決着
大きく開かれた口へ、投げナイフが突き刺さった。
括り付けられていた円筒が弾け、白煙が勢いよく吹き出す。
煙を浴びた瞬間、エグリゴリが狂乱した。
節足を荒々しく振り回し、大顎をガチガチと開閉させ、制御を失った動きでのたうつ。
その煙は――ゼルダ・マスターソードと「記憶の水晶」が力を合わせて作り出した、魔王の眷属の指令系統を撹乱する擬似フェロモンだった。
いつの間にか、エグリゴリとナインの間に、ナインを庇うようにひとりの影が立っていた。
認識阻害の魔法を解き、ロイが姿を現したのだ。
「そこまでにしてもらおうか。この二人を生かして連れ帰るように、依頼されてるんでね」
魔力の荒れ狂う戦場に潜んで、ナインにさえ気が付かせなかった隠形の技は、さすが白金等級の斥候だった。
混乱するエグリゴリからナインを庇いつつ、ロイはすばやくハンドサインを出す。
「《黒棘縛鎖》(アトルム・スピナクルム)」
鍵音と共に、黒い有刺鉄線がエグリゴリを地面に縫い止め、動きを封じた。
「ここで終いや、カス虫。さっさと死んどけや!」
拘束の魔法を詠唱した、第三騎士団副長シリルが不機嫌そうに声を上げる。
顔は青白く、目の下には濃い隈が浮いてる。
手は僅かに震えており、瞳孔が開いている。
魔力枯渇を、マジックポーションで無理矢理回復させたのだ。
「ウオオオッ!」
赤髪の巨漢、第三騎士団団長ガルドが絶叫し、大剣を振り下ろす。
轟音と共にエグリゴリの頭部は粉砕された。熟れた果実が潰れるように砕け、大剣は地面へと半ばまで突き刺さる。
振り下ろした姿勢のまま、ガルドは動けなかった。
煤で黒ずんだ鎧には無数の焦げ跡があった。この男が、最も長く戦場に留まっていた証だった。
肩で荒い息をつきながら、両手で柄を握りしめ、俯いたまま目を閉じる。
熱で縮れた髪と眉。額を伝う汗に血が混じり、ぽたりと地に落ちた。
「……仇は取ったぞ」
掠れた声で呟いた瞬間、咳が喉を突いた。
それは勝利の雄叫びではなく、失われたものへの悔恨を噛みしめるように、静かになった戦場に響いていた。
*
六稜郭指令所に、軍団長級撃破の報が届いた。室内に歓声が広がる。
緩みかけた空気を、カーティスが声を上げ引き締めた。
「気を緩めるな。周辺の索敵を厳にせよ」
指令所の空気は即座に切り替わった。表情が引き締まり、各班は手早く再確認する。
「六稜郭周辺、索敵範囲に敵影なし。引き続き警戒を継続します」
報告を受け、カーティスは短くうなずいたのち、次の確認へと移る。
「予備隊の損害は?勇者殿と零號は?」
「現在確認中ですが、重症者多数の模様。神官戦士団の派遣を要請しています」
カーティスはわずかに目を細め、すぐさま命を下した。
「六番稜のルクス司祭に出動を依頼しろ。手隙の神官戦士を全員前線へ送れ」
「了解!」
勝利の余韻に浸る間もなく、指令部に新しい指示が飛び交っていった。
カーティスは手早く状況を確認し、矢継ぎ早に当座の指示を出し終えると、姿勢を正し、指令部の上座に目を向けた。
そこには、この六稜郭防衛戦全体を統べる辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク――カーティスの父が座っている。
「父上。現時点で、魔王軍の残敵および援軍の兆候は確認されておりません」
報告の声は張りつめ、指令室にいた将兵たちが自然と息を詰める。
指令部の視線のすべてが、ヴォルクリンへと集まっていた。
ヴォルクリンは深く息を吐き、重々しく頷いた。
椅子の肘掛けを押してゆっくりと立ち上がる。
「……全軍に通信を繋げ。領都にもだ」
通信士たちが慌ただしく操作し、魔力回線が次々と接続されていく。
六稜郭の各防衛稜、さらに領都の城、大聖堂、冒険者ギルド、学園などへ、ヴォルクリンの言葉を伝えるための回線が開かれていった。
「回線、全て接続完了。映像も通っています!」
報告の声が響くと同時に、ヴォルクリンは正面に立ち、全ての視線を受け止めるように胸を張った。
重々しい声が、各地へと届けられる。
「諸君、我々は魔王軍大規模襲来を打ち破った事を、ここに宣言する。
魔王軍はこの戦いに敗北した。
辺境伯領は、現時刻を持って戦闘体制を解除し、警戒即応体制に移行する。
