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 校舎を出ると、もう九月だというのに、その日差しに目が眩んだ。


 先週まで降り続いていた秋雨が、ここ数日は影をひそめ、路面にあった水たまりも、その痕跡を残してようやく姿を消した。代わりに、残暑による蒸し暑さが復活している。スクールバスの冷気に、汗が揮発する感覚をありがたく感じるのは、しばらく続きそうだ。


 茨木駅から、JR京都線の下りに乗り十分ほど。さらに、駅から徒歩で二十分のところに母校はあった。


「懐かしいな。卒業以来だよ」

「薄情ですね。二年も来てないなんて」

「一年半だって。それでも普通以上に頻度が高いと思うけど」


 校内に入り、中庭を歩いていると、花壇の雑草が目につき、思わず手が伸びた。


「また勝手に抜いて。怒られますよ」

「アカメガシワもアップルミントも、園芸家の天敵だ。何ら問題はない」


 草の匂いに染まった手のひらを嗅いでいると、涼葉はあきれたように首を振り、さっさと先へと進んだ。


 すれ違う生徒の何人かが、彼女を見て頭を下げる。まるで、悪の組織の顔役になった気分だ。


 待ち合わせ場所の、教員棟との渡り廊下に立っていたのは、黒髪にメガネの女子だった。いかにも規律正しそうな雰囲気の子だ。


 彼女は涼葉を見とがめると、相好を崩して、駆け寄ってきた。


「涼先輩。お久しぶりです」

「元気してた?綺里姉、紹介します。今の生徒会長の――」

「はじめまして。現生徒会長の滝井(たきい)です。涼先輩は、いっつも綺里先輩の話ばっかりしてますよ」

「こら、余計なこと言わない」

「どーせあーしの悪口でしょ」


 そう言うと、なぜか彼女は目を輝かせ、口元に手をやった。


「何だ、その反応は」

「いえいえ。伝説の生徒会長とお話できて、光栄です」

「伝説って。何をどう聞いたらそうなるんだよ」


 隣を見たが、涼葉は目を合わせることなく、平坦な口調で返事をした。


「うちたちと違って、先生相手にも、ため口でやり合ってましたよね。言いたい放題だったのに、卒業のときにはすっかり仲良くなって」

「仲が良かったわけじゃない。単に労使の関係だっただけで」


 昨今の教員は、授業の準備以外にも、家庭対応や資料整理、共用部分の清掃などの雑務で一杯だ。その一部を、良心的な対価で請け負っていたことで、他の生徒よりは多少距離が近かったのだと思う。


「一年の間でも有名でした。内職しかしない不良の生徒会長と、それを陰で必死に支えるお嬢様の副会長って」

「真面目そうな印象と違って、ずばずばとはっきり物を言うタイプのようだな」


 軽く嫌味を込めて言ったが、相手はきゃははと笑って受け流した。


 それから、三人で向かったのは、人もまばらな学食だった。


 自販機で四人分の飲み物を買い、席に着いて間もなく、一度姿を消した滝井が、ユニフォーム姿の痩せた男子を連れて戻ってきた。


「それで、話って何?」


 涼葉はすでに事情を知っているらしい。滝井が目配せをすると、彼が話を始めた。


「実は――ソフトテニス部が、廃部になるかもしれへんのです」


 ソフトテニスか。


 正直、その存在意義が今一つ理解できていない。それは軟式野球にも当てはまる。ボールの硬さが違うだけで、競技を分ける意味があるのだろうか。


 そんな疑問をかねて持っていたことと、久しぶりの母校で油断していたのだと思う。


「いい機会だから硬式テニス部に移ればいいじゃないか」


 思っていたことをそのまま口に出すと、テーブルの向こうの男子は下を向き、その隣にいた現生徒会長が、慌てた表情に変わった。


 直後に涼葉の腕が綺里に伸び、手の甲に痛みが走る。


「何でつねられたんだ」

「綺里姉が無神経だからです」


 どうやら、禁句を口にしてしまったらしい。


 理由を尋ねたが、涼葉と滝井が顔を見合わせただけで、言い淀んでいる。


 やがてソフテニの男子が顔を上げ、弱々しく口を開いた。


「誰もが江坂先輩みたいに輝いてるわけと違うんですよ」


 それから三人が代わる代わるに説明した内容を総合すると、軟式というのは、日陰者ということに同義なのだそうだ。硬式の部員とすれ違うときは、反射で目をそらしてしまうのだと。


 本流に行きたくても行けない人間が集う二軍、いや三軍。抑圧された空気が澱む暗闇。


「最初から硬式だけなら悩む必要もなかったんです。でも、一度背を向けた人間は、三年間、お天道様を見ることは許されへんのです。光と影を作った学校は、その深い罪を思い知るがええんや」


