婚約者達
観客席の喧噪から少し離れた場所。
壇上を見つめるナインの横顔には、抑え込まれた感情の影がかすかに滲んでいた。
「婚約したばかりなのに、浮かない顔だね。」
低く澄んだ声が横から届く。
カーティス・ヴァン・シュトルムベルク――十五歳。
幼さと成人の間にいる彼は、肩にかかる青銀の髪が淡い光を返し、左右の瞳――瑠璃と翡翠の金銀妖眼が、人を測るような静かな輝きを宿していた。
長いまつげの陰がその横顔に柔らかく落ちている。
少年のころは“絵画の天使のような”と呼ばれた顔立ちも、今は繊細な彫像のような整いを見せる。
視線を合わせるのが一瞬ためらわれるほどの端正さ――それでも、ふと微笑むと年相応のあどけなさがのぞく。その落差が、周囲の少女たちの胸をざわつかせていた。
首をかしげる仕草ひとつも優雅に見えてしまうのだから、羨ましい限りだ。
「……そんな顔をしているつもりはないですが」
ナインは淡々と返した。
だが、声の奥のかすかな硬さを、カーティスが聞き逃すはずもない。
「なら、そういうことにしておくよ。」
彼が肩をすくめた瞬間――
「次は私とナインの婚約ですね。」
澄んだ声が響く。
ミレーユ・ヴァン・シュトルムベルク。カーティスと同じ顔を持つ双子の妹。
兄より少し長い青銀の髪が絹糸のように光を帯びて腰まで流れ、左右の瞳――深い瑠璃とやわらかな翡翠――が、視線を向けるだけで人の心をとらえる。
兄がどこか鋭さを漂わせているのに対し、ミレーユの微笑みは柔らかく、春の花のような明るさがあった。
十五歳の彼女は、その清楚なおっとりとした見た目に反して、内面に妙なこだわりを隠している。
特に、ナインの無駄のない体つき――長い手足に礼服がよく映える姿を見るたび、胸の奥で妙なスイッチが入る。
加えて、魔獣の移植による“危うい気配”がその身に漂えば、彼女の鼓動はさらに速くなる。
もっとも、そんな内心を悟らせるつもりはなく、あくまで“清楚なお嬢様”の笑みを崩さない。
ただ、その視線だけはやけに熱を帯び、ナインは時折、理由のわからない寒気に襲われるのだった。
「尊い……ナインって、本当にいいですよねぇ……」
ミレーユがうっとりと呟く。
軽口のはずなのに、場の空気が妙な湿り気を帯びて、ナインは返す言葉を探すのにわずかな間を要した。
「……何か御用でしょうか? 若公子。」
唐突な話題の切り替えにカーティスが片眉を上げ、肩をすくめて小さく笑う。
しかし次の瞬間、その瞳には別の色が宿っていた。
「記憶の水晶とゼルダ師の研究が大詰めなんだ」
その声は、さきほどまでの軽やかさを捨て、ひどく低い。
ざわめく観客席の中で、ただ二人だけに届くように抑えられた声音だった。
ナインは瞬時に表情を改める。
研究。あの研究は、魔王の眷属の弱点を探るためのものだ。
「……成果が?」
問いかける声まで、無意識に押し殺される。
「詳細はここじゃ言えない」
カーティスの唇がほとんど動かない。
その真顔は、普段の韜晦めいた笑みとはまるで別のものだった。
「二週間後、城の地下実験室に来てほしい」
右の瑠璃と左の翡翠が、淡い光を宿して交わる。
ナインは小さく息を吐き、黙ってうなずいた。
短いやり取りのあと、カーティスはふっと視線を外し、肩の力を抜いた。
いつもの軽い笑みを浮かべると、ミレーユの腕を取って歩き出す。
「さて……僕らはこれで失礼するよ。――ほら、エルヴィナ嬢がお待ちかねのようだ。」
ナインが目を向けると、観客席の通路に立つ少女の姿があった。
エルヴィナ・ヴァン・レヴィアタン――十五歳となった彼女は、白金の巻き髪と緋色の瞳にいっそうの輝きを増し、さらに美しくなっていた。
また、レヴィアタン艦隊の提督としての実績とあわせ、その才覚と美貌で、王国中にその名を轟かせていた。
彼女はまっすぐ歩み寄り、深々と一礼した。
胸元の飾りがわずかに揺れる。
「――ルクレツィア様とのご婚約、お祝い申し上げますわ」
ナインはほんのわずかに瞬きをし、礼を返す。
白金の巻き髪は、ひと房ごとに柔らかな光をまとい、動くたびに波のような揺らめきを見せる。
深い緋の瞳は、まるで紅玉を磨き上げたかのような艶を帯びて、視線を向けられるだけで胸の奥を射抜かれるようだった。
高く整った鼻梁と、きりりと形のよい唇。微笑んだときでさえ、その表情の奥には、どこか人を試すような強さがのぞく。
十五歳の少女らしからぬ成熟した雰囲気が漂い、ゆるやかに絞られたウエストから流れる制服のラインは、その豊かな胸元をひときわ際立たせていた。
