6-1
次の週、経営企画室の二人と、業務時間後に会う約束を取り付けた。
もう辞めるつもりだから、送別会を開いてほしいと伝えると、快諾されたのだ。
一人で行くつもりだったが、一応の確認を取ると、何も言わずに目付役がついてきた。
「綺里姉の外見に文句を言った女も来るんですよね。ひと言反撃しないと、気が収まりません」
「待って待って。一応、村野さんの手助けが主たる目的だから、そこんとこ、忘れないで」
提携している居酒屋があるのは箕面駅のそばらしい。
改札を出て、村野から教えられた場所を地図で確認していたとき、突然涼葉に腕をぐいと引かれた。
「どうかした?」
顔を上げると、彼女は歩道に小さく指を向けた。
視線の先にいたのは、制服の異なる高校生の男女だ。
駅前のロータリー。植栽のそばのガードレールに腰かけ、控えめに表現しても、二人はいちゃついていた。
「へえ。あーしの言ったことちゃんと守って、メガネしてるみたいだね。化粧もしてないし、いい子だ」
「今日のこと、うち、聞いてないですけど。しかも、自分たちの沿線じゃなくて、阪急の支線をデート場所に選ぶとか」
「それ、怒るとこ?単に、友達に見られたくないんだよ。可愛いじゃない」
涼葉は足を忍ばせながら前へと進み、恋人たちの声が聞こえるあたりで立ち止まった。
「綺麗な花やね」
そう言った滝井の目線の先にあったのは、セイタカアワダチソウだ。要注意外来生物に指定されていて、雑草の中でもかなり繁殖力が強いだけでなく、周辺の植物の成長を阻害する。黄色の花は、お世辞にも美しいとは言えない。
「あれは何ていうチョウチョ?」
「モンシロチョウや」
いや、それくらいわかるだろ。
「すごい。物知りやね。さすがお父さんが大学教授だけのことはあるわ」
清水を見つめる滝井の目には、はっきりとハートマークが浮かんでいた。
「涼。このまま鑑賞を続ける気?」
「ああ、そうでしたね」
事務的にそう言って、さっさと歩き出し、彼らの間にぐいと割って入る。二人は、仰天した表情で彼女を見上げた。
「生徒会長が揃って、どういうことかな」
「涼先輩。何でこんなところに……」
「隠れて悪いことしようとしても無駄よ」
「隠れてって……。あたしら、別にそんな……」
滝井の頬が耳まで真っ赤になる。清水は慌てて立ち上がり、一歩離れた。
「今日は買い物頼まれてただけで。その、おやじの研究施設がこの先にあるから……」
どうやら、父親の職場の最寄り駅らしい。よほどあせっていたのだろう、聞いてもいない希少種保護について、早口に説明を始め、その横で滝井が大仰に相づちを打った。
涼葉は冷ややかな目で、しばらくその様子を見ていたが、やがて時計に目をやる。
「もういいわ。うちたちも予定あるから、今日は許してあげる」
誰目線だ。
二人が逃げるように駅の中へと消える姿を見送り、改めて、商店街へと向かった。
居酒屋に入るのは生まれて初めてだ。予想していたよりは小綺麗だった。
中には常連客とおぼしき年配の男性が数人。若い女の客が珍しいのか、一歩足を踏み入れると、全員の目が一斉に集まる。
中年の店主は、涼葉を見て、あからさまにはしゃいだ様子を見せ、おそらくは店で一番いい四人席に案内してくれた。
「飲み物はどうしますか?」
そう言いながら、おしぼりと、頼んでもいない小鉢をテーブルに置いた。
「あー……。えっと、アルコールの入ってないやつと、山椒のビールを――」
「待ち合わせなので、あとの二人が来たらまたお願いします」
言い淀む綺里の隣で、後輩が毅然とした態度で答えた。
「慣れてるみたいだけど。まさか、よく来てるとか」
「友達とかに誘われることもありますし」
「まだ未成年だろ。いや、あーしもだけどさ」
表情には出していなかったはずだが、綺里の知らないところで、そんな交友関係があったのかと、なぜか胸がざわついた。
メニューを見ながら、出された小鉢が、お通しという名称であることの説明を涼葉から受けて間もなく、ガラガラと入り口の扉が開いた。
