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決戦前夜①

 朝の光が、カーテン越しに淡く部屋へ差し込んでいた。

 食卓には、焼きたてのパンと湯気を立てるスープ、香ばしいハムと卵料理が整然と並んでいる。

 ほのかに漂う香りが、目覚めの空気に溶けていった。


 ナインの家は、貴族街の一角――クラウド男爵家と王城の中ほどに位置している。


 三年前に奴隷の身分を離れてから、シュトルムベルク家とレヴィアタン家の婿養子となったナインは、自分の価値を内外に示す必要があった。

 軍からの俸給と、魔法学の特許料という定期収入があるにも関わらず、脳内仮想人格まで駆使して、ほぼ不眠不休で働き続けたのだ。

 軍務の傍ら冒険者として依頼をこなし、さらにレヴィアタン商会でも業務を担いながら、若くしてそれなりの財を築き上げていく。

 

 その働きぶりを見たレヴィアタン商会の会頭リー・グインからは、《二十四時間戦える男》という凄いような、そうでもないような二つ名を贈られた。


 そして昨年、ついに自分の屋敷を手に入れたのだった。

 

 屋敷は過度な華美を避け、ブラウンを基調とした落ち着いた造りだった。

 質実な家具と整えられた庭が、住む人の性格をそのまま映しているようだった。


 エルヴィナとミレーユは、婚約者としてこの家に共に暮らしている。

 一方、ルカは実家であるクラウド家に住まいを持ちながらも、ほとんど毎日のようにナインの家へ顔を出していた。


 立場も生き方も異なるはずの四人だったが、同じ屋根の下で過ごす日々は穏やかに調和し、いつの間にか、その暮らしは互いに欠かせない日常となっていた。

 人目のない場所では、自然と愛称で呼び合うようになっている。ミレーユはミル、エルヴィナはヴィー、ルクレツィアはルカ。


「ルクレツィア様、パンはおかわりされますか?」


 メイドが控えめに声をかける。


「う、うん。ありがとう……」


 ルカはまだ少し眠たげな声で返し、焼きたてのパンを受け取った。

 頬に残る赤みを隠すように、スープを口へ運ぶ仕草がわずかにぎこちない。


 その様子を見て、ミレーユが口元に微笑を浮かべる。


「ふふ。昨夜はよく眠れたようで」

「ち、違っ……!」


 ルカが慌ててスプーンを取り落としかける。

 エルヴィナが小さく咳払いをして、たしなめた。


「ミル、からかわないの」

「はいはい、わかってますわ」


 瑠璃と翡翠の双眸が、悪戯を楽しむように煌めく。


 ナインは三人のやり取りを見守りながら、穏やかに口を開く。


「今日は昼前に、神殿のルクス司祭様のところへ行くつもりだ。ルカの“誓約”について相談してくる」


 ルカがスプーンを止め、顔を上げる。


「……ナインも一緒に来てくれるの?」

「当たり前だよ」


 ナインは微笑み、温かな紅茶を一口含んだ。


「昨日の様子を見て、放っておけるはずがないよ。必ず解決の糸口を見つけよう」


 その言葉に、ルカの表情がわずかに和らぐ。

 胸の奥に溜まっていた不安が、朝の光の中で少しずつほどけていく。


 ミレーユが真剣な面持ちで口を開いた。


「それと、私のほうでも動きます。実家――シュトルムベルク家を通じて、ユリウス第二王子の昨日の発言について、正式な抗議の書簡を王家に送るよう要請します」


 ナインが頷く。


「ありがとう、ミル。考えてみれば、あの発言は明らかに不自然だった。どうしてあんな場で口にしたんだろう……」

「私の推測ですが、あれはユリウス殿下の嫉妬だと思います。殿下はルカにかなりご執心のようですから」


 エルヴィナも小さく息を整えて言葉を継ぐ。


「私も同意しますわ。ただ、それだけではないでしょう。王家としても、ナインを介してレヴィアタン家とシュトルムベルク辺境伯爵の繋がりが強まっている今、勇者ルカの強大な力まで集中することを、警戒しているはずです」


