六稜郭防衛戦11
金属が軋む衝撃音が絶え間なく響き、ルカの大剣とエグリゴリの肉体が幾度もぶつかり合う。
大剣が振り下ろされ、腕がそれをいなすたび、火花と砂塵が散った。
だが、その連撃の中でエグリゴリは異変を感じていた。
振り抜いた腕を引くのが、わずかに遅れる。
蹴りの軌道が、浅く逸れる。
──鈍い。
脚が重い。腕を振るう感覚に、まとわりつく抵抗。
内側から軋むような痛みが走り、胸郭の奥が灼けるように熱を帯びていく。
右半身に広がる焦げ跡がじわじわと黒く膨れ、動きを邪魔する。
激しい応酬の最中、胸の奥に異様な痺れが走る。
視線を落とすと、甲殻の割れ目に走るルカにつけられた傷が目に入った。
──そこに、白いものが見えた。
裂けた甲殻の縁に、綿毛のような菌糸がこびついている。
エグリゴリは即座に解毒の術式を叩き込む。
胸郭に淡い魔法陣が浮かび、毒を消すはずの力が流れ込む。
さらに身体強化を集中させ、細胞修復を強引に促す。
だが、甲殻の裂け目は閉じず、菌糸は逆に勢いを増し、内側へ深く根を張っていった。
白はじわじわと広がり、肉を侵食する。
「…ッ!」
戦場を震わせる咆哮が迸り、複眼が激しく明滅する。
初めて味わう異常事態。
有利だった肉弾戦は、気づけばルカに押し返されつつあった。
*
白い菌糸は、ナインの秘策だった。
後に──「微生物魔法」と呼ばれる、ナイン独自の魔法体系である。
この中世に似た世界では、細菌やウイルスの存在はまだ知られていない。
だが、前世の記憶を持つナインは、目に見えぬ微生物がこの世界にも存在していることに気づいていた。
「記憶の水晶」との対話で、魔王の眷属が蟻系の魔物を基盤に作られた存在だと判明した時、彼はひとつの仮説にたどり着いた。
──冬虫夏草のような虫に寄生する真菌ならば、魔王の眷属を蝕むことができるのではないか。
ナインは前世の知識をもとに「増殖」「耐久」「同化」を極限まで強化し、ある真菌を魔法生物として再構築したのである。
エグリゴリに付着させるため、ナインは初手で展開した《濃霧》の中に、この真菌を仕込んでいた。
濃霧に紛れた菌は傷口から侵入し、やがて体内で根を張り、筋肉と神経を侵しながら機能を奪っていった。
「同化」を強化された菌は、宿主の免疫を回避し、異物として認識されない。
結果として、エグリゴリが即座に発動した、異物を排除する《解毒》は無効化され、身体強化は意味を持たず、病魔の侵食を止めることができなかった。
初期の段階で、傷口を洗う《浄化》を用いていれば、別の結果になったかもしれない。だが、微生物という存在を知らぬ魔王の眷属は、その可能性に気づくことができなかった。
*
「リンクス、第一節詠唱。レヒツは第二節詠唱だ。第三節、第四節は俺がやる。仮想人格ダブルイプシロンは魔力量調整を」
第十階梯魔法の並列四連高速詠唱。
本来なら発動に数時間、数十人規模の魔法兵団を必要とする最上級の術式。
だが今、ナインは《聖戦士》による魔力供給を基盤に、詠唱を四分割。並列で紡ぎ上げ、数分での単独発動を強行していた。
夜明けの戦場にひとすじの声が 立ちのぼる。
それは 夜明けに残る闇の中。
かすかに揺れる 蝋燭の炎のように儚げだった。
第二節の旋律が加わる。
詠唱は、地平線の彼方で低く唸る雷鳴のように、鈍く低く広がっていった。
第三節が重なる。
激しく畝る波浪の様な咆哮が、空を震わせ戦場を塗りつぶしていく。
その上に、第四節が乗った。
詠唱は絶叫になった。荒れ狂い吹き荒ぶ嵐の様な絶叫が、周囲を薙ぎ払っていく。
過剰供給された魔力が、ナインの双角から奔流のように溢れ出した。
白熱する稲光が迸り、空を裂き、地を焦がす。紫電は枝分かれしながら周囲へ走り、石を砕き、砂をガラスに変える。
