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お茶会-WSSな勇者2

 エグバードが、ナインの婚約の話を持ちかける少し前。

 エルヴィナが、ルカとミレーユを招いて、お茶会を催していた。


 

 *



 午後の陽射しがやわらかく差し込む、中庭の一角。

 降り注ぐ光の中、エルヴィナ・ヴァン・レヴィアタンの私的なお茶会が穏やかに進んでいた。


 テーブルの上には、季節の果実を使った焼き菓子と、香り高い紅茶。

 ルカとミレーユは招かれるままに、対面の席に座っている。


「この紅茶、とても香りがいいですね。東方の新しいブレンドでしょうか?」

 ミレーユがカップを傾けながら微笑む。


「ええ、父が最近取り寄せたものなの。口当たりがやさしくて、午後のお茶にはちょうどいいと思って」

 

 エルヴィナが穏やかに応じる。言葉にも所作にも隙がなく、育ちの良さが自然とにじみ出ている。

 しばらく、あたりさわりのない談笑が続いたあと、エルヴィナはふとカップを置いた。

 目線をルカへと向ける。まなざしは柔らかいが、どこか芯のある光を含んでいた。


「……ルクレツィア様。そろそろ、本題に入ってもよろしいかしら?」


 ルカは一瞬、きょとんとした顔を見せたが、すぐに背筋を伸ばす。


「は、はい……どうぞ」


 エルヴィナは、微笑を崩さずに続けた。


「クラウド男爵家に、レヴィアタン家から内々に打診する予定なの。内容は――ゼロ、ナインと呼ばせていただきますね。ナイン様と私の婚約について」


 瞬間、ルカの手がカップの持ち手を取りそこねた。

 カップはわずかに傾いただけで音は立てなかったが、ルカの表情が固まった。


「……へ?」

「ナイン様を、我が家に迎えたいの。婿養子としてね。父も乗り気で、すでに話を進める用意があると言っていたわ」

「ま、ままま待ってください! それって、えっと、つまり、その、え? どういう、あの……っ、ナインがエルヴィナ様と!?」


 ルカの言葉は途中から崩壊していた。

 顔は明らかに赤くなり、手元のナプキンをぎゅっと握りしめている。

 ミレーユはというと、そっと目を伏せて紅茶を啜っていた。表情は変わらないが、ほんのわずかに口元が緩んでいるようにも見える。

 エルヴィナは、そんなルカの動揺を責めることなく、落ち着いた声で言葉を重ねた。


「もちろん、まだ学園生活も残っていますし、正式な返答は急ぎません。ただ、あなたには――伝えておきたかったの」


 ルカは、しばらく言葉にならない音を口の中で転がしながら、顔を伏せた。


(な、ナインと……エルヴィナ様!? そ、それは、つまり……どういう、えっ、これ、私どうすれば……!)


 その心中は、完全に混乱の渦の中にあった。

 ルカの頭の中は、まだ混乱の名残を抱えていたが――

 そんな彼女に向けて、エルヴィナはごく穏やかに微笑んだ。


「ご心配なさらないでくださいまし。私は、ナイン様の側妃でよいのです」


 その声音は、冗談ではなく、本気のものだった。

 落ち着いていて、控えめな笑みを浮かべながらも、彼女の言葉は明瞭だった。


「もちろん、正妻はあなたですわ、ルクレツィア様。そこは最初から、変わりません」


 ルカは、一瞬言葉を失った。

 けれど、エルヴィナのまなざしが真剣であることに気づいた瞬間、胸の奥のざわめきが不思議と収まっていくのを感じた。

 手元にある紅茶にそっと目を落とし、ひとつ呼吸を整えてから、ルカは顔を上げた。


「……それでもいいの?」


 問いかけは、感情の波が静まったあとの、真摯なものだった。

 言葉の裏には、戸惑いも、思いやりもあった。


 エルヴィナは、うなずいた。

 その仕草はあくまで丁寧で、ルカの問いかけにふわりと微笑を返した。

 その瞳に迷いはなかった。


「ナイン様には、それだけの価値がありますわ」


 言葉に誇張はなく、ただ事実として語られていた。

 けれど、そのひとつひとつに、深い敬意がこめられていた。


「今、王国で最も優れた魔法使いは誰かと問われれば、私たちは迷わず、ナイン様の名を挙げるでしょう。魔力量も魔法の威力も、まさに桁違いです」


 ルカは、そっと息をのんだ。

 その言葉に、否定すべきところはひとつもなかった。


「それだけではありません。数学•統計の知識にも長けていらっしゃる。定量的な判断をもとにされた、状況の整理、目的の明確化。計画遂行全般に素晴らしい功績をお持ちです」


 エルヴィナの声は、淡々としながらもどこか熱を帯びていた。


「更に、戦術や戦略にも深い知識をお持ちですわ。そして何より――物事をやり抜くその覚悟。ナイン様はすでにレヴィアタンの中核を担えるだけの資質を示しておいでかと」


 そこでいったん言葉を切り、エルヴィナは小さく笑みを浮かべた。


「……それに、これは私の望みでもあるのです」


 ルカが少し目を見開く。


「白鯨の精神と対峙した時、彼は隣にいてくださいました。ただ側に在って、包んでくださった。その温かい包容に、私は救われたのです」


 最後の言葉だけは、わずかに声が柔らかくなった。


 それは感謝であり、そして――明確な好意だった。


「だからこそ、私もナイン様の側にいたいと思いました。正妻かどうかに意味はありません。ナイン様と共にあることが、私の願いです」

 

