第1章 3 現実からー。そして仮想世界へ
翌朝。
通学路の駅で電車を待っていると、
隣から聞き慣れた声がした。
「よっ! おはよー」
美咲だった。
昨日の身勝手さが、脳裏によみがえる。
「……おはよう」
「あはは……そんな怒んないでよ!」
そう言って、美咲は小さなキーホルダーを差し出す。
「ほら、愛ロイドのプリンちゃん。イベント限定だよ!」
「いらない……」
少し間を置いて、迅は続ける。
「まぁ、怒ってはないけどさ。
あんまり人を振り回すなよな」
「反省しまーす!」
あっさりと返される。
「ほら、電車来たよ!」
美咲は誤魔化すように話題を変えた。
――こいつとは、昔からこんな感じだ。
ゲームをしたり、遊びに行ったり。
気まぐれで、自由で、振り回される。
それでも、こんな生活も悪くないと思っている自分がいる。
ボクシングに打ち込む自分と、
何でもない日常を生きる自分。
その二つが、少しずつズレていく感覚。
前までは、もう一人の幼馴染ともよく遊んでいた。
だが最近は、都合が合わず、
ジムで顔を合わせる程度になっている。
美咲とは放課後に遊ぶ約束をし、
二人で校門をくぐった。
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「じゃあ迅!また放課後ね!」
美咲は鼻歌を歌いながら先に行く。
ひと呼吸し、迅も自分のクラスの下駄箱へ向かう。
――噂をすれば、なんとやら。
下駄箱で、ばったり一人の少女と出くわす。
同じボクシングジムに通う幼馴染。
紗良だった。
「……おはよ」
「ああ…、おはよう」
どこか冷たい挨拶。
迅は、無意識に顔を強張らせた。
理由は、分かっている。
「最近、たるんでない?」
紗良はまっすぐ言った。
「昨日もジム来てなかったでしょ。
何やってんの?」
「……ゲーム」
「また遊んでんだ。
練習サボって……」
「何やっても、俺の勝手だろ」
思わず語気が強くなる。
「ほっとけよ」
紗良は眉をひそめた。
「だめでしょ。練習、来なよ!」
一歩近づいて、言い切る。
「放課後、迎えに行くから!」
そう言い残し、
紗良は逃げるように自分の教室へと走っていった。
「……マジか」
迅は、小さく呟いた。
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そして、放課後。
教室の両開きのドアが、勢いよく開く。
「迅、ジム行くよ!」
ほぼ同時に、反対側から声が飛ぶ。
「迅、bs! 早くやろー!」
美咲と紗良が、同時に姿を現した。
二人の視線が、ぶつかる。
「あ、紗良じゃん! 久しぶり!」
美咲は何の躊躇もなく、屈託のない笑顔で近づいた。
紗良は一瞬だけ固まり、
それから――元凶を見るような目で迅を振り返る。
その視線に、迅は小さく息を呑んだ。
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帰路を歩く。
隣には、大層不満げな紗良と、
相変わらず楽しそうな美咲がいた。
さすがに美咲に遠慮しているのか、
紗良は表立って文句を言わない。
だが、その視線からは、
罵詈雑言が音ではなく感情として流れ込んでくる。
――痛い。
この道を曲がれば、ジムだ。
迅は知らないふりをして歩こうとしたが、
背後からカバンを掴まれ、足を止められた。
「ちょっと……」
紗良だった。
「今日は、練習……付き合ってよ?」
美咲に申し訳なさを感じているのか、
紗良は明後日の方向を見ながら言う。
一瞬、呆気に取られた美咲だったが、
ようやく二人の空気を察した。
「あー……そういうことね」
美咲は、すっとデバイスをかざす。
「じゃ私はここまでだね!紗良、久しぶりに会えたし、また連絡するね!」
柔らかく笑って付け足す。
「じゃあね!」
「……う、うん」
歯切れの悪い返事。
美咲はそれ以上踏み込まず、
軽く手を振って歩き去っていった。
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練習を終え、帰路に戻る。
「あー……今日は地獄だった」
迅はうなだれながら呟く。
いつの間にか夕日は沈み、
道は薄暗くなっていた。
隣を歩く紗良は、いつもの調子だ。
「練習サボってるからでしょ。
お父さんも怒ってたよ」
迅は答えない。
それを見て、紗良は足を止めた。
「……まさか、辞めないよね?」
焦りが混じった声。
「迅は怪我して、ずっと試合に出られなかったけど……」
それでも。
迅は、無言のまま歩き続ける。
慌てて、紗良が追いかけてきた。
――正直、分からない。
あんなに楽しかったボクシング。
それが、まるで今までのことが夢だったかのように、
感覚が薄れていく。
少なくとも、今は――
また全力で打ち込みたい気持ちにはなれなかった。
足取りが重いのは、
練習が大変だったからだろうか。
迅は、隣を歩く紗良の顔を見ることができなかった。
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