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舞踏会—BSSな魔法使い

「……見事なものでしたわね、兄様」


 柔らかな声が、まだ土煙の残る訓練場の風景にそっと溶けた。

 カーティスの隣に立つ妹――ミレーユは、銀糸のような髪を微かに揺らし、澄んだ瞳で場を見下ろしながら静かに微笑む。


「ああ。ルクレツィア嬢も、あの戦闘奴隷……名はゼロだったか。共に凄まじかったね」


 カーティスは涼やかな瞳を細め、訓練場を遠く見やった。

 赤みを帯びた夕陽が、石畳に落ちる影をひどく長く引き伸ばしている。


「けれど……あれは全力ではありませんでしたね、兄様?」

「ふふ……よく見ていたね。ああ、間違いなく、ほどよく手を抜いていた。」


 カーティスは優しく妹に目を向け、穏やかに微笑んだ。


「何故でしょうか?」

「多分、力を見せつけたのは、一般の学生や教師に対する牽制だろうね。ルクレツィア嬢は見目麗しいし、奴隷は人権がない。どうしたって、興味本位でちょっかいを出す輩が現れる。だから先手を打ったんだろう。

 力を抑えたのは、我々への売り込みかな。これほどの力を持ちながら、試験という枠に合わせ、私たちに脅威を与え過ぎないように、ね。」


 その傍らで、護衛の男爵家の若き令息が、騎士の礼を保ったまま控えていた。

 カーティスはふと彼に視線を移す。


「ハロルド、君、ジ=ゲン流を修めていたよね。君から見て、ルクレツィア嬢の力、どのように映った?」


 護衛の青年――ハロルドは、わずかに目を伏せ、だが熱を帯びた声音で答えた。


「……剣術が、素晴らしいと思いました。」

「ほう、身体強化ではなく?」

「はい。あのときの身体強化は、むしろ抑えておられました。ゴーレムを断ち切ったのは、ジ=ゲン流剛剣術奥義《鎧断ち》でした。

 少なくともルクレツィア様は、奥伝に至っておられます。」


 その声には、憧れと深い尊敬がにじんでいた。


「ただ力で振るうのではない……ジ=ゲン流の真髄の一端を、拝見しました。あれは、一朝一夕の修練で辿り着けるものではありません。」


 カーティスは目を細め、青年の熱をどこか楽しむように微笑んだ。


「グレイバーン男爵家の神童に、そこまで言わせるとはね……今代の勇者は中々有望そうだ。」


 彼はそっと、燃え残る夕空を仰いだ。


「勇者殿もそうだけど、あの戦闘奴隷だ……我国の魔導学も、なかなか大したものだね。《ゼルダ研の鬼子》……魔導強化改造人間、想像以上だったな。あの二人とは良い関係を保ちたいものだ。

 シュトルムベルク辺境伯爵家の悲願……魔王ヴォルム・マグナ打倒。今代は、どこまで迫れるか……楽しみだよ」


 夕焼けが訓練場の石畳を紅く染め、遠い北の森の稜線が、ゆるやかに闇に沈んでいく。魔王の棲む領域を眺めながら、カーティスは暮れていく夕日に呟いた。



 

 

 夜の学園は、昼の喧噪を忘れたように静まりかえっている。しかし、今夜は大広間だけ、まるで別世界のように光に包まれていた。シャンデリアの煌めきは星のようで、銀の月光と溶け合い、白大理石の床を淡く照らしている。


 新入生を祝う舞踏会――貴族の子女とその護衛、学園の教師、招かれた賓客たちが思い思いに談笑し、音楽に耳を傾けていた。

 やがて、場の中央に一組の兄妹が進み出る。

 カーティスと、その妹ミレーユ。

 微かなざわめきが上がった。

 二人は王国でも名高い美貌の持ち主達だ。

 カーティスは黒の礼服に身を包み、ミレーユは淡い水色のドレスを纏っていた。

 彼らは静かにホールの中央に立ち、やがて音楽が始まる。

 二人の踊りは、優雅で、淀みなく、流れるようだった。白鳥が水面を渡るように、軽やかに、気高く、そしてどこか儚げで。広間は次第に静まり返り、ただ音楽と靴音だけが響いた。

