みんなあげちゃう(はーと)×四
祭壇の上に、ルカが立っていた。
今日、この丘から、魔王の本拠地《黒巣》へ出撃する。
勇戦と必勝の祈りを神へ捧げるために、彼女は若さの残る面差しに、歴戦の戦士としての覚悟を纏っていた。
肩のあたりで切り揃えられた金の髪は、柔らかく波を描きながら風に揺れる。
ひと筋ひと筋が光を受け、淡い輝きを返していた。
碧い瞳には強い意志が宿り、遠くを見据えるように前方へと向けられている。
日々の鍛錬が形づくった均整の取れた肢体に、白を基調とした衣と銀の軽鎧が重ねられていた。
胸と肩を覆う銀の鎧が微かな光を返し、髪の煌めきと呼応して、ルカは天上から遣わされた戦乙女の様だ。
ルカの立つ場所だけが、澄んだ空気に包まれているようだった。
*
祭壇は丘の頂に築かれている。
白い石を幾重にも積み上げた円壇は、神に祈りを捧げる為に設えられ、同時に、決戦の始まりを告げる舞台でもあった。
祭壇を中心に、埋め尽くすように兵が並ぶ。
辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク麾下、三つの騎士団。
その数、総勢七千。
兵の列は寸分の乱れもなく整い、白銀の甲冑が陽光を受けてまばゆく輝いていた。
旗手たちが掲げる団旗は風を孕み、布の擦れる音が遠くまで響く。
兵列最前列に、第一騎士団麾下、勇者直掩部隊《勇者の一撃》が整列していた。
ナインは《勇者の一撃》の最前列中央に立っている。
痩せた体つきに、長い手足。
髪は黒く、瞳もまた夜の色を宿している。
黒衣に包まれたその姿は、光を吸い込むように沈んで見えた。
その視線は、祭壇の上のルカへと向けられていた。
ナインは祭壇の上のルカを見上げながら、遠い目をしていた。
秘密裏に行おうとしていた誓約の儀が、こんな形で公に行われるとは――想像もしなかったな….
*
夕食後、ナインの屋敷のダイニングで、ルカとエルヴィナ、ミレーユがテーブルを囲んでいた。
第三十四回《ナインの嫁会議》が執り行われている。
会議は概ね、ナインの入浴中に開催されており、ナインはこの会議体の存在は知らない。
本日の議題は、ルカの誓約の儀についてだった。
「……というわけで」
ルカが姿勢を正し、軽く息を吐いた。
「わたし、ユリウス殿下の求婚を躱わす為、誓約の儀でナインに身を捧げようと思うの」
「……つまり」
ミレーユが異なる左右の瞳を、ルカに向ける。
「神の誓約によって、物理的にもルカの身を殿下から守ろう、ということ?」
「うん」
エルヴィナが紅茶をかき混ぜながら、緋色の瞳でルカを見る。
「……そういう事ですのね」
ルカは頬を赤らめながら、説明を続ける。
「あ、でも、”身体を捧げる”って言っても、既成事実を作る、とかじゃないの。セイメイリョク?を分かち合うとか、そういう感じらしいのよ」
三人の間に一瞬の沈黙が落ちた。
エルヴィナが一口、紅茶を含みカップを静かに置く。
「……よろしいのではなくて?私は賛成しますわ」
「え?」
「それでルカが守られるのでしたら、むしろ良いと思いますわ」
ミレーユも穏やかにうなずく。
「わたしも賛成です。
今回の誓約は、王家の横暴から勇者を守る、という意味も持つと思います。
魔王との最終決戦を控えて、勇者様の心の憂いを取り除く事は、最重要事項です」
ルカは思わず顔を上げる。
「じゃあ、いいの……?」
「いいも何も、私たちは、既にナインに身も心も捧げているつもりですよ」
エルヴィナが柔らかく微笑み、再び紅茶に口を付ける。
「今回の誓約は、私たちにとっては、ルカを殿下から守るためのもの――それ以上でも、それ以下でもありませんわ」
「「ただし!」」
ミレーユとエルヴィナ、ふたりの声がぴたりと重なった。
その息の合い方に、ルカは思わず身を引く。
ミレーユは姿勢を正し、指先をぴしりと立てた。
エルヴィナは紅茶のカップをそっと机に戻し、緋色の瞳を細める。
「ナインがルカに身体を捧げるのは、だめです」
「絶対に、だめですわ」
「え、ええっ!? どっちも!?」
ルカの声が裏返る。
ふたりの視線が、同時に彼女へ向いた。
「当然でしょう」
