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ねえ、今どんな気持ち?

作者: ふぁみま

高校三年の春休みに入って数週間目のある日の午後、最新ゲーム機の電源を入れた新島(にいじま)(わたる)は日課であるFPS(一人称シューティングゲーム)を開始した。

「回線が重いよ、回線が」

 数十分後、彼はそんな不満の声を漏らすと共に、自室に鎮座している無線LANを忌々しげに睨み付ける。何年も使用してこの機械も限界なのかも知れない。自分の腕が悪くて負けるのは良い。しかし、だからといってこういった第三者的な介入で己が被害を受けるのはどうしても耐え難いのだ。

 彼は普段、学校では晴らせない鬱憤(うっぷん)をこうしたゲームなどで消化しているのだが、この状態では逆にストレスが溜まってしまうばかりだと思い、がらにもなく部屋の整理整頓をしようと、重い腰を上げることにした。

 退屈すぎて外出する気力も湧かなかった彼は春休みの間、その時間の大部分をこの部屋で過ごしていた。リビングのある一階へ降りるのは食事の時か、宅配便を受け取るためかのどちらかなのである。

 部屋の換気のために開けたドアから、母の観ているテレビの音が入ってきた。別段、興味も無かった彼は数ヶ月ぶりに、自室の窓に手をかけた。金属の擦れる音をたてながら、やっとのことでこじ開けると、春と呼ぶにはまだ寒い気温一桁の温度が室内になだれ込んでくる。

 家の前の道路を行く人々は、皆一様に厚手のコートを羽織り寒さから必死に耐えているのが見て取れた。

 新島は外の景色から視線を外し、そのままゲーム機の電源を切って、リモコンを手に取りザッピングを開始する。この時間帯は面白い番組がやっていない。そのことを確認すると、彼は立ち上がって洗面所のある一階へと向かった。

 欠伸(あくび)をしながらのろのろと着替えた新島の目的は、気分転換の為の外出をはかるためだ。鏡に映った己の無精ひげを剃りながら、彼は背後の浴場に意識を向ける。肌寒いこの洗面所には自分しか居ないと知りながら背後の様子を気にする自分に嫌気が指しながら、彼は黙々とひげを剃る作業に没頭した。

 久々の外出からか、数ヶ月ぶりに着たジャケットのサイズが変わったような感覚に襲われた。少しばかり太ったに違いない。そう思いながら新島は腕や腹回りに視線をやると、外の寒さを想像し一瞬動きが止まったものの覚悟を決め、玄関を開けた。

 どこへ行こうか、昼食も摂ったばかりで腹も膨れている。十分も歩けばバッティングセンターなどの施設もあるが、身体を動かす運動は苦手だ。ならばと新島は本屋へとくり出すことを思いつく。

 自転車で行けばすぐの場所にあるし、暇つぶしもなるだろう。彼は庭先に置いてある自転車の空気の有無を確かめようと、タイヤを押してみたところ。

「……む」

 全く空気が入っていなかった。空気を入れなおすのも面倒なので、徒歩で出掛けることにした。

 寄り道、回り道と。せっかくの外出なので普段は通らないような道を選んで歩いていく。

 住宅街を抜け、目的の本屋まであと数分といった場所で新島は一人の女性に目をつけた。ぷっくりと膨れた腹は妊婦の証、二十歳ほどの女性が橋の欄干に身を乗り出して川面をのぞき込んでいたのだ。

 あの姿勢では胎児にも影響があるのではないかと、いらぬ心配をしていると、女性がこちらを向いて微笑を浮かべる。

 軽く会釈を返し近づいていくと、

「いい天気よねー」

 ごく自然な調子でそんなことを言ってきた。純白のワンピースを着たその女性の髪は短く切りそろえており、線の細い身体と雪の様に白い肌から、薄幸の麗人といったイメージが彼の頭に浮かんだ。

