表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/43

勇者をつくる

 ゼルダの屋敷の裏に作られた稽古場に、砂塵が舞った。

 乾いた空気が、巻き上げられた砂と共に、ざらりと肌をなでていく。


「……続けろ」


 静かだが、太く低い声が響いた。

 声の主は――エグバード、辺境伯軍第一騎士団副団長は、ごつごつとした岩を積み重ねて作ったような体躯を持っていた。

 短く刈り込まれた銀の髪に、琥珀の双眸が鈍く光を宿している。

 静謐なまなざしの奥に、いかなる感情も見せることはなかった。

 それは――静かな山に似ていた。


 少女は小さく頷き、すっと剣を構えた。

 白いシャツの肩口には汗が滲み、額から伝う雫が、頬をつたって落ちる。


 一瞬の静けさの中、ほんの瞬きのあいだに、ルカの影が飛んだ。土を穿つようにして踏み込まれた跡からは、熱を帯びた煙が立ち上っている。

 歪みのない姿勢、澱みのない魔力の流れ。

 脚から腕、指先に至るまで、水の中を泳ぐ魚のように、一条の流線を描いていた。


 その瞬間、エグバードのまなざしがわずかに細められる。


 一瞬で間合いを詰めたルカの剣と、迎え撃つエグバード剣がぶつかり合った。

 乾いた衝突音が、稽古場に重く響く。

 体に当たれば、大怪我ではすまない。

 真剣による攻防だった。


「……今のは、悪くない」


 剣帝の名を冠する男が、弟子に贈るには稀なものだった。


 ルカは、魔力を身体の内にとどめて用いる。

 魔力の放出が苦手――それは、通常なら魔法使いとして致命的な欠点とされる性質だ。

 だが、彼女の場合は違った。それがむしろ、利点となっていた。


「……確かに、ジ=ゲン流には向いている」


 呟きながら、エグバードは目を細めた。

 ルカの魔力が外へと拡散せず、筋肉と骨格に濃縮される。

 その一撃は、大地に深く打ち込まれる鉄杭のように重く。

 跳躍は夜空を裂いて流れる流星のように早く。

 狂いなく噛み合った歯車が高速回転するように、寸分の隙もなかった。


 打ち合うたび、わずかに掌が痺れる。

 それはエグバードにとっても、珍しい体験だった。

 ──あれから、もう四年か。

 戦いの最中、エグバードの脳裏に、わずかに過去の記憶がよぎっていた。



 *



 静かな石廊の先。

 円窓から日が差し込み、広間の床に淡く溶けていた。


 重厚な扉の前に立ち、エグバートは小さく息をついた。

 扉の材は黒檀。古びてすり減った金具には、かすかに主の紋章が浮かんでいる。

 掌を握り直し、ゆっくりと拳を上げる。

 硬質なノックの音が、静まり返った廊下に控えめに響いた。


「入れ」


 中から返る声は低く、よく通った。


 取手を回し、扉を押す。

 開けた先には、石造りの執務室があった。壁一面の書架と地図。

 窓から差し込む斜めの光が、室内を静かに照らしている。


 エグバートは足音を殺して進み、主の前で右手を胸に当てた。


「いつも通り、時間には正確だな」


 椅子に座っていたのは、一人の男。


 辺境伯――ヴォルクリン・ヴァン・シュトルムベルク。


 魔王の軍勢が迫る北の地。その最前線にあって、幾代にもわたり侵攻を退け続けた「北の壁」シュトルムベルク家の当主。

 この地の守護者。雪嶺の番人。


 年は四十に届くかどうか。

 風に削られた岩のような顔には、深い皺が刻まれていた。

 数えきれぬ死を見ながら、それでも決断を重ねてきた男の目だ。


 灰銀の髪は短く刈り込まれ、身なりには一切の無駄がない。

 青灰の瞳は深く濁り、断崖の霧のように底を隠している。

 彼が纏うのは黒に近い深紺の軍装。

 胸にはシュトルムベルク家の紋章――雪原にそびえる白銀の塔が光を返していた。

 彼の生きる意味は、この地を守ること。

 エグバートにとっては、かつて共に剣を学んだ兄弟子であり、今は主でもある。


「ゼルダから報告があった」


 ヴォルクリンは静かに口を開いた


「龍脈に繋がる少女がいる、とな……勇者が見つかったのだ」


 琥珀色のエグバートの瞳が、わずかに瞬く。