ミレーユが、理屈を整えるように語り出す。
「ルカとナインは、すでに心を捧げ合っているはずです」
「え、まあ……うん」
「そうですわね」
エルヴィナが唇に指を添えて、くすりと笑う。
「ナインは私たち三人の夫となる方。
一番がルカだとしても、身体まで持っていかれるのは、不公平というものですわ」
「ふ、不公平……?」
エルヴィナがさらりと続ける。
「そうですの。それに――もしナインがルカに身体を捧げて、私たちが物理的に触れられなくなったら……どうするんですの?」
「それは、困りますね」
ミレーユが頷く。
「というわけで、ナインがルカに身体を捧げるのは、禁止ですわ」
「異議なしです」
「……っ」
ルカの口元が、わずかに引きつる。
碧い瞳がふたりの顔を順に見て、そっと細められた。
「……チッ、気付かれたか……」
小さく漏らしたその呟きに、エルヴィナが紅茶のカップを口元へ運びながら微笑む。
ミレーユも、わざとらしく咳払いをして頷いた。
「いま、舌打ちしました?」
「し、してないよ!」
ルカが慌てて背筋を伸ばすと、ふたりの婚約者はどこか楽しげに視線を交わす。
「はあ…尊い….いえ、失礼しました。
では――こういうのは、どうでしょう?」
ミレーユの声音に、ルカとエルヴィナが同時に顔を向けた。
金と白金の髪が、灯りを受けてわずかに光を返す。
「誓約の代償として受ける加護に、軍勢全体への強化を求める方向で――いかがでしょう?」
「軍勢への……強化?」
ルカが小さく目を瞬かせる。
「ええ。ルカが神に誓いを立てること自体は変わりません。
ただし、その誓いの果実をナインの身体ではなく、辺境伯領軍全体への加護とするのです。
そうすれば、誓約は辺境伯領軍が証人となります」
「なるほど……」
エルヴィナが指先で頬をなぞりながら頷く。
ルカは少しのあいだ考え、唇の端を柔らかく上げた。
「……加護として、みんなを強くする…うん、私も賛成」
「でしょう? よろしければ、その方向で調整しますね」
三人の間に、湯気を帯びた紅茶の香りと、安堵の息が満ちていった。
そんな中、エルヴィナが椅子から立ち上がる。
「さて……お話もまとまりましたし、私はナインのところへ行ってまいりますわ」
その一言に、ルカが目を瞬かせた。
「えっ、い、今から!?」
「ええ。だって今朝、お願いしましたでしょう?――『今夜は私と居てください』って」
エルヴィナはにやりと笑い、羽織っていたナイトガウンを肩から外した。
その下から現れたのは、透けるような赤いネグリジェ。
繊細なレースが光を拾い、エルヴィナの豊かな曲線を柔らかく縁取っている。
「い、今、”バイーン”とか”バルン”とか、聞こえたよ⁈スッケスケなんだけど!色々とハミ出しちゃってるんだけど?!
ヴィー?!ホントにその格好でいくの?!」
ルカが真っ赤になって声を上げた。
「まあ、ルカったら。これだけの訳はありませわ」
エルヴィナは頬に手を添え、やけに甘い笑みを浮かべる。
「今夜はライーシャにお願いして、ナインと心も繋がるつもりですの。……ルカはもう、ご存じですよね?あの、ナインと一つになる瞬間….あれは….良いものですわ」
その表情は蕩けていて、目は潤んで頬はほんのり赤く染まっていた。
見ているこちらが恥ずかしくなるほどに。
そのとき、ミレーユがカップを覗き込んで、眉を寄せた。
「……ヴィー、紅茶に……お酒、混ぜましたね?」
「うふふ。ちょっとだけ、勇気を出すためにですわ」
エルヴィナはくすくすと笑い、白金の髪を整えながら扉の方へ向かう。
「せっかく今夜は、ナインの部屋へ行くんですもの。お酒の力くらい、借りても罰は当たらないでしょう?」
「ちょ、ちょっと待って! それって――!?」
ルカが立ち上がるが、エルヴィナは軽く手を振って振り返る。
「ご安心を、ルカ。奪ったりはいたしませんわ。
ただ……少しだけ、甘えさせてもらうだけですの。
でも、もしナインが迸ってしまったら――うふふっ。その時は、許してくださいまし」
「ヴィー! 戻ってきなさい!!」
ルカの叫びも虚しく、エルヴィナは笑みを残して部屋を出ていった。
扉の外で、足音が遠ざかる。
