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初めてのドライブは君と

作者: あき

 父が苦手だ。

 父は寡黙であったが、厳しく俺を育てた。

 過去に何度か殴られたこともあった。

 高校に入ってからはほとんど会話することもなかったが、大学進学も決まり、自動車学校へ行くことになった時に父は『どこの学校に行くんだ?』と尋ねてきたことがあった。

 俺はぶっきらぼうに『近くの車校』と応えると、短く『そうか……』と頷き、煙草に火をつけていた。

 それ以降、会話はしていなかったが、ようやく本日、県の自動車免許センターで車の免許を取得することになった。

 電光掲示板に自分の番号を見て、緊張の糸が緩んだのか、できあがった運転免許証の写真は残念な出来だったが……。

 自宅に辿り着くと、母が開口一番に尋ねてきた。

まこと、合格した?」

 ぶしつけな質問にため息をついて、俺は応えた。

「ああ、お陰様で」

 その言葉に母は胸の前で両手を握りはしゃいだ。

「よかったじゃない! ねえ、お父さん! 誠、合格したんだって!!」

 奥の縁側でくつろいでいた父に大声で嬉しそうに報告する母は年齢の割に幼くて、中学の時はあまり好きになれなかった。

「ん、そうか……」

 父は短く応えると、また縁側で煙草に火をつけた。ゆらゆらと紫煙が上っていく。そんな父の様子を見て、母は頬を緩めた。

「うふふ、今日は赤飯炊かなきゃね」

「なんの祝杯だよ、それ」

「誠は細かいことばっかり言うから、モテないのよ」

 いや、それ関係ないから。

 母はそんな俺の心の傷など無視して、嬉しそうに台所へ行き、あれこれ考え始め、冷蔵庫を開けると、あっ!、大きな声を上げた。

 全く、賑やかな母だ。

「いけない! 夕飯のおかず買い忘れちゃった! 誠、ちょうどいいわ。父さんと車で買い物に行ってきて」

「えっ、今帰ってきたばかりだろ。少しは休ませてよ」

 俺の抗議の声は母に届かないのか、早速父に声を掛けている。

「お父さん、ちょっと誠が買い物へ行くからついて行ってあげて」

 父は少し困ったように母を見たが、仕方がないな、と言って煙草をもみ消して立ち上がった。

「はぁ……」 

 どうやら俺は強引に買い物へ行く事になりそうだ。



 自宅の外に出ると、父が愛車の鍵を渡してきた。

 父の唯一の趣味である車は、1週間に1度は洗車しているほど気に入っている。そんな愛車に乗るのはなんだか気が引ける。

「ぶつけると悪いから、母さんの車で行こうぜ」

 母の軽自動車を親指で指さすが、父は首を振った。

「乗ってみろ」

 父の有無を言わさない言葉に従って鍵を受け取る。

 新品同様に磨かれた塗装は深い青で美しかった。

 ……傷つけたらごめんな。

 俺ははじめに車に詫びて、乗り込んだ。

 車の中も綺麗に清掃がされていて新品同様だった。

 シートの位置やミラーを直してから、鍵を捻った。

「!?」

 思いの外、大きなエンジン音が鳴り、俺は驚く。

 それを見て、父は小さく笑った。

「悪い、つい、な」

 何が、ついだよ。

 俺は慣れない車に緊張しているのによ……。

 心の中でぶつぶつ呟きながら自宅の駐車場から発進する。

「……エンストするなよ」

「うるさいよ」

 父のその言葉に俺はぶっきらぼうに返すと、父はまた小さく笑った。

 こんなに笑う父を久しぶりに見た。

 俺はなんとなく居心地の悪い想いを乗せて、近くのスーパーまで走らせた。



「30点」

 父がスーパーに着くと同時に言った。

「何が?」

「お前の運転技術だ」

「30点満点ということね」

「ポジティブな奴だな……」

 父はまた可笑しそうに笑った。

「発進するときはゆっくりとエンジンの回転数を上げろ、ギアチェンジもぎこちない。あとエンストしたのは3回だったな」

「うるへーよ」

「よく合格できたもんだ」

「俺は本番に強い男なの」

 俺がグチグチ言っていると、父は肩をすくめた。

「言い訳だけは一人前だな」

「はっはっは、ぐうの音も出まい」

「ある意味では、お前の横柄さは必要かもな」

「でしょう」

「……バカ、皮肉だよ」

 そう言って父は車の外に出て、煙草に火をつけた。

 父は車の中では煙草は吸わない。

 いや、俺たち家族の前で煙草は吸わなくなった。

 ……母のためだろう。

 俺が外に出ると、少し距離を取って、父は言った。

「先に行ってくれ、あとで行く」

 俺は何かを言い掛けたが、ああ、と短く応えてスーパーに向かった。



