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六稜郭防衛戦6

 六番稜に設けられた臨時救護室には、遠くで響く戦場の喧噪がかすかに届き、室内には薬草と血の匂いが濃く漂っていた。

 負傷兵が次々と運び込まれ、治癒魔法の光が絶え間なく瞬いている。


 その入口が、不意に大きく開かれた。

 大柄な男性騎士が、ぐったりとしたナインの身体を肩に担ぎ、足早に中へ入ってくる。

 その後ろには、女性騎士がルカを背負い、額の汗を拭うこともなく歩を進めていた。


「神官戦士団の皆さん! 勇者様と専属奴隷です! 至急お願いします!」

「ルクス様を呼べ! 早く!」


 声が交錯し、治療台の周囲がにわかに動き出す。布が引かれ、薬具が並べられ、魔法陣の展開音が重なる。

 二人の騎士は、彼らを慎重に横たえた。


 女性神官が、ルカの鎧や装備を外していく。

 ルカは意識を保っているが、呼吸は浅く速い。

 声を出そうとしても、舌が乾いてかすれた音しか出ない。上体を起こそうとするが、腕が支えきれず崩れてしまう。

 皮膚は乾き、頬はやせ、眼窩の下には深い影が落ち、視線は焦点が合わない。

 耳に入る声への反応が遅れ、反応も小さく途切れ途切れだ。汗はなく、体温の上昇がうかがえる。


「ひどい脱水……」


 女性神官は掌をルカの腹に当てた。

 指先から光が流れ出し、泉の底から湧き出る清らかな力のように、ルカの体内へゆっくりと浸透していく。


 女性神官が施しているのは、任意の場所に水を創り出す魔法だった。

 加減を誤れば、対象を溺れさせたり心臓に負担をかける危険がある。

 彼女は慎重に術を行使していた。


 次第にルカの唇に潤いが戻り、呼吸は徐々に整っていく。

 身体から力が抜け、意識が途切れたのを確認して、女性神官は魔法を止めた。

 急激な補正は身体に強い負担をかけるため、時間を置いて繰り返す必要があるのだ。



* 

 


