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5-2

 社会人サイクリストたちと再び再会したのは、それから二十分ほどしたあとのことだ。どちらも三十代くらい。やや小太りで、軽薄そうな男は山田(やまだ)で、いつ見てもうつむき加減な女のほうは、村野(むらの)という名前だ。


 二人とも、体に密着した着衣の上から湯気が立ち上っていた。


 最初に涼葉を紹介した。


「すみませんね、お呼びたてしちゃって」

「綺里姉、敬語とタメ口が混ざってる。すみません、もう一生直らないんです」


 意図していたわけではないだろうが、後輩のダメ出しに二人は軽く笑った。


「すごい汗。どれくらい走ったんです?」

「大山崎まで往復して、七十キロくらいやな」


 そう言って、山田がおしぼりで顔の汗を拭った。


「七十キロっ?!人間って、そんなに走れるんだ」

「江坂さんやったっけ。自分、おもしろいな。サイクリングに興味があるって言うてたけど、もしかしてワシらの仲間になりたいとか?」

「そんなところです。入るのは、あーしじゃなくて、女子高生の予定なんですけど。それで、いくつか聞きたいことがありまして」


 それから、二人が出会った経緯や、普段の活動について尋ねた。


「最初は五人いたんや。有名なサイクルショップのツアーイベントで知り合った人たちな。そやけど、みんな仕事があって、時間が合わへんかったり、走ること自体が長続きせん人もおったりで、今は二人になってしもうたんや」


 チームである意味は、一つには強制力があるという。油断すると、すぐにサボってしまうことを避けるためだそうだ。あとは、イベントに参加しやすくなる。


「ブルベとか、わかるかな。行った先に一人やと寂しいやろ。あと、フレッシュはそもそもチームでないとエントリーできんし」


 ブルベもフレッシュも、時間内で決まったコースを走るという大会だそうで、レースとは違うらしい。


「村野さんもそんな感じです?」

「あー……。そうね。私はもともとダイエット目的だったんだけど。一人だと、メンテとかすっごく時間かかっちゃうから……。そういうの、やっぱり男の人のほうが詳しかったりするし、助けてもらうことも多いのよ」


 彼女の言葉に、山田はやや得意げな表情になった。


 なるほど、男はいいところを見せたく、女はそれを利用する、と。社会の縮図だ。


「ちなみに、そのブルベとかって、テレビ中継とかされます?」

「テレビ?そんなん、相当大規模な大会だけやと思うけどなあ。ワシらが参加するような中級者向けイベントにはないで」


 まるで話にならない、という声調だった。


 涼葉と視線が交差する。ほら見たことか、という目の光だ。


 よくよく考えるまでもなく、偶然出会った素人の中に、やる気と才能、さらには、それを長期間継続できる環境を持つ人間など、そうそういるはずもないのだ。


 競技選びからやり直さなければならないだろうか。いや、そもそも、この任務を完遂できる気がしなくなってきた。


 もう、帰りたい――。


 綺里から声をかけた手前、散会の宣言を躊躇してしばらく、どこかで携帯の振動音がした。


 村野が慌てたように立ち上がる。ウェアの背中についている、使いにくそうなポケットを探りながら、店の入り口のほうへと小走りに駆けて行った。


「忙しそうですね。あんまり引き留めるのも悪いですし――」

「大丈夫や。自転車のことはワシのほうが詳しいし。今日は仕事休みやから、なんぼでも付き合うで」


 それから村野が戻ってくるまで、彼の武勇伝を聞かされながら十分以上は待っただろうか。再び姿を見せた彼女の表情は、それまでより、さらに険しくなっていた。


「お仕事です?そろそろ出ますか」

「ごめんなさいね。そうしてもらえる?山田さん、私、家に戻らないと行けなくなったから」

「そうなん?うなぎか?」


 場違いな単語は、どうやら何かの冗談だったようで、だが、村野は明らかに不快そうな表情に変わり、何の反応も見せずに背中を向けた。


「自分らはどうする?ワシの自転車、ちょっと乗ってみるか?結構ええやつやで」


 男のほうは、まるで空気の変化に気づいた様子はない。


「あーしたち、どっちもスカートなんで……。それに体格に合ったサイズとか、そういうのあるんですよね」

「へえ、詳しいやん」


 今進もうとしている道の先に、十一号議案の解決策があるようには思えない。修正するなら早いほうがいいに決まっている。


 今後の方針をどうすべきか、悩みながら席を立つと、先に行ったはずの村野が、レジへの通路で立ちすくんでいるのが見えた。


「ムラちゃん、どないしたん?帰るんと違うんかいな」

「実は、結構急いで帰らないといけなくて……。タクシーか電車にしようと思うんだけど、自転車、お店の前に置いていってもいいと思います?」

「ええんと違う?今日中に取りに来たら」

「今日中……。そうですよね……」


 どこか不安そうにする態度を見た瞬間、この場から完璧に脱出できる口実が頭に浮かんだ。


「あーしが預かりましょうか?家、すぐ近くなんで」

「え……。いいんですか?近くって――」

「新大阪の駅前なんで」

「そんなところに住んでる人、いるんですね。じゃあ、お願いしようかな……」


 店を出て、恐縮する村野から自転車を引き取る。


「迷惑かけてごめんなさい。それで……もし可能だったらでいいんですけど、室内で保管してもらえるとうれしいです」


 年下の学生に、彼女は何度も頭を下げながら、地下鉄へと姿を消した。


「自分、ええとこに住んでるなあ。淀川まですぐやんか。ワシらのチームに入ったらええのに」


 山田は、まだ話し足りない雰囲気を出していたが、他人の高級自転車を預かった手前、そうそうに帰りたい、という綺里の言葉に、背中を丸めて走り去っていった。


「まったくの無駄足だったなあ」


 大きさの割には驚くほど軽い車体を押しながら、いったい何をしているのだろうと、嫌気が差す。


「珍しいですね。綺里姉のひらめきが外れるなんて」

「ひらめきって、何それ。どういう意味」

「生徒会のとき、突拍子もない思いつきで、みんなを翻弄してたこと、覚えてないんですか?予算配分とか、文化祭の場所決めとかで、いい加減な指示をしてるように見えて、その実、結果を出してたじゃないですか」

「そうだっけ。覚えてないよ」


 ただ、もしそんな特技があったとして、今回に関しては、藤阪のことを気にかけた段階で、力が及ばなくなっていたのだと思う。もっと遡れば、取締役会で冷静さを失ったときか。


 彼女の助けを借り、エレベーターには自転車を縦にして載せ、どうにか玄関に置くことができた。


 その夜、村野から、仕事の関係で引き取れるのが三日後になると連絡があった。



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