― スパイの帰還 ―
ロウとニビをアイゼン・ガルドの宇宙港へと向かわせた後。 キーヨは一人、鏡の前で髪を束ね直していた。
その瞳には、かつての「潜入整備士」としての鋭い光が戻っている。
「……ごめんね、二人とも。私を助けてくれた、お人好しの亡霊さんたち」
彼女が取り出したのは、アイゼン・ガルドの軍服ではない。 ネオ・シオン技術連邦の、それも**「特務整備官」**の階級章だった。
「(私がルナ・カノンへ行ったところで、過去の記録に捕まって終わる。……でも、ネオ・シオンなら、私の『死んだはずのID』がまだ生きているはずよ)」
彼女の目的は、二人を裏切ることではない。 アンドロイド工場襲撃の首謀者――その正体を突き止めるため。
そして何より、自分を信じてくれたロウとニビを、この泥沼の星系から「異世界」へ逃がすための安全な航路を独力で確保することだった。
「……スパイごっこは、もう終わり。ここからは、私の個人的な『後始末』よ」
彼女は、かつての母国が管轄する輸送艦『ヘリオス・ライナー』の搭乗ゲートへと歩き出す。 認証機が、冷たく告げた。
『――認証完了。お帰りなさい、カイム特務曹長。……およそ1200日ぶりの復帰です』
― 蒼い月の毒蜂 ―
ネオ・シオン技術連邦、第2衛星『セレーネ・データム』。 無機質なセラミックの床と、流線型のホログラムが彩るその宇宙港は、泥とオイルにまみれた地上とは別世界の、冷徹な美しさに満ちていた。
ハッチが開き、減圧の白煙の中から一人の女性が歩み出る。 タイトな制服を纏い、感情を凍りつかせたような無表情。――カイムだ。
「――出迎えは不要と言ったはずよ、軍曹」
待ち構えていた警備兵に対し、彼女は視線すら向けずに言い放つ。 その声は、ロウたちが聞いたこともないほど低く、鋭い。
「申し訳ありません、カイム特務曹長! 3年間の潜入任務、お疲れ様でした。アイゼン・ガルドのLC開発データ、回収状況は……」
「報告は局長に直接行う。それより、最新の演算端末を用意しなさい」
彼女は矢継ぎ早に命令を下す。
「それと、アステリア1型高速強襲艇。これを使用する1個小隊の配置状況、および稼働可能な『ヘリオス・ライナー』の貨物目録。30分以内に私の端末へ転送して」
「はっ、直ちに!」
兵士たちが敬礼し、足早に去っていく。 独りになった瞬間、キーヨは通路の影で、ブルーチップを握り震える右手を左手で強く抑えつけた。
(……これでいい。あいつらは、私が裏切り者のスパイだったなんて、これっぽっちも疑ってない)
キーヨは唇を噛み切り、かつての同僚たちが忙しなく動く管制室を見下ろした。 その視線の先、最新鋭のハンガーには、調整中の**『量産型アスラ』**の不気味なシルエットが並んでいる。
「……悪いけど、私の好きにさせてもらうわよ」
彼女は迷わず、ネオ・シオンの軍機密データベースへ――。 「プロジェクト・アスラ」の核心部へと、ブルーチップを接続した。