エルヴィナは深紅の瞳を細め、形のよい唇に勝ち気な笑みを浮かべた。
胸元まで波打つ白金のドリルロールが揺れ、その下で張りのある豊かな曲線が衣越しに存在を主張する。
令嬢らしい優雅な仕草のまま、彼女は一歩踏み出し、胸をそらしてナインを見据えた。
「次は私とナインの婚約ですわ。一番はルクレツィア様に譲りましたが――二番目は、私がいただきます」
その声音には、冗談めいた響きなど欠片もなかった。
「そもそも――」
エルヴィナは白金の巻き髪をゆるく揺らしながら、色々と自信満々な胸を張ってナインを見上げた。
「先に申し込んだのは、レヴィアタンの方ですのよ?」
「……いや、俺はそんな順番つけるつもりは――」
ナインが苦笑交じりに返そうとすると、エルヴィナはすかさず言葉をかぶせた。
「シュトルムベルク家がルクレツィア様のご実家――クラウド家の主筋であるのは存じておりますわ」
彼女はわざとらしく肩をすくめ、緋の瞳に挑むような光を宿す。
「でも!そこは譲れませんの。私の方が先ですから」
「……いや、その理屈はちょっと……」
ナインは思わず視線を泳がせる。
目の前で物理的にも自己主張の激しい胸元と合わせて主張されると、まともな反論がしづらい。
「それに――」
エルヴィナの声が、わずかに震えを帯びた。
勝ち気な緋の瞳が、一瞬だけ揺らいで見える。
「――あの時。ナインが私の心を包んでくださったあの瞬間……」
胸を張る姿勢のまま、ほんの少しだけ視線が落ちる。
いつもの誇らしげな調子ではなく、かすかな吐息とともにこぼれた言葉。
「あなたの心に触れさせていただいたのは――私だけですわ」
わずかな沈黙。
緋の瞳が、縋るようにナインを見上げる。
けれどその色はすぐに消え、彼女は再び微笑みの仮面をかぶった。
「…お忘れではありませんわよね?」
風が通り抜けるような声…最早反則だった。
ナインはぐぅの音も出なかった。
*
この世界では、一夫多妻制――ポリジニーが制度として成立していた。
その背景には、社会構造、経済状況、人口バランスといった複数の要因が関わっている。
魔獣や魔族といった人間の天敵が存在するこの世界では、戦争や抗争で成人男性が大量に戦死することが多く、結果として未婚女性が余りやすい社会となっていた。
加えて、社会保障制度がほとんど存在しないため、夫に扶養されることが女性や孤児にとって重要な生存手段となる場合が多い。
こうした事情から、有力者達(貴族)を中心に、未亡人や孤児を保護する仕組みとして一夫多妻制が広まっていった。
加えて、封建制による土地支配が強化される近年、主従関係は契約的な性質を帯び、裏切りや乗り換えが発生しやすいという問題が生じていた。
その対策として、婚姻によって主従関係を「親戚関係」に変え、裏切りを防ぐ血縁外交が併用されるようになった。
とりわけ上位貴族同士の婚姻は、領地争いや継承権争いを回避するための重要な手段となっていた。
有力者たちは血縁外交の駒を増やすために多くの子どもを求め、そのための仕組みとして一夫多妻制は好都合だった。経済力が十分な夫であれば、多産を促す制度として機能しやすかったのである。
また農村や開拓地では、子どもが労働力として必要とされ、多産が奨励されていた。これにより、一夫多妻制は貴族だけでなく庶民の間にも浸透していった。
こうして、この世界では社会全体として一夫多妻制が自然に受け入れられるようになった。
現在では、妻を平等に扱うこと(生活費、住居、時間配分など)が夫に義務付けられており、男性は最大で五人の妻を娶ることが正式に認められている。
*
ナインの場合、事情がちょっとややこしい。
シュトルムベルク辺境伯爵家、レヴィアタン名誉男爵家、クラウド男爵家――複数の貴族家から「うちに婿に来い」と婚約を迫られているのだ。
王国法的にはグレーゾーン。しかし社会的には「まぁ貴族ならそういうこともあるよね」と、割と受け入れられていた。
――もっとも、全員が快く見てくれているわけではない。
特に、思春期から適齢期の男子諸君の間では、こんな陰口が日常茶飯事だった。
「お前だけ女の子に囲まれてさぁ!この色ボケ魔法使い、一人くらい寄越せってんだ!」
「チクショー!お前は毎晩違う娘と!? 神様、あいつの加護をちょっと分けろや!」
「おいおい、こっちは貧乏貴族の三男で食うだけでも大変だってのに、お前は嫁候補が行列つくってんのかよ! ……余ってんだろ、ひとりくらい!」
……主人公は大変である。




