ずっと一緒
一触即発の空気の中、ユリウスが震える足を引きずるように前へ出た。
顔は真っ青で、視線は定まらず息は荒く、今にも倒れそうな歩みだった。
ナインたちの前まで来ると、その場に崩れ落ちるように膝をつく。
両手を地へつき、肩を震わせながら顔を伏せる。
「わ、私が……愚かだった……!」
絞り出す声は上擦り、掠れ、途中で途切れそうになりながらも、必死に続いた。
「私が……間違っていた!
間違えたのは王家でも、王国でもない……すべては私の過ちだ……!
罪は……私だけにある……!
責を負わなければならないのは、私だけだ……!」
静まりかえった戦場の中で、ユリウスの声だけが響いていた。
膝をついたまま、ユリウスは顔を上げられず、指が地を掻いた。
「シュトルムベルク辺境伯爵も……レヴィアタン名誉男爵も……!」
震える声が、それでも戦場へ届いていく。
「ラズヘルドに欠けてはならない……国を支える柱だ……!
その柱を、私の愚行で失うわけには……いかない……!
我が叔父アーデルハイト公爵も、国を思っての行動だったのだ」
噛みしめた唇の下で、ユリウスの肩が大きく震えた。
「だから……だからこそ……!」
両手をさらに地へ押しつけるようにして、首を差し出す姿勢を取る。
「私の命をもって……償う!
この首ひとつでは足りぬことは承知している……
それでも……どうか……どうか謝罪を受け入れてほしい……!」
掠れた声は途切れかけながら、それでも言葉をつないだ。
「罪は……私だけのものだ……
信じてもらえぬと思うが、私は王国の民が悲しみ苦しむことなど、望んではいなかった。
……浅慮だった……私が愚かだった。
どうか、どうか……!」
誰もがその姿を見つめていた。
その中で、ルドルフ・ヴァン・シュトルムベルクが口を開いた。
ルドルフはシラけた様に小さく嘆息すると、隣に立つルカへ視線を向けた。
「勇者殿。第二王子の謝罪を、いかがなさる?」
問われたルカは、すぐには答えず、指先を固く握った。
込み上げる怒りを押し留めるように呼吸を整え、皆へ届く声で言葉を紡ぐ。
「……まず、ひとりの女、ルカとして申し上げます。
私は、私の大切な人にあの様な仕打ちをした者たちを、赦しません。できるのなら、同じ思いを味わわせたいと思っています」
その言葉を終えたのち、ルカはわずかに息を吐き、勇者の顔となった。
「けれど今は、勇者ルクレツィア・ヴァン・クラウドとしてお答えします。
私は勇者として、王族からの謝罪を受け入れます。勇者は、王国の敵ではありません」
怒りの熱を抑え込み、言葉を慎重に重ねながら、ルカは前を見据えた。
ルドルフはゆっくり息を整え、戦場に残る緊張を切り裂くように声を放った。
「勇者殿……そのご判断、何という寛大さか。この場で、その言葉を示されたこと──感服仕った!
勇者の半身たる、大魔法使い殿は如何か?」
周囲の視線がゆっくりとナインへ向けられた。
彼は短く息を吸い、淡々と口を開いた。
「……勇者の半身として、申し上げます。
勇者の敵が、私の敵です。
王国が勇者の敵でないのなら、私は王国を敵とはしません。
ただし…」
ナインは一度だけゆっくり息を吐いた。
その眼差しには、抑えきれない怒気が宿っている。
「……一人の男、ナインとしてお前らに言っておく。
二度目はない」
短く、鋭く、低い声が漏れた瞬間。
閃光が皆の視界を焼いた。
地表で弾き飛ばされた土砂とプラズマ化した空気が一気に膨張し、太陽を真正面から見たときのような白い光に、短いオレンジ色の尾が混じる。
その後、わずかな遅れを伴って、重低音の破裂音が大気を叩きつけてきた。
《黒巣》を砕いた、ナインの大質量爆撃が、アーデルハイト公爵領の穀倉地帯に着弾したのだ。
視界の奥、落下点では茶色から黒へ変わるように巨大な土煙の柱が立ち上がっている。
高さ数百メートルにまで伸び、その縁では上昇気流が土砂を巻き込み、火山噴煙のようなキノコ雲を形成し始めていた。
焦げた金属臭と、焼けた土の匂いが風に乗って漂い、鼻腔を刺す。
皆が呆然と惨状を眺める中、爆煙を背に、魔王の様にユリウス達を睥睨するナインの声が、戦場に流れる。
「次は当てる。
今度ルカに手を出したら、王都だろうが公爵領だろうが関係ない。まとめて滅ぼしてやる」
*
オリヴィア・ヴァン・レヴィアタン著。
《北方転移期記録》
—親愛なる祖父と三人の祖母達に捧げる。
