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 目的地は、阪急の十三(じゅうそう)駅のそばにある。


 いつも雑然としているこの街の雰囲気は、嫌いではない。形が不揃いに立ち並ぶ雑居ビルの一つにあるオフィス。お世辞にも大手とは言えないが、採用先に二ヶ月勤めると、ご祝儀で一万円分のギフト券がもらえるという、素晴らしい特典のある会社だ。


 綺里を出迎えた担当者は、以前に訪れたときとは違い、やる気のなさそうな、中年の女性だった。


「予約しておいた江坂(えさか)ですけど」

「コーディネーターの岸辺(きしべ)です」


 事務的な挨拶に、好条件の仕事が見つかる気配が薄らぐ。


「新規の雇用先についてのご相談ですね。ご検討いただいている候補が、三つで間違いなかったでしょうか」


 どれもあまり乗り気ではなかったが、もしかしたら背中を押される何かがあるかもしれないと、ぼんやりとそんな期待を胸に抱いていた。だが、眼鏡の奥の視線が読み取れない担当者は、何を聞いてもすでにネットにある情報を機械的に繰り返すだけだ。


 これなら、人間と話す意味がない。


 前回に訪れたときの相手は、見るからにやる気のありそうな若い男だった。紹介される仕事のいずれもが決め手に欠けると悩んでいた綺里に、彼はわざとらしく半身を乗り出し、こう言ったのだ。


「実はですね。本当は教えちゃいけない、とっておきがあるんですよ」


 その結果得たのが、あの素晴らしい働き口だったというわけだ。


 ゴネれば何か出てくるのかと、優柔不断にして見せたが、今、目の前にいる相手からは、売れ残った小松菜のような、新鮮味のかけらもない仕事しか提示されない。


 あまり欲望を表に出したくはなかったが――仕方なく、直球を投げることにした。


「ずばり、一つ前に紹介してくれたような裏メニュー的なのを希望してるだけど」


 すでに存在しなくなった会社名を告げると、彼女はキーボードに何かを打ち込み、画面を怪訝そうに眺め、予想外の答えを返してきた。


「そのような業務は、過去に弊社で取り次ぎしておりませんが――」

「いや、それはないでしょ。あのときの男の人に聞いてみてよ」

「担当者の名前はおわかりですか?」

「ごめん、覚えてない。たぶん三十前後で、投資詐欺のセミナーで、プレゼンしてそうな雰囲気の人だった」


 綺里の説明と並行して、マウスをカリカリと操作していた彼女は、やがて手を止め、はっと口を閉ざした。それから明らかに狼狽した表情に変わる。


「あの……当時、対応させて頂いた者は、もう退職しておりまして。その、不適切な紹介をしていたらしく……」

「不適切?」

「会社を通さず、個人的に仕事を斡旋していたようなのです」


 そう言われて、色々と辻褄が合った気がした。


「そうだったんだ。あーし的には、すごくいい条件だったんで、助かってたんだけどな」


 綺里が文句を言うとでも思っていたのか、相手はどこかほっとした様子を見せた。


「ちなみに、江坂様の最優先事項は時給、ですか?」

「逆に聞くけど、それ以外の条件で仕事を選ぶ人っているの?」

「なるほど、ですね」


 彼女は短い間何かに悩むと、「少しお待ち下さい」と、席を外し、やがて一枚の書類を手に戻ってきた。


「弊社では原則として、依頼元の会社の事業調査をした上で、ご登録頂いた皆様に紹介しております。こちらは新規のところで、まだそのあたりの手続きが終わっていない会社になるのですが――」

「そういうのを待ってたんだよ」


 思わずそう叫びそうになり、浮かせた腰をどうにか下ろした。


「業態は男性向けエステです。職種は受付事務。時給ですが――」


 彼女が用紙の向きを変える。


「ここでお願いしまっす」


 数字だけ見て即答した綺里に、彼女は眼鏡の位置を直した。


「その、ちなみに、こちらは一般的に想像されるエステとは違うかもしれないのですが……」

「つまりどういう意味?」


 彼女がやたら遠回しに話した内容を読み解けば、どうやら美容と風俗の境界線にあるような店らしい。


「違法じゃなければ何でもいいんで」

「承知しました。では早速契約書をご用意いたしますので」


 本来であれば最長の契約期間を選びたかったが、世話焼きの後輩の顔が思い浮かび、まずは六ヶ月を設定し、提示された書類の最下部にサインをした。


 恥ずかしそうにやってくる男の客に、悠然と応対するだけで、涼葉が勤める塾講師の、倍近くの稼ぎになる。前回ほどではないが、悪くない条件だ。


 スキップをしながら部屋を出たとき、廊下に一人の男性が座っているのが見えた。


 次の相談者だろう、六十手前くらいの、いかにも高そうなスーツを身に着けた紳士だ。フラワーホールに金色のバッジが光っていた。


「えさか様、お入り下さい」


 岸辺の声がした。


 思わず扉のほうに振り返るのと同時に男性が立ち上がる。何が起きたのか、一瞬、理解が追いつかない。


 だが、男が「失礼します」と、低く丁寧な口調で部屋に入って行くのを見て、偶然、同じ苗字の人間だったのだと知った。


 これまで、同姓に出会ったことがない。珍しいなと、一瞬そう思ったが、外の通りに出る頃には、一ヶ月でいくら稼げるか、それしか頭になかった。



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