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7-1

 臨時役員会の日。


 授業のあと、涼葉を引き連れ淀屋橋へと向かった。


 途中、梅田での乗り換えのとき、彼女は一度、足を止めた。


「うちが一緒に行く必要、ホントにあるんですか?」


 いつもなら、率先して前を歩く場面だというのに、あまり聞いたことのない不安そうな声調だった。だが、それも当然か。聞いたことのない会社の、偉い人ばかりの会議に、無関係な立場で出席するのだ。


「前のときは一緒に来てくれたじゃないか」

「だからですよ。またあの偉そうな人と顔を合わせるの、イヤって言うか、気まずいなって」

「とりあえず、あーしの勇姿を見てるだけでいいから」


 それは軽い強がりだった。


 同席を頼んだのは、今回の計画を補佐し、資料の作成まで手伝ってくれたから、ということもあるが、それよりも、大人社会の常識が渦巻く閉鎖空間で、圧倒的な味方が、一人でも多くほしかった、という理由が大きい。


 受け付けを済ませ、一人分のゲストカードを受け取る。


 三国に作ってもらったばかりの、顔写真付きのIDカードを綺里が首からぶら下げるのを見て、涼葉はあきれたようにため息をついた。


「そんなところで自慢されても」


 役員会議室は二度目だ。


 二十分前に着いたにもかかわらず、すでに二人が準備をしていた。


 すなわち、経営企画室の男女だ。


「へえ。珍しく早いじゃない」

「時間ぴったりに来たの、最初だけなのに。そのあとは全部五分以上前に着いてるはずです」

「そういうの、一生言われるって覚悟しておいたほうがいいわよ」


 そう言った三国は覚悟を決めているように見えたが、隣にいた桜井は顔が真っ青だ。


「何でオレが司会なんです?先輩一人いたら充分やないですか」

「もう観念しないさいよ」


 経企の人間が二人いることは異例だそうだが、結果として、味方が増えたことはありがたい。


「あーしがついてますから。大船に乗ったつもりで気楽に行きましょう」

「どこがよ。わたしには、全員が溺れてる画しか浮かばないわ」


 観念したかのようにそう言って、彼女は綺里の同行者に、冷ややかな目を向けた。部外者がいる理由を、もはや尋ねる気力もないようだ。


 その涼葉は、何も言わずに、バッグから取り出したノートPCをプロジェクターに接続し、画面の調整を始める。


 端から順に、司会役の桜井、綺里、涼葉、そして三国で、四席を陣取った。


 このあと、たった一時間先の未来がまるで予測できない。


 定刻の五分前になり、副社長の一派の役員が現れ、そこから立て続けに出席者が入室してきた。全員が最初に綺里を、続けてその隣の涼葉を怪訝そうに見つめる。


 開始時刻ぴったりに社長の千林が、それから数分遅れ、最後に副社長の富田が現れた。


 彼はじろりと室内を見回し、予想通り涼葉のところで目を止め、眉をひそめたが、何も言わずに社長の隣に乱暴に座った。


 三国が不安そうな表情を綺里に向けている。


 全員が揃ったというのに、桜井から発言をする気配がない。司会の緊張を察したのだろう、千林が軽く身を乗り出した。


「今日はいったい何が始まるんや。社外取締役の提言があるってことだけしか聞いてへんのやけどな。全然知らん人もいるみたいやし」


 隣で涼葉の背筋が伸びた。


「最初に、あーしの補佐を紹介します。同じ大学で、環境学部の相川です」


 綺里が席を立つと、少し遅れて彼女も続き、軽く頭を下げた。


「立派になったもんや。いつの間に部下が増えてんねん」


 社長は軽口こそ多いが、本気で嫌味を言っているわけではない、と信じたい。


 副社長は不機嫌そうではあるが、無言のままだ。彼の家臣たちは大将の顔色をただ窺っている。


 綺里たちが座ると、代わって、桜井が慌てたように立ち上がった。


「えっ……と、それでは、臨時役員会を始めたいと思います。議題はスポーツ協賛の……アップグレードについて。提案者は、社外取締役の江坂さん、と、あとはその、経営企画室の桜井……です」


