結成・勇者パーティー
魔猿の討伐は、ルカとナインの希望を叶えた。
ゼルダとエグバードは、勇者の実戦訓練として、十歳のルカの冒険者登録とナインの同行を認めた。
冒険者ギルド・辺境支部長室の扉は、重厚な黒鉄で作られていた。
引き手に手をかけたエグバードが静かに開くと、内部から涼やかな風が流れ出る。
昼下がりの光が、開け放たれた窓から石造りの床に差し込み、壁に掲げられた剣や獣の頭骨の影が揺らめいていた。
「……ゼルダ・マスターソード師、エグバード・ヴァン・クラウド副騎士団長。ご足労いただき、感謝いたします」
応対に出たのは、辺境支部のギルド長だった。七十近い老齢の男だが、その双眸は未だ鋭く、引退したとはいえ、幾度も死地を越えてきた者だけが持つ、剣呑な雰囲気を纏っている。
「この子が……ルカ嬢か?」
ギルド長が目を細めた。ルカは黙って頷く。短く切り揃えた金髪が首元で揺れ、日焼けした頬に光を帯びて流れた。
ゼルダが一歩進み出て、封蝋の施された書状を差し出す。
「辺境伯ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク閣下よりの書状です。
十歳の少女ではありますが、この者は龍脈に繋がり、勇者としての宿命を受けた者。冒険者登録を特例にて認められたく、お願い申し上げます」
老ギルド長は書状を開き、目を通していく。その険しい皺の刻まれた額がさらに沈んでいく。
「……勇者、か。なるほど。名は“ルカ”、姓は……」
「ありません」とゼルダが応じた。
「身分は自由民。だが、戦闘能力は現役の白金級以上と判断しております」
「ふむ」
ギルド長は視線をルカに戻す。長い沈黙が流れたが、その間もルカの碧眼は微動だにせず、まっすぐ彼を見返していた。
「よろしい。登録を許可しましょう。ただし、初期ランクは“鉄”とする。能力に対して不当であることは承知の上だが……制度とは、そういうものですな」
*
冒険者のランクは、金属の名前で表現されている。
上から順に、
オリハルコン級
ミスリル級
白金級
金級
銀級
銅級
鉄級
となっている。
この内、オリハルコン級は一国に一人となっている為、実質的にはミスリル級が最高位である。一般的には銀級から一人前、白金級になれば第一人者と判断される。
*
ルカは頷いた。表情は変わらなかったが、靴のつま先がわずかに浮いた。それは、嬉しさを隠しきれない、小さな反応だった。
ギルド長が重ねて尋ねる。
「隣の少年は?」
「付き添いです」とゼルダが答えた。
「奴隷につき、登録資格はございません。護衛兼、訓練支援という立場での同行を予定しています」
「……そうですか。ではルカ嬢の登録だけ行いましょう。お手数ですが、こちらに触れてください」
ルカの指先が登録用の水晶板に触れると、淡く光を放ち、名前とランクがタグに刻まれた。
ギルド長がそれを確認し、書状に押印する。
「登録完了だ。これより君は正式な冒険者だ。幾多の苦難も、無数の理不尽も、乗り越えて生きて帰れ。生きて帰ってこそ、勇者は語られる」
始まりの冒険者ルーエルの言葉を贈るのは、新人登録時の慣習だった。
ギルド長は不器用なウィンクと共に、ルカにタグを手渡す。
ルカは静かに頭を下げ、ナインも少し眩しそうにその光景を見つめていた。
*
夕闇が近づく頃、《灯火亭》には柔らかな橙の光が灯っていた。
古びてはいるが手入れの行き届いた建物で、外壁は焦げ茶色の木材に覆われ、蔦が一部を這っている。
軒先には真鍮製のランタンが吊るされていた。風に揺れるその灯りが、店の名の由来を物語っていた。
店内は、木材の軋む音と人々のざわめきに満ちている。
床や柱、カウンターまでもが重厚な木造で、酒と煙草、そして獣の革の匂いがしみついていた。
