第5章 5 分かたれた仮想世界。
空気が、重かった。
東京エリア。
祭りの後のような喧騒の中、中国ギルドの戦果を語り合うプレイヤーたちに囲まれながら、三人はカフェエリアの席に腰を下ろしていた。
紗良は、美咲と迅を交互に、ちらちらと窺う。
美咲は九尾の晩餐についての情報を集めているのか、ウインドウを開いたまま視線を忙しなく動かしている。
迅は目を閉じ、胸の奥に燻るような拳の熱を押さえ込むように、静かに呼吸を整えていた。
誰も、言葉を発さない。
やがて、美咲が立ち上がる。
「ごめん! ちょっと知り合いと連絡取るから、一旦落ちるね!後で連絡する!」
「あ……うん」
紗良が返事を返すより早く、美咲の姿はログアウトとともに消えた。
残された紗良は、しばらく虚空を見つめたまま動かなかった。
迅は拳に宿る熱を封じ込み、そっと紗良に歩み寄る。
「紗良……大丈夫か?」
「うん……ちょっと怖かったけど、もう大丈夫。
ありがと」
紗良はそう言って、無理に笑顔を作る。
だが、合わせた手は、まだかすかに震えていた。
迅はその震えに気づき、もう一度、しっかりと手を重ねる。
「何かあっても、俺が必ず守る。
だから、安心しろ」
「……うん。分かった」
紗良は、今度こそ少し落ち着いたように、柔らかく笑った。
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翌日。日曜日。
迅はボクシングジムで、サンドバッグに拳を叩き込んでいた。
身体の調子も感覚も、悪くない。
仮想世界に関わる前――
ボクシングだけをやっていた頃よりも、頭の中の雑念が不思議なほど消えている。
身体が軽い。
だが、サンドバッグの向こう側に、ふと“それ”が見える。
黒い焔。
迅はそれを振り払うように、さらに拳を打ち込んだ。
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休憩。
汗を拭いながら、デバイスを確認する。
紗良からメッセージが届いていた。
> 迅!
> 今日お父さんが鍋作ってくれるの!
> 美咲も来るから迅も食べない?
誘いの言葉と一緒に、大きな蟹の写真が添えられている。
迅は、思わず笑みを浮かべた。
「おい、迅ー! 彼女からかー?
気合入ってんのも彼女のためか!!」
ジムの同期が、にやにやしながらからかってくる。
「違うって」
迅は笑いながら、照れながら軽く否定する。
しかしデバイスの返信画面にはもちろん行くという文字が流れていた。
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最寄り駅。
美咲と連絡を取り駅前で待ち合わせをする。
日は暮れ風は強く、かなり冷え込んでいる。
美咲も鼻を赤くし、肩をすくめながら改札を出てきた。
二人で歩き出そうとしたところで、迅が声をかける。
「美咲。
紗良の家に行く前に、伝えておいた方がいいことがある」
迅は、紗良が中学生の頃に両親が離婚していること、
現在は父親と二人で暮らしていて、母親と姉とは別居していることを簡潔に伝えた。
美咲は少し驚いたようだったが、大げさな反応はしない。
「分かった、教えてくれてありがと」
それだけ言って、それ以上は何も聞かなかった。
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紗良の自宅前。
インターホンを押すと、すぐに扉が開く。
「いらっしゃい〜!
外寒いでしょ! 早く入って!」
「うん……めっちゃ寒い……」
美咲は、今にも限界といった表情だ。
部屋に入るなり、
「あったか~い……」
美咲はこたつに潜り込み、猫のように背中を丸めた。
紗良はキッチンへ向かい、声をかける。
「おとーさん! 迅たち来たよー!」
「おう! 今行く!」
低く、よく通る声がキッチンから返ってくる。
「迅、美咲ちゃん!
久しぶりだな!
いつも紗良が世話になってるぜ」
現れた紗良の父親は、頭に鉢巻を巻き、やる気満々の様子だった。
冷蔵庫から飲み物を取り出し、コップに注いで2人に差し出す。
「おじさん、ありがとー! いただきます!」
「いただきます」
乾いた喉を潤しながら、二人は礼を言う。
「ごめんね……!
おとーさん、張り切っちゃって……
久しぶりに二人が来たから、嬉しいみたい」
紗良が小声で、照れくさそうに言う。
「紗良ー!
ご飯よそうのと、皿出すの手伝ってくれ!」
「はーい!
二人はゆっくりしててね!」
紗良はそう言って、また忙しそうに準備へ戻っていった。
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こたつ机の中心にカセットコンロが置かれ、
慎重な足取りで、紗良の父親――和正が鍋を運んでくる。
ぐつぐつと煮え立つ鍋の中では、赤く艶やかな蟹が顔を覗かせていた。
「さ、遠慮せず食ってくれや」
「いただきます!!!」
三人は声を揃えて手を合わせる。
「おいひ〜!」
美咲は満面の笑みで、鍋の具を口いっぱいに頬張った。
そのとろけきった表情に、
鍋を囲む迅と紗良も、思わず笑ってしまう。
迅は餅巾着を箸で掴み、口に運んだ。
蟹の出汁が中まで染み込み、思わず息をつくほど美味しい。
温かさが、身体の奥からじんわりと広がっていく。
三人の美味しそうな様子を眺めながら、
和正は満足そうに目を細めていた。
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「迅。お前、最近調子いいよな」
テレビに目を向けたまま、和正が声をかける。
「この前見たがパンチの切れもいいしよ。
見違えたぜ」
迅は、ジムで感じていた自分の感覚を思い出しながら、静かに頷いた。
「今度、試合出てみないか?」
「オヤジには、俺から話つけとくからよ」
「……是非、お願いします」
迅は迷わず、はっきりと首を縦に振る。
「よし来た。じゃあ、今度連絡しとく」
そのやり取りを聞きながら、
紗良はこっそりと小さくガッツポーズを作る。
一方の美咲はというと、
会話など気にも留めず、幸せそうに鍋の具を頬張り続けていた。
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紗良の父・和正は元ボクサーで、ジムのOBでもある。
ジムの社長とも懇意で、
美咲がボクシングを始めたのも、実は和正の影響だったりする。
和正にはリビングで休んでもらい、
後片付けは三人で行う。
食器を片付け終えた後は、しばらく談笑し、やがて帰宅の準備に入った。
「ねえ、おとーさん。
二人、送ってきてもいい?」
和正は面倒くさそうに、しかし優しく手を振る。
「おう、行ってこい」
こうして帰り道、
三人は夜の公園を少し散歩してから帰ることにした。
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