 スーパーでの買い出しを終えると、夕日が沈みかけているところだった。車に乗り込むと、父が短く言った。

「……少し、寄り道するか」

「母さんに怒られるよ」

 父は珍しく苦笑いをした。

 今日は、父の色々な表情が見られる事に戸惑いを覚える。

 父に誘導されて、家とは反対方向に走り出す。

 案内された所は大きな川の堤防だった。

「この坂を上がって、堤防沿いに走ってみろ。気持ちいいぞ」

 堤防沿いの道はほとんど信号もなく、気持ちよく加速していく。

 ――気が付くと、俺の口角は上がっていた。

 父はそれを見て満足そうに微笑む。

「気持ちいいだろう……」

「……ああ」

 俺はアクセルを更に踏み込んだ。



 川沿いにある公園の駐車場に停めて、父は外でまた煙草に火をつけた。

 俺も外に出て、山脈に夕日が沈んでいくのを見つめていた。

 紫煙だけがゆっくりと風になびいて、ゆらゆらと上がっていく。

「ねえ」

「何だ?」

 俺は父に尋ねた。

「……煙草の事、気にしているの?」

「……」

「母さんが肺ガンになったのは、別に父さんだけのせいじゃないと思うけど」

「……」

 父は無言で紫煙を見つめている。

 母は一昨年、肺ガンになった。

 幸いなことに母の肺ガンは早期で見つかったため、大きな問題はなかった。それでも父は家族の前で煙草を吸うことをやめた。

「……嫌なことがあると、よくここに来る」

 ポツリと父が言った。

「母さんがガンになった時も、よくここに来た」

「……」

「お前が言うように母さんがガンになったのは俺のせいじゃないのかもしれない。でも、俺の可能性も否定できない」

 父は一本目の煙草を携帯用の灰皿に入れて、もう一本煙草をくわえた。

「……今まで色々、迷惑をかけた。これ以上、家族に迷惑をかけたくない。ただそれだけだ」

「じゃあ、煙草を吸うのやめてよ」

「ん?」

 父が不思議そうな顔をしている。俺はずっと思ってきたことをぶつけた。

「……俺も父さんがガンになったら嫌だ」

「……」

 父は黙って煙草を見つめていた。

 ある種の戒めのためか、父は一昨年から煙草の本数を増やしていた。

「……」

「自分だけで責任背負うのやめなよ」

「……」

 親父はふっ、と小さく笑った。

 二本目の煙草は半分以上残っていたが携帯灰皿に荒々しく突っ込んでもみ消した。

「――生意気だな」

 そう言って、残っていた煙草の箱を両手で捻った。



 自宅にたどり着くと、母は口を尖らせていた。

「ちょっと、遅いじゃない。どこで油売っていたのよ」

「ちょっとドライブしてきただけだ……」

 父がばつが悪そうに話している。まるで叱られた子どものようだ。

「ええー!? 私は?」

「また今度な」

「二人だけでズルい……」

 母は少しすねて顔を俯かせる。それを見て、俺と父は目を合わせて笑ってしまった。

 笑い合ってから、久しぶりに父と笑い合った事に気づいた。

 


 風呂から上がると、さすがにヘトヘトになって、だらしなくソファに身体を預けていた。今日は色々と緊張しっぱなしだったな……。

 そんな俺を見つけて、母が話して掛けてきた。

「だらしがないわね、せがれよ」

 いったい誰のせいだよ。

 俺は抗議しようとすると、口を開き掛けると、その前に母が小声で尋ねてきた。

「……ドライブ、楽しかった?」

「うん? ああ」

 先ほどと違う雰囲気に俺は言葉を飲み込み、頷く。

 母は満足そうに、そう、と呟く。

 そして、昔のことを思い出すように遠くを見つめて話し始める。

「父さんね。おかしかったでしょう」

「えっ」

「いつもと違っていたんじゃない?」

 全てを悟ったような瞳だった。

「あ、ああ。……よく笑っていた」

 それを聞いて母は、ぷっ、と笑った。

「やっぱりね。お父さん、嬉しかったんだろうな……」

「どういうこと?」

 母は、うふふ、と嬉しそうに笑って、人差し指を口元に当てながら小声で話す。

「……アンタが生まれる前から言っていたのよ」

「……」

「息子とね、愛車でドライブするのが夢だって……」

「えっ……」

 母は悪戯子のように笑ってウィンクした。

「内緒ね!」

 どうやら俺達は母の術中にはまったようだ。

 全く、なかなかこの母は侮れない。

 でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 俺は父と同じように小さく笑いを浮かべた。


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