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過去からの声

 カーティスは、ナイン(ゼロ)に問いかけた。


「……ゼロ。どうして“記憶の水晶”を見たいと思った?」


 疑念よりも確認の色が強い。

 ナインは言葉を選ぶように指先を組み、ゆっくりと口を開いた。


「……俺が不思議に思ったのは、魔王のシュトルムベルクへの執着です」


 カーティスの表情が、わずかに変化する。


「今回、戦術的に見れば、あの魔王の勇者は特攻でした。

 極めて貴重な戦力を単独で、回収不能になる可能性が高い敵地に送り込んでいた。明確に“使い捨てる”意図があったと考えるのが自然です」


 ナインは、淡々と続ける。


「なぜ、そこまでしてシュトルムベルクの血筋を狙うのか。……戦略目標が、一家系に向けられている。その異常さが、どうしても引っかかります」


 沈黙が、再び室内に満ちる。


「一つの仮説として――記憶の水晶に、魔王が恐れている何かが秘められている可能性を考えました。アルトゥール様に関する何か。あるいは、魔王と彼の因縁に関わる記録が」


 ナインは、正面からカーティスの視線を受け止める。


「確証はありません。しかし記憶の水晶にその手がかりがあるのなら……たとえわずかでも、今後の備えになり得ます。

 だから、見せていただきたいのです」


 しばしの沈黙のあと、カーティスは肩を竦めるようにして立ち上がった。いつもの丁寧な物腰ではなく、迷いのない動きだった。


「――なら、今から見に行こうか。君とルクレツィア嬢が同行するくらい問題ない


 さらりとした口調だったが、その言葉には、彼なりの信頼と応答の意志が込められていた。

 ナインとルカが同時に目を見開いた。


「……今から、ですか?」


 ナインが確認するように問うと、カーティスは軽く笑ってみせた。


「何、ルクレツィア嬢は”勇者様”だろう? 勇者様の依頼なら、問題はないさ」


 からかうような響きではあったが、拒絶や皮肉は一切なかった。

 ナインは頷いた。


「……お願いします」

「任せてくれ。保管庫はこの城の地下だ。すぐに案内しよう」


 そう言って、カーティスは扉のほうへと歩み出す。

 扉が開かれるその先に、アルトゥールの記憶が、ひっそりと眠っている。





 城の地下――。

 厚く閉ざされた鉄扉をいくつも越えた先、重い結界の張られた宝物庫の奥まった一角に、それはあった。


 記憶の水晶。


 人の頭ほどの大きさを持つその結晶は、虹色の光を内に湛え、穏やかに輝いていた。

 灯りがなくとも、暗がりの中に淡い光を落とし、周囲の空気までも清めるような、静かな存在感を放っている。


 カーティスが、慎重な手つきで水晶の前に立ち、結界の鍵を解除する。柔らかな光が漏れ、静かに、何かが目覚める気配がした。


「……これが、アルトゥール様の記憶を封じた水晶だ。戦火を逃れ、今日まで継承されてきたものだよ」


 そう言って一歩退くと、ナインとルカがそっと歩み寄る。ナインは指先でそっと水晶に触れた。ほんのりと、温かかった。


 ただの鉱石にはない、生命のようなぬくもりが、ゆっくりと指先に伝わってくる。

 ナインは目を細め、じっと水晶の波動に意識を傾けた。


 ……すぐに、異変に気づく。

 ――規則的な魔力波。


 触れた瞬間から、明確に感じ取れた。

 それは不規則に脈動する魔力ではなく、整った波形をもって、周囲へとごく微細に放たれている。


(……音だ)


 ナインの耳に、それははっきりとした“音”として届いていた。

 空気を振動させているわけではない。

 鼓膜ではなく、魔力調整に使っているナインの角に共鳴するように響いていた。

 ゆるやかな一定のリズムで、水晶が“歌って”いるようだった。


「ナイン?」

 