より抜粋。
*
後に《世界を震わせた一撃》と言われた、ナインによるアーデルハイト公爵領への大質量爆撃は、《シュトルムベルク•レヴィアタン連邦》成立のきっかけとなった。
アーデルハイト公爵領の穀倉地帯は壊滅に近い損害を受け、公爵家の主要な収入源は長期にわたり喪失し、以降同家は衰退の一途を辿った。
この被害は王都ラズヘルドも直撃した。
王都が消費する食糧の約五割を同地からの供給に依存していたため、王都は短期間のうちに深刻な食糧不足へと追い込まれた。
こうした状況を解決したのは、レヴィアタン商会であった。
アーデルハイト公爵領の穀倉地帯が壊滅的打撃から立ち直れぬ中、同商会は自前の交易網を駆使して、最終的にはラズヘルド王国へ供給される食糧の六割を担うまでに成長したと記録されている。
この結果、同商会は王国内において比肩する勢力のない経済的影響力を獲得した。
後年の記録によれば、ザミュエル・ヴァン・レヴィアタンは、事態があまりに整然と収束したことに触れ、「この結末を予見していたのか」とナインへ問うたとされる。
これに対し、ナインは、悪戯を咎められた者のような面持ちで「実は少し狙っていました」と応じたと伝えられている。
このやり取りは、後世において《北方転移期》の象徴的逸話としてしばしば引用されている。
一方、北方のシュトルムベルク辺境伯爵領では、開拓事業がかつてない規模で進行していた。
三百年前、アルトゥール・ヴァン・シュトルムベルクが当該地へ封じられた理由は、北方に広がる広大な鉱物資源の鉱床開発にあったとされる。
長年、魔王の脅威によって本格的な開発は停滞していたが、ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク辺境伯爵は、魔王が討伐されるや、直ちに大規模な開拓計画を発動させたのだった。
この計画は十数年で成果を上げ、北方一帯には多数の採掘都市、精錬工房、交易拠点が形成されていく。
ラズヘルド王国史は、この時期を《北方転移期》と記している。
魔王討伐後、北方に眠る魔銀鉱床が一斉に開発されたため、史家の間ではこの前後数十年を 《魔銀狂時代》 と呼ぶのが通例となった。
王都周辺で長らく形成されていた経済圏は急速に縮小し、商人、鉱夫、貴族に至るまで、多くの者が北方の新しい繁栄を求めて移住した。
この動きは民間において 《北部を目指せ》の言葉で語られ、ひとつの社会的潮流として定着した。
その結果、王国の経済中心は王都を離れ、完全に北方地域へ移行したと位置づけられている。
かねてよりナインを介して強固な協力関係を築いていた、シュトルムベルク辺境伯爵家とレヴィアタン名誉男爵家は、こうした情勢の中で政治的統合を選択した。
両家は共同で宣言を発し、《シュトルムベルク・レヴィアタン連邦》を樹立。これにより北方地域はラズヘルド王国からの独立を達成した。
ラズヘルド王国年代記は、この出来事を「北方独立」と記し、以後数十年にわたり王国政治の構造を揺るがす転機として扱っている。
《北方転移期》から《北方独立》へ至る二十余年は、王国史上、創世以来の活発な時代として知られている。
北方は開拓と交易に沸き、日々地図が書き換わるほどの変化を見せた。
その只中にあって、大勇者ルクレツィア•ヴァン•クラウドと、《勇者の半身》大魔法使いナインの名は頻繁に記されている。
魔王討伐ののち、両名は正式に結婚し、以後も各地で頻発した魔物討伐、辺境開拓支援、鉱山都市保護など、北方再編の要所に姿を見せた。
勇者ルクレツィア•ヴァン•クラウドは、その美しい容姿と愛らしい性格で、民草からは《勇者ルカ》と呼ばれ親しまれていた。
勇者ルカは、出産後もその力を衰えさせることなく、むしろ以前を上回る活躍を示し、女性魔法使いの妊娠•出産に関するマイナスイメージを持つ通説に、一石を投じたのはこの時期である。
そして、力を増した彼女の事を、後世の史家は「史上初めて天寿を全うした勇者」 と記録している。
大魔法使いナインの名は、常に勇者ルカの隣にあった。
人々は彼を 《勇者の半身》 と呼び、晩年に至るまでルカと共に戦場を離れることはなく、勇者を支え、共に複数の魔王達との激戦を潜り抜けた。
またナインは、エルヴィナ・ヴァン・レヴィアタン、ミレーユ・ヴァン・シュトルムベルクと正式に結婚し、両家の結びつきを揺るぎないものへ導いた。
