42nd Card 笑う月
ウェアドを倒しておよそ一ヶ月が経過し、ようやくおれが住んでいた町へ戻ってきた。さすがに十二月にもなると吐く息も白くなる。この町も避難命令が出された区域ではあったが戦いの痕跡は見られない。ただし、日中であるにも関わらず、人の姿も一切なかった。
集合場所はおれの家ということにしている。最初から鍵は開けて出てきたので、誰が先に着いていようと問題はない。泥棒も戦場に近いこんな場所に、わざわざ盗みにはこないだろう。
ここからは見えないがH.O.P.E.本部の建物がある方向に目を向けると、昼間だというのに空にオーロラが見える。赤や緑が混ざった幻想的な雰囲気を醸し出していた。しかし、オーロラは基本的に北極や南極に近い地域にしか現れない。ここは北極にも南極にも程遠い場所だ。まさに異常な事態を物語っている象徴とも言える。星のマナを搾り取った結果だ。
「なんだか不気味な光景ですね」
エルーもオーロラを眺めていた。不気味とは皮肉なものだ。通常なら綺麗なものとして認識されているのに。
おれは咄嗟に構える。モンスターの気配がした。しかし、それは一瞬のできごとで、いまはなにも感じない。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
疲れているのだろうか。ひとまず、家に帰ろう。
懐かしの我が家。庭には燃えた木の切れ端が積まれており、それを囲うように石で作られたサークルができていた。キャンプファイヤーをやったことはないが、そのなにかだろう。なぜそんなものがあるのかはわからないが、それ以外の家の外見は変わっていない。では、中はどうだろう。掃除を全くしていなかったので大方予想はつく。気にしていても仕方がない。ドアを開けた。
「おかえりー」
入るや否や男の高い声がした。居間に入ると、声の主である雅志が椅子に座ってくつろいでいた。他にも瀬戸や絢十もソファーに座っている。家主が最後に帰ってくることになるとは思わなかったが、全員無事でいてくれて安心した。
「みんな、いつ戻ってきたんだ」
「ぼくは三日前かな」
「五日くらい前」
「わたしは昨日」
なるほど。絢十が最初に戻ってきて、雅志、瀬戸と続いたわけだ。そんなに遅れたわけでもない。
「食事はどうした」
冷蔵庫の中身は勝手に取って食べてもらって構わないが、はたして食べられるものがあっただろうか。消費期限が過ぎていたり、腐っていたりしたものがあったのではないかと思う。
「コンビニにあったのを適当に取って食べてた」
絢十が指差す。その方向を見ると、まだ未開封の缶詰やインスタント食品、飲み物がテーブルの上に山積みされていた。多分、店のものを全部持ってきて、さらに別の店舗からも持ってきたのだろう。食事に関しては心配はいらなかったようだ。おれも腹が空いていたので適当に二つ取り、一つをエルーに渡す。
「ありがとうございます」
旅の途中で食事をしていたとはいえ、あまりゆっくりすることもできなかった。住み慣れた家でゆっくり食べられるのが非常にありがたい。
「剣一の話によると、皇帝たちは神の力を創ろうとしているんだよね。その影響でマナのバランスが崩れて、世界中で異常気象が起こっている」
雅志の言った通りで間違いない。おれは頷いた。
「でも、いまぼくたちが各地のモンスターを全て倒したから、マナを集めるために遠出はできない。つまり、すぐに神の力は創られることはない。なら、一日くらい休んでも大丈夫だよ」
一日くらい休んでも大丈夫。本当にそうだろうか。いま、皇帝のもとにどれほどのマナが集まっているのかはわからない。すぐに神の力を創り出せるほどではないかもしれないが、かなりの量のマナがやつのところにある。妥協することもできるはずだ。充分な量ではないが、大きな力を造ることはできる。
そう考えると、呑気に食事をしているわけにもいかない。おれはすぐに缶詰を平らげる。
「いや、おれは大丈夫だ。すぐにH.O.P.E.に向かおう」
だが、雅志はおれの前に立ち塞がり、先へ進ませようとはしない。
「休まないとダメだって。いいかい、これから戦う相手はモンスターのなかでもかなり手強い相手なんだよ。ぼくたちが万全の状態で向かったって勝てるかわからない。ここは素直に休むべきだよ」
雅志の言うことは正しいが、そんなことを言っているほど悠長な場合ではない。
「だが」
「ぼくは剣一を信頼してる。このなかで一番モンスターと戦っている剣一を。だからこそ剣一が万全の状態じゃないまま戦いに行きたくないんだ」
