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魔王討伐

 下半身が吹き飛び、外殻が砕け、露出した筋繊維の隙間から濁った液体が滴り落ちる。

 それでも、ヴォルム・マグナは前進を止めない。


 巨腕が瓦礫を掴み、砕き、再び前へと這い、高速に突き進む。一掻きごとに地面が軋み、破片が跳ね上がる。

 執念が、肉体を押し出しているようだった。


 ルカが動いた。

 瓦礫が爆ぜ、空気が裂けた。

 踏み込んだ瞬間、地面が陥没する。

 身体強化を限界まで解放し、金光が奔った。


 次の瞬間には、ルカの姿はもうそこになかった。

 圧縮された空気が尾を引き、金色の残光が一直線に魔王へ突き抜ける。


 ヴォルム・マグナが腕を振り上げるより早く、斬撃が届いた。

 閃光が閃き、空気が裂け、金の軌跡が魔王の頭頂を貫く。


 轟音と共に、魔王の頭部が唐竹に割れた。

 濁った液体が噴き上がり、巨体が崩れ落ちる。


 ルカはその向こう側で剣を振り抜いた姿勢のまま、動かなかった。

 戦場に、一拍遅れて爆風が吹き荒れた。


 切断された魔王の頭部が、空中で弧を描き、地面に叩きつけられた。

 鈍い衝撃音が響き、砕けた瓦礫の上を転がる。


 それでも、ヴォルム・マグナの頭部は動いていた。

 赤い複眼が不規則に発光し、ヴォルクリンたちを睨みつける。裂けた口腔が、ガチガチと断続的に開閉し、声にもならぬ音を漏らしていた。


 未だに蠢く頭部に《天敵》が一斉に群がった。羽音が重なり、次々と針が突き立てられる。黒い外殻に無数の針が刺さり、魔王の体液が滲み出す。

 複眼の光が一瞬だけ強く明滅し、その後、消えた。


 《天敵》たちも、ひとつ、またひとつと動きを止めていく。

 内部で焼け付くような音が走り、身体が自壊して崩れ落ちる。稼働限界に達し、外殻が砂塵のように崩壊していった。


 残されたのは、沈黙した魔王の頭部だけだった。

 赤い光は消え、口も閉ざされたまま。

 

 誰も動かないまま、その終焉を見届けていた。

 三百年にわたり、人類を脅かし続けた魔王の最期。

 その終焉は、あまりにもあっけなかった。


 《ヴォルム・マグナ》—かつてアルトゥール•ヴァン•シュトルムベルクが生み出した、ホムンクルス。創造主に反逆し、世界さえも脅かした存在。

 だが、その命を断ち切ったのもまた、同じシュトルムベルクの血脈に連なる者により作られたホムンクルスだった。


 カーティス・ヴァン・シュトルムベルクが設計した《天敵》の群れが、魔王とその眷属達を駆逐したのだ。


 長い長い因縁の終焉だった。


 風が吹き抜ける。

 灰と砂塵を巻き上げながら、戦場から熱が消えていく。

 その空の下に、嗚咽が流れてきた。


 カーティスが膝をついていた。

 涙が頬を伝い、地に落ちた。

 それは歓喜ではなく、悔恨でもなかった。


 シュトルムベルクの直系は、皆アルトゥールの記憶を受け継いでいる。

 祖であり、罪人でもあるその男の記憶は、血の中に沈殿していた。

 魔王を生み出した罪。

 世界に災厄をもたらした責。


 カーティスは、物心ついた時からその罪の重さを知っていた。

 呼吸するたびに、焦燥と不安と自己嫌悪が胸の奥で疼いていた。

 それが今日、ようやく終わった。


 嗚咽はもう声にもならず、ただ息のように漏れて消えていく。

 カーティスは空を見上げ、頬を伝う涙を拭わなかった。

 彼の中のアルトゥールが泣いている。

 三百年かけて、自ら精算した終焉だった。

 その瞳に映る空は、どこまでも澄んでいた。


 ヴォルクリン・ヴァン•シュトルムベルクは、剣を地に突き、ゆっくりと息を吐いた。

 その瞳に宿る光は、勝利のものではなかった。

 この戦いの果てにあったのは、贖罪だった。


 四十年以上、辺境伯として、ただひたすらに魔王と戦い続けた。

 初めてアルトゥールの記憶を夢に見た夜のことを、今も覚えている。

 戦場で部下が斃れるたび、罪が疼いた。

 戦うほどに、彼の中のアルトゥールが苦しんだ。


 だが、戦うしかなかった。


 ヴォルクリンは目を閉じた。

 節くれだった指が、柄から離れて震えていた。

 何かが終わり、何かが抜け落ちた。

 その空洞を、深い安堵が満たしていった。


 遠く離れた領都。


 指令室の中央で、ルドルフ・ヴァン・シュトルムベルクは、座り込んで動けなかった。


 肩の力が抜け、椅子の背に沈む。

 唇が動かない。

 

 胸の奥で何かが崩れる音を聞いた。

 幼いころから刻まれていた、不安。

 夜に目覚めたとき、胸を締めつけていた焦燥。

 押し潰されそうな、自己嫌悪。

 ――罪の自覚だった。

 今、それが終わったのだと、彼の中のアルトゥールから伝えられた。

 涙は出なかった。

 ただ、世界が少しだけ、軽くなっていた。


 領都のナインの自宅。

 ミレーユ・ヴァン・シュトルムベルクは、窓辺で空を見上げていた。


 ミレーユの胸に、熱いものが込み上げた。

 生まれた時からそこにあった、形を持たない痛み。

 胸の重み――言葉にならない不安が、焦燥感が、自己嫌悪が溶けていく。


 息を吸うたび、世界が少しずつやわらかくなる。

 頬を伝う涙に、ミレーユはようやく気づいた。

 その涙は悲しみではなかった。

 喜びでもなかった。


 ――終わったのだ。

 