この戦いは長かった魔王の眷属達との戦いの分水嶺であると、私は確信している。
今はまだ終わりではない。しかし、終わりの始まりかもしれない。
今日、我々は勝利を手にした。
だが、この勝利は私たちだけのものではない。剣を取り、盾となり、最後の瞬間まで戦い抜いた兵士たち――彼らの勇気がこの地を守ったのだ
そして……帰らぬ者たちがいる。
祖国を、家族を護るために立ち、倒れた者たち。
彼らの犠牲の上に、我々の勝利がある。
その記憶をシュトルムベルクは決して忘れない。
共に戦った兵たちに栄光を。
共に耐え抜いた領民に感謝を。
──皆、勝鬨を上げよ!」
ヴォルクリンは声を張り上げ、右手を高々と掲げた。
その瞬間、六稜郭の兵たちが一斉に咆哮をあげ、領都全域から爆発のような歓声が巻き起こった。
崩れた防衛壁の上で、鎧を煤と血で汚した兵士たちが剣を掲げ、肩を抱き合い、声の限り勝鬨を上げていた。
領都の広場では大聖堂の鐘が鳴り響き、母は幼子を抱き上げて「勝ったのよ」と声を震わせ、老人は天を仰ぎ涙を流した。
冒険者ギルドではヴォルクリンが勝利を告げた瞬間、椅子が倒れ、冒険者たちが酒瓶を掲げて叫び、拳をぶつけ合った。
学園の訓練場でも、動員中の生徒たちが涙を拭いながら抱き合い、教師の言葉に胸へ拳を当て、未来を誓うように頷いた。
六稜郭救護室の隅で、神官が亡骸に祈りを捧げている。
仲間は亡骸にマントをそっとかけ、「聞こえるか?俺たち勝ったぞ」と声を震わせる。
堪えきれず膝をついた彼の背を、祈りを終えた神官が支える。
二人は静かに空を仰ぎ、揃って右手を掲げた。
歓声と鐘の音、祈りの声が幾重にも重なり、この日は人々にとって忘れ得ぬ勝利の刻となった。
*
ヴォルクリンの勝利宣言から二日後。
ルドルフが家臣達の騎士団を率いて六稜郭へ駐屯を始め、その入れ替わりで負傷者の後送が始まった。
第一陣として、七十三パーセントの戦力を喪失した第三騎士団と、四十六パーセントを喪失した第一騎士団を中核とする後送部隊が、陽だまりのように穏やかな春の午後、整然とした隊列を組み、領都の大門をくぐった。
その列の中に、ナインとルカの姿があった。
ナインはまだ自力で歩くことができず、蜘蛛型ゴーレムの操縦席をリクライニングさせて身を預けていた。
頬には疲労の影が残り、肌は青白い。だが、その瞳には光が戻っていた。
一方のルカは、ようやく馬に乗れるほどに回復していた。
少女らしい細い指で手綱を握りしめ、風を受けるたびに金糸のようなショートソバージュが揺れる。
頬にはいくつかの痣が残り、左瞼はまだ少し腫れていたが、それでもその笑みは春の日を浴びて蕩けるようだった。
「……帰ってきたね」
「そうだね。ずいぶん、久しぶりな気がするよ」
ナインはゴーレムの座席にもたれながら、かすかに息を吐くように答えた。
二人の視線が重なる。
言葉は要らなかった。
ただ、生きて再びこの場所に戻れたという事実が、胸をいっぱいにした。
ルカの瞳が光を滲ませ、ナインの口元がわずかに緩む。
その表情が重なった瞬間、ふたりの間に小さな笑みが咲いた。
それは、共に死線を越えた者だけが分かち合える微笑だった。
領都の大門を抜けた騎士達は、ゆるやかに城へと続く大通りを進んでいった。
列の先頭には第三騎士団の残兵、その後に第一騎士団、そして負傷者を乗せた馬車が続く。
鎧は傷だらけで、衣服には焼け跡が残り、顔や身体に包帯を巻いた者も多い。
通りの両側には、領民がずらりと並んでいた。
老人も、子どもも、商人も、衛士も誰も彼もが手を振り、歓声を上げながら兵士たちを見つめている。
その中から、小さな花束が投げ込まれた。
一つ、また一つと、建物の窓や屋根から花が舞い落ち、道を淡く染めていく。
列の途中で、ひとりの女性が兵士の名を叫びながら駆け寄った。
兵士は驚いたように立ち止まり、兜を外して彼女を抱きしめる。
歓声が上がり、涙と笑顔が入り混じる。
少し離れた場所では、別の女性が膝をつき、泣き崩れていた。
誰かがそっと肩に手を置き、共にその場に膝を折る。
兵士たちは歩みを止めず、ただ前を見て進む。
陽光が鎧の傷を照らし、花びらが風に舞っていた。
遠くで凱旋の鐘が鳴った。
穏やかな音が街を包み、戦いの終わりを告げていた。




