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全容

 静寂が、艦上を覆った。


 艦砲斉射の号令を下そうとしていたエルヴィナの右手が、空中で凍りつく。

 彼女の視線の先──波間に、黒く焼け焦げた巨体が横たわっていた。

 その背の上に、ひとりの少年が立っている。


 ナインだった。


 その姿を認めた瞬間、全艦の乗組員たちに、彼の平坦な声が直接流れ込んだ。


「遠話の魔法を使った。これで、湾内の全員に届くはずだ」


 落ち着いた、冷静な声音だった。


「……ゼロ、何の真似だ。そこをどきなさい。そいつは今ここで殺す!」


 怒気に震える声が即座に返った。

 《メア・アスピーダ》の甲板から、エルヴィナが絶叫していた。

 目を見開き、唇を血が滲むほどに噛みしめている。


「レヴィアタンがどれだけの犠牲を払ったと思っているの!? 今を逃せば……!」

「契約では、“討伐または撃退”のいずれでも構わない、と記されていたはずです」


 ナインの声は変わらず淡々としていた。


「任務の遂行が、対象の滅殺だけを意味するとは限らないでしょう?」

「詭弁を──!」


 なおも言葉を重ねようとするエルヴィナに、ナインはそれ以上返さなかった。

 彼女の怒声を無視し、波上に立ったまま、ゆっくりと右手を掲げる。


「ライーシャ、手伝ってくれ」


 呼びかけに応じて、一人の少女が前へ出た。


「ルカ、頼む」


 ナインの言葉に即座に反応したのは、金髪の少女だった。


 ルカは一度、小さく頷くと、ためらいなく甲板を蹴った。

 風がその背を押す。

 その腕には、ライーシャがしっかりと抱えられていた。


 二人は高く跳躍し、燃え尽きた巨獣の背へと静かに降り立った。


 潮風がライーシャの白髪を揺らす。

 傷ついた巨獣の皮膚は、灼けた岩のようにざらつき、まだ熱を帯びていた。

 その上に立った三人は、無言でその体躯を見つめていた。

 ナインが、そっとライーシャのそばへ歩み寄る。


「……交信できる?」

「やってみる」


 短く息を吐き、ライーシャは頷いた。

 体内で魔力を編みながら、ゆっくりとその手を、焼け焦げたレヴァ・ノーティルの背に触れさせる。

 同時にナインも隣に立ち、彼女の肩へ手を添えた。


「バックアップは任せて。交信内容は、遠話を通じて全艦に共有する」

「わかったわ」


 ライーシャは一言だけ答え、目を閉じる。

 魔力の波長を静かに合わせていく。

 巨獣の鼓動が、彼女の意識の奥底と重なってゆく。


 そして──微かな声が、届いた。


「……あなたは、どうして。なぜ、こんなことを……?」


 それは言葉ではなく、魔力の波による問いかけだった。

 そしてその呼びかけに応じるように、巨獣──レヴァ・ノーティルが、鳴いた。


 低く、ひび割れたような声。

 波間を震わせる、深く、重く、痛ましい共鳴が、湾全体に響いた。

 ナインの補助によってその声は魔力に変換され、遠話の魔法に乗せて艦隊全体、港の隅々にまで届いた。


『……連れ去られた……』


 それは、太い鎖が軋むような声。

 悲嘆と怒りと、焦燥が混じりあった、獣の言葉。

 だがその奥底に、ひときわ強く沈殿していたのは――喪失の感情だった。


(つがい)が……連れていかれた。奪われた。湾の内側、閉じられた水の檻の中に……』


 言葉の意味を理解する前に、その感情が押し寄せてくる。

 焼けつくような焦り。

 暴れ出したくなる不安。

 深い深い海の底で、声が届かないまま叫び続ける断末魔のような苦痛が、押し寄せる。


 その全てが、交信を通じて湾内の全員に、等しく伝わった。


 誰かが息を呑む気配があった。

 決死隊の一人の手が、小さく震えた。


 レヴァ・ノーティルがもう一度、低く鳴く。

 それは怒りではなく、深く深く沈んだ、慟哭の声だった。

 ──番を、取り戻したい。

 ただ、それだけだった。

 

