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アナログ探偵・紙魚川  作者: 全てChatGPTというAIが書きました。
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第八章 人間の嘘

 昼の白い光が、署の会議室の壁で跳ね返っていた。

 窓のブラインドは均等に下ろされ、隙間の幅はどれも同じだ。空調が控えめに鳴り、机の表面は冷たい。

 ここは、整った部屋だ。整った部屋で、人の嘘がよく響く。


 ドアが開き、大森佳奈が入ってきた。

 黒のジャケット。結い目の乱れはない。視線はまっすぐに保たれ、歩幅は均一。右踵をかばう仕草は消えている。今日の彼女は、舞台の袖ではなく、観客の前に出ている自分を演じている。


 紙魚川は立ったまま、席をすすめなかった。

 机の上には、透明袋が三つ。

 一つは“血のついた切符”。一つは“結び目”。一つは“模造バッグ”。

 さらに、封筒が三つ。

 “筆跡・筆圧”。“端末ログ”。“小口現金”。

 どれも厚くはない。だが、薄い紙ばかりが積み重なって、刃の角度を決めていく。


「任意同行に応じてくれて感謝する」

 紙魚川は、帽子を椅子の背に掛け、低く言った。

「ここは舞台じゃない。袖もない。客席もない。――喋るなら、生活の声で頼む」


「法務が同席しないなら、録音を」

「全部、法の上でやる。心配いらん」

 紙魚川は、透明袋をひとつ、机の中央へ滑らせた。

「切符。二十三時四十一分。血は被害者と一致。……あんたは、これを“整えた”。券売機前の白飛び。露出の跳ね。楽だ。顔が消える」


「推測です」

「推測は、ひとつで充分だ。ほかは手触りでいく」

 もうひとつの袋――結び目を出す。

 結び目は小さく、固い。本結び。末端は左右対称、歯の跡が片側だけ浅く残る。

「路地の注意札。わざと乱れを作った。あんたは我慢できなかった。整えた。末端を揃え、噛んで締めた。……整える人間の手だ」


 佳奈は笑わなかった。

「路上の札を直したのは、私でなくてもいいでしょう。通りすがりの誰かかもしれない」


「そうだな」

 紙魚川は頷き、三つ目の袋――模造バッグを出した。肩紐の裏地を爪で弾く。上ずった音が、部屋に浮いた。

「この“衣装”は、路地の店主が証言してる。“二ミリ詰めてくれ”と言った女がいた、とな。二ミリはプロの数字だ。……人の輪郭を画面に合わせるための数字だ」


「店主の記憶の信憑性は」

「酔っていない。匂いも覚えてる。甘さのあとに辛い尾。あんたの香りだ」

 紙魚川は、別の封筒から、小さな紙片の写真を出した。薄く色づいた二枚。

「通路に貼った試薬。彼我の距離を測るための玩具さ。昨日の五時四十分、淡い色が出た。香りは、整える前に出る」


 佳奈は初めて眉を寄せ、すぐに戻した。

 安田が口を開く。

「切符の精算も、“現金立替”で同日処理。摘要空欄。時刻は発券から十五分後。小口現金の帳簿、経理の承認済みです」


「経理のミスかもしれません」

「“整えが遅れた”んだ。あなたは普段、揃える。だが、昨夜は乱れが多かった。――雨だったからだ」

 紙魚川は、短く言い切った。


 沈黙が、机の上で均される。

 空調が、控えめな風を送り続ける。

 均質は、焦ると、わずかに音を上げる。


「手書きだ」

 紙魚川は、カードとペンを置いた。

「“昨夜の移動経路を、覚えている範囲で”。行頭と行末を意識するな。罫もない。揃えようとするな」


 佳奈は数秒、ペンを見つめた。

「これに、どういう意味が」

「意味は最後でいい。まずは手だ」


 彼女は座り、カードを裏返して書き始めた。

 滑らかな線。

 終いが跳ね、縦画の止めが上に逃げる。

 行頭は揃い、行末は見えない罫に吸い寄せられる。

 “K新宿駅”“K社屋”“K会議”――文字の前に癖の“K”が、ほとんど無意識に滲む。

 安田が、じっと見て、呼吸を止めた。


 紙魚川はカードを封筒に移し、机の端に置いた。

「終速が高い。止められない跳ねだ。辞書を切って打鍵する癖と、同じ“逃げ”が出てる。端末ログのタブ切り替えは一秒弱の連打と、三秒の整理。息の二段。……あんたの身体のテンポだ」