 外部の人間から持ち込まれた企画では、この会議も、このあとの進行も、円滑に進まない可能性が高いのだと、三国が桜井を強引に説得した結果だ。


 大人の二人が味方になってくれたから、というわけでもなかったが、緊張はほとんどしていなかった。いや、多少はしていただろうが、あがって、話すこともままならないような事態には、これまで、どんな状況でも陥ったことがない。


「本日はお忙しいところ、ご参集いただき、ありがとうございます」


 副社長を直接見るのはさすがに怖い。社長に向かって話すことにした。


「スポンサー先が見つかった、ってわけやなさそうやな」

「それよりもっと、会社の利益になりそうな方策が見つかったもので。発展的解消を提案したいと思います」


 二つ隣の席、机の上の三国のこぶしが軽く握られるのが見えた。


「今回、スポーツ協賛は会社の社会的評判を回復することが目的だったと、そう理解していますが、正しいですよね?」

「ああ、間違いないで」

「定例の取締役会のときにも言ったと思いますが、中之島トレーディングは、女性の役員比率を含め、昨今の企業に求められるESGや、あるいはSDGsが決定的に不足していると、あーしは考えています」


 前回、そのことを話題にしたとき、やたら批判的な空気になったが、これが二度目だからか、誰からも敵愾心を感じられない。


 なるほど、何かを他人に認めさせるには、同じ説明を繰り返し何度も聞かせることで、抵抗感を麻痺させる、というのも一つの手段なのかもしれない。


「スポーツ協賛のために準備された予算は五百万円ですが、深く検討した結果、同じ金額を出すのであれば、より効果的に会社の印象を上げる方法があるという結論に達しました」

「ほう。興味深いやないか。聞こうか」


 千林が肘をテーブルに置いた。どうやら掴みは成功したらしい。


「今回、提案するのは、絶滅危惧種の保護です」


 涼葉がPCを操作すると、前のスクリーンにオナガアゲハが映し出された。


 それから、提案の概要を説明した。


 地元の山椒農家と協業し、クラフトビールを会社のECサイトで販売する。間伐や剪定で出た葉を使い、レッドリストのアゲハを繁殖させる、という計画だ。


「聞きたいことが山ほどあるんやけど」


 一通りの説明を終えるのを待ちかねたように、社長は早口でそう言った。


「そのビールの生産者はどういう人なんや」


 涼葉がPCを操作し、村野の会社のホームページを表示させた。


 あまり金をかけていないのが明らかな、簡素な作り。ただ、そんな現状が、今回に限っては負の要素にならない。販売環境を整え、広告を打てば、売り上げが伸びる余地があるという、前向きな説得材料になるはずだ。


「まともなデザイナー入れて、購入者に飼育環境をウエブで鑑賞させるようにするのはええわ。うちは仮にもITを主たる事業にしている会社やからな。そやけど、肝心のチョウチョはどこで育てるんや。まさか社内で、とか言うんと違うやろな」

「大阪理科大学の協力を得る予定です」

「え……。ウソやろ。国立やで。あんたみたいな人間にそんなコネあるんか」


 有名大学かどうか、名の知れた研究者かどうか、そんなことは無関係だ。ただ、恋に目覚めた高校生男子の父親に知り合いがいるだけだ。


 清水の父は、箕面の山中に、他の希少種の昆虫を育てるための広大な環境をすでに確保しており、場所はいくらでも貸してくれるという。


「ただ、餌やりの問題と、カメラの設置についてはあーしのほうで解決する必要があります」

「あーしのほうでって、それってつまり、うちの会社でどうにかしろっていうのと違うんか」

「飼育環境観察サイトについては、桜井さんに相談したんです」


 この計画を始動するのにかかる経費を試算してもらった結果、サイトの構築にせいぜい百万円程度ということだ。


 会議が始まり、おそらくは油断していたのだろう、名前を呼ばれるのと同時に、彼は背筋を伸ばし、社長に向かって二度頷いた。


「ほな、餌やりは?理科大の人は、する余裕がないって、つまりそういうことやろ?」

「仰る通りです。予算の残額は四百万円。加えて、元々のスポンサー案では支出しかなかったけど、今回、ビールを自社サイト経由で販売するので、手数料収入も見込めます。なので、社員を一人、増やそうかと」