「まだ少し肌寒いですけどね」

 慣れぬ笑顔を浮かべながらそう答える。すると、女性は再び欄干の向こうを仰ぎ見た。

「でも、ちょっとずつ日が長くなってくるにつれて。お腹の子も成長しているんだなあって実感も湧いてくるんですよ」

 予定では来月に生まれるんです、と彼女は愛おしいものに接するかのごとく、己の腹を擦る。

「触ってみても良いですか?」

「どうぞ。この子もきっと喜ぶでしょうし」

 承諾を得た新島は座り込み、慎重な手つきで女性の腹部を擦った。生きている、そんな感情を彼は心に抱いた。

 生命の神秘と邂逅(かいこう)した彼の元に、川面を騒がせながら一陣の風が吹く。

「……っ」

 女性が一瞬の動作で裾を抑えたので、大きくめくれ上がることが無かったが、新島はあることに気が付く。それはわずかに見えた彼女の右足。

「ちょっとした事故で……」

 恥ずかしそうに言う彼女の太もものあたりから、ライナー式の義足が取り付けられてあったのだ。

「それは……失礼しました」

 謝罪の言葉と共に立ち上がった彼は相手の反応を伺おうと、女性の顔を盗み見たがその顔は喜びの色に染まっており、

「格好良いでしょう? これ」

 その発言に呆気を取られた彼だったが、

「格好良いです」

 素直にそう賛美の言葉を述べていた。

「本当に? 気持ち悪くないの?」

 彼女はこちらの様子を伺いながらそう訊いた。繊細なその瞳と人工的な右足が器用に作用して、どんな人間よりも人間らしい脆さが表現されている。

 その事実と向き合った新島の心に、わずかな羨望と、愛情と、哀れみの感情が生まれていた。

 軋む足音に対して抱いた哀れみは、どこからやってきたのだろう。そんなものは彼女自身も望んでいないはずなのに。

 こんな汚い感情を埋め込んだのはどこの誰だ。

「それはそうと、あなた。これから暇? 歩きながらちょっと色々お話がしたいんだけど」

 再び言葉に詰まった新島は、真っ直ぐな視線に圧倒され、ただ頷き返すことしか出来なかった。

「君はAmputeeを見るのは初めてかな?」

 住宅街を歩く彼女は大草(おおくさ)(みちる)と言い、同時に自らのことをAmputeeと称しつつそんなことを尋ねてくる。自然に発せられたその単語に首を傾げていると、彼女は少々慌てた様子で訂正をする。

「私みたいな四肢切断者のこと。平たく言えばか×わってやつね」

「実際に目にするのは初めてです。その、さっきはすみません。じろじろ見たりして……」

「別に気にしてないわよ。あなたが驚くのは当然だし、悪意があった訳じゃないもの。それに、私は今か×わって差別的な言い方をしたけれど、別の言い方をしたところで内容は変わらないしね」

 最近の学生同士の方がもっとエグイことを言ってるだろうし、と彼女は付け足す。ここで新島は疑問を口にする。

「僕らはこれからどこへ行くんですか?」

「あたしの家。旦那が長期出張で家を空けてるから暇でしょうがないから、話し相手になってくれない?」

「え、それはちょっと……」

 あからさまに動揺して見せたこちらに対し、大草は楽しそうに笑い誤解を解く。

「その反応だったら問題なさそうね。心配しなくても本当にただお話をするだけだから」

 彼女の自宅は橋から徒歩十分ほどの場所にあった。新築の一戸建てで塀を超えた先には青々とした芝生と、フローリングのリビングが見えた。

「散らかってるけど、勘弁してね」

 そう言って大草が自宅のドアの鍵を開ける。中には白を基調とした清潔感のある空間が広がっていた。

「おじゃまします……」

 初対面の相手の自宅へ招かれたのは初めてのことであった新島が遠慮気味に入室すると背後から、

「そんな緊張しなくて良いのよ。まあ、とか言ってる私もまだ慣れてないんだけどね」

「慣れてない?」

「まだ住み始めて何か月も経ってないのよ。旦那がどうしてもってこの家を買ったんだけどね。もちろん、マイホームは夢だったけど」

 リビングには無駄なものがなく、綺麗に整理整頓されている。

「コーヒーで良いかしら?」

「あ、そんな……僕がやりますよ」

 やんわりと断られ義足の大草が入れるコーヒーを待っていると、テーブルの上に置かれた幸せそうな夫婦の写真が目に入った。一人は自分の背後で働いている女性、もう一人はおそらくその旦那であろうと新島があたりをつけていると、

「自分自身の意思ってものは一体、どこから来るのかしらね?」

 突如姿を現した彼女の、唐突な発言に意表を突かれた彼だったが、すぐに正気を取り戻して応える。

「やはり、心じゃないですかね」

「私も同意見。だけど、私たち人間って目に見えないものに頼り過ぎてるんじゃないかって思ったりもするのよ」

「えっと、例えるならば」

 そう聞き返すと、彼女はうーんと悩み込んだ素振りを見せ、

「こう言うと旦那に失礼な感じになっちゃうけど、愛だとか。心だとか、目に見えるもの見えないものとかで判断しようにも視界はあれど視界は見えないじゃない? 仮に五感が無いまま成長した人間がいるとしたらその人はどんな価値観を持っているのでしょうね」