 床に崩れたナインの体は、布切れのように薄く頼りなかった。

 駆けつけたクラリスが呼びかけると、瞳がわずかに動くが焦点は合わず、返ってくる言葉は意味を成さない断片だけだった。


 胸は小刻みに上下し、時折、大きく息を吸い込むように痙攣じみた呼吸をする。手首に触れると、脈は速く不規則で、皮膚は冷たいのに手のひらだけ汗で濡れている。

 瞳孔は異様に開いていて、指先は震え、腕は何かを掴もうとするように宙をかいた。


「しっかりして……!」


 クラリスが再び声をかけると、ナインはかすれた声で何かを呟き、ふらりと上体を起こしかけた。

 だが、支えを失った体はすぐに傾き、そのまま倒れ込む。その一連の動きが、ナインが焦燥に駆られている事を物語っていた。


「魔力欠乏による混乱と中毒症状……マジックポーションの過剰摂取ね」


 クラリスは低く呟き、素早く周囲を見渡す。


「《解毒》と《魔力回復》、交互に連続で。まず《魔力回復》から!」


 マジックポーションは魔力を短時間で回復させる代わりに強い毒性を持ち、連用すれば臓器障害や致死性の不整脈を引き起こす危険がある。

 その為、緊急時を除けば使用は禁じられていた。加えて、ナインは魔力欠乏まで併発していた。

 二つの症状を同時に治療しなければならない。


 クラリスは矢継ぎ早に神官たちへ指示を飛ばす。


「ゼロ、聞こえる? 大丈夫、心配しなくていいから落ち着いて」


 ナイン(ゼロ)の手をしっかり握り、クラリスは声を掛け続けた。

 同時に淡い光が彼女の掌から広がり、《鎮静》の術式がナインを包み込んでいく。


 ナインは、体をガタガタと大きく震わせていた。

 義眼が不規則に赤光を瞬き、呼吸は荒く、唇の端が痙攣している。汗が首筋を伝い落ち、指先は無意識に何かを掴もうと宙をかく。


「……ま、魔王軍っ……! た、隊長級っ……マーキング、し……しました……!」


 声は途切れ、言葉がうまく繋がらない。


「隊長級を、た、倒すと……兵士級の、動きが……み、乱れます……! た、隊長を……狙撃、してっ……!」


 半ば叫び、半ば泣き声のような調子で、ナインが震える手をクラリスの袖に伸ばした。

 指先がかすかに痙攣し、焦点の合わない瞳が空を泳ぐ。


「ゼロ、判ったわっ!」


 クラリスは身をかがめ、彼の両肩をしっかり押さえ込む。


「だから落ち着いて、深呼吸して……後は任せて!」


 ナインは痙攣する腕を押さえ、喉の奥から湿った息を吐き出した。


「俺の……ド、ドローンにデータがっ……引きっ、引き継ぎを……」


 焦点の定まらない視線の奥で、恐怖と焦燥がない交ぜになっているのが見える。


「わかった! ドローンね。必ず引き継ぎます。大丈夫だから!」


 クラリスが即座に返すと、ナインの表情にほんのわずか安堵の色が浮かぶ。


 だが次の瞬間、ナインの瞳が裏返り、全身が弓なりに反り返った。


「……痙攣っ!」


 クラリスは反射的に自分の指をナインの口へ突っ込む。舌を噛み切る危険があるからだ。

 同時に《弛緩》の術式を展開した。

 筋肉の痙攣を抑えるためだが、強すぎれば呼吸筋まで止めてしまう。神経をすり減らす調整が必要だった。


 ナインがクラリスの指を噛み締め、血がにじむ。周囲の神官が息をのむ。


「ルクス様!」

「構うな!ゼロに《鎮静》をお願い!」

「は、はいっ!」


 神官四人がかりの治療でも、ナインの容態は一瞬たりとも油断できなかった。


「しっかりしなさい、ゼロっ!マジックポーションの過剰摂取くらいで、ルクレツィア様を置いて逝ったら許さないからね!」


 クラリスの声が張りつめる中、神官たちの詠唱が重なり、治療の光が幾重にもナインの体を包み込んでいく。

 救護室の空気は焦燥と祈りで満ち、

 クラリス達の必死の処置が続いた。



 * 


 

 六稜郭・指令室。

 壁一面の戦況図が淡く明滅し、赤と青の光点が刻々と動いていた。


 その中央で、辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルクは背筋を伸ばしたまま戦況図を見据え、低く呟いた。


「……勇者殿と零號が下がった後も、前線は持ち堪えているな」


 副指揮官カーティス・ヴァン・シュトルムベルクが一歩進み出る。

 若い顔に緊張をにじませながらも、声はいつも通り柔らかだった。


「零號が残したドローンのデータにより、隊長級個体の位置と動きが逐次把握できるようになりました。

 そのため隊長級への狙撃および集中攻撃が可能となり、敵全軍の統制に大きな乱れを生じさせています」


 魔王軍は、ひとつの巨大な群体レギオンである。

 兵士級は自らの判断で動かず、上位個体の命令が伝わることで行動を決定する。

 その指揮系統や社会構造は、蟻や蜂の群れに似ていた。


 最上位に立つのが将軍級。

 その下に隊長級が配置され、さらにその下に無数の兵士級が連なっている。

この三層の指揮構造が、数万規模の群れを統一した行動に導いていた。


 だが、隊長級が駆逐されることで指揮網は綻び始めていた。

 指揮を断たれた兵士級は命令を失い、同調していた動きを保てなくなる。

 行動は遅れ、反応は鈍り、統制は崩れる。

いま戦場では、その連鎖が進行している。

 巨大なレギオンの秩序は断ち切られ、群れはただの個体の集合へと変わりつつあった。


 ヴォルクリンは無言のまま戦況図を見つめ、ひとつ頷いた。


「……ルクレツィア殿と零號の容態はどうだ」


 低い声で問うと、カーティスは背筋を正し、報告を続ける。


「両名とも、現在は六番稜の救護室にて治療と休息に入っております。

 勇者殿は消耗が激しいものの、意識は保っておられます。

 零號は……マジックポーションの過剰摂取と魔力枯渇のため、一時的に危険な状態に陥りましたが、ルクス司祭様方の処置により命に別状はありません。

 現在は深い眠りにありますが、体力と魔力の回復には時間を要する見込みです」


 ヴォルクリンはわずかに目を細め自分の顎を撫でる。戦況を判断する時の癖だった。


「……治療と回復を急がせろ。可哀想だが、いずれ再出撃を指示することになる」


 カーティスは「はっ」と短く応じ、再び戦況図へ目を戻した。

 いまこの瞬間も兵たちが倒れている。

 指令室の空気には、張り詰めた緊張が満ちていた。

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