「待て待て。勝手に雇用するな。チョウチョに葉っぱを食わせるだけのために、人件費を払う会社がどこにあるねん」

「時給はアルバイト並みで大丈夫なんで。ただ、名目上、社員にするだけで――」

「いや、法的にだいぶ違うやろ。福利厚生とか雇用期間とか」

「雇用期間は長くなくていいんですけど」


 そう言うと、テーブルの向こう側から、鼻で笑うような声が複数聞こえた。


「話がかみ合うてないみたいやな。まあ、ええわ。それより、もっと大事なことがある」

「何でしょう」

「宣伝や。方向性はええとして、そういうのを広く知らしめるのはどうするつもりやねん。それが本来の目的やろ」


 元々、わずか五百万円でマイナー競技に協賛する予定だった。おそらく、そんな活動は世間に知られることなどほとんどなかったはずだ。それと比較しても、今回の提案は批判されるには当たらない。


 などという、的を射た反論は、今は封印するときだ。特に年を重ねた大人は、自分の間違いを指摘されることが大の苦手なのだ。


「地道に口コミネットワークを使う予定です」


 生徒会時代、全校生徒の、特に女子たちのSNS発信で、文化祭の来客数減少に歯止めをかけた経験がある。


 涼葉の女子の知人は、当時とは比べ物にならないほどに増えている。フォロワーの数も、合計すればそれなりになるはずだ。インフルエンサーとまでは呼べなくとも、地方限定であればそれなりの影響力を期待できるのではないか。


 そのことを伝えると、まさにネットで評判が落ちた経験をしたばかりということもあったのだろう、彼は口を閉ざした。


 だが、本心から納得できていないらしい。どうにか反論しようという意志が、表情から垣間見える。


 仕方ない。残る切り札は一つ。


 きっと今が使い時だ。


「もし順調に販売が伸びれば、ふるさと納税の返礼品に、このビールを推薦してもらう予定です」


 千林と三国が驚いたように綺里を見て、すぐに二人の顔が副社長に移動した。


 注目を集めた当人は、ずっと無言で、今も不機嫌そうだ。


 だが、何か言わなければ、議論が先に進まないことを察したのか、やがて口を尖らせ、こう言った。


「皮算用くらい、好きにしたらええやろ」


 激しく罵倒する言葉を予測していたのだろう、声にこそ出さなかったが、「ええっ」と全員の口が動くのが見えた。


 観衆の目が綺里へと戻る。社長も驚きを隠せていない。この機を逃してはならないことを肌で感じた。


「賛同ありがとうございます。それでは、他に意見とか質問がないみたいなんで――。桜井さん」


 目で訴えると、彼は慌てたように立ち上がった。


「えー……と。では、最後に採決させていただきたいと思います。前回に発議したスポーツへの協賛は、本日をもって、アゲハビールの販売へと方針転換することになりました。異議のある方は、挙手をお願いいたします」


 再び全員の目が一人に集まり、だが、その男はまるで動く気配を見せないまま、議案は可決された。


「ちょっと待て。ほんまに決まったんか?どうも騙されてる気がするのは俺だけか?」


 千林が珍しく動揺を見せながら、隣の席に目をやった。


 おそらくは、賛成か反対かを、はっきりと口にしてほしいと願っていたのだろう。だが、相変わらず不満そうな副社長は、おそらくはそれに気づいた上で、何も語らず席を立ち、入り口に向かって歩き出した。それを見た彼の一派が、慌てて椅子を引く。このまま出て行ってもいいのだろうか、という表情で互いに顔を見合わせながら。


「あ、そうだ。あと一つ、連絡事項があるんです」


 副社長一行が足を止めた。


 味方の三人も、怪訝そうにする。


 誰にも話していないのだから当然だろう。


「経営企画室の三国さんと桜井さんが、結婚を前提にお付き合いされることになりました」


 真隣で男のほうがペンを床に落とし、二つ右から、キャスター付きの椅子が机に激しくぶつかる音がした。


 涼葉はしばらくあきれたように、動きを止めていたが、やがて無表情のままPCからケーブルを抜き、正面が真っ白な光だけになった。


 副社長は、鼻から息を出した以外は何の反応も見せず、そのまま部下を引き連れ姿を消した。


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