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みんなあげちゃう(はーと)×四

 祭壇の上に、ルカが立っていた。

 今日、この丘から、魔王の本拠地《黒巣》へ出撃する。

 勇戦と必勝の祈りを神へ捧げるために、彼女は若さの残る面差しに、歴戦の戦士としての覚悟を纏っていた。


 肩のあたりで切り揃えられた金の髪は、柔らかく波を描きながら風に揺れる。

 ひと筋ひと筋が光を受け、淡い輝きを返していた。

 碧い瞳には強い意志が宿り、遠くを見据えるように前方へと向けられている。

 日々の鍛錬が形づくった均整の取れた肢体に、白を基調とした衣と銀の軽鎧が重ねられていた。

 胸と肩を覆う銀の鎧が微かな光を返し、髪の煌めきと呼応して、ルカは天上から遣わされた戦乙女の様だ。


 ルカの立つ場所だけが、澄んだ空気に包まれているようだった。


 


 

 祭壇は丘の頂に築かれている。

 白い石を幾重にも積み上げた円壇は、神に祈りを捧げる為に設えられ、同時に、決戦の始まりを告げる舞台でもあった。


 祭壇を中心に、埋め尽くすように兵が並ぶ。

 辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク麾下、三つの騎士団。

 その数、総勢七千。


 兵の列は寸分の乱れもなく整い、白銀の甲冑が陽光を受けてまばゆく輝いていた。

 旗手たちが掲げる団旗は風を孕み、布の擦れる音が遠くまで響く。


 兵列最前列に、第一騎士団麾下、勇者直掩部隊《勇者の一撃(ショッカーズ)》が整列していた。


 ナインは《勇者の一撃》の最前列中央に立っている。

 痩せた体つきに、長い手足。

 髪は黒く、瞳もまた夜の色を宿している。

 黒衣に包まれたその姿は、光を吸い込むように沈んで見えた。

 その視線は、祭壇の上のルカへと向けられていた。


 ナインは祭壇の上のルカを見上げながら、遠い目をしていた。


 秘密裏に行おうとしていた誓約の儀が、こんな形で公に行われるとは――想像もしなかったな….





 夕食後、ナインの屋敷のダイニングで、ルカとエルヴィナ、ミレーユがテーブルを囲んでいた。

 第三十四回《ナインの嫁会議》が執り行われている。

 会議は概ね、ナインの入浴中に開催されており、ナインはこの会議体の存在は知らない。

 本日の議題は、ルカの誓約の儀についてだった。


「……というわけで」


 ルカが姿勢を正し、軽く息を吐いた。


「わたし、ユリウス殿下の求婚を躱わす為、誓約の儀でナインに身を捧げようと思うの」

「……つまり」


 ミレーユが異なる左右の瞳を、ルカに向ける。


「神の誓約によって、物理的にもルカの身を殿下から守ろう、ということ?」

「うん」


 エルヴィナが紅茶をかき混ぜながら、緋色の瞳でルカを見る。


「……そういう事ですのね」


 ルカは頬を赤らめながら、説明を続ける。


「あ、でも、”身体を捧げる”って言っても、既成事実を作る、とかじゃないの。セイメイリョク?を分かち合うとか、そういう感じらしいのよ」


 三人の間に一瞬の沈黙が落ちた。

 エルヴィナが一口、紅茶を含みカップを静かに置く。


「……よろしいのではなくて?私は賛成しますわ」

「え?」

「それでルカが守られるのでしたら、むしろ良いと思いますわ」


 ミレーユも穏やかにうなずく。


「わたしも賛成です。

 今回の誓約は、王家の横暴から勇者を守る、という意味も持つと思います。

 魔王との最終決戦を控えて、勇者様の心の憂いを取り除く事は、最重要事項です」


 ルカは思わず顔を上げる。


「じゃあ、いいの……?」

「いいも何も、私たちは、既にナインに身も心も捧げているつもりですよ」


 エルヴィナが柔らかく微笑み、再び紅茶に口を付ける。


「今回の誓約は、私たちにとっては、ルカを殿下から守るためのもの――それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

 

「「ただし!」」


 ミレーユとエルヴィナ、ふたりの声がぴたりと重なった。

 その息の合い方に、ルカは思わず身を引く。


 ミレーユは姿勢を正し、指先をぴしりと立てた。

 エルヴィナは紅茶のカップをそっと机に戻し、緋色の瞳を細める。


「ナインがルカに身体を捧げるのは、だめです」

「絶対に、だめですわ」

「え、ええっ!? どっちも!?」


 ルカの声が裏返る。

 ふたりの視線が、同時に彼女へ向いた。


「当然でしょう」


 ミレーユが、理屈を整えるように語り出す。


「ルカとナインは、すでに心を捧げ合っているはずです」

「え、まあ……うん」

「そうですわね」

 

