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6-2

 翌日。


 あの後二人がどうなったのか、もちろんそれは気にはなったが、前夜の思いつきをどう形にすればいいのか、そちらのほうが喫緊の課題だった。


 村野を助けることと、社外取締役の任務を同時に遂行する。


 もっとも、仮にそんなことが実現可能だとしても、綺里一人でなし得ることは到底不可能で、人の手を借り、あるいは誰かを説得するためのプレゼンのような作業も必要になるに違いない。


 授業のあと、校内のカフェテリアではなく、駅前の、いつもは素通りする少し高級なカフェに涼葉を誘ったのは、そんな目的遂行のための第一段階だった。


「気味が悪いですね。綺里姉からおごると言われたのは初めてな気がします」

「いやいや。生徒会時代に、二度、自販機のジュースを買ってあげたはずだよ」


 彼女は目を閉じ、軽く息をはいた。


「もういいです。それで相談って?会社と村野さん。どっちの件ですか」

「最終的には、両方なんだけど。先に村野さんのほう、聞いてくれるかな」


 ビールの販売の改善方法について、思いつきをそのままぶつけてみた。


 すなわち、ビールの価格やデザインを変更し、それを中之島トレーディングのECサイトで販売するという展開だ。


「アゲハビールですか。確かに、チョウチョのロゴ付きなのは可愛いかも。でも、会社で売るって、可能なんですか?」

「そっちはまだこれから」


 あとは価格だ。母と三国は値上げを提案していたが、他の競合商品と比較して高くなる分、やはりそこには何かしらの理由が必要になる。


「つまり付加価値ですよね」

「一つ考えてるのは、飼育セットをおまけに付けること、なんだけど」


 山椒の葉にはアゲハの幼虫がつく。普通はそれを駆除して終わりだが、それを利用する。


「ビールを買った客に、剪定した葉と幼虫をセットにしてプレゼントするんだ。殺すはずだったアゲハの羽化を間近で観察できて、子供は大喜びだ。まさにSDGsだろ?」

「気持ち悪い。馬鹿じゃないんですか」


 涼葉は、バッタを食べたときのように、顔をしかめた。


「ビールを買ったら、箱が一緒に付いてきて、開けたらイモムシがいるってことですよね。うちなら、箱ごとガスコンロで燃やします」

「涼の家のキッチンはIHだったろ……」

「だいたい、商品はビールですよ?買うのは酔っ払いなんですから、そんなもの、もらってうれしいはずないじゃないですか」

「あーしなら、結構盛り上がるけどなあ」

「それに、購入者が都会の人だったらどうするんです?羽化したチョウチョは、周りに餌がなくて、すぐ死んじゃったりしませんか?」


 予想していなかった正論だった。返事に困る。


「だったら、第二案。アゲハのコースターはどうだろう。可愛いし、飲みながら話題になったりしないかな」


 だが彼女の表情に、賛同の意が見えない。


「最初のに比べて、発想が小粒すぎません?それに、酔っ払いは、グラスの下にある紙切れになんて、意識が及ばないですよ」

「さっきから酔っ払いを下に見すぎだと思うが……」

「もう少しましなアイデア、ないんですか?」

「あと一つあるんだ。でも、ちょっと大がかりだし、実現方法がまるでわかんない」

「聞くだけ聞きます」


 まだ構想の段階だった。


 以前、清水が話していた父の仕事内容から着想を得たものだ。


 必要になりそうな項目を、思いついた順に口にしていると、途中から彼女は携帯を手にして、メモを取り出した。


「どうだろうか」


 横槍が入らないまま、最後まで話し終える。


「どうって、うちにだってわかりません。とりあえず、今の内容を整理すると――」


 基本は第一案と同じ、剪定した葉を使って、アゲハを育てる。


 異なるのは、幼虫を育てる場所だ。


 村野の山林から遠くないどこかに、飼育環境を確保し、イモムシの生育を定点カメラで観察するのだ。


 ビールの購入者は、ラベル添付の二次元コードで、そのサイトが閲覧できる。


 購入本数が一定数を超えると、個体に名付けできる権利を獲得でき、さらに増えると、現地のバックヤードツアーに参加できる。


「気になっているのは、観察対象が、普通のアゲハでいいかどうか、なんだ。何か珍しいのがいいんだけど」

「ひとまず、各方面に聞いて回ったらどうですか。確かめるだけならお金はかからないですし、できなくても、今なら恥をかいて終わりです」


 ほとんど毎日一緒にいる間柄だ。その口調は、前の二つの提案のときとは違い、少なくとも馬鹿にしていないことだけはわかった。


「確認対象は、会社と当事者の村野さん。あとは静の彼氏のお父さん、ですかね。どれも難しそうですけど、最後が一番ハードルが高い気がします」


 彼女は画面を見ながらそう言った。


「清水か――。わかった。貯金を下ろそう」

「何ですか、それ」


 情けは人のためならず、だ。


 滝井にしてやったことは、あのときはまるで見返りなど考えていなかったが、今、この企画の実現可能性を高めるために必要なのだとしたら、使わない手はない。


