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六稜郭防衛戦4

 ルカに追随していた第三騎士団の周辺でも、兵士級の爆裂が相次ぎ、突進の足が鈍った。

 鋒矢陣形は横からの圧迫を受け、形を保てず瓦解していく。


「くそっ、押し負けるなッ!」


 ガルドの咆哮は爆炎にかき消された。

 横合いから雪崩れ込んだ魔王軍が隊列を崩し、陣は一瞬で乱れた。

 矢の先頭に立っていたルカだけが、突出したまま残される。


 爆炎。酸の奔流。

 兵士級の自爆に紛れ、将軍級が鎌脚を振り上げる。


 勇者は無言で応じた。

 大剣が閃き、爆風を切り裂く。

 だが剣を振るうたび、背後は遠ざかり、追随する騎士団との距離が広がっていく。


 第三騎士団の兵たちは必死に追おうとする。

 しかし横から押し寄せる魔王軍に阻まれ、足が止められる。

 勇者を中心に、敵と爆炎が厚い壁を築いていった。


 孤立――。


 ルカの姿は、すでに戦場のただ中でひとりきりだった。


 勇者の姿が魔王軍の群れの奥へと飲み込まれ、視界から消えた。

 ガルドの胸に、鋭い焦りが走る。


「二、三人付いて来い! 勇者様を孤立させるな!」


 応じた数名の騎士が、ためらいなく魔王軍の壁へ突撃する。

 爆炎と酸の奔流のただ中を、ただ勇者へ追いつくためだけに。

 それはあまりに無謀な行動だった。


 その刹那――。


 戦場の喧噪の裏から、細い旋律が忍び込んできた。

 声とも音ともつかぬ響き。

 耳を刺し、胸の奥を冷たく締め上げる。


 歌――?


 それは声のようで、無機質な音のようで、歌のようでもあった。

 戦場に滲み出し、耳に届くや胸を抉ってくる。


 子を失った母の絶叫のように。

 親友に裏切られた騎士の嘆きのように。

 魔王の前で敗れた勇者の慟哭のように。


 哀しく、悍ましく、耐え難かった。


 歌は風に溶けることなく、兵たちの心臓へ直接届く。

 誰もがかつて抱えた痛みを呼び覚まされ、胸の奥を鋭く抉られる。

 声はやわらかく、しかし感情を削り取りながら染み込んでいく。


 戦場の轟音すら、その旋律の下では遠く霞んでいた。

 夜を覆うその音は――死を嘆き、死を告げる妖精の詩のようだった。


 誰かが息を呑む。


「死告妖精〈バンシー〉? くそッ、よりによって……!」


 突撃した騎士たちの足が、一瞬ためらいに縫い止められる。

 その刹那。

 周囲を埋め尽くすように、膨大な数の魔法陣が空間へと浮かび上がった。

 


* 



 ルカは完全に包囲されていた。

 爆炎の壁、酸に覆われた地面、押し寄せる兵士級。かわす余地は、どこにもない。


「……マズイ」


 将軍級の顎が開き、強酸の奔流が吐き出される。

 灼ける臭気が風を裂き、逃げ場のない空間を覆った。


 ……包囲、薄いところはなし……。


 熱気と酸の匂いが迫る中、ルカの碧眼が凄烈に光る。

 肉を切らせて骨を断つ。

 酸を浴びても将軍級を仕留める。

 胸の奥で覚悟を固め、短く呟いた。


「押し通る!」


 大剣を握る手に力を込め、酸の奔流へ踏み込もうとする。

 脳裏にナインの心配そうな顔が過ぎった。

 ……火傷、あまり酷くならないといいな。ナインに嫌われたくない……。


(待って、ルカ!)


 切迫した声が頭に響く。絶妙のタイミングだった。

 一瞬、ルカの体が硬直する。


「しまっ……!」


 視界の正面に、毒々しい緑色の奔流が広がった。


 ルカは咄嗟に龍脈から魔力を吸い上げ、身体強化を極限まで高めた。

 迫りくる酸の奔流に備え、全身を魔力で覆い固める。


 だが次の瞬間――。


 緑の奔流は、目の前に突如現れた黒い膜へ吸い込まれていった。

 灼ける臭気も、皮膚を焼くはずの熱も届かない。

 奔流は音もなく沈み、存在ごと掻き消されるように消失した。


 ルカは息を詰め、目の前の光景を凝視する。

 そこに立ちはだかる黒は、戦場の色を奪い去るかのように濃く――異質だった。


 黒い膜は、ただの防壁ではなかった。


 《黒扉》。

 触れたものをすべて異界へと消し飛ばす、絶対防御の盾にして、防御不可能な無敵の矛。


 酸の奔流は完全に吸い込まれ、戦場から痕跡すら消えた。

 残ったのは、圧迫感を放ち続ける漆黒のみ。


 それはナインの力だった。

 人のものではない、異界の邪神の権能。

 《禁門・外典》を読み解き、多大な代償を払って得た闇を、彼は完全に制御していた。


 ルカが呆然と《黒扉》を見つめた、その瞬間。

 周囲を埋め尽くすように、膨大な数の魔法陣が空間へ浮かび上がる。


 ――第八階梯魔法、詠唱完了。


「灼獄覇焔〈ヘルファイア・ドミニオン〉」


 鍵となる音が紡がれた。


 刹那――赤熱の細線が十字を描く。縦にコンマ二秒、横にコンマ八秒。

 