「価値観そのものの脆弱さは言わずもがなですし、ソースが不明の情報やデマ、戦時中では意図的に国民を先導するプロパガンダなどがあります。自分の意思とは、その中の情報を自分なりに解釈した上に生まれるものなんじゃないですか?」

 でも、と彼女は否定の言葉を告げる。

「それだと個性というものが存在しないことになるんじゃないかしら。誰々の言ったことに一々(いちいち)従っていれば犯罪なんて起きないだろうし」

「理想的な世の中ではありますよね、それって」

 新島は少しだけ温くなったコーヒーに口をつける。苦い、しかし表情には出さず平静とした様子で相手の発言を聞く。

「嫌よそんなの。仮にそうなったら芸術というものが生まれなくなるじゃない。誰々のファンで誰々の真似をして書きました、なんてゴミみたいなものじゃないの。例えどんな素晴らしい作品でも作者である本人の魂が籠っていなければそんなものただの紙屑……」

 そこではっ、とした表情を彼女は見せ、

「ごめんなさい。つい熱くなってしまって」

 そうして見せた大草の笑みはとても眩しくて、新島の鼓動は僅かばかり早くなった。

「この子には……」

 彼女は、お腹に居るであろう我が子への思いを口にする。

「最高の人生を送って欲しいの。幸せで穏やかな人生を」

 幸せな人生、その言葉がどうしてか自分の胸に突き刺さる。

「幸せで誰からも嫌われないようにするにはどうすれば良いんでしょうか?」

 ふと、そんなことを口走っていた。応じる母親は微かに頬を緩め、

「誰からも嫌われない人生ってことは、誰からも愛されない人生でもあるの。人から嫌われることで幸せになるんじゃないかしら?」

「では、本当の幸福なんてものは存在しないのでしょうか?」

「じゃあ、逆に訊くけれど。あなたにとっての幸せって?」

 コーヒーを飲み干した彼女は艶やかな顔でそう尋ねてくる。

「結婚とか、お金持ちになるとか……」

 ぽつぽつと、そんな風なことを口にする新島もカップに手を伸ばす。

「それは社会一般から見た幸福よね、お金持ちでも精神的に寂しい人だって沢山いるわよ? 結婚だって性欲と言い換えてしまえば、動物にも持ちうる感情でしょ。あなたが、あなたとしての幸福って何? 社会という基準にも、動物的本能にも無い。あなただけが抱く幸せの形って」

 どこにも居ない自分、鏡の中の虚像でも、誰かが理想とする幸福とも違う。まだ誰も対面したことのない新島渡としての本質が導き出す幸せとは。それ以前に、

「なぜ、僕は幸せになろうと生きているのか」

 分からない。確かなのは、理由もなく死ぬということだ。

「死ぬことを終わりとすれば、納得をして死ぬのがもっとも幸せだ」

 その納得出来る死とは? 数珠繋ぎの様に思考が心の奥へと沈んでいく。心臓の鼓動を心で感じながら、新島は言った。

「誰かの為に、命を使うことこそが。幸せ……」

 丁度、親から子に注ぐ愛情のような。無償の愛、最高の自己犠牲。そこまで思い至った瞬間、

「よく出来ました」

 大草の手がこちらの頭をそっと撫でる。暖かくて、とても幸せな気分だった。

日が傾き、彼女の自宅を出た彼の頬の熱は冷めることはなく、夢見心地な気分で家路につこうとすると、それを遮るように白髪交じりの女性が声をかけてきた。

「あなた今、大草さん家から出てきたでしょ? 変なことされなかった?」

「……いや、全然。良い人でしたよ」

 白髪交じりの彼女はこちらを哀れむような視線を見せて、あることを告げてくる。

「あそこの奥さんね、一ヶ月くらい前事故にあってね。自分も足を切断する手術を受けた上に、旦那さんも帰らぬ人になってしまって。それからあの人、妄想の中で生きてるっていうか。頭がおかしくなっちゃったのよ」

 近所でも有名なのよ、と聞きたくもないことを付け足した彼女は力強くこちらの手を取り、言う。

「あんな人が同じ町に住んでるってだけで私、怖いのよ。あなた、本当に何もされてないの? 何か危害を加えたとなれば警察の人も動いてくれるだろうし。何かされたらすぐに言って頂戴ね!」

 足早に立ち去っていく女性の姿に目もくれることなく、新島は無言で自宅へ戻った。

 二階へ上がり、自室の明かりを点けると外出前の状態でそのまま放置されていた。

「気っ持ち悪いな、本当」

 (ひと)()ちにそう呟いた彼は、今朝から調子の悪かった無線LANを掴み上げると、思い切り床に叩き付け、それを破壊して、

「ははは……」

 新島は狂人の彼女のことを思い、笑ってみせた。


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