 エルヴィナが唇に指を添えて、くすりと笑う。


「ナインは私たち三人の夫となる方。

 一番がルカだとしても、身体まで持っていかれるのは、不公平というものですわ」

「ふ、不公平……?」


 エルヴィナがさらりと続ける。

 

「そうですの。それに――もしナインがルカに身体を捧げて、私たちが物理的に触れられなくなったら……どうするんですの?」

「それは、困りますね」

 

 ミレーユが頷く。


「というわけで、ナインがルカに身体を捧げるのは、禁止ですわ」

「異議なしです」


「……っ」


 ルカの口元が、わずかに引きつる。

 碧い瞳がふたりの顔を順に見て、そっと細められた。


「……チッ、気付かれたか……」


 小さく漏らしたその呟きに、エルヴィナが紅茶のカップを口元へ運びながら微笑む。

 ミレーユも、わざとらしく咳払いをして頷いた。


「いま、舌打ちしました?」

「し、してないよ!」


 ルカが慌てて背筋を伸ばすと、ふたりの婚約者はどこか楽しげに視線を交わす。


「はあ…尊い….いえ、失礼しました。

 では――こういうのは、どうでしょう?」


 ミレーユの声音に、ルカとエルヴィナが同時に顔を向けた。

 金と白金の髪が、灯りを受けてわずかに光を返す。


「誓約の代償として受ける加護に、軍勢全体への強化を求める方向で――いかがでしょう?」


「軍勢への……強化?」

 

 ルカが小さく目を瞬かせる。


「ええ。ルカが神に誓いを立てること自体は変わりません。

 ただし、その誓いの果実をナインの身体ではなく、辺境伯領軍全体への加護とするのです。

 そうすれば、誓約は辺境伯領軍が証人となります」

「なるほど……」

 

 エルヴィナが指先で頬をなぞりながら頷く。

 ルカは少しのあいだ考え、唇の端を柔らかく上げた。


「……加護として、みんなを強くする…うん、私も賛成」

「でしょう? よろしければ、その方向で調整しますね」


 三人の間に、湯気を帯びた紅茶の香りと、安堵の息が満ちていった。


 そんな中、エルヴィナが椅子から立ち上がる。


「さて……お話もまとまりましたし、私はナインのところへ行ってまいりますわ」


 その一言に、ルカが目を瞬かせた。


「えっ、い、今から!?」

「ええ。だって今朝、お願いしましたでしょう?――『今夜は私と居てください』って」


 エルヴィナはにやりと笑い、羽織っていたナイトガウンを肩から外した。


 その下から現れたのは、透けるような赤いネグリジェ。

 繊細なレースが光を拾い、エルヴィナの豊かな曲線を柔らかく縁取っている。


「い、今、”バイーン”とか”バルン”とか、聞こえたよ⁈スッケスケなんだけど!色々とハミ出しちゃってるんだけど?!

 ヴィー?!ホントにその格好でいくの?!」


 ルカが真っ赤になって声を上げた。


「まあ、ルカったら。これだけの訳はありませわ」


 エルヴィナは頬に手を添え、やけに甘い笑みを浮かべる。


「今夜はライーシャにお願いして、ナインと心も繋がるつもりですの。……ルカはもう、ご存じですよね?あの、ナインと一つになる瞬間….あれは….良いものですわ」


 その表情は蕩けていて、目は潤んで頬はほんのり赤く染まっていた。

 見ているこちらが恥ずかしくなるほどに。


 そのとき、ミレーユがカップを覗き込んで、眉を寄せた。


「……ヴィー、紅茶に……お酒、混ぜましたね?」

「うふふ。ちょっとだけ、勇気を出すためにですわ」


 エルヴィナはくすくすと笑い、白金の髪を整えながら扉の方へ向かう。


「せっかく今夜は、ナインの部屋へ行くんですもの。お酒の力くらい、借りても罰は当たらないでしょう?」

「ちょ、ちょっと待って! それって――!?」


 ルカが立ち上がるが、エルヴィナは軽く手を振って振り返る。


「ご安心を、ルカ。奪ったりはいたしませんわ。

 ただ……少しだけ、甘えさせてもらうだけですの。

 でも、もしナインが迸ってしまったら――うふふっ。その時は、許してくださいまし」

「ヴィー! 戻ってきなさい!!」


 ルカの叫びも虚しく、エルヴィナは笑みを残して部屋を出ていった。

 扉の外で、足音が遠ざかる。


 その場に残されたルカとミレーユは、言葉を失ったまま見つめ合った。

 短い沈黙のあと、ミレーユがにっこりと微笑む。


「……ルカ、明日は私の番ですからね♡」

「ぐぅぅっ、な、ナイン……頑張って、負けないでぇ!」

 

