表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/39

怪獣大戦争

 後楼が、微かに軋む。

 突撃の振動が、船体を通じて甲板を震わせていた。


「──両舷、全速!」


 艦長ヴェイル・カンタレルの声が、銅羅のように艦全体へ鳴り響く。


「之字運動、開始! 操舵! 構わねぇから、転覆ギリギリまでぶん回せ!!」


 操舵手が片眉を跳ね上げ、即座に怒鳴り返した。


「──アイ・サー!!」


 次の瞬間、《メア・アスピーダ》が大きく傾いた。

 艦体は左へ、右へと、鋭角に海面を切り裂きながら蛇のように疾走を始める。

 霧を裂き、波を噛み、うねるように突き進むその姿は、まさに海の怪物のようだ。


 甲板が生き物の腹のように波打った。

 ぐらりと傾いた船体が、重心を狂わせる。

 軋む梁が低く呻き、甲板がぐぐっと隆起し──

 足元が突き上げられたかと思えば、次の瞬間には奈落に吸い込まれるように沈む。


「──奴は、真下から来る! どんな変化も見過ごすなぁッ!」


 艦長の怒号が、波音をも突き破って響く。風にかき消されることもなく、甲板のすべての者の鼓膜を震わせた。


 甲板は震えていた。

 海のうねりに合わせて、地面そのものが波打つように。

 甲板は、激震する大地そのものだった。

 その最前線──


 艦首に設けられた銛撃ち台に、ルカが立っていた。


 跳ねる甲板の上でも、微動だにしない。

 その姿はまるで、暴風の中に根を張った大樹のようだ。

 腕には、無骨な三メートルの銛。

 筋肉がきしみ、碧眼が暗い海面の一点を射抜く。


 一瞬、海面が青白く光った。


「──十一時! 発光ッ!」


 ルカの鋭い声が、空を裂く。


 刹那──


「面舵一杯ッ!! 舵が壊れても構わねぇッ!!魔法使いども! 風力全開!!」


 艦長がそれに応じるように絶叫する。

 その声は波に乗り、全艦へと響き渡った。


 甲板が再び大きく傾く。

 舵が悲鳴を上げ、マストが軋み、風が帆を裂くように吹き抜ける。


 ナインが詠唱に入る。


 空中浮遊──レヒト

 姿勢制御──リンクス

 そして、ナインの口から叫びのような、高音が流れ出す。


 ぶくり、と──

 海面が……膨らんだ。


 まるで、ぐいと下から突き上げられたかのように。

 水が盛り上がる。

 海が、呻き声をあげる。

 海面が震え、ぶくぶくと泡が湧き上がる。

 それは小さな泡ではなかった。

 直径数メートルにも及ぶ、深海の泡だ。


 空気が、変わった。

 重く、湿り気を含み、鼻の奥を刺すような──生臭さ。

 腐った海藻と、錆びた鉄。そこに死肉を混ぜたような……深海の匂い。


 総毛だった。

 皮膚の裏がざわめく。

 耳の奥がじんじんと痛み、胸の奥にひやりとした冷気が走る。


 ──何かが近づいてくる。


 上がってくる。

 遥か下から。

 深い、海底から。


 それは、氷山のような質量だった。

 海面が、白に染まる。

 雪よりも白い、海にはあまりにも不似合いな色。


 爆音。

 海が裂けた。

 海底火山が噴き上がるような水柱とともに、レヴァ・ノーティルの前頭部が、突き上がってくる!


 視界が、真っ白に染まった。


 ──次の瞬間には、衝突する。


 その刹那。


 甲板の先端。

 舳先の“射手”が動いた。


「──一穿」


 ルカが、魔力を爆発させた。

 龍脈がうねり、血管のように甲板の足元に魔力の痕が走る。

 全身強化・最大出力。


 筋肉が軋む音が、空気を裂いた。

 ルカの両足が、板にめり込む。


 そして──

 放った。


 砲弾のように音速を超え、空間を抉るように飛ぶ鋼鉄の銛。

 狙いは、迫りくるレヴァ・ノーティルの左目。


 次の瞬間──

 世界が、爆ぜた。


 巨人が世界をハンマーで殴ったかのような衝撃音。

 百の大聖堂の鐘が、同時に鳴り響いたかのような轟音。


 白い巨体が、わずかに撓んだ。

 銛は狙いをわずかに逸れ、左目の手前に着弾。

 そのまま、根元まで陥没する。


 海が悲鳴を上げた。

 レヴァ・ノーティルが、その巨体を苦しげに捩らせる。

 ルカの一撃が、巨獣の進路を狂わせたのだ。


 だが──止まりきらない!


