7-2
残ったのは、経企の二人と社長だけ。
桜井は顔を真っ赤にして、綺里を見る振りをしながら、実際にはその先が気になって仕方ない様子だ。
千林がしばらくそんな状況を見守っていたが、静かに口を開いた。
「どういうことや。説明してもらえるか」
会議の中で質疑は完了していたはずだ。となれば、その問いかけの対象はつまり――。
「桜井さんと三国さんの仲人のことです?」
「あ、あなたねっ――」
ようやく女のほうが声を発したが、直後に聞こえた厳しい口調によって、遮られた。
「そんなことと違う。いや、そんなことって、言い方が悪いな。そっちは、俺も前からそうやないかって思うてたし、やっとその気になったんなら、それは喜ばしいこっちゃ」
その言葉に、それまで気の毒なほどにうろたえていた当事者の片方が、聞こえるかどうかという程度の声を発した。
「その気って、社長……。江坂さんも、大人をからかうのにもほどがある。冗談で済まされへんことかてあるんやで」
「あーしは、完全に正気ですけど。何か間違っていたとでも?」
「間違いも何も、オレとそんな話、一回もしたことないやろ」
「話をそらさないでもらえます?三国さんと付き合うつもりはないんですか?」
背中で、もう一人の主役が息を止めた。
「そういう問題と違うて……。だいたい、結婚を前提とか、勝手に決めつけられても――」
「三十過ぎた者同士がこれから付き合うのに、それをまったく考慮しないこと、あるかな。涼、どう思う?」
そばで彼女の小さなため息が聞こえた。
「うちを巻き込まないで下さいよ――。でも、まあ、普通は、想定するでしょうね」
桜井は下を向き、膝の上でこぶしを握ってしばらく、何かを決意したように立ち上がった。
「お、オレは三国さんのことは、そ、尊敬してます。いつも目をかけてもらってるし――」
「はい、0点。全然ダメ」
綺里が椅子を後方に滑らすと、涼葉もそれにならった。
二人の男女が相まみえる。
いつもは凛々しいというよりは、憎らしい三国が、顔を赤くし、うつむいたままだ。中学生に戻っているのは誰の目にも明らかだった。
観衆の無言の圧力に耐えかねたのか、桜井が秋の虫のような小さな声で口を開いた。
「あの……オレなんかでいいんでしょうか……」
いったい誰に向かって、何の確認なのか。だが、返事はしかるべきところからあった。
「なんかって、卑下しすぎだと思う。侑希は頭はいいし、仕事にも無駄がない。苦労してるから他人にも優しくて――」
真っ赤な顔の彼女は、そこまで言って、口を閉ざした。
観劇を続けたかったが、千林が軽く机を叩いたことで、舞台は唐突に終わりを迎える。
「お互いの気持ちの確認ができたみたいやし、あとは業務時間後にしてくれ。それより、まだ質問の途中や。そっちのあんたに聞きたいことがあるんや」
「まだ何かあります?」
「副社長をどうやって籠絡したんか、教えてくれへんか」
「おっしゃる意味がわかりかねますが」
「小芝居はええから。普通に考えて、あの人がひと言も文句言わずに、あの会議が終わるはずないやろ」
その言葉が終わるのと同時に、涼葉が綺里の耳元に口を寄せた。
「籠絡は、この場合、説得とだいたい同じ意味です」
なるほど、そういうことか。それなら最初からそう言えばいいじゃないか。肩書きが大げさになるにつれ、小難しい単語を使いたがるのは、いかがなものか。
「ただ、良心に訴えただけです」
「ちょっと待って。それってつまり、この会議より前に会ったってこと?」
いつもの調子の七割くらいにまで戻った三国が、驚いたように顔を向けた。
周到な準備がいかに重要かは、生徒会長として職員会議に参加したことなどを通じて、痛感していた。
文化祭や体育祭での、生徒の希望のほとんどは大人たちの妨害で却下される。その場で、彼らが苦々しげに口にするのは、だいたい二種類に集約されるのだ。「これまで、一度もしたことない」と、「そんなの、聞いてない」だ。
前例至上主義は、自分たちの代で変革し、責任を負いたくないからなのだと、卒業の頃になって理解に至った。
あとの一つ、聞いてない、については、比較的簡単に解消することが可能だった。
言葉通り、事前に教えておけばいいのだ。
特にその発言をするのは、男女かかわらず、ベテランの人間に多い。のちに、それが根回しという名称だということを知ることになるが、何度か、それをするうちに、要領を得るようになった。
重要なのは、多くの人の前で告げるのではなく、一人だけのとき、秘密を打ち明けるように伝えること。どうやら相手は、それで自分だけが特別扱いされたと感じるらしい。
副社長にも、その技を使っただけだ。
この会議の三日前のこと。
事前に、取締役会の司会だった役員室の男性に電話をし、だいたいの予定を調べてあった。