「平民の少女。齢は、まだ六つ。一年かけて龍脈との接続はできるようになったとの事だ」


 そう告げると、ヴォルクリンは椅子を離れた。

 軍装の紋章が、窓の光にわずかに滲む。


「その娘を鍛えろ。おまえの剣で、勇者を作れ」


 沈黙が落ちる。


 エグバートは口を開かない。

 ただ、大きな体を一歩、前に出す。


「……私でよろしいのですか」


 その低い声が、執務室にわずかに響いた。


「他に誰がいる?」


 ヴォルクリンの表情は動かない。

 だがその声には、確かな信頼と誇りがあった。


「ジ=ゲン流剛剣術の剣帝、歴戦の騎士エグバート・ヴァン・クラウド。

『北の壁』の『不壊の剛腕』――この地で、おまえ以上の男など、俺は知らん」

「……畏まりました」


 ――年端もいかぬ少女にジ=ゲン流を教えろ? ……兄弟子の無茶ぶりは相変わらずだな――

 そう思いはしたが、顔には出さなかった。



 *



 エグバードは、無言で一歩前へ進む。それだけで、空気が軋んだようだった。

 圧に押されたのか、ルカの攻撃が止まり、たまらず距離を取った。


 ジ=ゲン流剛剣術――。

 それは対魔物戦に特化した、身体強化を基盤とする剣術。精妙な魔力操作によって肉体を極限まで鍛え上げ、一撃必殺を旨とする。盾を持たず、間合いに踏み込むその戦法は、常に死地と隣り合わせだった。

 この流派において「剣帝」の称号を持つ者は、王国広しといえども、片手で数えられるほどしかいない。


「ッ!」


 再び、ルカが先んじた。土を蹴る音はなかった。

 その踏み込みは常人の目では捉えきれず、まるで瞬間移動に近い――


 だが。


「――甘い」


 エグバードの剣が、唸りをあげて振り下ろされる。

 咄嗟に剣を交えたルカだったが、その重さに膝が軋み、足が地にめり込んだ。


「く……!」


 衝撃で小石が跳ね、砂が舞い上がる。わずか一合。それだけで、腕が痺れ、膝がおれた。


「――フッ」


 息を切らせながら、ルカは身体強化の段階を限界まで引き上げた。

 三段階目。

 それが、エグバードから許されている最大値であり、自身の肉体が耐えうるギリギリだった。


 痺れた右手はあきらめて、左手に剣を握り直す。

 膝を地につけたまま、大腿と背筋だけで跳ね上がった。

 身体が浮く。視界が一瞬で切り替わる。エクバードの頭上を取った。


 ――跳躍と同時に、空を裂いた。

 空中で体をひねり、落下の速度と遠心力、それに強化された膂力をすべて重ねて――

 ルカは剣を、真横から一閃。

 ためらいなく、首筋を狙った。


 遠慮も呵責もない一撃。

 その瞳には、張り詰めた殺意すらこもっていた。


 だが。


 エグバードは、ただ静かに剣を構え――

 その一撃を、あたかも埃でも払うように、軽く受け止めたように見えた瞬間。

 鈍い打撃音が稽古場に鳴り響き、ルカの小さな体が、横へ吹き飛ばされた。

 砂地に叩きつけられ、何度も転がる。


「……っく」


 土を噛んだ。

 喉に砂がざらつく。

 ルカは伏したまま、額に泥をつけたまま、顔を上げる。

 爛々と燃え上がるその双眸には――もはや狂気に近い執念が宿っていた。


「……それまでだ」


 その気配を、エグバードは静かに断ち切った。

 まるで、宥めるように。あるいは、止める理由を与えるように。


「明日の本番前に、すべてを出し切ることもあるまい。今日はここまでだ。午後は身体を休めておけ」

「……わかりました」


 応じた声と瞳のきらめきは、いつの間にかどこにでもいる少女のそれに戻っていた。

 立ち上がったルカは深く息を吐き、呼吸を整える。

 ゆっくりとクールダウンの準備に入った、その時


 空気が震えた。





 ゼルダの研究棟。最上階付近から、魔力が爆ぜるように溢れ出す。

 遠くで鳥たちが驚いたように飛び立っていった。


「明日の魔物討伐の仕事は……どうやら退屈せずに済みそうだな」


 エグバードは呟く。

 自分の弟子と、あの魔女の「実験奴隷」を思い浮かべながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