その場に残されたルカとミレーユは、言葉を失ったまま見つめ合った。
短い沈黙のあと、ミレーユがにっこりと微笑む。
「……ルカ、明日は私の番ですからね♡」
「ぐぅぅっ、な、ナイン……頑張って、負けないでぇ!」
顔を真っ赤に染めたルカが、涙目のまま床に崩れ落ちた。
*
光の柱が天より降り、ルカを包み込む。
その立ち姿は人ではなく、まるで天上に佇む戦乙女のようだった。
石造りの祭壇の上、白銀の文様が淡く光を返す。
風も音も途絶えた空間の中で、ルカは唇を開いた。
穏やかでありながら、芯を持った声が響く。
「我は願う。我らに外威を打ち払う力を与えたまえ。
絶望を断ち、敵を討ち、この地に希望をもたらす力を」
澄んだ声が波紋のように広がっていく。
「我は誓う。願いの対価として――
我が心、我が体、我がすべてを、我が配に捧ぐることを」
天上の光が応じるようにわずかに震え、
ルカの金の髪がふわりと宙に舞う。
「我は比翼の鳥なり。
我が配は、我が片翼なり。
配無くば、我は空を舞えず、地に伏し、朽ちるものなり」
空気がゆるやかに明度を増し、
光の粒子がひとつ、またひとつと浮かび上がる。
「我が配は、我が影なり。
光の中、常に我と共にある者なり。
配無くば、光に在れど、我は虚ろにして消え失せるなり」
粒子が流れを変え、風に乗るように漂い始めた。
やがてそれらは、ルカの身体を取り囲む淡い環を描く。
「我が配は、我が灯火なり。
闇の中、我が眠る場、我が安らぎとなる者なり。
配無くば、我は闇に凍え、息絶えるなり」
光が、ルカの胸元に集まり、鼓動のように輝きを放つ。
まるでそれ自体が心臓であるかのように。
「我は誓う。我が配在るとき、共に在ることを。
我は誓う。我が配亡きとき、共に逝くことを」
「大いなる者よ、我が配となる者の宣誓をもって、
我が誓いは御身に捧げられる。
願わくば、我が配に相応しき者に――問いを」
その瞬間、天よりもう一本の光の柱が落ちた。
ひとりの青年が、その中に立っていた。
黒衣の裾を揺らし、ただその光を受ける。
――ナイン。
神の声が、空に満ちる。
老いも若さもなく、時の果てから響くような声だった。
――相応しき者よ。汝の宣誓は如何に。
「大いなる者よ。
御身に捧げられし勇者の誓いに宣誓する。
勇者の心、勇者の体、勇者のすべて、伏して受け奉る」
ルカの胸で脈打つ光が、風に誘われるように漂い、
ナインの胸元へと吸い込まれる。
「勇者征くところ、共に我も在り。
我果つるとき、共に勇者も去る。
願わくば、勇者の誓い、お聞き届けくださいますように」
――勇者の誓いはここに交わされた。
誓いが守られる限り、我が力貸し与える――。
光はゆるやかにナインの中へ沈み、消えていった。
次の瞬間、丘を埋める辺境伯領全軍の上に、淡い光の粒子が降りそそぎ、ひとつひとつ溶けるように消えた。
風が動き、世界が息を吹き返す。
そこに立つルカの髪が、微かに光を返していた。
丘を震わせる号令が、軍勢の列を貫いた。
辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク。
齢四十を越えた今もなお、最前に立ち、剣を握って居る。
灰銀の髪は短く刈り込まれ、青灰の瞳には烈光が宿る。
「兵どもよ!」
その声は風を裂き、陣幕の端まで届いた。
低く重い響きには、幾多の戦を経た者だけが放つ迫力があった。
「今、我らは加護を得た! 魔王を討つ刃を授かった!
我らの背にあるは、家族の灯! 故郷の息吹!
この戦い、退くこと叶わず! 負けること、許されず!
我もこの戦に全てを捧ぐ!
剣も、誇りも、魂も!
我らは進む! 我らは討つ!
勝利を掴むその刻まで、誰ひとり退くことなかれ!
辺境の勇士達よ、声を上げよ――我らは勝つ!」
声が終わるより早く、風が応じた。
シュトルムベルク家の軍旗が高く翻る。
雪原にそびえる白銀の塔――その紋章が陽を受けて光る。
兵たちは一斉に武器を掲げた。
金属の音が重なり、地を打つ。
「辺境伯領軍、出撃――!」
号令が響く。
丘が震え、鉄の靴音が奔流となって流れていく。
この日
魔王の本拠地《黒巣》攻略が開始された。




