第7章 2 協定会議
迅はベッドに横になり、目を閉じてみるものの、どうにも眠れない。
しばらく天井を見つめた末、静かに起き上がった。
インスタントコーヒーを淹れ、湯気の立つマグを手にベランダへ出る。
冬の空気は澄みきっていて、
そのせいか、星がいつもより綺麗に見えた。
――仮想世界より、ずっといい景色だ。
そんなことを、ふと思う。
その時、デバイスが小さく振動した。
紗良からの通知だった。
『ごめん、急に連絡して。寝てた?』
少し申し訳なさそうな声。
「いや、大丈夫」
迅は正直に答える。
「寝れなくてちょっと外の空気、吸ってた」
『あはは、あたしも〜』
紗良の声が、少し軽くなる。
『学校もあるし、明日の会議は夜からなのにね』
『なんか緊張して、全然寝れない……』
言葉の端に、不安が混じっている。
それを隠そうともせず、
そのまま伝えてくるところが、紗良らしかった。
「……連絡くれて、ありがとな」
『え? どうしたの、急に』
「正直さ」
迅は、少し間を置いて続ける。
「会議で、何を話せばいいのか悩んでた」
「あれだけ啖呵切っといてさ……馬鹿だよな」
マグを持つ手が、わずかに震える。
寒さのせいか。
それとも、本心を口に出したことへの怖さか。
『……迅は、すごいよ!』
突然、デバイス越しに大きな声が響いた。
「っ!?」
驚いて、コーヒーを少しこぼす。
「熱っ……!」
『あっ、ごめん! 急に大声出して!』
一瞬の沈黙。
そして、どちらからともなく笑い声がこぼれた。
「……思ったけどさ」
「紗良も、褒めるの下手だよな」
迅が言う。
『ひど〜せっかく褒めたのに、素直じゃないなぁ!』
『いちいち揚げ足取らないでよ!』
通信でも分かる紗良の怒る顔。
「はは。分かったよ」
「変に構えず、正直に話す」
迅は、星空を見上げながら言った。
『うん。それでいいと思う』
短い沈黙が、心地よく流れる。
そして互いに「おやすみ」と言葉を交わし、通信は切れた。
その夜、迅と紗良は――
少しだけ肩の力を抜いたまま、眠りについた。
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そして朝。
迅がいつものホームで電車を待っていると、
背後から力のない声が聞こえてきた。
「おはよ~……」
美咲だった。
隙間風のようなか細い声。
目の下の隈を擦りながら肩をすくめている。
マフラーの巻き方も甘く、風が吹くたびに布が頬に張り付いていた。
迅は見かねて、そっとマフラーを整えてやる。
「あんがと……寒い……眠い……」
「……早く帰りたい……お家でゲームしたい……」
「はやいな。まだ登校中だぞ」
そう言いながら、
いつものようにカイロを美咲の頬に当てる。
「あったか……」
「……立ったまま寝れるかも……」
美咲はそう呟くと、
少しだけ迅に体を預けて目を閉じた。
電車が来るまでの間、
ほんの少しだけ寝かせてやることにする。
電車に揺られながら、迅が聞いた。
「で、何やってたんだ。朝まで」
「ふぁ~……」
大きく欠伸をしてから、美咲が答える。
「ちょっと調べ物してただけ~」
「……迅、なんかシャキッとしてない?」
「心境の変化?」
つり革にぶら下がりながら、
眠たそうな目でこちらを見る。
「まぁな」
迅は、どこか吹っ切れた表情で言った。
「今さら心配しても仕方ない」
「会議には、前向きに行こうと思ってる」
美咲は一瞬だけ言葉を止め、
視線を窓の外へと移す。
流れていく朝の景色。
その横顔は――
どこか、少しだけ寂しそうに見えた。
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学校に着き、下駄箱で美咲と別れる。
迅は教室に入り、自分の席につくと、
教科書を開いて時間が来るのを待った。
だが――
現代国語担当の教師が、なかなか現れない。
教室内は、次第にざわつき始める。
やがて扉が開いた。
「あー、静かに」
少し慌てた様子で、体育担当の教師が顔を出す。
「石原先生は本日いらっしゃらない」
「各自、自習するように」
それだけ告げると、
教師は足早に教室を出ていった。
廊下では、複数の教師が塊になって何かを話し合っている。
教室のあちこちから、ひそひそ声が聞こえてきた。
「だから言ったじゃん」
「現国の石原、辞表出してたって!」
「俺さ、こないだ部室の鍵取りに行ったとき偶然見たんだよ」
「“仮想世界で他の会社に入るから辞めます”って、啖呵切ってたぞ」
「はいはい、どうせまた盛ってるんだろ」
「お前、嘘ばっかだから信用できねぇんだよ」
笑い声と疑いの声が入り混じり、
しばらく教室の喧騒は収まりそうになかった。
放課後。
夜までまだ時間があったため、
迅は紗良と待ち合わせてジムへ向かった。
美咲はというと、
授業中に寝てしまい補習になったため、学校に置いてきた。
「……あれ、今日は人多いね」
ジムを見回しながら、紗良が言う。
トレーニングスペースには空きがなく、
いつもより活気があった。
「あー、紗良!……お、迅もいるのか」
トレーナーが声をかけてくる。
「悪いな、体験希望者が多くてさ」
「ちょっと休憩室で待っててくれるか?」
「はーい」
二人は休憩室へ入り、
使い古されたソファに並んで腰を下ろした。
備え付けの古いテレビでは、ニュースが流れている。
『続いてのニュースです』
『タレントの筆方さんが、違法薬物所持の疑いで逮捕されました』
『所持していた薬物は世界各国で確認されており、同様の逮捕が相次いでいます』
『取引は仮想世界にも及んでおり、警察の捜査は難航している模様です』
ニュースキャスターは、淡々と原稿を読み上げる。
「……なんか、他人事として聞けないね」
紗良は気まずそうに呟き、
リモコンを手に取ってテレビを消した。
「だな……」
迅は短く答える。
(俺、まだ見てたんだけどな)
心の中で、そっと呟いた。
ジムで一汗流し、着替えを済ませて帰路につく。
肩を回すと、
気分転換になったのか、体が軽かった。
帰宅後、すぐにログインする。
仮想世界に入ると――
待ちくたびれた様子の美咲がいた。
「遅いよもう~」
「また寝ちゃうところだったんだから」
少し遅れて、紗良もログインする。
会議まで、あと一時間。
そろそろ移動しようか、
そう思ったその時だった。
都市を歩くプレイヤーの流れの中から、
こちらへ向かってくる影がある。
白装束。
兎の面で顔を隠した、異様な出で立ち。
――一目で分かった。
九尾の晩餐のメンバーだ。
「白澤様の御命令により、皆様をお迎えに参りました」
「どうぞ、こちらへ」
男はそう言って、
腰元の装具に付いた鈴を鳴らす。
チリン――と、澄んだ音。
その瞬間、空間が歪んだ。
歪みの向こうには、
絢爛豪華な建造物が、浮かんでいる。