この縁が後に 《シュトルムベルク・レヴィアタン連邦》 樹立の強固な基盤となったのは、史書の通りである。
余談だが、この頃の記録には、しばしばナインに関する異名――《女神殺し(ガッデススレイヤー)》が登場する。ナインが高位存在と戦った記録は無く、これは、絶世の美女•美姫三人を、事実上娶った事に対しての揶揄と言われている。
《北方転移期》から《北方独立》へ至る激動の年代は、ナインとルカの活躍を抜きに語ることはできない。両名の存在は、単なる英雄の域を越え、北方史そのものを形づくった中心軸として記されている。
*
戦場に。
──どこからともなく、
滲むように──歌が、流れてきた。
いや、違う。
歌ではない。
得体の知れない、だがひたすらに美しい旋律だった。
妖艶さを含み、どこか背徳めいた響きを帯び、背筋に冷たいものを這わせる声。
けれど、その調べは何度となく耳にしてきたものだった。不安をほどくように、深い場所へ染み入っていく。
ナインの──第九階梯魔法の高速詠唱だ。
詠唱が終わり視界一杯に、魔法陣が展開した。
「雷衝極圧」
白熱した閃光が空を裂いた。
超高電圧――およそ数百万ボルトにも及ぶ電流が、大気を裂く轟音と共に、目の前の巨龍に叩きつけられた。
戦場の空には閃光に満ち、雷が巨大なドラゴンの身体を包み込む。
火花が飛び散り、龍の鱗が焼け焦げ、四肢は痙攣し、身動きがままならなくなる。
その刹那を逃さず、ルカが踏み込んだ。
剣が光を刻み、次の瞬間──龍の首が断たれ、重い音を残して崩れ落ちた。
もう、六十年以上、共に戦ってきた。
ルカは七十歳以上の齢を重ねていたが、龍脈の力のせいか、四十代のような若々しい姿のままだった。
一方、ナインは年相応の七十代の外見で、静かにその戦いを見守っている。
その時。
ナインの胸の奥で、急に何かが沈んだ。
脈が……抜ける。
鼓動の間に、妙な“空白”が開く。
ひと息ごとに、世界がわずかに遠ざかっていくのが分かる。
周囲の景色が水の底みたいにぼやけた。
指先がすうっと冷える。
視界が狭まる。
端から黒い墨が流れ込むみたいに、見えなくなる。
重力の向きが急に変わったように、地面に吸い込まれる。
周りで、息子達が何か叫んでいる。
落ちる。
暗いところへ。
色彩が急に無くなっていく中、最後に覚えているのは、金色に輝くルカだった。
「……綺麗だ……」
その言葉はもう声には出せず、ナインの意識は途切れた。
残心を解いてナインの元に戻ると、子どもたちが倒れているナインに縋っていた。
「母上!父上がっ!」
娘の一人が、振り返って叫ぶ。
もう判っていた。
ナインはもう居ないのだ。
過去に交わした誓約のせいだろう。自分の身体から魔力や生命力が失われていく。
子供達には、こうなる事は予め伝えていた。
ルカは子供達に別れを告げると、震える手でナインの手を握りしめた。
まだ、暖かかった。
涙が滲んできた。
もう、事切れている、ナインの横顔に語りかける。
「今まで……ありがとう…私もすぐに追いかけるね……」
力を使い果たしたルカは、ナインに重なるように崩れ落ちた。
二人は最後まで寄り添い、互いの手を握ったまま、静かに息を引き取ったのだった。
ルカもナインも、微笑んでいるようだった。
*
光が満ちていた。
暖かい日差しが、どこまでも穏やかに広がっている。
その中心で、ナインは所在なげに立っていた。象徴的だった角も義眼もなく、二十歳ほどの青年の姿だ。
気配に振り向いたその先から、走る足音が届く。
「ナイン!」
駆け寄ってきたルカも、同じく若い姿をしていた。金のソバージュが陽の中で揺れ、頬が少し赤く染まっている。
「待たせてごめんなさい」
息を弾ませながらそう告げるルカに、ナインはわずかに目を細めた。
「……ずいぶん早かったね。もっとゆっくり来ればよかったのに」
「いいの。早く会いたかったの」
頬を少し膨らませながら、ルカはナインに腕を絡め、手も繋いだ。
繋いだ指先が、ようやく出会えた安心を確かめるように絡み合う。
ナインはその温もりを包み込むように、そっと言う。
「じゃあ……一緒に行こう。そばにいるよ」
ルカはくしゃりと笑い、ナインの肩に頬を寄せた。
「うん。ずっと一緒ね」
二人は寄り添ったまま、歩き出した。
離れる理由など、もうどこにもなかった。
おしまい。




