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突撃の魔王

 《黒巣》崩壊の報告は、辺境伯領軍に今回の遠征での魔王討伐を決定させた。

 払暁、薄明の中で出発が決定され、陣営のあちこちに慌ただしく通達された。


 夜を裂くように、号令が響く。

 馬具の金具が擦れる音が重なり、鉄と革の匂いが冷えた空気に広がった。

 東の空が淡く色づく頃、辺境伯領軍は《黒巣》へ向け進発した。


 日の出とともに、偵察中隊から追加報告が届く。

 《黒巣》は完全に崩壊、中心部に半径数キロメートルの陥没が確認されたという。

 それを受け、騎士団は進軍速度を上げた。


 陽が高く昇るころ、前衛の視界に黒い地平が見えた。

 そこが、かつて《黒巣》と呼ばれた場所だった。

 昼前、辺境伯領軍はその地点に到着する。

 風が止み、焦げたような匂いが漂っていた。

 誰もが無言でその光景を見つめていた。



 


 昼前、野戦陣地の司令所。

 帆布を透かして射す陽光が淡く揺れ、クレーターから吹き上がる熱風が天幕の端を押し上げていた。

 重い空気の中で、偵察中隊からの報告が始まる。


「……報告します。《黒巣》、完全に崩壊を確認。クレーターの直径、およそ十八キロ。深度、推定五百メートル」


 参謀たちは一斉に顔を上げ、地図上の《黒巣》跡へと視線を寄せた。


「続けます。クレーター中央部に、魔王の眷属と思われる兵士級を千体前後確認」


 天幕内の空気が緊張に包まれる。

 報告官は一度唾を飲み込み、声を整えて続けた。


「……加えて、軍団長級と思われる個体を一体確認。上半身の大部分が損壊していますが、活動反応を検知。眷属たちはその個体を中心に、周囲へ構造物を築き始めています」


 わずかに誰かの息を呑む音が響く。

 報告官の声は抑制を保ちながら続いた。


「形状は、旧《黒巣》に類似した立体構造。複数の魔力波反応を検出。……再び《巣》を構築しようとしている可能性が高いと見られます」


 報告が終わると、天幕の奥からヴォルクリンの声が落ちた。

 低く、沈んだ響きだった。


「……魔王ヴォルム・マグナの存在は確認されたか」


 尋ねられた騎士は一瞬言葉を詰まらせ、目を伏せた。


「偵察範囲内では未確認。中央構造物の内部については、現時点で不明です」


 短い沈黙。

 紙地図の端を風がめくり、微かな音を立てた。


 やがて幕僚のひとりが言葉を選ぶように口を開く。


「――新たに築かれている構造物。あの内部に、魔王本体が潜んでいる可能性が高いと考えます。

 眷属たちの布陣も、それを護る配置に見えます」


 ヴォルクリンの眉がわずかに動く。

 短い息を吐き、椅子の肘掛けに手を置いて立ち上がった。


「よかろう。……ならば速攻だ」


 その一言に、幕僚たちの視線が一斉に集まる。

 ヴォルクリンの声音には、一片の迷いもなかった。


「カーティス。《天敵》を出せ。目標は中央構造物周辺の魔王眷属だ」

「承知しました。出撃準備に入ります」

「第四騎士団は引き続き、周辺の索敵と警戒にあたれ。その他全軍は一時休息。ただし、気を緩めるな。

 状況に変化がなければ、三時間後に総攻撃を開始する」


 短い沈黙ののち、全員が一斉に動き出した。



 * 



 ヴォルクリンの命を受け、カーティスは《天敵》出撃の準備を進めるため、輜重隊の陣へ向かっていた。


 彼は黒布で覆われた搬送箱の前に立ち、封印の符を外す。わずかに空気が震え、箱の内側から淡い光が漏れ出した。中には、琥珀色の培養液に沈む卵の群れがある。——《天敵》の卵だった。