「二人の恋愛感情を利用する。善は急げだ。これから一緒に行ってくれるよな」

「相変わらず思いつきで行動して」


 などと軽い文句を言われつつも、同意されるのだと、疑っていなかった。


 それなのに――彼女はわずかに顔をそむけた。


「今日はちょっと人と会う予定があって……無理なんですよね」


 涼葉と出会って以降、初めて感じる微妙な空気感だった。


 いつも冷静で、誰に対しても寛大な人間だ。光ファイバー並みに円滑なコミュニケーション能力を有し、人間関係のトラブルは皆無のはず。


「まさかとは思うけど、相手は男?」


 否定されることを願って尋ねたにもかかわらず、彼女はそれには返事をせず、顔を窓に向けた。


 住宅街の中のカフェ。外に見えるのは平凡な生活道路で、鑑賞が目的でないことだけは確かだ。


「つまり……。どういう状況だ」


 言葉がいつものように出てこない。それは相手にも伝わったのだろう、目線を落とした。


「こういうときこそ、冗談の一つでも言ってほしいのに。綺里姉もまだまだですね」


 その言動に、この重苦しい雰囲気の責任が、綺里の側にあるような気になる。


「涼はあーしの予定を全部把握してるのに、こっちは涼のことをよく知らないっていうのは不公平じゃないか」


 怒った振りをしてそう言うと、彼女は口元をわずかに緩めた。


「高校のときから足かけ三年以上。ようやくうちに関心を持つようになった点は評価してあげます」


 軽口を言う声調だったが、思いつめたような表情は、そのままだ。


「あまり考えたくはないんだが――恋愛関係の悩みってことか」


 今度はのどが完全に絞まり、驚くほど声がかすれてしまった。


 そして、涼葉は無言で、小さく首を振った。


「そこまでじゃないんですけど――。ちょっと困ってはいます」


 相手にそのつもりがあったのかどうか、結果として、綺里の心を大きくかき乱したのち、彼女は経緯を語り始めた。


「付き合ってほしいって、言われたんですよね」


 相手は二つ年上の、高校のとき、軽音楽部に所属していた男子だそうだ。一年の文化祭で知り合ったあと、何度かそれらしい態度を見せていたようだが、そのまま卒業を迎え、その後しばらくは疎遠になっていた。


「今年に入って、すごく久しぶりに連絡があったんです。プロデビューしたんだって」


 誘われたライブはバレンタインデーの前日だった。チケットをもらった手前、手ぶらというわけにもいかない。演奏のあと、控え室前で、さほど高くないチョコレートを義理で渡したつもりが、相手はそうは思わなかったらしい。その場で唐突に告白されてしまった。涼葉にはまるでその気がなく、大学受験を言い訳に、そのときは、どうにか先延ばしにしたそうだ。


「好きじゃないなら、はっきり断れば良かったのに。それとも未練があるとか?」

「いえ、それは全然。ちょっと粗野というか、繊細さに欠けた人で、まるでタイプじゃないんです」


 なるほどと頷いてはいたが、彼女の恋愛感を聞いたのが、初めてだったことに気づき、内心では愕然としていた。


 だが、その直後に続けられた発言で、そんな驚きすら些事に変わる。


「明言を避けたのは――その、嫌われるのがイヤだったからです」

「え。今、何て?」


 聞き間違いでなければ――相手からは好かれた状態のまま、関係を断ち切りたい、とそんな傲慢な要望だったような。


 頬を朱にしたところを見ると、それが身勝手な言い分だという自覚はあるらしい。


「意外に独善的なんだな。正直、驚いた」

「誰だって、人からは好かれたいと思いますよね」

「いやいや。こと恋愛に関しては、それを当てはめちゃダメだろう」


 八方美人か?


 いや、そんな生ぬるい感性ではないな。男からの好意を、見返りを与えず、維持し続けようということだ。


「前にあーしのことをタカりだとか揶揄していたけど……。涼のほうがよほど人でなしじゃないか」


 そう口にしながら、ある意味、若くして完成体だと、畏敬の念で見ていた相手の、予想外の弱点を知り、心のどこかでほっとしていた。


「それで、これからいったい何があるんだよ」

「今日まで、どうにかメッセージのやり取りでごまかしてはいたんですけど、またライブに来てほしいって言われて。さすがに半年に一回くらいは、顔を見せないと気まずいじゃないですか」

「一つ聞いていいか。好きでもない相手と連絡を取り合うことに、抵抗はないのか」

「時候の挨拶とか、適当な定型文を組み合わせればどうにかなります。心をこめてるわけでもないですから。それに、その程度の労力を惜しんでたら、友達が一人もいなくなりますよ」


 なるほど、定型文か――。


 人生観の違いだな。


「あーしだったら、少なくとも、二度と誘われない程度には突き放すけどな」

「円満にそれができるなら、うちだってそうしたいです」

「涼が望むなら、手助けしてやってもいいけど」

「ええっ。そんなこと、できるんですかっ?!」


 過去、ずっと世話になっている妹分だ。おそらく初めて本気で頼りにされた今、全力を出さない理由はなかった。



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