最初に桜井が、続いて三国が姿を見せる。彼女は怪訝そうに店内を見回したあと、綺里たちの席に近づいてきたかと思うと、涼葉を鑑定するようにじっと見つめ、怒ったように席についた。
「あなたには、働いている人を優先するって、思いやりがないわけ?何でわざわざこんなところまで来させるかな。梅田に何千軒もあるのにさ」
席に着くや、流れるように不平を口にし、それを聞いた涼葉から息を吸う音がした。
「事情があるんです。あとで説明しますから。すみませーん」
爆発寸前の後輩を、体でさえぎるようにしながら、店主を呼んだ。
「ノンアルコールビールと、山椒ビールを二つずつ。食べ物は……とりあえず、この上段の列を全部で」
注文を終えると、横と前から同時に非難を浴びた。
「綺里姉。料理の頼み方が雑すぎます」「山椒ビールって何?そんな攻めたビール、一杯目から飲みたくないんですけど」
大丈夫だ。マリンさんはもっと、うっとうしい客を相手にしていたはずだ。
グラスが揃い、おそらく史上最悪レベルに気まずい乾杯をする。
「ええ感じの店やな。江坂さんの行きつけか?」
一杯目を満足そうに飲み干した桜井は、ビール瓶を手にした。
「こちらをごさんしょうくださいって……。ああ、ダジャレか」
「それ、味のほうはどうですか?」
「何よ、それ。自分たちが飲んだことのないものを、人に押し付けたの?」
押し付けるって。せめて勧めた、ではないか。これほど否定的な単語を自在に使いこなせるとは、相当な才覚だ。
文句を言いたくて仕方ないのだろう、涼葉が隣の席で口をはさむ時機を窺っているのが、はっきり感じ取れる。
だが、この二人の言い争いになっては、収拾できる気がしない。そもそも、今日は三国をおだてて、味方につけることが目的なのだ。
テーブルの下で涼葉の手を握り、正面に作り笑顔を向けた。
「実は、知り合いが作ってるクラフトビールなんです。でも、全然売れてないらしくて。あーしたちは未成年でお酒飲めないし、営業とかも経験ないから。それで社会人の先輩である、お二人の意見を聞きたくて」
マリンさんを頭に思い浮かべながら、綺里にできる最大級のお世辞を言ったつもりだった。
「そこまで言うなら仕方ないわね」
おそらくはそんな返事があるのだと疑っていなかった。
だが、三国は一秒の間もおかずにこう言った。
「何、それ。あなたが辞めるっていうから、わざわざこんなところまでやってきたのに。もしかして、それが本当の要件なの?だったら、ビールを持って、そっちが会社に来れば良かったんじゃない。おっそろしく無駄足踏まされたわ」
そして、同じく二秒と経たず、掴んでいた手が解かれ、隣で人が立ち上がった。そのあまりの勢いに、風圧を顔に感じたほどだ。
「綺里姉。もう帰りましょうよ。こんな人たちに助けを求めるくらいなら、うちが親に頼んでどうにかしますから」
「涼の親って、歯医者さんじゃん……」
「人たちって、オレも入ってるのか」
しばらく彼女を見上げていた三国が、満を持して口を開いた。
「あーホント、学生ってバカばっかり。結局親のすねをかじるしか能がないんだから。世間の波にもまれて、死ぬほど挫折すればいいんだわ」
こんな展開も、想定していないわけではなかったが、予想よりはるかに早く、宴席は修羅場と化した。
三国が帰り支度を始める。
涼葉は音を立てて座り、そっぽを向いた。
「ちょっと待って。三国さん、例の約束、果たさなくていいの?」
壁からスーツの上着を取ろうとしていたその手を掴むと、彼女は一瞬、動きを止めた。
「どうせ思わせぶりなこと言うだけで、本気で何かする気なんかないんでしょ」
そう言って、手を振り払う。
「そんなことない、です。もうプランはしっかりあるんで」
慌てて携帯を取り出し、メモアプリを起動した。
「三国さんに好意を持っている人物は実在する!その男と、デートまでサポート予定。相手の名前、知りたくない?」