 そう叫んで、相談者の男子は立ち上がった。


 たかが部活の選択で、背教者のような深刻さだ。


「太陽は全員の上にあると思うんだけど……。まあいいから、とりあえず座って。話を戻そう。廃部になる理由を教えてくれないか」


 彼が腰を下ろすのを待って、今度は滝井がクリアファイルに入った書類を綺里の前に差し出した。


「ソフテニのコートをつぶそうとしてるんです」


 見ると校長名で発信された職員向けの書類のコピーのようだ。標題には、「太陽光発電システムの新規設置についての構想」とある。


「それ、職員会議で話し合われた資料を極秘裏に入手したんです」

「何だか一々大げさだな……」


 他府県の人間が聞けば、京阪神地域は首都圏と同じ都市部の印象があるかもしれないが、島本町のある大阪の北部の山沿いは、田畑の広がる田舎だ。大阪の中心から、わずか三十分という距離にもかかわらず、水がきれいすぎて、有名なサントリーの蒸留所があるほどに。


 綺里の母校はその中でもかなり不便な場所にあって、他校と差別化できるような学校の特色も何もない。


 在校中、生徒会長という立場で、教師たちと本音で話す機会が少なからずあったが、彼らによれば、生徒数は右肩下がり。何もしなければ、遠からず統廃合されるというのが多数の見解だった。


 太陽光発電は、そんな危機感を覚えた学校側の打開策らしい。


「最近流行りの環境を前面に打ち出せば、どうにかなるって。めっちゃ安易な発想やと思いせん?」


 そう言って滝井はテーブルを軽く叩いた。


 味方であるはずのソフテニの顧問に、抵抗を訴えてはみたが、理事会の方針に口出しはできないと、門前払いされたのだという。


「流行りがみんなダメだとは思わないけど。もし消費電力を再生可能エネルギーでまかなえるなら、それは結構な宣伝になると思う。ちなみに、あーしと涼は環境学部ってところに所属しているんだ」

「もちろん知ってます。最近、太陽光発電でレポート書いたことも。半分以上、涼先輩に手伝ってもらったそうですけど。それもあって、お二人に相談してるんですから」

「途中、不要な情報があったな」


 彼女は資料の二枚目をめくった。


「ソフテニのコートだけじゃなくて、隣接してる林の一部も造成するみたいなんです。専門家の先輩の目から見てどう思いますか?」

「パネル設置面積がだいたい百坪ってところか」


 携帯の電卓アプリを開いた。


 一年間の太陽光の発電量は、概算で、平米あたり100kwh程度だったはず。百坪なら一ヶ月に換算して、2750kwh。


「それって多いんですか?」

「たぶんだけど、一般的な学校なら、月の電力消費量の、ざっと二割くらいをまかなう感じかな」

「生徒たちの夢を奪い、豊かな環境を破壊までして、たった二割って。意味があるとは思えません」


 彼女はただ反論するためにそう言ったのだろうが、実際のところ、田舎ではありがちな失敗例の一つだと、以前に授業で習ったことがある。


 自然が最大の商品であることに、地元の人間は気づきにくい。都会の真似事をした結果、何者にもなれないまま衰退していく事例は、枚挙にいとまがないのだと。


「講義の受け売りだけど、公立の小中に限定しても、太陽光発電を導入している学校は確か半分近くある。土地のある田舎の高校で、環境意識が低いとか、思われたくないんだよ」


 東京にいた頃、小遣い稼ぎのため、庭師の祖父に同行して、客先に出向くことが少なからずあった。


 多くの依頼主は、植物を大事にするというより、ただ、見映えをよくしたいと考えていたように思う。通りに面した植栽には口うるさく、雑草は無条件に抜くよう、乱暴な指示を出すのだ。


 そんな彼らに、祖父は、都会では珍しくなったノアザミなど、在来種の大切さを説いては、なるべく残す努力をしていた。


 今思えば、環境学部を選んだのは、その頃に見聞きした経験が、影響しているのかもしれない。


「つまり、大人というのは、世間体や体面をやたら気にする生き物ってことだ」


 そういえば、明日、出向くことになっている会社も、元はそれが理由だったっけ。


 それからしばらく、全員が黙った。


 会ったときに比べて、高校生たち二人の熱量が冷めているのがわかる。


 大人たちからではなく、年の近い大学生に諭されたことで、多少は溜飲が下がったのだろうか。


 あるいは、無理は承知で、ただ、誰かに窮状を知ってほしかっただけなのかもしれない。


 解決への道筋がまるで見えない重苦しい空気。やがて男子が時計に目をやった。


「そろそろ部活に戻らんとあかんので。今日は話を聞いてもらってありがとうございました」


 あきらめたように頭を下げる姿に、悪いことをした気になった。何とかしてくれと、無茶を言われたほうが、気は楽だったかもしれない。


「あーしもちょっとトイレ」


 気まずさをリセットするため、席を立つ。


 学生にとっての後輩は、ほとんど身内のような存在だ。無償の手助けをしてやりたいが、交渉術でどうにかできるレベルにないことは確かだった。


 母校の評判を上げるための、代替策は何かないのか。


 一卒業生には大きすぎる難題に悩みながら戻ると、残っていた二人が、何やら華やいでいる様子が、廊下にまでもれ聞こえていた。


「目の前であーしを聞けてちょっと感動しました。在学中は雲の上の人でしたもん」

「綺里姉が前に住んでたのが東京の向島っていう、下町だったらしいんだけど。そこでの育ての親が、客商売をしていたらしいんだ。確かマリリンさん、だったかな。その人の影響を受けたみたい」