 やがて拍手が満ち、カーティスとミレーユが一礼すると、他の学生達の舞踏が始まった。


 ハロルドがこちらに歩み寄ってきた。若き男爵令息は、緊張を隠しつつも凛とした顔でルクレツィアに手を差し伸べた。


「お相手、願えますか、ルクレツィア嬢。」


 ルカは一瞬だけ戸惑った。

 けれどハロルドの真摯な眼差しに、そっと小さな手を伸ばす。

 初めての舞踏。心臓が不思議に高鳴り、ルカはほんの少しだけ視線を落とした。


 二人の足が床を踏み、旋律に身を委ね始める。

 ルカの小さな身体は、最初こそぎこちなさがあったが、すぐに流れる音楽の中で呼吸を合わせていった。

 ハロルドの導きは優しく、確かで、そして誠実だった。

 ルカの頬に淡い紅が差し、瞳には純粋な楽しさの光が宿る。

 踊り終わると、二人は自然に笑みを交わし、舞踏の余韻の中で言葉を交わした。


「……ルクレツィア様も、ジ=ゲン流をお使いになるのですね。同じくジ=ゲン流を学ぶ者として、こんな嬉しいことはありません。」

「私もです……! まさか同門の方と、ここでお会いできるなんて。」


 ルカは心からの笑顔を浮かべた。

 その横顔に、幼い日からひたむきに剣を握り続けた少女の純粋な喜びがにじんでいた。

 ハロルドもまた、尊敬と憧れを隠せず、熱を帯びたまなざしでルカを見つめる。


 ナインは、その光景を少し離れたところから、眺めていた。

 琥珀色の燭光に照らされたルカの笑顔が、あまりに無防備で、あまりに楽しげで――胸の奥が、ちくりと刺すように痛んだ。


 ナインは小さく吐息をこぼし、ルカの楽しげな笑い声を耳にしながら、ひどく居心地の悪い心地で目を伏せた。


「外の空気でも吸うか」


 ルカの監視にドローンを残して、ナインはひと気の薄いバルコニーの片隅に移動した。


 外の夜空では、夏の終わりの星々が静かに輝き、秋の気配をひそやかに運んでいた。

 大広間に響く音楽は、なおも優しく、切なく流れてきる。


 ナインは、石造りの手すりに両肘をつき、黙って夜空を仰ぐ。

 微かな風が、黒髪を乱した。

 胸の奥のもやもやとしたものが、拭いきれない。


「……ご機嫌、いかがかな、護衛殿」


 背後から落ちた声に、ナインの身体がわずかに硬直する。

 振り返れば、そこに立っていたのはカーティスだった。

 昼間に見せた軽薄な笑みの影は微塵もなく、涼やかな双眸は夜の冷たさを湛え、けれど微かに笑意を含んでいた。


 ナインは片膝をつき、右手を胸に当て、頭を軽く垂れる。

 下手な隙は見せられない。


 だがカーティスは、その態度を気にする様子もなく、ゆるやかにナインの隣へ立った。

 夜風がそっと二人の間を吹き抜け、冷たく頬を撫でる。


「学園では、身分など気にしなくていい。立って楽にしてくれ。少し話をしたくてね」


 ナインはゆっくりと立ち上がった。


「シュトルムベルク家の若公子様。お話とは、何でしょうか」


 内心、警戒を強める。周辺を索敵。バルコニー内に、先程までいなかった生体反応が三体。おそらく護衛。


「率直に頼みがあってね。

 君、禁書の件でヴェルナー・ガルヴァイン教授に師事するだろう? その……内容について少し教えてもらえないだろうか」


 ナインは戸惑い、けれど冷静を装って返す。


「理由を伺っても?」

「何、単純に興味があるのさ。禁書と――君にね。折角、昼間売り込みしてくれたからね、もう少し、値踏みさせてもらいたくなったんだ」


 カーティスの声は穏やかだ。だがその奥には、剣のように鋭い光が潜んでいた。


「私は、ただの戦闘奴隷に過ぎません。私ごときが、若公子様のご興味に応えられるとは思えませんが」


 ナインの声もまた低く、緊張の色を帯びていた。

 カーティスは小さく笑みを浮かべた。


「君が、ただの戦闘奴隷のはずがないだろう。魔導強化改造人間試作零號、ゼロと呼ばせてもらうよ。

 ゼルダ研の鬼子、マスターソード博士が生んだ特異点……

 君の存在は、王国の未来を左右すると、私は本気で考えているよ。そんな君が禁書の力まで手にするかも知れない。

 気にならないほうがおかしい、と思わないかい?」

「……随分と私を買っていただいているのですね。ありがとうございます。そこまで仰るのでしたら、対価はいただけるのでしょうか?」


 ナインの問いに、カーティスは薄く笑い、その瞳に淡い光を宿した。


「その気になってくれたかな? 嬉しいね。辺境伯爵家期待の次男坊の裁量で、できることなら、何なりと」

「私の望みは……ルクレツィア様――ルカと添い遂げることだけです。もちろん、ルカがそれを望んでくれるなら、ですが」


 ナインの即答に、カーティスは目を見開いた。

 彼は宮廷で、家で、数多の社会の中で、仮面を使い分けてきた。

 辺境伯爵の息子には、正直者で居られるほどの贅沢は与えられなかったのだ。

 今日も事前に勇者とその奴隷については、入念に調べてきた。二人の関係についても詳しく。

 何が有効なのか。弱点はどこなのか。

 カーティスは、予想もしていなかった、真っ向から投げられた本音に面食らった。


(……こいつ、ふざけているのか?)