過去最速でそう打ち込み、相手にだけ見えるよう画面を向けると、三国は数秒悩む様子を見せ、やがて、面倒くさそうに腰を下ろした。
「学生の悩みを聞いてあげることも、社会人として、時には必要なのかもしれないわね」
利用できるものはしてやるか、の間違いだろう。だが、欲望に正直なところは、好感が持てる。
彼女が上着を再び壁にかける様子を横目に見ていた涼葉が、綺里に体を寄せ、強引に携帯を奪い取る。画面を見て、あきれたように大きなため息をついた。
「二人とも何の話してるんや。プランって何?キャンプでも行くんか」
まさか自分のことが議題に上がっているのだと、当の本人は微塵も気づいていないらしい。
「それで相談って何。さっさと進めて」
ひとまず、話を聞いてくれる気になったらしいが、これまでの経験から、機嫌がいつまで持続するか未知数だ。急ぐ必要がある。
「まず、味はどうですか。売れますか」
成人二人が顔を見合わせ、それぞれにグラスに口をつけた。
「悪くないんと違うか。山椒である必要があるんかっていう、根本的な疑問はあるけど」
「三国さんは?」
「あなたのせいでよく味がわからなかったわ。店員さーん」
彼女が追加を頼むのを見て、桜井が意外そうな表情に変わった。
「先輩が二杯目を飲むの、初めて見ました。弱いって言うてはりませんでしたっけ」
「いつもはそうだけど。大学生相手なんだから、多少乱れても問題ないでしょ」
彼女は桜井が出した手を制して自らグラスに注ぐと、CMの中年俳優かと思うほどに、「かはー」という音を出した。
「まあ、そうね。合う料理を選びそうだけど、方向性は間違ってないんじゃない?わたしはぴりっとした後味、好きかも」
肯定的な意見が出るとは予想外だった。
「だったら……。どうして売れないんでしょう。値段もそんなに高くないと思うんですけど」
「差別化の問題やとは思うけど――。オレは本来システム屋やしなー。そういうアドバイスはちょっと」
涼葉が目の前にあった彼の瓶を手にして、空いていたコップに注ぎ、なめる程度に口に含んだ。
「どう?」
「そうですね。まあ、山椒ビール、って感じですかね。確かに、売れ行きに影響を与えるほどの味でもないんでしょうね」
残る一人の意見を確認すべく、そちらに目をやると、すでに二本目が空っぽだった。
それだけではない。色相と彩度の調整を間違えたのかと思うほど、女の顔が真っ赤だ。
「あの、三国さん……?」
「ああっ?」
シラフでも怖い人間の態度が、さらに悪化していた。
「値付けが間違ってるでしょ。もっと微妙な味でも、これの倍くらいの値段で堂々と売ってたりするわけ。万人受けする必要はないんだから、買った人が所有欲を満たされる程度に上げて問題ないのよ」
喋る速度が三割速く、声調も一段高くなっている。
ただ、話している内容は母の意見と同じだった。もっと高く売るというのは、今後の方策の一つらしい。
「だいたいさあ、あんた、人のために汗かいてる場合なの?自分の立場をわきまえなさいよ。辞めるんならさっさと決断してっ」
「別に自分のことを棚に上げてるわけじゃなくて、単に解決できそうな問題を優先してるだけなんだけど」
「何、いい子ぶってるの。あんたなんかいつも悪役でいなさいよっ」
涼葉が、席を替われと腕を掴んできた。
「酔っ払いを前に、どんな正論も無駄だ。そんなヒマがあるなら宅建の勉強でもしてろ、というのがマリンさんの教えだ」
「綺里姉はそんな風体なのに物わかりが良すぎるんです」
周囲に特異体質の人間しかいない状況では、哲学者か仏陀にでもなるしかないだろう。
三国は店主を呼びつけ、さらに一本を追加する。
人は酔うと、さまざまな第二形態に変化するらしいが、目の大きさが半分になっていた前の女は、入社以来の不満を時系列に語り始めた。
「広報を希望してたのに、営業に回されたのよ。仕事なんて、ほとんど接待要員だったんだから。こっちは酒は飲めないって言ってんのにさ。おかげで、営業部を異例の速さで異動になってやったわ」