 《記憶の水晶》がもたらした知識は、対魔王軍戦において数多くの革新をもたらしていた。その一つが、この寄生蜂パラサイトイド・ワスプである。


 元々、魔王の素体となった蟻型の魔物には、自然界における“天敵”が存在していた。

 それは、寄生した相手を最終的に死へ導く寄生蜂——パラサイトイド。


 カーティスはその種を基に、そして《記憶の水晶》の叡智を借りて、新たな存在を創り上げた。

 魔王の眷属を狩るためだけに設計された、蜂型のホムンクルス。

 それこそが、辺境伯爵領軍の切り札—―魔王を造り世界に厄災をもたらしたシュトルムベルクの血脈が、己の罪を償う為に選んだ答え——魔王の眷属にとっての《天敵》だった。


 《天敵》は起動から三十分後、活動を開始した。

 羽化の瞬間、体表を走る魔術紋が一斉に発光し、金属を擦り合わせたような羽音が戦場を震わせる。


 体長はおよそ一メートル。灰青色の外骨格は鈍い光を返し、節ごとに刻まれた紋様が魔術的な符文を連想させた。

 腹部の先端には、槍状の産卵管が不規則な光を拾い、表面を濡らしたように輝いている。


 総数三十の群れは一斉に上昇し、指定されたクレーターの方角へと向かった。


「眷属撹乱煙幕、展開!」


 《天敵》の出撃に合わせ、カーティスの号令が響く。

 魔王軍の指揮系統を攪乱するための化学物質が散布された。

 三年前の《大襲来》を誘発した、あの魔王軍の指揮を狂わせるフェロモンを対魔王特化兵装として、改良したものだ。


 濃密な煙が戦場を覆い、魔王の眷属たちは方向感覚を失う。

 そこへ《天敵》が襲いかかった。


 彼らは眷属に取りつき、一度の接触で八十から百の卵を注入する。

 卵は宿主の体内で約三十分のうちに孵化し、内側から筋肉と骨格を穿って這い出てきた。


 新たに生まれた蜂型の個体はすべて雄だった。雄の《天敵》の寿命は数時間。一代で死滅する。ホムンクルスの暴走を防ぐ為の処置だった。

 雄の《天敵》達は、産卵しない代わりに強力な毒針を持っていた。近くの眷属へと即座に襲撃を開始する。毒針で貫かれた眷属の神経は焼き切れ、抵抗の暇もなく動きを止めた。


 一体だけ確認されていた《勇者個体》、および損傷した軍団長級がわずかに抵抗を示したが、構造物周辺に展開していた千体規模の眷属群は、辺境伯領軍が大休止を終えた、二時間足らずの間にすべて駆逐されていた。


