― 誕生する亡霊 ―
高機動連絡機のエンジンを切り、地下ガレージの重いシャッターを下ろすと、ようやく静寂が戻ってきた。オイルと熱気、そして焦げたゴムの臭いが、肺の奥にこびりついている。
主人公は、部屋の隅にある旧式のポータブル解析ユニットを、乱暴にテーブルへ引き寄せた。
「……見せてくれ。お前が隠しているものを」
震える指で、あの青いチップをユニットへスロットインする。軍の最高機密であるはずのそれは、意外なほどあっけなく、吸い込まれるように読み込まれた。
「……なんだ、これは」
画面に躍り出たのは、複雑な暗号でも、彼女の隠された遺言でもなかった。 それは、精緻に作り上げられた、ひとつの**「偽造ソーシャルセキュリティナンバー(身分証)」**のデータだった。
【氏名:霧咲・ロウ】 身長179cm【身分:特務輸送兵(予備役)】 【ステータス:有効】
主人公の瞳が、青い電子の光を反射して怪しく光る。 理解するまでに、時間はかからなかった。
あの下半身のないアンドロイドが庇っていたのは、自分自身ではない。この「チップ」そのものだ。 そして軍が、爆撃を以てしても消し去りたかったもの。それは、自分たちが管理する「市民リスト」の枠外に存在する、この**『キリサキ・ロウ』**というバグ(亡霊)の存在だ。
「……霧咲・ロウ……。これが、新しい俺か」
彼は、コンソールの実行キーを叩いた。 システム上、かつて戦場で彼女を看取った「彼」という人間は、先ほどの工場の爆発で死亡したことになっている。今、この部屋にいるのは、軍のデータベースを欺き、網の目から滑り落ちた実体のない名前――。
「……クハッ……ハハハ……」
乾いた笑いが、狭い部屋に響いた。 愛した女の声で囁くチップが、彼に新しい命を与えたのだ。人間としての名前を捨て、軍を呪うためだけの影。
彼は、傍らに転がっていた安酒のボトルを一口煽り、モニターに映る「霧咲・ロウ」の文字を指でなぞった。
「来いよ。……霧咲・ロウと地獄に付き合ってもらう」
窓の外では、彼を探す軍のサーチライトが空を虚しく切り裂いている。 だが、彼らはもう、自分たちが何を追えばいいのかさえ分かっていない。
オイルの臭いにまみれた、新しい夜が始まった。