 ルカは、返す言葉をしばらく見つけられなかった。

 胸の奥に生まれたものは、嫉妬だけではなく、同じ人を想う者同士として通じ合う何かだった。


 エルヴィナは、一度ルカに視線を戻し、姿勢をわずかに正した。


「ここまでは、私個人とレヴィアタン家としての、ナイン様への想いをお話ししてきました」


 言葉を丁寧に区切りながら、淡い気配のまま言葉を続ける。


「ここから先は、私どもがルクレツィア様とナイン様にお示しできる提案となります」


 ルカは、息を整えるようにわずかに瞬きをし、エルヴィナの言葉を待つ。


「ナイン様と私との婚約が成立した際には、レヴィアタン家として、女性勇者の婚姻が法的に認められるよう、全力で王家に働きかけます」


 その声には、確固たる意志が込められていた。

 ルカは、その意味をすぐに理解した。

 エルヴィナが語ってきた事は、個人の情だけではなく、家門としての明確な行動であり、約束だったのだ。


 テーブルの上では、紅茶の香りが穏やかに広がっていた。

 エルヴィナの言葉がひと区切りついたそのとき、ミレーユがふと顔を上げる。目元にほんのわずかないたずらの色を宿したまま、唇を開いた。


「……でしたら、私もナイン――と呼ばせていただきます――の婚約者に、立候補してもよろしいでしょうか?」


 そのひとことが、ルカの思考を一瞬で凍らせる。


「えっ……え、ええええええっ!? ま、待ってミレーユ様、な、なんで今そういう話に――っ!?」


 椅子から浮きかけた身体をどうにか支えながら、ルカは両手で頭を抱えた。


「え、えっと……え? な、ナインの婚約者って、い、いま何人目!? え、私って、正妻よね!? 一応!? でもでも、ミレーユ様って、い、今までそんなそぶりなかったじゃない……っ!?」


 言葉がまとまらず、声の調子も落ち着かない。

 紅潮した頬に、額からは細い汗がつたう。手元のナプキンは、ぎゅっと握られていた。


 ミレーユは、紅茶のカップをそっと置いた。

 その仕草も表情も、乱れはない。まるでこの展開を予期していたかのような静けさだった。


「シュトルムベルクとしては――勇者と、王国最強の魔法使いが揃ってレヴィアタンに渡るのを、黙って見ているわけにはいきませんもの」


 なめらかな声だった。語調に無理はなく、響きも柔らかい。


 ルカはその言葉に思わず肩を縮め、呼吸を整えられないまま、困惑を深めていく。


「ミレーユ様まで……本気で……?」


 問いかけに、ミレーユはやや頷いて応じた。


「私は三女ですし、ちょうど良いと思いましたの。家の継承には関わりませんし、立場としても動きやすくございます」


 その声音には冗談の欠片もなかった。

 言葉の裏にあるのは、個人の感情と、公の責任、双方に根ざした判断だった。


「少々出遅れてしまいましたけれど――もし、私とナイン様の婚約が成立すれば、シュトルムベルク家としても、女性勇者の婚姻を王家に認めさせるよう働きかけます」


 言い切ったあと、ミレーユは再びカップを持ち上げ、ひと口だけ紅茶を含む。

 そして、ほんの少しだけ視線を落とし、さらりと続けた。


「それに……私も、ナインのことは憎からず思っておりましたの」


 頬に、淡い紅が差す。

 表情に照れはあっても、言葉に曖昧さはなかった。


「怜悧な横顔……いつも穏やかに、それでいて明確に判断を下されるお姿は、とても素敵でした。あの声も……耳に残ります。優しく、でも不思議と心を引く蠱惑的な響きがあります」


 ルカは、息を呑んだ。


「背も高く、姿勢も整っていらして……しなやかな腕と指先は、書類に向かうときも美しかった」


 ミレーユのまなざしは、遠くの一点にそっと注がれていた。

 その眼差しは、思い出をたどるようでもあり、自らの心を確かめるようでもあった。


「それに……強化改造処置の影響でしょうか。ときおり、ほんのわずかに魔獣の気配を纏っていらっしゃるのです。その微かな危うさが、なぜかとても気になってしまって」


 声の調子は変わらない。ただ、その奥に、やわらかな熱を孕んでいた。


「内面の理知、整った容姿、そして少しの危うさ。そういったものを併せ持つ殿方は、そう多くはございません。それに…」


 ミレーユは目を細め、うっとりとルカを見つめた。


「ナインとルクレツィア様……許されない立場にありながらも、互いを求め合う二人……! 運命に抗う恋!尊い!尊すぎますっ!

 そんな二人を、間近に見られる立ち位置…デュフフフ…」


 虚空を見つめながら、うっとりするミレーユを横目に、ルカはまたしても椅子の上で固まっていた。


「ちょ、ちょっと待って……エルヴィナ様だけじゃなくて、ミレーユ様まで……!?」


 つぶやきのような声が漏れる。

 一瞬にして元に戻ったミレーユは、微笑を浮かべたまま続けた。


「大丈夫ですよ、ルクレツィア様。私も正妻はあなたでよいと考えています。第二夫人の座は……これから相談させていただきましょう。ただ、私は遅れをとっていますから。急ぎ、父上に相談いたしますね」


 席を立つ際に、ミレーユは優美なカーテシーをひとつ。

 その姿勢も仕草も申し分なく美しかった。


「エルヴィナ様、ルクレツィア様。本日は楽しいお茶会を、ありがとうございました」


 そう言い残し、足音を立てずにその場を辞す。

 残されたルカは、呆然とした表情でつぶやいた。


「わ、私が先に好きだったのに……!」


 混乱は、まだ収まりそうになかった。

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