「そうなんですね。ちなみに、涼先輩はずっと関西やのに、何で標準語なんです?やっぱり綺里先輩を尊敬してるからとか?大学どころか学部まで一緒なんて、普通やないですよね」

「言葉は、まずはうちが正しい姿を示す必要があると思ってるから、かな。綺里姉のことはもちろん好きだけど、尊敬してるのとはちょっと違って――どっちかって言うと、意思疎通できるネコを飼ってる感覚に近いかも。観察してると色々発見があって飽きないから。もう、手放したくないっ、て感じ」

「あー。それ、何となくわかります。ぱっと見、不良少女っぽいのに童顔なのも惹かれますしね」

「そうそう。あんな感じなのに、意外に理系脳で、おまけに草木や環境に関心があるとかさ――」


 笑いながら入り口に顔を向けた彼女と視線が交差した。


「あ」

「あ、じゃないだろ。涼さあ、あーしのことをそんな風に思ってたのか。ちょっとショックだよ。あと、マリリンじゃなくて、マリンさんだから」

「そんな前から聞いてたんなら、声かけて下さいよ。あーびっくりした」


 東京暮らしを始めて一年した頃、祖母が他界した。もちろんそのことはとても悲しかったが、反面、さすがに母が戻ってくるのだと、ひそかに期待していた。ただ、そんな希望はすぐに打ち砕かれる。葬儀のために帰国した彼女は、二度目の子育て放棄を迷うことなく選択したのだ。


 それからは、祖父との二人暮しだ。


 うすうすは気づいていたが、昭和の親方気質の人間は、仕事のとき以外、ほぼすべての時間で、何の役にも立たなかった。


 床や廊下は、次第に足の踏み場がなくなり、風呂はカビによる前衛芸術作品と化していく。


 そのことは、すぐに近所でも噂になったようだ。


 家がゴミ屋敷という名称で呼ばれるかどうかの瀬戸際になった頃、見かねたのだろう、近くに住む年齢不詳の女性がやってきて、家事を手伝ってくれるようになった。


 周囲には、安価な飲み屋が多い地域。午前中は、下着同然の姿で家の周辺にいて、綺里が下校する頃に、着飾って活動を始める彼女に、それから八年、世話になった。


 言葉遣いやファッションの影響を受けなかったといえば嘘になるかもしれない。


「いまだにマリンさんの年齢も本名も知らないんだ」


 すでに遠い昔のことのようだと、懐かしんでいると、二人はいつからか、身を乗り出していた。


「今度、東京行きツアーを敢行しましょう。綺里先輩のルーツをたどる旅、です」


 滝井の中で、テニスコートの案件は、すでになかったことになっているようだった。


 すっかり元気になった彼女と別れたあと、涼葉と二人、挨拶のために職員室に顔を出すことにした。


 中に入るとすぐ、何人かの教師から声をかけられる。


「頼むから面倒事はやめてや」「給料日前やし、金はないからな」


 近くにいた二年のときの担任と目が合った。


「ソフテニのコート、つぶすって聞いたんですけど」

「何や、もう知ってるんか」


 彼は小さく笑って言葉を濁し、周囲からも、「あー……」という、どこかあきらめに似た斉唱が聞こえた。


「在校生らには申し訳ないと思うんやけどな」


 生徒数が年々少なくなる現状で、何かの売りが必要だという理事たちの意見に、逆らうだけの材料も持ち合わせていないのだという。


 彼らの本分は、経営ではないのだから、それも致し方ないのだと思う。


 校舎を出て、グラウンドへと向かう。テニスコートのそばで、相談に来ていた生徒が頭を下げた。


「学校の広さに対して、ここだけに太陽光パネルを設置しても、いかにも足りないって感じですよね」


 涼葉は冷ややかにそう言った。


 コートの向こうは、フェンスもなく、直接、小高い山へとつながっている。高校生の当時はただの田舎だとしか思っていなかったが、今見れば、その里山の雰囲気に、どこか懐かしさを感じる風景だ。自然が身近にある学校。価値はあるはずなのに――。


「あの子たちも、本気で解決したいって、期待してるわけじゃないんだと思います。何かの形で反対の意思表明をしていたいだけで」

「だったら、涼葉が来るだけで良かっただろ。何でわざわざあーしを連れて来たのさ」


 そのせいで少なからず、心が乱されてしまった。


「みんなから、綺里姉に会わせろってせがまれてるんですよ。人気者なんですから」

「人を小動物扱いするやつの言うことは信用できん」

「イヤだな、機嫌直して下さいよ。褒めたんですって。ネコはみんなに愛されてるじゃないですか」

「誰がネコだ」


 それが単なる愚痴だったとしても、相談されたことに対して軽い自尊心が起き、そしてそれに応えられない無力さを感じながら帰途につくことになった。



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