 赤熱の縦線が将軍級を正面から貫いた。

 次の瞬間、その巨体は唐竹を裂かれるように両断される。

 直後、横へ奔った一閃が視界を覆う。

 大気を焼き切る赤熱線は、横薙ぎに戦場を薙ぎ払い、兵士級の群れを一体残らず断ち割った。


 閃光の後、熱せられた空気が膨張し一瞬後に、爆音が戦場を切り裂いた。

 魔王の眷属たちの甲殻は弾け、体液は瞬時に蒸発し、爆ぜる音とともに白い蒸気が立ち昇る。

 数瞬後には発火し、残骸は松明のように燃え上がった。


 赤熱線と、炎上する無数の遺骸が生む熱は空気そのものを変質させていく。

 戦場の空は揺らぎ、光が屈折し、遠景は歪んで崩れ落ちるように見えた。

 肺を焼き尽くす熱風が押し寄せ、皮膚を刺すような乾いた痛みが周囲を襲う。


  炎に包まれ、松明と化した将軍級の残骸が崩れ落ちていく。

 その真上から、黒鉄の影が降ってきた。


 蜘蛛型ゴーレムの脚が甲殻を踏み砕き、爆ぜる火花とともに戦場へ着地する。

 その背に乗るナインの姿に、ルカは思わず目を見張った。


 ゴーレムの背から、ナインが飛び降りてくる。

 ルカは戦場の喧騒が遠のき、時間が伸びたように感じられた。


 膨大な魔力が彼の身体を包み、髪が揺らめく。

 左目の義眼は紅の光を帯び、淡く脈打つように輝いていた。

 頭部の角は青く発光し、時折ほとばしる紫電が空気を震わせる。


「……遅くなってごめん」


 ルカは一瞬惚けたようにナインを見つめた。


 ――すごい……。


 ルカは胸の奥が熱くなるのを覚えた。

 戦場の真ん中だというのに、目を奪われてしまう。

 思わず、ぽぅっと見惚れてしまった自分に気づき、頬が熱を帯びた。


 ――いけない、こんな時に……!


 けれど、目は彼から離せなかった。

 ルカは一瞬だけ困ったように眉を寄せる。だがすぐに、口元に微かな笑みが浮かんだ。


「……待ってた」


 炎の轟きと焦げる匂いのただ中で、二人の視線が交わる。

 ナインがルカに低く告げた。


「周囲の残敵を掃討する」


 その両手の甲に顕現する人面瘡が、断末魔の蝉を思わせる連続音を紡ぐ。

 耳障りな響きが空気を震わせた刹那、戦場を覆う無数の魔法陣が一斉に輝いた。


 無数の矢光――第三階梯魔法〈マジックジャベリン〉。

 絶え間なく射出される閃光が夜空を切り裂き、連続音が鼓膜を打つ。


 将軍級を失い、一時的に指令を失い硬直している兵士級たち。

 抵抗の余地もなく光槍に貫かれ、甲殻は砕け、体液を撒き散らしていく。


 塵を掃くように群れが削ぎ落とされ、戦場は瞬く間に掃き清められていった。

 断末魔の響きも重なり、やがて掻き消える。


 残されたのは、燃え残る肉の音と焦げた臭気だけだった。


 燃え残る兵士級の骸を避け、ガルド率いる第三騎士団の生き残りが集まってきた。

 甲冑は焼け焦げ、剣は刃こぼれし、誰もが疲労を隠せていない。


 しかしその視線は、ナインとルカの立つ場所に釘付けになった。

 第八階梯の魔法を単独で発動し、異形の防壁を展開し、雨のように光の槍を放つ――。

 常識を覆す戦闘がそこにあった。


 ガルド自身も理解が追いつかず、ただ立ち尽くす。


 その前で、ナインは右手を胸に当て腰を折り、軍礼の所作で敬礼した。

 声は低く、抑揚のない響きだった。


「勇者ルクレツィア・ヴァン・クラウド様の専属戦闘奴隷、魔導強化改造人間零號です」


 ガルドの唇がわななき、言葉が途切れる。

 やがてかすれた声で、ただ一言を絞り出した。


「お前が……あの……」


 絶句したまま、瞳には驚愕と畏怖が入り混じる。


 ガルドが言葉を失う中、ナインは姿勢を正し、淡々と続けた。


「僭越ながら、意見具申いたします」


 声音は抑制され、平板に響く。


「魔王軍は将軍級を失い、一時的に活動が鈍っています。この機に、一番稜の奪還と確保をお考えください」


 周囲の騎士たちが息を呑む。

 誰もが疲弊しきっていたが、ナインの言葉は正しかった。


 ガルドは燃え残る戦場の熱気の中で、無意識に己の大剣を握りしめていた。

 だがその巨躯の奥底では、言葉にできない動揺が渦を巻いていた。


 ――こいつは、本当に人間なのか。


 たった一人で戦局を覆したその力は、これまで積み上げてきた戦士としての経験や常識を容易く踏み越えていた。


 眉をひそめ、胸の奥に冷たいものが広がっていく。

 畏怖。

 混乱。

 そして、わずかな嫌悪感。

 理解が追いつかず、ガルドは喉を鳴らしながらナインの顔を凝視した。


 そのとき、ルカが一歩前に出る。

 澄んだ声が戦場に落ちた。


「私も賛成です。ナイン(ゼロ)の言う通りでしょう」


 その響きに、ガルドの瞳がようやく光を取り戻す。

 意識が再起動するように、姿勢を正し、低く力強く応じた。


「……おっしゃる通りです、勇者様」


 直後、ガルドの魔導通信が明滅する。

 シリルの乾いた皮肉交じりの声が響いた。


『まだ生きてますか? 援軍到着。一番稜へ増援を送ります。金級冒険者パーティが三つ。ちょっとしたもんですよ』


 好機だった。

 ガルドは顔を上げ、声を張り上げる。


「野郎共――もうひと踏ん張り行くぞ!」


 生き残った騎士たちが槍や剣を掲げ、かすれた声で応じる。

 その顔には、わずかながら活気が戻りつつあった。

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