突発的な出来事に眉を顰めても話を聞いてみることにした。


「名前を覚えていないけれどこの子は伯爵令嬢ですね。強引に侍女にするのは躊躇われますしたくさん苦労をかけることになるわ」

「おまえの茨の道にその子は必要だ」

「どうして」

「俺が選んだからだ」


自信満々に言う暗殺者に腹が立つ。いたいけな女の子を勝手に巻きこむなんて酷い。でも、必要と言い切るのだからそれなりに能力が高いでしょう。

それにしても幼子の頭をにやけながら撫でているのは気持ち悪いですね。


「傲慢な人」

「マリーも俺のような傲慢に成り上がるんだぞ」

「そうでしたわ。ゲームのイベントが始まるその時までしなければいけないのよね」


ごめんなさい。

名前も知らない少女よ。私の我が儘に付き合わせてしまって。

近づいてよく見ると頬が腫れていてこの年代の少女にしては細い。

まさか。


「この子は虐待を受けていたの?」

「7人兄妹の末っ子で家も傾いてるから穀潰しとして放置やら酷い扱いをされていた。だが、いい目をしてやがる」

「…わかりましたわ。この子は私に任せなさい」

「すまないな」

「謝らないでくださいな。私はこの子にも傲慢でおこちゃまな子供を演じなくてはならないのだから傷つけてしまうわ」

「それでも今の環境よりはましだ」

「…」

「マリー、意思を貫けよ」


なんだかおかしくて笑みが自然と浮かぶ。

アーノルドが訝しげな表情になる。


「もちろんよ。やり遂げてみせるわ。…それにしても5歳の私に本気で頼みごとをする状況がおもしろくて」

「精神年齢が大人なやつに言われたくない。ん?もうおばさんか」

「ふふふ。私は今世含めてまだ20歳よ」

「おい、しれっと鞭を用意するな」

「ふふふ」




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