 あまりに素直な物言いに、思わず内心で呟く。だが、その瞳の真剣さに、ふと自らの仮面を脱ぎたくなる衝動を覚える。


「……えらく直球できたね。正直、驚いた。女性勇者を娶ろうなんて……君、本気かい? 叶うと思ってる? 王国が許可を出すとでも?」

「はい。難しいことは自分なりに理解しているつもりです。だけど……最初から諦めることも、できません」


 ナインは、悲しさと切なさが滲んだ、嘆息に近い微笑を浮かべた。


(……こいつ、マジか)


 カーティスは知らず、笑みを漏らした。

 その笑みは、どこか羨望の色を含んでいた。

 真っ向から誰かを愛せること――生まれて初めて、他人が羨ましいと思った。


「……本気なのか……わかった。

 君の協力の対価として、まずは僕とミレーユがルクレツィア嬢の後ろ盾になろう。学園内で彼女に不埒な手が伸びることは、決してない。どうだい?

 その代わり……君も僕の夢に、本気で付き合ってもらう」


 カーティスの声が、夜風の中に低く響いた。その響きは重く、そして真剣だった。


「若公子様の夢ですか?」

「ああ。僕の夢、シュトルムベルク辺境伯爵家の悲願――魔王ヴォルム・マグナ打倒さ。

 一緒に目指してくれるなら、僕も君の望みに協力する。君の望みを叶えるためにも、魔王打倒は必要だろう?」


 その瞳に宿る光に、ナインは腹を括った。


「……わかりました。微力ながら、身命を賭して」


 再びナインは片膝をつき、右手を胸に当て、深く頭を垂れた。

 ふと思い出したように、ナインは顔をカーティスに向ける。


「……早速、一つお願いしてもよろしいですか?」

「ん? 何だい?」


 カーティスが面白そうに微笑む。

 ナインは一度目を閉じ、心の中で深く息を吐いた。


「その……グレイバーン男爵令息のことなんですが……ルカに、あまり……その、ベタベタしないように、若公子様から、注意してもらえないでしょうか……」

「……え?」


 カーティスは思わず吹き出しそうになるのをこらえた。

 ナインは真剣そのものだった。いや、むしろ必死だった。


「あんな爽やかで明るい、社交的で優しい、……イケメン男爵令息が……ルカと、楽しそうに笑い合ってるのを見てると……メンタルが削られるんですよ。ほんとに……」


 カーティスは肩を震わせ、とうとう笑ってしまった。


「君……かわいいところがあるな」


 カーティスは笑いながら、夜風に青銀の髪を揺らした。

 その瞳にはどこか楽しげな色が宿っている。


「……いや、なるほど……女性勇者は恋愛や結婚などに、国から制限がかかっている事を、ハロルドに説明しておくよ。

 あいつもグレイバーン家の跡取りだし、貴族だからな。弁えている男なので、女の為に家の損になるような真似はしないだろう。」


 ナインは思わずホッとしたように小さく息をついたが、すぐに耳まで赤くなり、視線をそらした。


「……すみません。ルカのことは、俺が先に好きだったんですけど……奴隷の立場ですので……正直、自信がなくて」


 ナインは少しだけ苦笑した。

 その目はどこか寂しげで、夜の闇に溶けてしまいそうだった。


「ハイスペックな、陽キャ、イケメン貴族令息が登場して……正直、焦ってしまいました。……情けないお話で……」


 ぽつりぽつりとこぼれる言葉は、まるで自分を責めるようだった。

 カーティスは、その様子に微かに笑みを含み、優しく首を振る。


「いや、いいさ。君は……好いた女性のために、魔王や国を相手にしようとするような男だろう?」


 カーティスの声は穏やかで、思いやりがあった。


「そんな男は、そうそう居ない。もっと自信を持ちたまえ、ゼロ」


 カーティスは肩を揺らしながら、どこか楽しげにナイン(ゼロ)の肩を軽く叩いた。


「よし、任せろ。あんまり悩むな、ゼロ」


 ナインは、俯きがちに小さく頷いた。

 月光の下、ほのかに赤いナインの頬が、カーティスには嬉しかった。

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