 白銀の巨影は、なおもそのまま左舷に接触する。

 《メア・アスピーダ》が軋みを上げ、横倒しになりかけた。


 艦体が持ち上がる。

 甲板上の者たちは一斉に体勢を崩し、

 数名が手すりを超えて、海へと吹き飛ばされた。


 ヴェイル・カンタレル艦長が歯を食いしばり、怒号する。


 「進路そのまま! 一旦距離を取れ! ダメージコントロール急げ! 被害状況、報告を!」


 各部署が怒号を返し、乗員たちが慌ただしく駆け出してゆく。


「左舷砲塔群──被害甚大!」

「第三マスト倒壊!」

「主舵破損!」


 被害報告と混乱の中。

 甲板の中央、海へ向かって鎖が伸びていた。

 ルカの放った銛、その柄尻から続く巨大な鎖が、火花を散らしながら甲板上を滑っていく。

 鉄の蛇が唸りを上げながら海へと投げ出され──

 その脇で、巨大浮遊樽たちが浮上する。

 鎖に繋がれた、特製の魔導浮標。

 次々と、ぼんっ、ぼんっと音を立てて、海面に展開していく。


 そしてその視線の先。

 鎖の先端に結ばれたレヴァ・ノーティルが、再び潜航を始めていた。


 白き巨体が、完全に水没する。

 巨大樽も次々と水中へ引き込まれ、

 残ったものは、水面を滑り、レヴァ・ノーティルの動きと共に移動を始めた。


 それはつまり──再突撃の準備を示していた。

 第二ラウンドの始まりだ。


 《メア・アスピーダ》も、体勢を立て直すべく活動している。

 ルカは次の銛を手に、海面下の巨獣を鋭く見つめていた。

 誰もが、肩で息をし、殺気立ち、怒号が飛び交う。

 戦場音楽が鳴り響く、艦上に。


 ──どこからともなく、

 海から滲むように──歌が、流れてきた。


 誰かが、歌っている。


 いや、違う。

 歌ではない。

 それは、微かな旋律。

 波のささやきに似た、得体の知れない、だがひたすらに美しいなにか。


 いつの間にか、艦上は静寂に包まれていた。

 誰もが、その旋律に魅入られていた。


 「……サイレン……?」


 誰かが呟く。

 ──船乗りを惑わし、船を奈落に誘う魔女の名。

 サイレンの魔女が哭いている。

 ローレライが、深海で微笑んだ。


 妖艶で、どこか背徳的で、ぞっとするほど美しい旋律。

 それが、空から降り注いでいた。


 詠唱だった。

 ナインの──第九階梯魔法の高速詠唱。

 彼は、空中で浮遊し、足場の不利を消していた。

 通常、一〜二時間に及ぶ大詠唱。

 十人以上の魔法使いによる同時詠唱を要する魔導の秘儀。

 ナインは、それを一人で、数分で編み上げていた。


 凍りついたような沈黙に支配された艦上で。


 エルヴィナは、その場で歩を止めた。

 戦場にあるはずの鋼の意志が、一瞬だけ融けた。

 ライーシャは、目を潤ませ、吐息を漏らし、ただ呆然と、空を──ナインを見上げていた。


「目標、再浮上!九時方向。距離約二千!」


 見張りの怒号が、艦上を現実に引き戻した。


 白き巨影が、海面を割る。

 巨大浮遊樽の浮力に抗いきれず、深々度での長時間潜航は叶わなかったのだ。

 海上に姿を現したまま、獣は再突入を開始する。


 今度は、防御結界を纏っていた。

 魔力の膜が、その巨躯を薄く覆い、波の上に歪んだ鏡のような揺らぎを走らせる。


 旗艦メア・アスピーダは、損傷のため、まだ十分な機動ができない。

 かわせない。

 詠唱はまだ、終わらない。

 僅かに、間に合わない。


 甲板の先端──

 ルカが再び、動いた。

 撃ち出すように、巨大な銛を放つ。


「破城」


 放たれた鋼鉄の閃光は、一撃目と異なり、銛全体が魔力で輝き、二回りほど大きくなって見えた。


 防御結界と銛の衝突の瞬間、大気が爆ぜた。空気が潰れ、周囲の空間ごと歪むような衝撃が広がる。

 海面は逆立てて揺れ、衝突地点からは飛沫が吹き飛び、衝撃波が四方へ弾け、防御結界がひび割れる。


 勇者の一撃が、ほんの一瞬だけ、巨獣の突進を止めた。

 たった数拍の、稼がれた時間。巨獣が再起動して、突進を再開するまで数十秒。


 視界一杯に、魔法陣が展開した。


雷衝極圧(ハイヴォルテージ)


 鍵音が響くのと同時に、白熱した閃光が空を裂いた。

 超高電圧――およそ数百万ボルトにも及ぶ電流が、大気を裂く轟音と共に、巨獣に叩きつけられた。

 直撃したその瞬間、海水は爆発的に沸騰し、数万度に達する高熱が海面を瞬時に気化させる。


 高温プラズマ状態に変化した空気と水分が、発光しながら青白い放電光を迸らせた。

 電流は一点に留まらず、海水中を数十メートルのおく球状に広がりながら拡散してゆく。


 次に、海面が盛り上がるように泡立ち始めた。

 水中で電流が通ることで、水の電気分解が強制的に起こされ、水素と酸素が大量に発生している。

 それは、青白い泡として次々に浮かび上がり、あたりに硝煙と鉄のような匂いを充満させた。

 電気分解で発生した高濃度の水素ガスと酸素は、空気中で混ざることで爆発性ガスとなり――爆発が起きた。

 爆風と閃光が海上を這うように走り、轟音と共に水面がえぐれた。


 全てが終わり、視界が晴れてきた。

 そこには、焼け爛れ、黒い岩山のように変じたレヴァ・ノーティルが、波間に静かに漂っていた。


 ……だが、終わってはいなかった。


 レヴァ・ノーティルは、生きていた。

 その巨躯が、かすかに──だが確かに、胎動し始める。弱々しくも、前へ、進もうとしていた。


「ライーシャ、発光信号・青! 全艦、湾内へ突入! 艦砲射撃でとどめを刺すッ!」


 エルヴィナが、絶叫するように命じた。


 満身創痍の《メア・アスピーダ》から、青白く光る魔法弾が天へ撃ち上げられる。

 それは、湾外に待機していた燐光艦隊の残存艦艇への突撃信号。

 合図を受け、主力戦闘艦たちが縦列隊形のまま湾内へなだれ込み、再び動き出した巨獣を射程範囲に捉える。


 エルヴィナが、右手を高く掲げた。

 斉射の命令を下す、まさにその刹那──


「……待ってくれ」


 その声が、すべてを止めた。

 ナインだった。

 彼は、波間に漂うレヴァ・ノーティルの背上へと、音もなく降り立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