「あなたたちの“ノイズ”は、どれも裁判で通らない」

「だから通る門を作る。切符と小口現金で、まず門を一つ。――“遅れた整え”の事実。

 次に端末ログと筆圧で、門をもう一つ。――“辞書切り”と“跳ね”の一致。

 模造バッグの縫い目と“二ミリ”で、もう一つ。

 香りの色変わりで、最後。……門は四つで足りる。あんたの“整え”は、四角に閉じ込められる」


 佳奈はペンを置いた。

 部屋の空気が少しだけ重くなる。

「動機は」

 彼女は言った。

「そこがなければ、どれも“可能性”だ」


 紙魚川は、紙束をめくりもしなかった。

「岡島は、こっちの土俵を壊す気だった。お前たちの社の土台には、薄い穴がある。広報折衝のテンプレ“K”で、粒度を落としてきた“慣習”。

 岡島はそれを握ってた。握ったまま、社の取引先にばら撒くつもりで、見せ金をつくろうとしてた。……違うか」


 佳奈の目が、ほんのわずかに大きくなり、また戻った。

 戻るまでの距離は短い。整える人間は、顔もすぐ整える。

「あなたは、どうしてそこまで」

「現場を歩いたからだ。笑顔と“規定”の二枚舌を見た。お前らの土台も見た。整えれば綺麗に見える。だが、綺麗なもんからは、匂いが消える。匂いのない街に、人は住めない」


 安田が低く言う。

「岡島が“会社を潰す”と言ったという証言がある。子どもの窓の下の電話だ。怒鳴っていたのは女の声。あなたか、あなたの誰かだ」


 佳奈は目を閉じ、開けた。

「……あの夜、私は“止めに”行っただけ」

「止めるために、刺した」

 紙魚川は、言葉の隙間に刃を滑らせるように言う。

「刃は、真っ直ぐだった。心臓に。抵抗痕は薄い。手は迷っていない。舞台で、迷う役者はいない。袖で段取りを仕切る人間は、とくに」


 室内の空気が、もう一段、重くなる。

 佳奈は、掌を重ね、親指の爪で反対の指の腹を押した。

 末端を揃えるしぐさ。

 揃えた末端は、ほどけにくい。

「……あの人は、私たちの会社を“汚い”と言った。笑って。私は、洗ってきた。粒度を落として、隙間に埃が見えないように。社員の暮らしを守るために。

 “見せ金”の話を聞いたとき、私は初めて、整えられなかった。乱れを、乱れのまま放っておけなかった」


 声は低く、熱はない。

 整える人間は、告白も整える。

 だが、言葉の終いが、一度だけ落ちた。

 跳ねない終い。

 疲れた終い。


「三宅翔に罪を被せたのは」

 安田が問う。

「……あの人が“似ていた”から。映像の線に。――容赦してください、なんて言えない。私は、やった」

 短い沈黙。

「でも、私が守ってきたのは、私の生活だけじゃない。私の“整え”がないと、何百人かが路頭に迷う。そういう現実も、ある」


「現実はある。だが、刺したのはお前だ」

 紙魚川は、ゆっくり言う。

「整えは、生活を守る。――だが昨夜、お前は“罪”を整えた。

 香り。結び目。辞書。白飛び。

 罪を整える側に回った瞬間、お前の道具は、生活から離れた」


 佳奈は、頷かなかった。首を振りもしない。

 視線を落とし、ほんの数秒、呼吸を止め、また吸った。

 その呼吸が、端末ログの“二段の間”と、ぴたりと重なるのを、紙魚川は聞いた。


「……舞台から、降ります」

 小さく、彼女は言った。

「袖に戻らない。もう、整えない」


 ドアの外で、小さな合図の音。

 佐久間が入り、二人の警官が続く。

 手続きは淡々としている。

 佳奈は抵抗しなかった。

 手に粉塵はつかず、香りも、もう強くない。

 彼女は背筋を保ったまま、ゆっくりと立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音は、妙に軽かった。


 出ていく背中に、紙魚川は何も言わない。

 言葉は、もう要らない。

 刃は入った。骨で止まった。

 止まった刃は、血を流しすぎない。

 必要なだけ流れ、必要なだけ止まる。


 静けさが戻る。

 安田が、深く息を吐いた。

「終わりましたね」

「終わっちゃいねえよ」

 紙魚川は、机の上の薄い紙束を揃えなかった。

 整えるのは、相手の役目だ。

「三宅を出す。生活に戻す。……そのための紙を、今度はこっちで作る」


「はい」

 安田の返事は短く、芯があった。


 窓の隙間から、午後の白い光が、もう一度、壁で跳ねた。

 整った光だ。

 だが、その手前に、薄い影が一本、残っている。

 影は、ノイズだ。

 ノイズは、まだ、必要だ。


――第八章 了

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