 隣で見ていたルカが、彼の横顔に問いを含めて呼びかける。

 ナインはしばらく黙っていたが、やがて唇を動かした。


「……この水晶、規則的な魔力波を出しています。俺には、それが……“ラ、ラ”っていう、音みたいに聞こえる」


 カーティスが小さく目を見開いた。


「音? この水晶が……?」

「ええ。音ではないです。あえて言うなら、魔力が周囲に向けて発している共鳴波でしょうか。

 俺の角に直接響いていて、それが俺には音のように聞こえるんです」


 ナインの手は、なおもそっと水晶に触れたまま。

 指先から、ゆるやかに魔力を送る。水晶の波と、自身の波を重ねるようにして。


「……カーティス様。この水晶、今はごく弱い波でしか魔力を放っていません。けれど、少し魔力を注いで、波を増幅してみてもいいでしょうか?」


 ナインは、そっと手を引いた。

 指先に残る、淡い温もりを確かめるように一度まばたきをしてから、静かにカーティスの方を向いた。


「危険はあるのか?」


 カーティスが、やや声を低くして問う。

 ナインは短く首を振った。


「多分大丈夫でしょう。

 これは……外に向けて“何か”を伝えようとしている。少し、読み取れるかもしれません」

「わかった。やってくれ」


 カーティスが言葉を終えると、ナインはゆっくりと、魔力を水晶に流し込んでいく。

 ナインの制御する魔力は、非常に繊細だ。波の位相と周期を少しずつ調整しながら、あたかも耳を澄ませるように、同調していく。


 ……その瞬間だった。


 結晶の内部に、微細な色の変化が現れた。

 虹色の揺らぎが、わずかに深まり、次の瞬間――。


 「……さま……」「……られ……ては……ぬ……」

 「……王の……ち……し……」


 断片的な“言葉”が、確かに聞こえた。

 誰のものとも知れぬ、男の声。

 それは直接耳で聞く音ではなく、意識の奥底にじんわりと沁み込むような感覚だった。


「今……何か、言葉が……」


 ルカが小さく息を呑む。

 カーティスも目を見開いている。

 ナインは、目を閉じたまま静かにうなずいた。


「間違いなく、“伝えようとしている”意志があります。ですが、意味はつかめませんね」


 ナインは手を離し、息を静かに吐いた。


「もう少し増幅できれば、あるいは……内容に触れられるかもしれません」


 記憶の水晶は、静かに輝き続けていた。

 虹の色は穏やかに脈動しながら、今もなお、言葉にならぬ言葉を世界に向けて送り出しているようだった。

 淡く揺れる虹の光を見つめながら、カーティスは軽く眉を寄せた。その瞳の奥に、何かを思いついた色が差す。


「……ミレーユを、呼ぼう」


 突然の言葉に、ナインとルカがわずかに顔を上げる。


「彼女と私は一卵性の双子でね。

 二人でならば魔力の増幅と共鳴を起こせる。……小さな頃からずっと、同じ環境で育ってきたからかな…思考も、魔力も、時にまるで一つのように感じることが、あるんだ」


 カーティスは、記憶の水晶に視線を戻す。


「一卵性の双子は、魔力の波が極めて近く、同時に魔術を展開することで、精度や威力を飛躍的に高めることができるのは、知っているだろう?」


 そして、ほんの少しだけ唇の端を持ち上げた。


「――ミレーユとなら、この水晶との“対話”をもう少し深められるかもしれない」


 ナインは短くうなずいた。


「お願いします。……この水晶は、何かを伝えようとしています。今は、できる限りの手段を尽くすべきです」

「了解した。すぐに彼女を呼ぼう」


 カーティスは手早く、扉の外に控えていた従者に命じる。足音が、石畳の廊下を静かに駆けていった。





 地下宝物庫の空気が、わずかに変わった。

 カーティスの隣に、ミレーユが立つ。

 青銀色に艶めく髪が肩にかかり、兄と同じ色違いの双眸が、正面の水晶を見つめている。

 双子の兄妹は、無言のまま距離を詰めて立った。

 互いの魔力が、自然と波を合わせ始める。深く、静かに、まるで地下の水脈が交わるように。


 ナインは膝を折り、水晶に近づいた。

 指先をそっと触れ、その表面から伝わる微かな脈動を感じ取る。


「……増幅します。少し、衝撃を感じるかもしれません」


 低く静かな声で告げ、ナインは魔力を流し込む。

 規則的だった魔力波が、やがて大きなうねりとなって波打ち始める。


 音のような、呼吸のような魔力の波動が、空間を満たしていく。


 そして――カーティスとミレーユの魔力が共振を始めた瞬間、波は一変した。

 より明確に、より強く、空間に“声”が立ち上がる。まるで、霧の中から誰かが現れるように。


「……聞こえるか……」


 それは、男の声だった。

 深く、穏やかで、しかしどこか疲れた響きを帯びていた。


「……私は、アルトゥール・ヴァン・シュトルムベルク……」


 ナインは目を見開いた。

 ルカも、息を呑むように隣で硬直していた。

 声は、なおも続く。


「……魔王ヴォルム・マグナを……創りし、罪人……」


 その言葉に、カーティスの指先がわずかに震える。ミレーユも、唇を引き結び、黙って水晶を見つめたまま動かない。


「……我が子らへ、私の記憶を託す……魔王の真実を……未来に遺すために……」


 再び、声は魔力のうねりに呑まれ、微かに途切れ始める。


「……聞こえるか……私は……まだ……ここに……」


 虹色の光が、一瞬だけ強く脈打ち、やがて静かに沈んでいった。宝物庫の奥に、再び沈黙が降りる。


 だが、そこにいた誰もが、確かに“声”を聞いた。三百年の時を超えて、アルトゥールが遺した言葉を。

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