 波間に、潮風がそっと渡る。


 そのときだった。

 レヴァ・ノーティルの慟哭に呼応するように、港の奥から、微かな“声”が届いた。


 それは音ではなかった。

 ひそやかな魔力のさざ波。

 水底の泡のように儚く、けれど確かに、それは「応え」だった。


 ナインとレヴァ・ノーティルの魔力が完全に同期し、遠話の感度と範囲が極限まで高められていた。


 レヴァ・ノーティルが小さく身を震わせる。

 ライーシャの手の下で、その鼓動が明確に跳ねた。


「……聞こえた。番の声よ。確かに……港の中から……」


 ライーシャの囁きに、ナインは静かに頷く。


「じゃあ、こう伝えてくれ。任せてくれって。俺たちが、必ず連れ戻すって」


 ライーシャが頷き、再び魔獣に触れる。


『――安心して。私たちが、あなたの番を取り戻すわ。必ず』


 その短い言葉に、巨獣の目がわずかに緩んだ。

 燃え尽きかけた魂に、一縷の光が差し込むような、そんな静けさが波間に広がった。


 ナインは小さく息を吐き、遠話を通して、全艦に向けて声を上げた。


「エルヴィナ・ヴァン・レヴィアタン提督。僭越ながら、意見具申いたします。

 一連の事案につきまして、単純な魔物災害ではない可能性がございます。港内に確認された番の存在など、さらなる情報収集が必要と考えます。

 レヴァ・ノーティルの処断は、その後でも遅くはないはずです」


 エルヴィナは、人を焼くような鋭い視線をナインに向けた。

 だが、大きく息を吸い、そして吐いた。


「全艦、帰港準備! 艦隊参謀、レヴァ・ノーティルを港まで曳航できるか?」

「やってみます」


 二番艦から、参謀セイラ・グリマルディの返答が返った。


「ゼロ!港に戻ったら話があるわ。洗いざらい吐いてもらうからね!」


 ナインはエルヴィナに、わずかに微笑みかけた。

 不思議なことに、その笑みは──この戦場にいた誰の心にも、なぜか静かな安心をもたらした。


 艦が静かに港へと滑り込み、エルヴィナたちは桟橋に降り立った瞬間、自然と足を止めていた。


 視線の先――艦隊が帰ってきた為、喧騒に包まれている港に、ひとりの男が立っていた。

 背は高く、痩身。白に近い金髪に、群青の瞳。

 まるで検事のように厳格な空気を纏いながらも、どこか尊大な佇まい。

 夜の海のように深く沈黙を抱え、彼の周りだけ、喧騒も遠のいて見えた。


「……お父様?」


 ぽつりと漏れたその声には、戸惑いと警戒がないまぜになっていた。


 そこに立っていたのは――ザミュエル・ヴァン・レヴィアタン。

 レヴィアタン名誉男爵家の当主にして、エルヴィナの実父だった。


「お疲れさま。勇戦、見事だったよ、エルヴィナ」


 穏やかな声。それでいて、目の奥にはひとかけらの笑みもなかった。


「なぜ……あなたがここに……?」


 問いに、ザミュエルはひと呼吸の間を置き、淡々と告げる。


「ゼロの提案でね。陸戦隊の陣頭指揮をしていたんだ」


 そして、視線がゆっくりと動く。

 そのまなざしが向けられたのは、ナイン(ゼロ)だった。


「……君の読み通りだった、ゼロ。

 レヴァ・ノーティルの“探し物”は、我々が無事に確保した。

 ついでに、ヴェルドラール帝国の領事館も制圧した。積もる話は山ほどあるが……私は、まだ少しばかりやることが残っている」


 語りながら、ザミュエルはふたたび娘へと視線を返す。


「エルヴィナ。お前も一通り、残務処理を済ませておきなさい。今晩、夕食のあとにゆっくり話そう。ルクレツィア様も、ゼロも同席で」

「……わかりました」


 エルヴィナは小さく頷く。

 ザミュエルは陸戦隊の隊長へと合図を送り、言葉少なにその場を後にした。


 足音が、静かな桟橋に消えていく。


