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1-4

「第十一号議案についての提言とか」


 冗談だと思われたのか、会議室のあちこちで冷笑が起きた。だが、社長は真顔のままだ。


「桜井、その話、結局どうなったんや。俺がおらん間に何か進展したんか」


 突然話題を振られたすぐ隣の男は、軽く背筋を伸ばした。


「いえ。それがまだ、何一つ……」

「五百万ごときじゃ、どうにもなりませんで、社長」


 専務が、隣の副社長を代弁するかのように、小馬鹿にした口調でそう言った。


「子供の小遣いやないですし」


 誰かが小声で続く。


 この議題の発案者である千林は、そんな否定的な意見のどれにも反論することなく、綺里の目をじっと見据えた。


「提言って、あんたに何かアイデアあるんか」

「正直に言って、すぐに具体案があるわけじゃないですけど。ただ、予算が限られているのはいつもそうで、その中で最大限の成果を出すようあがくことに、多少の経験はあります」


 生徒会と一般企業で、金額にはもちろん差があったが、構図としては同じはず。過去を思い返しながらそう言うと、またしてもあの男の耳障りな笑い声がした。


「経験があるらしいで。ご立派なことで」


 富田が同意を求めて隣に顔を向けると、彼の部下だと綺里が認識している四人全員が即座にわははと笑った。


「社長、ええんと違いますか。新しい社外取締役さんに任せたら。ここまで偉そうに言う以上、失敗したら、相応の責任は取るんやろうし」


 責任が、取締役を辞めることなのか、裸踊りなのか、はっきりしなかったが――。副社長の最後の発言のあと、綺里の意見に反対する人間がいなくなり、その場の空気もあったのだろう、十一号議案の担当になることが決まってしまった。


 期限は半年。その間の報酬は、交通費などの実費だけだ。


 あとから激しく後悔したが、「お金は、議案を完遂した場合のみで構わないんで」と、勢いだけでそう言ってしまったのだ。


 会議が終わり、出席者が席を立つ。


 副社長派の面々は、綺里に対する嫌味や、否定的な言葉を、聞こえる程度の大きさで口にしながら姿を消した。


 最後に、司会とともに部屋を出ようとしていた社長が、入り口のあたりで立ち止まった。


「桜井、お前、サポートしてやって。事務手続きとか経費精算とか、その他もろもろ、な」


 机に残された全員分の資料を集めていた男の顔が歪んだ。


「え……と、オレが、ですか?」

「何や、不満か?もともとそっちの案件やろ」

「そう……ですね」


 出る間際に司会が部屋の照明を消した。


 ブラインドからもれるわずかな外光だけの、薄暗い部屋に二人残される。


「あのー。あーしが言うのも何ですけど、面倒なことに巻き込まれてませんか。っていうか、これから何したらいいんでしょう?」


 素直な疑問をぶつけると、彼は小さくため息をつき、そばの椅子に脱力したように腰を下ろした。


「江坂さん、やったっけ。君さ、どういうつもりなん、ほんまに」

「どう、とは?」

「間違いで来たんだから、端のほうで何もしないでいるもんでしょ、普通はさ」

「お言葉を返すようですが。社外取締役に間違って選任されたときの普通の状況なんて、あまりないと思う」


 彼は、はあとわざとらしく息をはいた。


「また屁理屈か。学生っていうのは気楽でええな」


 自分がかつてそうだった時代のことを、人は皆忘れてしまうらしい。


 桜井はしばらくうなだれ、無言でいたが、やがて何かを決意したように顔を上げた。


「これからどうするかって、オレが聞きたいわ」


 一度は投げやりな態度を見せたが、綺里が返す言葉に困っていることに気づいたのか、少しだけ背筋を伸ばした。


「悪いんやけど、オレは日常の業務もそれなりにあって、これに時間を割くことは難しいねん。君のほうで色々調べてもらえるか」


 そう言って、手元の資料を裏返し、一枚を切り離すとペンを走らせた。


「課題と予算と期限――こんなもんかな」


 メモが書かれた裏紙を差し出しながらそう言った。


「他に何か聞きたいこと、ある?」

「聞きたいことは、朝の梅田駅の人の数くらいはあるんですけど――。そうですね、副社長は社長より年上なのに、どうして社長じゃないのか、とか」

「何や、その質問。そんなどうでもいいこと、知りたいん?」


 彼は、面倒くさそうにではあるが、それでも事情を説明してくれた。


「この会社は、もともと副社長の父親が作ったんや」


 当初は輸入雑貨の個人商店だったらしい。それから小さな商社になり、十五年ほど前からオンラインショップを始めた。


 彼は携帯を操作して、画面を綺里に向けた。


「使いやすそうですね。悪くないと思う」


 中東やアフリカなどの現地で買い付けた物など、有名なECサイトとは差別化した商品体系のおかげで、赤字にはならない程度に利用者はいたらしい。もっとも、大手には遠く及ばず、やがて会社の売上が頭打ちになって間もなくのことだった。