「オレも普久原に同感だ。いつもそうやって無理をする。木崎は休むべきだよ」
「わたしたちも、結構休んだしね」
三人に休めと言われてしまった。苛烈な女だと勝手に思っていた瀬戸にまで気を遣われるとは思いもしなかった。これは休むべきなのか。しかし、そんな余裕があるのか。
いや、そうじゃない。むしろこれが最後の休息。そう捉えるべきなのかもしれない。
「けんいちさん、私も休んだほうがいいと思います」
四対一か。分が悪い。
実際のところ、疲れはある。一ヶ月も歩き続けて疲れないほうがおかしい。雅志の言うことも尤もだ。皇帝たちを相手に今の状態では良くない。それを考えれば、受け入れるしかなかった。
「なら、一日だけ」
「うん!」
雅志が大きく頷いた。おれはテーブルの上のカップ麺に手を伸ばす。その様子を見ていた絢十が言った。
「木崎、電気は使えないぞ。水も出ない」
なんだと。ではお湯を沸かすことができない。しかし考えてみれば、人がいない町に電気や水が通っているはずがないのはわかることだ。ではこのカップ麺はなんのためにあるのだろう。役割を果たせないカップ麺など、ただ場所を取るだけの有機物に過ぎないではないか。
「原始的だけど、外で火をつけて薬缶を沸騰させるしかないね。水はペットボトルに入ってるやつ使ってさ」
雅志が肩をすくめる。庭でキャンプファイヤーができるようになっていた謎が解けた。
「準備ができたなら外へ出るか」
絢十はソファーから腰を上げる。ほう、火をつけてくれるのか。絢十にキャンプの心得があるとは知らなかった。おれもカップ麺と水を入れた薬缶を持って外へ向かう。
薬缶を木の上に置く。風は少し吹いている。気温の低さも相まって、火をつけるのに手間がかかりそうだ。そう思っていると、絢十は青のカードを出した。
まさか、と思ったがそのまさかだった。絢十は青のカードを使って点火した。火は瞬く間に灯る。そして、絢十は庭に落ちているY字の枝を二本、火を真ん中に置くように地面に立て、その上に横に一本の木を載せる。バランスが取れていることを確認すると、薬缶の持ち手の部分を横の木に通し、火の上に来るように掛けた。
「ファジニを倒したのか」
青のカードで火を使えるとなるとそれ以外考えられない。
「ああ。他の二人も氷のやつと地のやつを倒したって言ってた」
たしかその二体は、フェンリーとアーザング。となるとおれたちは四体の上級モンスターを倒したことになる。本部の建物にいる上級モンスターもかなり絞られるはずだ。
「あとで倒したモンスターのことを聞いておかないとな」
「そうだな。それと、カードもトレードしたほうがいい。戦い慣れたカードじゃないとキツいんじゃないか?」
「ああ」
絢十の言った通り、使い慣れたカードでないと戦いづらかった。コピーがあったのがせめてもの救いだったといえる。衝撃波のカードのありがたみを知った旅でもあった。
「ところでさ、木崎」
「ん?」
絢十の顔を見るが、向こうは目を合わせようとしない。
「どうした」
話すよう促してみる。なにか気になることでもあるのだろうか。もしかしたら、絢十だけが気づいたモンスターに関する情報でも出てくるのではないか。そんな淡い期待を抱いた。
「オレが言うのも変な話なんだけどさ、木崎は本当に皇帝を倒そうと考えてるんだよな?」
「当然だろ。いまさらなにを言いだすんだよ」
おれの覚悟を試しているのだろうか。絢十の真意を測りかねる。
「……そっか。なら、いいんだ」
なにを心配しているのだろう。聞きたいが、なんとなく遠慮しておいたほうが良さそうな気がした。
薬缶が甲高い音を立てる。お湯が沸いた。
夜は真っ暗だった。やはり電気は通っていない。明かりとして蝋燭を用意し、それに火を灯していた。室内はほんのりと明るく、おれたちの身も心も温めてくれる。おれたち五人は火を囲んで座っていた。おれから時計回りに、エルー、絢十、瀬戸、雅志の順番だ。
外の闇がオーロラの鮮やかさを一層引き立たせている。風は音を立てて通り過ぎていく。
まだ七時。寝るには早い。おれたちはカードをトレードしたり、適当な雑談をしたりして過ごしていた。
「これがあと一週間先だったら、雰囲気出るんだけどね」
雅志が言った。目は確かに火に向けられているけど、本当に見ているのかはわからない。
「面白いってなにがだよ」
「決まってるじゃないか、イブだよ」
いぶ。伊部ではない。そうか、クリスマス・イブだ。
「十二月といえばクリスマス。そして来週はその前日さ。イブの夜に蝋燭に照らされた部屋で一晩過ごすなんて、いかにもって感じだろ?」