ナインの周囲には、空気そのものが焼け爛れるような焦げた臭気が立ち込め、圧を伴って戦場を押し潰していく。
異形の双角を冠し、圧倒的な力を溢れさせ、雷嵐を纏ったその影は──人の形をした災害そのものだった。
「《絶界絶滅》(ブラズフェマス・レクイエム)」
鍵音が紡がれた。
「……ッ!」
その瞬間、ルカは反射的にエグリゴリから飛び退く。
だが、押され気味だったエグリゴリは動けない。
エグリゴリを中心に、正十二面体の結界が展開する。
結界中に円環が幾つも現れ、複雑な位相紋が描かれる。
小さな魔導爆発が同心円状に順次起爆すると、衝撃波が球状に収束し始める。
魔力が空気そのものに干渉し、粒子のエネルギー分布を瞬時に増幅する。電離が促され、分子は光速に近い電子とイオンに分かれ、光を放ちながら白銀の渦となる。
結界内の空気の温度は、数万から十万ケルビンに到達。
空間に強烈な電磁ノイズと紫外線が発生する。
衝撃波は結界内で反射・重畳し、プラズマ球の内部圧力は数百万気圧級に達していた。
そして中心の白銀球が閃光とともに爆発。
光速に近い電子の奔流が空間を震わせ、青白い熱波が結界内を焼き尽くした。
反応は一瞬だった。
数秒後、結界に残っていたのは──白く炭化したエグリゴリの右前胸部、右肩、そして頭部だけだった。
*
飛び退いたルカは、着地の際に足がもつれて、そのまま地面に倒れ込んだ。
エグリゴリとの戦闘で受けた傷は深く、頬は大きく腫れ上がり、眉の上は裂けて血が伝っている。腫れた瞼は重く垂れ、視界はほとんど塞がれていた。
呼吸は荒く、仰向けの胸は大きく上下し続ける。
両腕は力を失い、もう思うように持ち上げることさえできない。全身の筋肉が苦痛を訴え、細胞のひとつひとつが悲鳴を上げているようだった。
四肢や胴には幾度もの打撃の痕が赤黒く残り、その痛ましさが戦いの激しさを物語っていた。
ルカは、霞む視界の中で必死にエグリゴリを探した。
魔法が発動し、白く炭化したその姿が見えた瞬間、唇が震えた。
「……やった……」
小さく呟いた声には、安堵と疲労が入り混じっていた。
けれど視線をナインに向けた途端、息をのむ。
彼女の目に映ったのは、ナインが糸を失った操り人形のように、崩れ落ちる瞬間だった。
ナインは一瞬、意識を失いかけ、その場に崩れ落ちた。
魔力の枯渇と過剰が一瞬のうちに繰り返され、身体は様々な症状に苛まれていた。
筋肉は痙攣し、手足は思うように動かない。息を吸おうとするたびに胸が圧迫され、肺へ空気が入っていかない。
頭の奥では激しい痛みが波打ち、視界はかすみ、思考は途切れ途切れに散っていく。
さらに胃の底から吐き気が込み上げ、喉には焼けるような不快感がまとわりついた。
苦痛の波に押し潰されそうになりながらも、ナインは必死に意識を繋ぎとめた。
歯を食いしばり、気力を振り絞る。
「立て直せ……エグリゴリは……ルカはどうなったんだ……」
頭痛に視界がかすみ、吐き気に喉が震える。それでも思考を途切れさせまいと必死だった。
意識を失うわけにはいかない。ルカを見失うわけにはいかない。
ナインは力の入らない指で、地面を掻いていた。
ルカもナインも動けない中、動いたのはエグリゴリだった。
炭化した上半身がわずかに震えると、次の瞬間、頭部がずるりと抜け落ちた。
複数の節足が、蠢きながら頭部から生えてくる。
――危険すぎる――
魔王ヴォルム・マグナは、これまでの戦闘情報からナインを最優先排除対象と認定していた。
魔王は眷属に命令を下す。
――現在交戦中の人型個体を排除せよ――
その命令は、貴重な軍団長級でさえ撤退を許さず、命を引き換えた特攻を強要していた。
残りわずかとなった生命力を振り絞り、エグリゴリの頭部がナインへ這い寄る。
大顎がゆっくりと開いた。