壁には地図や古びた剣、過去の冒険者たちの寄せ書きが飾られ、床には旅人の靴跡が無数に刻まれていた。
その空間に、一際大きな男が姿を現すと、周囲の空気がわずかに引き締まった。
男が宿屋《灯火亭》の扉をくぐったのは、黄昏が石畳を紅に染める頃だった。
彼は黙って中へ入り、カウンターの奥に立つ旧知の男に目を向ける。
「……グレン」
「よう、エグバード。久しぶりだなぁ。騎士団副団長様が、こんな安宿になんの用だい?」
笑いながらグレンがグラスを拭く。
中年の男で、逞しい腕と目尻の皺が印象的だが、その奥の目は笑っていない。
かつての冒険者仲間。今は《灯火亭》の主であり、家族を守る男だが、現役時代は“名人”と呼ばれた斥候だった。
「……ロイを、呼んでくれ」
その言葉に、グレンは手を止め、かつてのパーティ仲間を見つめる。
「……息子に、依頼かい?」
「腕の良い、信頼できる斥候が要る。訳ありの子供の面倒を見てもらいたい」
「子供の面倒ねぇ。《不壊の剛腕》が子守か。孤児院でも開く気かい」
「子供の一人は勇者だ。もう一人は、化け物じみた魔法使い。
先日の魔猿の討伐は、その子たちがやった」
ピュウ、とグレンが口を鳴らす。
エグバードが冗談を言わないことを、彼はよく知っていた。
「ただ、それだけだ。他は世間知らずの子供だよ。
力だけの冒険者なんて、早死にするだけだ。……誰かが、生き延びる知恵を教えねばならん」
「……わかったよ」
それだけを言って、グレンは階段上に目配せする。
足音も立てず、気配がすぐに近づいてきた。
現れたのは、明るい茶色の髪の青年だった。
短く切り揃えた髪は陽光のような色味を含み、18歳にしては落ち着いた面持ち。
黒と灰の旅装に、銀級の徽章が胸元で光っている。
――ロイ。
かつてエグバードと肩を並べた戦友の息子にして、現在は斥候として活動する若き冒険者。
「……ご無沙汰しています、エグバードさん」
「ロイ、久しぶりだな。聞いていたと思うが、仕事を頼みたい」
エグバードは、一通の書状を差し出す。
辺境伯の直筆による指名依頼状。ロイは黙って目を通し、眉をひそめた。
「……十歳……。俺の目から見て、駄目だと判断したら、はっきり言います。それでも?」
エグバードは、小さく一度だけ頷いた。
「それを、頼みに来た」
ロイの表情がわずかに綻ぶ。
「わかりました。わざわざ指名依頼にしていただいて、ありがとうございました。昇級に必要な要件だったんです。
明後日の朝、ゼルダ様のお屋敷に伺います。適当な依頼も見繕っていきます」
一礼して、準備の為去っていくロイの背を見送り、エグバードがかつての仲間に呟いた。
「お前に、似てきたな」
「やめてくれよ。悪運だけで生き延びたおっさんに似てくるなんて、あの子が可哀想だ」
エグバードの言葉に、グレンはどこか誇らしげに笑った。
*
ゼルダ邸の応接室には、午前の光が穏やかに差し込んでいた。
錬金術の匂いがほのかに残る空間で、ゼルダは深紅の椅子に腰を下ろしている。
控えめなノックの後、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、銀糸のような髪を一つに束ねた少女だった。
雪のように白い肌、青を基調とした司祭服。整った声音が、空間を凛と満たす。
「教会より参りました。クラリス・ヴァン・ルクス。司祭として、勇者一行に帯同いたします」
銀髪に澄んだ灰青の瞳。
十六歳とは思えぬその佇まいには、氷の剣のような緊張感が宿っていた。
「辺境領域管轄区の枢機卿閣下からの正式な要請で、既に辺境伯閣下の許可も得ております。
勇者の実戦訓練において、神聖魔法による支援と信仰指導を担当いたします」
「……つまり教会は、【勇者】に口を出す気になったってわけね」