「ああ、実にお前好みなシチュエーションだと思う」
ただ、起きていてはサンタクロースはやって来ないだろうな。
「ははは、わかってくれてるじゃないか」
「普久原ってなんだか変わってるよね。そう言われたことない?」
瀬戸が真顔で尋ねた。
「え? そうかなあ」
本人に、変わっているという自覚はないようだ。
「あんたみたいなロマンチスト、見たことないわ」
雅志がはにかむ。
「そっか、ありがとう」
「褒めてないって」
微笑みを浮かべる雅志と無表情の瀬戸。実に対照的な二人だ。
「でも、こうやって火に頼ってると、文明のありがたさを実感するよな」
絢十がつぶやいた。おれは頷く。どちらかというと、こちらのほうがしっくりくる。特に信仰しているわけではないので、クリスマスの話題を出されてもいまいちイメージできない。せめて百物語にするべきだろう。……いや、それも違うか。
元の生活を果たして取り戻すことはできるのだろうか。おれたちはもちろん全力を尽くすし、世界を滅ぼさせはしない。しかし、その後のことはおれたちだけではどうすることもできない。
いま考えても仕方のないことだ。全ては明日になってから始まる。
「いよいよ、明日か」
「明日だね」
「明日だな」
「明日ね」
「明日です」
おれのつぶやきに全員がこだました。お前たちはやまびこか。
突然、モンスターの気配を察知した。エルー以外の全員がさっと立ち上がる。視界の隅で火が揺れた。
「明日が来る前に、敵さんのお出ましかな」
雅志が引きつった笑いを浮かべた。そういえば、日中帰ってきたときにもモンスターの気配を感じた。そのときはすぐに気配が消えたが、まさか同じモンスターだろうか。
「とにかく,外に出よう。エルーは待っててくれ」
「はい。お気をつけて」
暗がりで足元が見づらいが、そこは自宅なので慣れた足取りで玄関に向かう。
「待て、木崎」
絢十が一枚の青のカードをみんなに使った。なるほど、目を良くすればみんなが進みやすい。これで懐中電灯は必要なくなった。青のカードの効果が現れた途端、瀬戸がおれを抜いて先に家から飛び出していく。おれたちも慌てて追いかける。
「おい、一人で勝手に行くな」
「昨日、気配を感じたけどすぐに消えたやつがいたんだ。きっとそいつに間違いない」
おれが今日察知したのは気のせいじゃなかったのか。それなら、このモンスターの気配がまたしても消えてしまう恐れがある。一刻も早く見つけ出さなければならない。
ただ、違和感がある。このモンスターの感じは他のモンスターとは異質だ。上級モンスターであるとか下級モンスターであるとかの違いはわかるが、このモンスターはそのどれにも当てはまらないように感じられる。強いて言うなら、別の脅威。
「このモンスター、変わってるな」
絢十にもわかるようだ。
「やっぱりそう思うか」
「ああ、なんだか嫌な予感がする」
そんな会話をしていると、またしても気配が消えてしまった。
「また消えた……」
瀬戸が立ち止まる。
「方角は覚えてるよ。こっちだね」
雅志が先頭になって走る。おれたちはそれに続いた。
「普通、モンスターの気配が急に消えることがあるか?」
「ないな、シャドウでもない限り」
絢十は戸惑っている。シャドウと直接戦ったことはないはずだから、いま起きているような「モンスターの気配が急に消える」という状況も初めてなのだろう。加えて、いつもと感じの異なる気配。相手がモンスターなのかさえ疑わしく思えてくる。
雅志が急に足を止めた。なんだ、とは訊かない。音が聞こえてきた。音というよりかは音楽が正しい。なんの楽器かはわからないが聞いたことのあるメロディだ。問題はそこではなく、どうして音楽が聞こえるかなのだが。
「この町に人はもういないはずだよね。まさか誰か帰ってきたのかな?」
雅志が疑問を口にした。
「こんなときに、夜に大音量で演奏しないだろ」
青のカードのおかげで聴覚も良くなっているとはいえ、やけに音が大きい。これは家で演奏しているというレベルではない。もっと大きな場所だ。でも、いったい誰が、なんのために。
「剣一、この辺りで教会ってあるかな?」
「ああ。この先の町の外れに……」
まさか、教会で誰かが演奏しているというのか。
「この音色、多分パイプオルガンだよ」
「よくわかるな」
「曲は『トッカータとフーガ』だね。バッハ作曲の」
そこまでは聞いてないが、雅志がそう言うのならそうなのだろう。こいつは、間違った情報は与えてこない。
「怪しいな。罠か?」