 その後、構造物の周辺で、《天敵》たちは散開していた。

 飛行高度を一定に保ち、緩やかな円を描きながら旋回する。感知範囲に残存する魔王の眷属を、一体ずつ捕捉していく。

 瓦礫の下や、崩落した壁の陰に埋もれた個体を、群れ全体で追跡していた。


 一体が目標を捉えると、すぐに二、三体が連動して接近する。

 脚部の鉤爪が瓦礫を払い、掴み、持ち上げ、隠れていた眷属の身体を露出させた。

 逃れようと動いた瞬間、毒針が屈伸し、表層へ突き立てられる。

 反応は短く、刺入から数秒で眷属の動きが止まった。


 《天敵》たちは間を置かず、次の標的へと向かう。

 煙幕が薄れ始める中、触角を微かに振動させ、眷属達の反応を探知する。

 建造物の亀裂、地下通路の入口、倒壊した瓦礫の隙間へ――一体ずつ潜り込んでいった。


 構造物の奥深くで、低い振動が走った。

 崩れた壁面の奥から、魔力の異常な上昇が検出される。


 厚い外殻を突き破るようにして、巨体が姿を現した。

 魔王ヴォルム・マグナだった。


 全高は五メートルを超え、全身を覆う漆黒の装甲は樹脂と金属を混ぜ合わせたような質感を持つ。

 細長い頭部の中央には赤色の複眼が並び、下顎の内側に配置された四枚の咀嚼器官が、規則的に開閉していた。

 背部には硬化した外骨格の板が層をなし、そこから複数の管状突起が延び、内部を液体が循環している。

 長大な尾節の先端には、刃状の突起が形成されており、鞭のように振り回されている。


 《天敵》たちは即座に攻撃を開始した。

 十数体が同時に接近し、腹部の毒針を構えて一斉に突撃する。

 刺突音が重なり、外殻に亀裂が走った。

 だが、その瞬間、ヴォルム・マグナの体表から高密度の魔力波が放たれ、周囲の《天敵》が制御を失う。


 針を刺した個体の魔術紋が変色し、攻撃目標を変え、同胞へ襲いかかる。

 ヴォルム・マグナは、《天敵》の中枢に干渉し、刺突してきた個体を支配下に置いたのだ。

 制御を奪われた《天敵》は、魔王の周囲を防衛陣形のように取り囲み、翼を震わせて他の個体を排除する。


 だが、同時に毒の浸食も進行していた。

 ヴォルム・マグナの外殻の隙間から黒紫の液体が滲み出し、脚部の動きが鈍る。

 咆哮のような叫びが周辺に響き、空気が震えた。


 その刹那、魔王に支配された《天敵》の内部で、防御プログラムが作動する。

 個体の魔術紋が一斉に白光を放ち、数秒後、内部構造が崩壊。高周波の破裂音と共に、支配された群れは自壊した。

 これも、支配型ホムンクルスである魔王戦に備えて《天敵》に組み込まれた機能だった。

 爆裂した外骨格の破片がヴォルム・マグナの体表に突き刺さり、魔王の姿勢が一瞬、崩れた。


 その時、戦場に響いていた声に、皆が気づいた。

 初めは、夜露のひと滴のような、かすかな嗚咽だった。

 次第に、遠くで続く葬送の鐘の音のように聞こえ、

 やがてそれは、断末魔の悲叫のように戦場に響き渡った。


 ――ナインの高速詠唱だった。

 

「――雷電怒涛ヴェンジェンス


 鍵音が紡がれ、詠唱の最後の音節が空気を震わせる。

 第七階梯の魔法が発動した。


 甲高い金属音とともに、魔王の直上と足元に青白い魔法陣が展開する。


 次の瞬間、上空の魔法陣から、太い光柱のような雷撃がいく筋も伸びた。


 落雷が着弾した瞬間、空気が裂けた。

 青白い閃光が戦場を覆い、地面の輪郭が白く反転する。

 音よりも先に胸郭を押し潰すような衝撃が走り、砂を含んだ熱風が四方へ吹き飛んだ。

 連続する雷撃に、視界は完全に光で満たされ、轟音が続く中、魔王の輪郭も距離も掴めなくなる。


 それでも魔王は、全てを破壊するはずの雷撃に耐えていた。

 外殻の魔術紋が明滅し、細い線となって表層を走る。圧縮された魔力を全身にまとい、雷撃を受け止めたのだ。


 焦げた外殻から蒸気が立ち上り、青白い電光が表面を這う。

 それでも魔王は突進を止めない。

 前進するたび、地面が抉れ、焦土が散る。

 魔王は取り憑かれた様に、辺境伯領軍本陣へ、シュトルムベルクの血族、ヴォルクリンとカーティスへ迫っていた。


 しかし、ナインは同時に二つの詠唱を進めていた。

 一つは魔法攻撃、もう一つは物理攻撃。

 悲叫のような声が幾重にも重なり、響きを増していく。


「――《雷貫衝ヘルズベル》!」


 鍵音と同時に、二十を超える積層魔法陣が展開した。

 円筒状に並んだ魔法陣が二基、砲身のように形成され、魔王へ向かって伸びる。


 双軌積層魔法陣の間を、磁界の稲妻が駆け抜けた。

 ナインが予め用意していた巨大な矢尻の様な弾頭をセットした数瞬後、瞬間的に内部の温度は数千ケルビン、電流は数メガアンペアに達する。

 電子の奔流が魔法陣の間にローレンツ力を生み、わずか数ミリ秒の間に弾体へ数百万ニュートンの加速が叩き込まれる。


 鋼鉄の矢尻のような弾頭は、磁界の槌に叩かれたように滑り出す。

 初速はわずか0.001秒で音速を突破、そのままマッハ7に到達するまで加速。

 空気分子が衝突し、プラズマ化した衝撃波の白炎が発射口を包み込む。


 弾頭は、閃光とともに射出された。

 音を置き去りにした加速は、砲声が届くより先に、衝撃圧と熱波を周囲を叩きつける。

 極超音速の弾頭は、空を裂く鋭い尾を引き、その軌跡に沿って圧縮された空気が波紋状に膨張する。


 弾頭が魔王に命中した瞬間、衝撃波が周囲を反転させ、鉄すら液化するような電磁衝突熱と共に対象を貫いた。

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