ゼルダが冷ややかに笑う。教会と魔法使いは、基本的に仲が悪い。
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この世界には、異次元の存在が介入することがある。
龍脈などもその一種とされているが、最も一般的なものが「神」と呼ばれる存在たちによる介入である。
「神聖魔法」は、「神」が世界に介入できるように開発された技術で、魔術体系の中で詠唱魔法に分類される。
その最大の特徴は、術者が自ら魔力を操作するのではなく、「神」などの異次元存在に祈り(詠唱)と魔力を捧げ、返礼として力を授かるという「間接型」の詠唱魔法であるという点だ。
さらに神聖魔法には、他の詠唱魔法には見られないもうひとつの大きな特徴がある。
それは、術者自身が「制約」を自らに課すことである。
たとえば、「酒を一切飲まない」「贅沢な暮らしをしない」「戦場では必ず先陣を切る」など。
こうした制約を「神」に「誓約」し実行することで、より強い魔法の行使ができるのだ。制約が重ければ重いほど、発動される魔法の力も増すため、「制約」は魔力に代わる「供物」のようなものと考えられている。
「神」とされる異次元の存在たちは、人間の理解を超えた価値観や行動原理を持つものが多い。中には人に災いをもたらす存在もおり、そうしたものは【邪神】や【悪魔】と呼ばれるが――それはあくまで人間側の都合による分類にすぎない。
教会は表向き、「神は人類を導く崇高なる存在」として布教している。しかし神々の正体が単なる異次元存在の一部であることは、教会の一部の上層部には知られている事実である。とはいえ、それを公にしてしまえば信仰心が揺らぎ、社会秩序も崩壊しかねないため、教会はあえてその真実を積極的に広めてはいない。
教会は「信仰と教義」という枠組みを通じて、人と神との間に立ち、権威を確立することで秩序を保とうとしている。
一方で、魔法使いたちは「魔力の本質や理論」を自らの手で探求しようとする者たちであり、彼らにとって「神」や「祈り」といったものは無意味な「お題目」にすぎない。
――そのため、教会と魔法使いの関係は、基本的に非常に悪いのである。
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「勇者に「口を出す」とは申しておりません。ただ、勇者という国の柱が訓練中に命を落とすようなことがあっては困ります。神の導きと治癒は必要不可欠と判断されました」
クラリスの瞳には、ただ一つの使命に身を捧げようとする、透き通るような覚悟が宿っていた。
「私は先日、第六階梯の神聖魔法の行使に成功しました。回復と防御魔法を中心に、必要あれば魂魄防御、悪魔耐性結界の展開も行えます」
「……十六歳で第六階梯。司祭は特例叙任か」
「はい。年齢制限は二年繰り下げて、試験は免除されました」
ゼルダは椅子の軋む音すら惜しむように身を起こし、微笑の輪郭だけを残して、司祭にやんわりと答えた。
――その声には、皮肉と冷笑が同居していた。
「やれやれ、八十年ぶりの勇者様は、大人気ね。贅沢なパーティメンバーだこと。
ルクス司祭様、お手数おかけしますが、三日後の朝、またお越し願えるかしら?丁度、勇者様の初仕事があるの。魔物討伐なので、そちらに同行いただけますか?」
外堀は、すでに埋められていた。
辺境伯の名のもとに下された許可は、ゼルダの意志を問いすらしない。
ゼルダの皮肉などなかったかのように、クラリスは一礼し、静かに答えた。
「承知いたしました。私は神の代理人として、正しき祈りをもって彼らを導きます」
様々な思惑をはらみ――新しい勇者の冒険が、こうして、始まろうとしていた。