絢十が腕を組む。確かに怪しい。怪しすぎる。なんらかの罠ではないかと疑わずにはいられないというのはおれも同じだ。
「でも、モンスターの気配は感じないよ。一応、調べてみないかい。もしかしたら帰ってきた人が、他にも人がいないか確かめるために弾いてるのかもしれないよ」
「わたしは行くよ」
瀬戸は回答を待たずに先へ進んだ。少しは罠を警戒して慎重に進むべきなのだが、瀬戸が行ってしまったのにおれたちが行かないわけにはいかない。仕方がないのでおれたちも向かうことになった。
教会の場所を正確に覚えていたわけではなかったので、音を頼りに進んだ。その結果、多少迷うことはあったが辿り着くことができた。音楽はやはりこのなかから聞こえてくる。螺旋を連想させるような旋律が激しさを増していた。
薄緑色とも空色とも判断がつかない屋根の手前の位置に十字架が立てられてある。その向こうから三日月がこちらを見下ろしていた。
教会全体は、四階建てくらいの大きさだ。個人的に、教会の外装は白くて清潔というイメージを持っていたのだが、ここは経年劣化が激しいせいかネズミ色をしていて清潔な印象は抱けなかった。案外、そういうものなのかもしれない。窓がいくつかあるが、なかの様子までは見えない。
そんな教会を前にして、雅志が一人ごちる。
「ほんと、一週間先立ったら雰囲気出たんだけどなあ」
まだ言うか。
玄関に続く、段差が低い石の階段を上がる。扉は木製で大人一人の身長よりも大きく、四人くらい横に並んでも入れる幅は充分にあった。扉を押して開けると、オルガンの音量が一気に大きくなった。おれたちは全員、なかへ入る。
礼拝堂にも電気はついていないのでもちろん暗いのだが、天井に近い位置にあるステンドグラスから月明かりが差し込んでいた。それが唯一の光源だ。人の目線の位置には飴色の長椅子が縦に六列並んでおり、日中でも足元は暗そうだということがわかる。
正面には大きなパイプオルガンがあり、金色の管があちこちに伸びている。まるで、巨大ない臓器だ。
目線を下に向けると演奏者の背中が見えた。黒いスーツを着ているせいで分かりづらいが、見たところただの人間だ。
おれたちは長椅子の間にある通路を通ってパイプオルガンのほうへ近づいた。そうするつもりはないのだが、コツコツと足音は響く。床が硬い素材でできている。
ちょうど、ジャーンと音が響く。演奏が終わりを迎えたようだ。演奏者はすっと立ち上がり、おれたちに身体を向ける。数歩進んで顔が月明かりに照らされた。
おれたちの歩みが止まる。全員が知っていた顔だった。
「みなさん、お久しぶりです」
演奏者は北条だった。かつてH.O.P.E.の理事長を務めていた男だ。
「北条さん」
雅志が驚きとともに声にした。なぜここにいるのかというおれたちの疑問を差し置いて、彼は話を続ける。
「ただいま演奏したのは、バッハが作った『トッカータとフーガ』という曲です。ただしこの曲には、本当はヴァイオリンのために作ったものをオルガン用に編曲したとか、そもそもバッハが作ったものではないとか、諸説あります。メロディだけが知られていることもあって、バッハが作ったものではないという情報はさほど重要ではないかもしれませんが。バッハといえば、『音楽の父』という二つ名でも有名ですね。みなさんはどうしてバッハが音楽の父と呼ばれるのか、ご存知ですか?」
答えはもちろん知らない。本来なら雅志あたりが答えそうなものだが、誰も答える様子はない。北条の様子がおかしいことを全員感じていたのだ。
北条は、誰も答える様子がないのがわかると話を再開する。
「それは、バッハの曲がいまは亡き作曲家たちの練習に使われたからです。もちろん、我々が『神童』と呼ぶモーツァルトもバッハの曲で練習しました。つまり、我々が名前しか知らないような作曲家たちは、少なからずバッハの影響を受けたということになります。それ故に、彼らはバッハから生まれたと言っても過言ではありません」
北条が音楽にまで通暁しているとは知らなかった。しかし、彼がなにを話そうとしているのか、真意が全く読めない。
「私は、バッハのような存在になろうとして、失敗したようです」
言葉の意味がわからない。モンスターに襲われて頭がおかしくなったのではないかと疑う。
「私は人類の救済者となり、やがては新人類の父と呼ばれる存在を目指していました。そのために、私が最初にしたことは、モンスターの封印を解くことだったのです」
静寂。
パイプオルガンの上、ステンドグラスから覗く三日月が、いやらしく嘲笑う口に見えた。