「千林さんがオレの上司やったとき、って言うてもほんの四、五年前やけど。当時、ブームになる前やった暗号資産の運用で、信じられへんくらいに大きな利益を上げたんや」

「暗号資産って、ビットコインとか?」

「マイドオーキニっていう、ややマイナーな通貨」

「え。何ですって?もう一回お願いします」

「聞こえてたやろ。マイドオーキニや。今はもう廃止されてなくなってるけど」

「でしょうね。うさんくささが度を越してますもん」


 一年間の営業外収益が前年比十倍になり、その実績を買われて社長に就任することになったのだという。


 ただ、当然、次は自分だと考えていた副社長とその一派からの、あからさまな反発が始まった。


 会議ではいつも反対。事業の成功よりも千林の実績にならないよう、陰に陽に足を引っ張り、あるいは、自分たちの意見ばかりを押し通そうとする。


「そういえば、何かもめてましたよね。嫌味がどうとか」

「よう覚えてるな。あれもそうや」


 それまで目立った実績のなかった副社長が、あるとき、突然、柿の生産を始めると言い出した。どうやら、元の持ち主が高齢で跡継ぎのいない果樹園を、安価で手に入れたらしい。しかも、その売却経路の一つとして、ふるさと納税の返礼品枠を獲得してきたという。父親が、この地で地道に商売を継続してきたことで、人脈だけは豊富なのだそうだ。


 ところが、初年度である昨年、いきなり必要数量を収穫できない事態におちいった。


 ネットでは、自腹で購入してでも届けるべきといった厳しい指摘があふれ、担当自治体はもちろん、中之島トレーディングにも多くのクレームが寄せられた。


「それで天候不順、ですか。摘果調整してなかっただけ、って可能性もあるけど」

「テキカ……って、何、それ。どういう意味」

「放任栽培すれば、柿は原則、隔年にしか実をつけない。それだと事業として成立しないから、多く成る年に、花を咲かせないようにして、毎年の収穫量が均一になるよう調整したりする、んじゃないかな」

「へえ、そうなんか。確かに。前年度の収穫量を基準に、返礼品の出荷数を決めたって言ってた気がする。君、意外に頭ええんやな」

「もう慣れてるからいいけど――。意外に、は、この場面では不要なので。ちなみに桜井さんは社長派?若いのに取締役、なんですよね?」

「オレは平社員や。課長ですらない。今日は資料説明でここにいるだけ。本当なら先輩が来るはずやったんやけど、別件が入って。派閥とか、雲の上の話やな。まあ、社長の部下の期間が長かったし、あの人は、この会社の中ではまともなほうやとは思うけど。前例にとらわれへん、ある種のチャレンジャーなんや」


 取締役会の雰囲気を思い返した。


 なるほど、そう言われて思い返せば、あの居心地の悪さに説明がつく。


 社長派は本人と桜井。中立っぽく振る舞っていたのは司会くらいで、残りは全員副社長配下だった。


「あんたには何の関係もないことやけど、今日の決定も、たぶん失敗を期待されての任命ってことやねん」


 来たときから異常事態だ。軽い逆境が加算されたとて、その程度、落胆する要素にはならない。


「それで、これからのことですけど。あーしは、広告になりそうな競技を探せばいいんですよね。それで、候補が見つかれば桜井さんに知らせるって感じで。合ってます?」


 メモを見ながらそう言うと、相手は目線を落とした。


「候補って言うか、できれば具体的な協賛先を見つけてほしいんやけど……」

「それはつまり、団体もしくは個人と交渉まで完了しろと、そういうことで?」


 考えるまでもなく、すでに人気のスポーツは、スポンサー料も高額だろう。となれば、今はさほどの注目をされておらず、だが、広告媒体として成立するという困難な条件を満たさなくてならない。


「もちろん……こっちでできることはするつもりや。正直に言うと、オレはスポーツとか、門外漢でな。学生時代は部活とかには無縁やったし……。江坂さんは、サークルとか入ってるんか」

「バイトばっかりしてたんで。高校時代は生徒会でした」

「そうか」


 そう言った彼はどこか寂しげに見えた。


 結局、その日は桜井と連絡先を交換し、二週間後に経過報告をするということだけを決めて別れた。


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