「それじゃあ……こちらも仕事に戻りましょう。セイラ、いいかしら?」


 振り返ったエルヴィナの声に応じて、艦隊参謀のセイラ・グリマルディが「御意」と答えた。


 港の空は、少しずつ夕闇に染まり始めていた。けれど、その一日が終わるには、まだ幾つかの務めが残されているようだった。



 *



 艦隊決戦の後処理に、他国領事館の制圧――

 山積する問題は尽きることなく、誰もが疲労の色を隠せないまま、それでも黙々と職務に追われていた。


 けれども、なんとか時間を捻出し、夕食を終えた後のひととき、エルヴィナたちはザミュエルの待つ執務室へと集まり、ようやく、事の真相が静かに共有されることとなる。


 壁際のランプが揺らめく光を灯し、机上の地図と報告書を淡く照らす中――

 ザミュエルは、沈黙を破るように、落ち着いた声で語り出した。


 おおよその概要は、以下のとおりである。


 ヴェルドラール帝国は、長年にわたり、レヴィアタン家に対して怨恨を抱き続けていた。

 かつて喪った海上覇権。そして、幾度にもわたる政治的敗北。

 彼らはついに正面からの武力衝突は不利と悟り、陰から魔物を操り、レヴィアタン艦隊と白鯨レヴァ・ノーティルを意図的に噛み合わせる策を講じた。


 その企みを暴く端緒となったのが――ナインだった。


 最初の発端は、レヴァ・ノーティルの鳴き声が港に響いたあの夜。ナインはその際、港湾から微かに応えるように放たれた魔力波を感知していた。


 その後、彼はドローンを用いて周囲を探索。港湾区E-12番倉庫――表向きには使用停止中とされる保税倉庫に、不自然な熱反応が存在することを突き止めた。


 彼はその情報を、名誉男爵ザミュエル・ヴァン・レヴィアタンに報告し、調査を依頼した。

 調査の結果、E-12番倉庫の真の管理者がヴェルドラール帝国領事館であることが判明する。

 加えて、同帝国がかねてより魔物を使役し、戦争において利用する戦術をとっていた事実も、重要な傍証となった。

 ザミュエルはナインに、ヴェルドラール帝国がレヴァ・ノーティルを利用している確証を得るよう指示する。


 そして迎えた、白鯨との“交信”の瞬間――

 ナインの言葉を通じて明かされたのは、一連の白鯨の行動が、つがいを探すためのものであったということ。その番からの呼応が、まさにE-12番倉庫から発せられていたことが、クトルア全体に共有されることとなった。


 ザミュエルは、あらかじめ動員していた陸戦隊による、倉庫と領事館への同時強襲を断行した。

 それは外交上きわめて危うい手段ではあったが、レヴィアタンらしい単純かつ迅速な解決の仕方だった。


 結果として、ヴェルドラール帝国が管理する倉庫内の「生簀いけす」に隠されていた、レヴァ・ノーティルの“探し物”の確保に成功。加えて、領事館においてレヴィアタン家に対して仕掛けられた陰謀の、確たる証拠も押収されたのだった。


「ヴェルドラール帝国への正式な抗議、そして外交対応……まだまだやるべきことは山積みだが――概略は、以上だ」


 ザミュエルはそう締めくくると、無機質な群青の瞳を、エルヴィナたちに向けた。

 その眼差しには、感情の色がほとんど宿っていなかった。


「エルヴィナ。レヴァ・ノーティルとその番の処遇は――お前に任せる。レヴィアタンの総領娘として、お前自身の判断で、裁いてみせなさい」


 一瞬、執務室の空気が張り詰める。

 机の向こう側からのザミュエルの眼差しを、エルヴィナは正面から受け止めた。


「……承知しました、父上」

 静かに、彼女は応じた。

「レヴィアタンの名に恥じぬよう、私の責任で処すと誓います」

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