「よかった…」


 小さく、呟く声が震えた。

 風がカーテンを揺らし、白い光が頬を撫でていく。


 シュトルムベルクの血に刻まれた罪の記憶が、今、ようやく眠りにつこうとしていた。



 * 

 


 王都の西、アーデルハイト公爵邸。

 厚い絨毯の上に、ひとりの壮年の男が腰を下ろしていた。

 金糸を紡いだような髪が肩にかかり、夜灯の下で白金に近い冷たい光を放っていた。

 氷を思わせる淡い青い瞳は、感情の温度を感じさせない。


 報告を終えた伝令が頭を垂れる。


 ラドクリフ・ヴァン・アーデルハイト公爵は、目を細めた。

 その瞳には喜びも安堵もなかった。

 唇の端に、わずかな歪みが走る。


「魔王が討たれたか….しかも、討伐軍の損害は皆無だと?あの化け物魔法使い、今度は何をしでかしたのだ」


 公爵は立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。

 穀倉地帯の向こう、遥か北方の空が薄く霞んでいた。

 そこに、長年の政敵が居る。


 ――三百年、人々を恐怖で縛っていた存在が消えた。

 そして今、魔王に向けられていた戦力は、どこに向かうのか。


「シュトルムベルク一族は、これで英雄か……。ふん、自業自得だというのにな」

 吐き捨てるように言うと、公爵は机に視線を落とす。

 上には王国の地図が広げられ、辺境伯領に赤い印がいくつもピンで刺さっていた。

 地図に触れる指が、ゆっくりと動く。


「魔王討伐で北に行った軍は、無傷で帰還するか….やむを得んな」


 執務室の奥から、黒衣の影が二つ現れた。

 公爵の私設暗部――表には存在しない部隊。

 彼は低く命じた。


「ルクレツィア・ヴァン・クラウドを拉致せよ。ユリウス殿下にも、一肌脱いでいただこう。

 そして――あの化け物、ナインだったか、を消せ。」


 影たちは沈黙のまま膝を折り、闇に溶けるように姿を消した。


 ラドクリフは再び椅子に腰を下ろす。

 その顔には、ただ冷たい策謀の炎だけが、瞳の奥に揺れていた。


「シュトルムベルクとレヴィアタン……少し力が集中しすぎたな。

 勇者の一人くらい、手元にいなければ釣り合いが取れん。

――王家は、強くなければならん」



 * 



 その日の討伐軍の夜営は、ひときわ穏やかな空気に包まれていた。

 明日には領都へ帰る。その思いが、天幕の中にも満ちている。


 女性用の天幕では、兵たちの笑い声が遠くに聞こえていた。

 エルヴィナは、毛布にくるまって眠り込んでいるルカを見つめ、ふっと微笑んだ。

 安心しきった寝顔に、戦いの影はもうなかった。


 自分も、やけに眠い――そう思った瞬間、エルヴィナのまぶたは重くなった。

 ランプの灯がやわらかく揺れている。


「……そろそろ消します」


 ライーシャが囁き、灯を指で覆う。

 光が消え、天幕の中は闇に沈んだ。

 外では、焚き火のかすかな音だけが続いていた。



 *



 討伐軍の宿営地の一角――ナインは天幕の中で眠っていた。

 夜営の際は常に、脳内仮想領域に仮想人格ダブルイプシロンを構築し、就寝中の警戒を任せている。


 夜半過ぎ。

《ダブルイプシロン》が夜営地への侵入者を五名検知し、宿主であるナインへ警告を送った。

 だが、深い眠りに沈む彼は反応を示さない。


 歩哨を含め、陣内は不自然なほどの静寂に包まれていた。


 幕の端がわずかに動く。

 影が三つ、床を這い、薬を混ぜた香を焚きしめた。

 淡い煙が広がり、寝台の上のナインの呼吸が浅くなる。


 一人が短剣を抜いた――その瞬間、ナインが跳ね起きた。

《ダブルイプシロン》の自動防衛が作動したのだ。


 人形のような無機質な動きで、ナインは飛びかかる影をかわす。

 続けざまに高速詠唱。

 衝撃波が放たれ、襲撃者の一人が天幕の外へ吹き飛ぶ。

 次いで、マジックミサイルが連射された。


 だが残る二人のうち、一人が身を盾にして魔弾を受け止め、もう一人が黒い袖口から細い金属針を放つ。

 ほとんど音を立てずに飛んだ針の一本が、ナインの首筋に突き刺さった。


 毒が流れ込む。

 ナインの身体が急速に力を失い、そのまま寝台へ崩れ落ちた。


 しかし、倒れた二人の仲間も動かないままだった。

 残る三人は互いに短く視線を交わすと、勇者の拉致を急ぐ為、ナインに刺さった針を引き抜くと天幕を離れる。


 針先には、猛毒ベラドの抽出液が塗られていた。

 即効性を持ち、わずかな量でも心臓を止めるほどの致死性を備えている。


 ナインの脈を確かめるまでもなく、即死しているはずだった。


 その場に残されたナインの身体は、微動だにしなかった。

 天幕の中には、焚かれた香の煙と、魔力の残滓だけが漂っていた。

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