 顔を真っ赤に染めたルカが、涙目のまま床に崩れ落ちた。



 *



 光の柱が天より降り、ルカを包み込む。

その立ち姿は人ではなく、まるで天上に佇む戦乙女のようだった。


 石造りの祭壇の上、白銀の文様が淡く光を返す。

 風も音も途絶えた空間の中で、ルカは唇を開いた。

 穏やかでありながら、芯を持った声が響く。


「我は願う。我らに外威を打ち払う力を与えたまえ。

 絶望を断ち、敵を討ち、この地に希望をもたらす力を」


 澄んだ声が波紋のように広がっていく。


「我は誓う。願いの対価として――

 我が心、我が体、我がすべてを、我が配に捧ぐることを」


 天上の光が応じるようにわずかに震え、

 ルカの金の髪がふわりと宙に舞う。


「我は比翼の鳥なり。

 我が配は、我が片翼なり。

 配無くば、我は空を舞えず、地に伏し、朽ちるものなり」


 空気がゆるやかに明度を増し、

 光の粒子がひとつ、またひとつと浮かび上がる。


「我が配は、我が影なり。

 光の中、常に我と共にある者なり。

 配無くば、光に在れど、我は虚ろにして消え失せるなり」


 粒子が流れを変え、風に乗るように漂い始めた。

 やがてそれらは、ルカの身体を取り囲む淡い環を描く。


「我が配は、我が灯火なり。

 闇の中、我が眠る場、我が安らぎとなる者なり。

 配無くば、我は闇に凍え、息絶えるなり」


 光が、ルカの胸元に集まり、鼓動のように輝きを放つ。

 まるでそれ自体が心臓であるかのように。


「我は誓う。我が配在るとき、共に在ることを。

 我は誓う。我が配亡きとき、共に逝くことを」


「大いなる者よ、我が配となる者の宣誓をもって、

 我が誓いは御身に捧げられる。

 願わくば、我が配に相応しき者に――問いを」


 その瞬間、天よりもう一本の光の柱が落ちた。


 ひとりの青年が、その中に立っていた。

 黒衣の裾を揺らし、ただその光を受ける。


 ――ナイン。


 神の声が、空に満ちる。

 老いも若さもなく、時の果てから響くような声だった。


 ――相応しき者よ。汝の宣誓は如何に。


「大いなる者よ。

 御身に捧げられし勇者の誓いに宣誓する。

 勇者の心、勇者の体、勇者のすべて、伏して受け奉る」


 ルカの胸で脈打つ光が、風に誘われるように漂い、

 ナインの胸元へと吸い込まれる。


「勇者征くところ、共に我も在り。

 我果つるとき、共に勇者も去る。

 願わくば、勇者の誓い、お聞き届けくださいますように」


 ――勇者の誓いはここに交わされた。

 誓いが守られる限り、我が力貸し与える――。


 光はゆるやかにナインの中へ沈み、消えていった。


 次の瞬間、丘を埋める辺境伯領全軍の上に、淡い光の粒子が降りそそぎ、ひとつひとつ溶けるように消えた。


 風が動き、世界が息を吹き返す。

 そこに立つルカの髪が、微かに光を返していた。


 

 丘を震わせる号令が、軍勢の列を貫いた。


 辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク。

 齢四十を越えた今もなお、最前に立ち、剣を握って居る。

 灰銀の髪は短く刈り込まれ、青灰の瞳には烈光が宿る。


「兵どもよ!」


 その声は風を裂き、陣幕の端まで届いた。

 低く重い響きには、幾多の戦を経た者だけが放つ迫力があった。


「今、我らは加護を得た! 魔王を討つ刃を授かった!

 我らの背にあるは、家族の灯! 故郷の息吹!

 この戦い、退くこと叶わず! 負けること、許されず!

 我もこの戦に全てを捧ぐ!

 剣も、誇りも、魂も!

 我らは進む! 我らは討つ!

 勝利を掴むその刻まで、誰ひとり退くことなかれ!

 辺境の勇士達よ、声を上げよ――我らは勝つ!」

 

 声が終わるより早く、風が応じた。

 シュトルムベルク家の軍旗が高く翻る。

 雪原にそびえる白銀の塔――その紋章が陽を受けて光る。


 兵たちは一斉に武器を掲げた。

 金属の音が重なり、地を打つ。


「辺境伯領軍、出撃――!」


 号令が響く。

 丘が震え、鉄の靴音が奔流となって流れていく。


 この日

 魔王の本拠地《黒巣》攻略が開始された。

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