そう言いながら、機敏に手を上げた。
「すみませーん。こちらをごさんしょうくださいを下さい。って、何でわたしがダジャレでスベったみたいになってるのよ」
「先輩、もうそろそろやめたほうが――」
「うるさい。お前も飲め。それで何もかも白状しろっ」
潜在的な欲望がそうさせるのだろう、桜井の脇の下から腕をからめている。それでも、こんな状態になっても、そばの男が好きであることを口にしないというのは、理性というより、彼女の自尊心はアルコールを凌駕するということか。
「そこまでがぶ飲みするほどおいしいなら、あーしもちょっと試してみようかな」
三国から少し分けてもらい、人生で初めて飲んだアルコールは、かすかに山椒の香りのする、ただ苦い炭酸水だった。
「何でこんなのを、お金払ってまで飲んでるんだろ」
「はっ。ガキがっ。社会に出て辛酸をなめろっ」
涼葉が綺里の飲み切れなかった分を飲み干し、バッグから携帯を取り出しながら、耳元に口を寄せてきた。
「そこの女が泥酔してるうちに、色々言わせて、録音しておきましょうよ」
「涼、今日のお前はちょっと怖いよ」
だが、確かに悪くないアイデアかもしれない。
恐喝するつもりはないが、こんなお遊びでも、真面目な相手になら、しらふのとき、駆け引きの材料になる可能性はある。
「三国さん、ちょっといい?」
涼葉に録音開始の目配せをしたあと、副社長の話題を持ち出した。
よほど不満がうっ積していたのだろう、予想を超えて、彼女は聞くに堪えない罵詈雑言を吐き続けた。
「――わかりました。もう撮れ高は充分なんで。最後にたった今、思いついたお願いがあるんですけど。そろそろ第十一号議案を断念したくて――。三国さんから許可をもらったって形にしていいですかね」
ドサクサにまぎれて言質を取ろうとしたが、相手は、椅子を綺里の隣に移動させたかと思うと、野球部の先輩が後輩を引き寄せるときのように、腕を首にまわした。
「ダメに決まってるでしょ。それだと副社長と社長のパワーバランスが変わっちゃう」
それから顔をさらに近づける。キスでもされるのかと思った瞬間、それまでより二段低い声調で続けた。
「それに、わたしはどこでもやっていけるからいいけど、侑希は社長の後ろ盾がなくなったら、苦労するかもしれないの」
例の朝起きれない、とかいうやつか。
確かに、昭和体質の人間は、どんな病気も根性で治ると思っているふしはある。泥酔している分際なのに、好意を持った男に対する思いやりは維持できているらしい。
それから唐突に、綺里をどんと突き放した。
「店員さん、こちらをごさんしょうください、追加で。って長くて言いにくいわね、まったく」
彼女がそう言った瞬間、何かがひらめいた気がした。
血液中にわずかに含まれるアルコールのせいだろうか、頭の回転が速度を増している。
目の前に並ぶ空き瓶の一本を手にした。ラベルに印刷されているのは文字だけだ。イラスト付きのほうが、インパクトがあるのではなかろうか。
山椒で連想するのはアゲハ――。例えば名前をアゲハビールにして、デザインと、価格を変えてみるか。
だが、差別化できそうな要素はSDGsくらい。地産地消だけでは、宣伝効果は弱い気がする。
SDGsか――。中之島トレーディングにもっとも欠けている資質の一つだ。
この二つを相互補完させられないだろうか。
「綺里姉、急に黙って……。もしかして酔って気持ち悪くなりました?」
「いや、そうじゃなくて――」
ぼんやりと浮かんだアイデア。その妥当性を社会人に確かめたかったが、頼るべき三国がすっかり正体をなくし、使い物にならなくなっていた。
まあいい。収穫はあった。
副社長という共通敵によって、利害が一致していることが確認できたのだ。
相談するにしても、考えをまとめる時間も必要だ。
桜井に後事を託し、その日は散会となった。