仕事終わりで一人のときを狙って、声をかける。
綺里一人では、話も聞いてくれない可能性を考慮して、涼葉に同行を頼んでいたからか、奇襲は成功した。
喫茶店で、彼女を彼の正面に座らせる。若く美しい女の色香で思考力を奪い取る予定だった。
だが、本題に入ると、敵はそうそうに、しかも強い口調で提案を拒否してきた。
「アホ違うんか。お前が偉そうに取締役会で宣言したんやろうが。最後まで責任持って協賛先を探し出すんが筋やろ」
本来の目的である、会社の評判を取り戻すという点を強調したが、まるで取り合おうとはしない。
攻撃の第二弾で、かつ、ほとんど最後の手段が、ふるさと納税だった。
「副社長の優れた人脈をどうにか使わせてもらえませんか」
マリンさんからの教えだ。イヤな相手ほど持ち上げる。
ネット情報によれば、海外での日本産の柿の評価は高く、今後の輸出作物として期待されているらしい。先見の明があるだとか、今後の新たな販路になり得るなどと、持てる知識を総動員して褒めちぎったところ、帰る頃には、ほとんど反論がなくなっていのだ。
「富田さんへの主な説得材料はそんな感じです」
経緯を説明したにもかかわらず、千林はどこか納得のいかない表情だ。
「その程度で、ようあの人を黙らせたな。ほんまにそれだけか?やばいこと、してないやろうな」
「やばいこと?」
再び、涼葉が耳元でささやいた内容にぎょっとした。
なるほど、中年男性はそんなファンタジーを思い浮かべるものか。つまり、このまま隠しておけば、そんな噂が広まる可能性があるということだ。
「わかりました。正直に言います。あと一つだけ、技を使いました。って言っても、今、社長が想像しているのとは違いますけど」
「副社長を翻意させるような技?何や。めっちゃ興味あるわ。それ、俺も使えるか?」
「簡単です。ただ土下座しただけなんで」
千林があっけにとられたように目を見開き、桜井が息を飲んだ。涼葉が下を向いて大きく息を吐き、最後に三国が立ち上がり、激昂した。
「あなた、喫茶店で土下座したのっ?それ、本当?!何、考えてるのよっ!そんなことしたら、女がなめられるでしょっ!」
土下座に性別は無関係ではないか。そう反論をしようとしたが、怒った彼女と正攻法の議論で勝てる気がしない。であれば――。
「三国さんが以前話してた、成功体験の一環なんだけど」
その単語が桜井を連想させるはずだ。そして、予想通り、相手の口調が弱まった。
「何よ、それ。どういう意味?」
元々は、マリンさんの職場で働いていた黒服が、猛り狂う客を凪のように鎮めるために使う秘奥義として、彼女から伝授された手法だった。
三年の文化祭。それまで禁止されていたお化け屋敷を認めさせるために、それを使ったのだ。
あのとき、絶対に許さないと鼻息荒かった理事長の目前で土下座したところ、一転して許可された。効果は絶大だった。
そして、今回もしかり。
「あんた、まだ十代やろ。そんなことしてたらあかんのと違うか」
「そうよ。結果と引き換えに尊厳を失ってると思う」
さすがにそんなことは理解している。得る対価を計算した上での行動だ。
生徒会のとき、うしろにいたのは全校生徒。そして今回もそう。
「あんた、思うてたよりは根性あるんやな」
そう言って千林が席を立った。
どうやら、これまでの綺里の主張がようやく認められたらしい。
であれば、あと一つ、どうしても勝ち取らなくてはならない要求があった。
「社長。最後に一つだけいいですか。エサやりのための人が必要なんです」
「ああ、そんなこと言うてたっけ。まあ、期間限定のバイトくらいやったら、適正な時給の範囲内で問題ないと思うけど」
「――社員として雇用したいんですけど、ダメですか?」
「常識で考えてわかるやろ、それくらい」
ここにきておそらく初めてだ。彼らと常識の尺度が一致したのは。イモムシの給餌役を正規雇用するのは難しい。
背景にあるのは、純粋に心情的な理由だけだ。
「そこを何とかなりませんか」
「家電量販店でエアコンでも買うてるつもりか?説得力のある理由がなければ不可能や」
「大学卒業後の新卒枠を一人分確保、とかでは?長めのインターンってことで」
「誰か具体的な人物像があるみたいな言い方やな。もしかしてあんたか?」
「いえ、あーしじゃなくて。いや、待てよ。確かにそれもあり得なくもないかな――」
「ダメに決まってるでしょ」「嫌ですよ、綺里姉」
なぜか女二人から即座に拒絶された。
「とりあえず、会って話を聞くだけでも――」
「そういうのは人事の仕事や。桜井、お前の責任で、そのへん、進めてんか」
無情にも、最高決定権者はその言葉を最後に部屋をあとにした。
仕方ない。すべてをなし得ることはできなかったが、半歩前に進めたことに、ひとまずは満足することにしよう。