 ナインが小さく息を吐いた。


「……魔王がいなくなろうとしているのに、今度は内側で争いか。やれやれだね」


 エルヴィナが軽く肩をすくめ、ミレーユは紅茶の表面を揺らして苦笑する。

 二人の大貴族令嬢にとっては、こうした駆け引きは、もはや日常の一部だった。


 エルヴィナは、既に辺境伯爵領軍の黒に近い深紺の軍装に身を包んでいた。

 豊かな肢体の曲線を包むその制服は、彼女の気品と凛とした美しさを際立たせている。

 食後に、白金の髪を手早くまとめ上げると、そばにいたミレーユへと声をかけた。


「ミル、今日は一緒に登城しない? ナインの代わりに、《黒巣》攻略作戦について、《勇者の一撃ショッカーズ》の士官たちと打ち合わせがあるの」

 


 *

 


 レヴィアタン艦隊の提督として辣腕を振るう彼女は、いまや勇者直掩高速打撃部隊――通称《勇者の一撃(ショッカーズ)》の作戦参謀として、対魔王戦に参加していた。


 この部隊は、元・第三騎士団の生き残りを中核として編成されている。

 第三騎士団は、かつて六稜郭防衛戦で壊滅的な損害を受けた。

 それでも生き残った者たちは、今なお最前線に立ち続ける道を選んだ。

 隊長は、元第三騎士団団長ガルド・ヴァン・レッドベイル。加えて、冷静な判断力に長けたシリル・フェンロックが副長として彼を支えている。


 そして《勇者の一撃》の最大の特徴は、構成員の多くが魔導強化改造を施されている点にある。

 未だに高額な魔導強化改造の予算確保の為、《勇者の一撃》にはレヴィアタン家から膨大な資金援助が為されていた。

 その為、作戦行動中は辺境伯領軍の指揮下に組み込まれているが、辺境伯領軍の体制的には、レヴィアタン家の陸戦隊という位置付けだった。

 

 増幅された魔力を基に、強化された身体能力によって、彼らは通常の騎士では到底及ばない火力と継戦能力を誇っていた。

 《勇者の一撃》は、対魔王戦の難局に都度投入され、悉く敵を撃破•駆逐してきた。



 *

 


 エルヴィナの言葉に、ミレーユは青銀の髪を揺らして小さく頷いた。


「えぇ、わかりましたわ。馬車を用意するよう、メイドに指示しておきます」


 彼女は立ち上がると呼鈴を鳴らし、馬車の段取りを整える。


「ありがとう、ヴィー。《勇者の一撃》のみんなに、よろしく伝えておいて」


 ナインの声かけにエルヴィナは短く微笑み、装備を確認しながら答える。


「承知しましたわ。今日はルカを優先してくださいまし」

「……ごめん。《黒巣》の件は、本来なら俺も行かなきゃいけないのに」


 エルヴィナは軍装の上着の襟を整えながら、彼を見上げた。


「あなたがルカと正式に結ばれない限り、私もミルも……あなたとの婚姻を進められませんもの。

 だから、気にしないでくださいまし。――私たちも、早くあなたと結婚したいのです」


 ナインは言葉を失い、わずかに目を瞬かせた。

 対するエルヴィナの頬にも、淡い紅がさしていた。耳まで熱を帯びているのが、隠しきれない。


 エルヴィナはすっとナインに身を寄せ、かすかな笑みを浮かべて息を洩らす。


「ふふ……少しだけ、ナイン成分を補給させてくださいまし」

「……そういう言い方は、ちょっと反則だと思う」


 ナインは視線を逸らしながらも、腕を伸ばしてエルヴィナをそっと抱き寄せた。

 エルヴィナはその腕の中で、蕩けるように微笑む。


「行ってきます。――今夜は、私と居てくださいな」


 柔らかな香りを残して、彼女は扉を開ける。

 朝の光が差し込み、白金の髪を照らした。


 外出用の上着を羽織ったミレーユが、足音を忍ばせてナインの背に近づく。

 そっと腕を回され、ナインの肩がわずかに強張った。


 ミレーユは小さく息を漏らし、耳もとで囁く。


「私も……ナイン成分の補給を希望しますわ」

「……君まで言うんだ、それ」


 ナインが苦笑しながら振り向くと、ミレーユはその頬に軽く唇を触れさせた。


「行ってきますね」


 彼女はゆっくりと手を離し、扉の方へ向かう。

 ナインは耳の先を赤く染めたまま、少し息を整えた。


「……行ってらっしゃい、ミル。気をつけて。義父上にもよろしく伝えて」

「えぇ、承知しました」


 穏やかに微笑んでそう答えると、ミレーユは扉を開け、朝の光の中へ歩き出した。

 辺りでは、鳥がさえずり、街が目を覚まし始めていた。

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