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アナログ探偵・紙魚川  作者: 全てChatGPTというAIが書きました。
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第七章 アナログの逆襲

 翌朝の空は、もう雨を忘れている顔をしていた。湿り気は地面の下へ潜り、表面だけが乾いたふりをする。

 紙魚川は早めに署を出て、白飛びのカメラが設置された通りを歩いた。手帳の紙が湿気でわずかに膨らみ、鉛筆の線が太る。太る線は、焦ると曲がる。曲がる線は、嘘を嫌う。


「乱れを作る」

 誰に言うでもなく、低く呟く。


 通りの電柱の根元に、細い麻紐で結んだ注意札を垂らした。結び目は、わざと甘い〝ひと結び〟。一度風が吹けばほどける。

 自転車の荷台には布テープを半端に貼り、端を揃えず垂らす。

 路側帯の植え込みには、レシートを二枚、互い違いに差し込んだ。店名は見せず、罫線だけが不自然に踊る。

 乱れは、整える人間を呼ぶ。整える人間は、乱れに我慢がきかない。


 角のベンチ脇の注意書き――「ゴミは持ち帰りましょう」のプラ板に、故意に傾きを作り、ネジを一ミリ緩めた。

 一ミリは、目に入らない者には入らない。入る者には、目に刺さる。


「安田」

「はい」

「三十分、ここで風になれ。見張るな。通行人になれ。整える人間は、視線に敏感だ」

「わかりました」

 安田は新聞を買って、わざと下手に広げた。影の作り方が、昨日より様になっている。


 紙魚川は、通りの端に立った。古地図を広げるふりをして、視野の縁だけで通りを掬う。

 十七分後。

 黒のジャケット。髪を束ねた女が、通りのまんなかで速度をゆるめた。

 目線は札へ、テープへ、掲示へと順に跳ぶ。跳ねる目は、整える手の予告だ。


 女はまず、札の結び目に手を伸ばした。

 ほどき、指先で撚りを締め、〝本結び〟に変える。余りは左右で対称に落とす。

 次にテープの端を折り返し、空気を抜くために掌でなでた。皺の逃がし方が、熟練のそれだ。

 最後にプラ板のネジを指の腹で押し、わずかに締める――工具はない。だが、微細な傾きは消えた。

 女は、誰にも見られていない顔で、それをやる。

 見られていない場所で、いつもやってきた手つきだ。


 香りが、遅れて流れた。

 甘さのあとに辛い尾。

 紙魚川は、ポケットの中で鉛筆を一度だけ転がした。芯が紙に触れ、音を飲み込む。


 女は去った。

 歩幅は均一、踵の接地は浅い。右足の踏み換えの直前に、脛の角度が小さく揺れる。

 半拍。

 ――昨夜、白飛びの向こうにいた身体が、昼の光で輪郭を持った。


「安田」

 新聞が折れ、彼が近づく。

「触った。結び目、テープ、掲示。ぜんぶ“整えた”。指の運びが、舞台袖の人間だ」

「大森、ですね」

「名は、まだ出すな。出すなら、刃の角度を決めてからだ」


 紙魚川は、先刻の結び目に近づき、指で解いた。

 固い。本結びの末端が短く、歯で噛んだ痕がある。

 噛むのは、手早い人間だ。工具を取りに戻らない。いま、ここで整える。


 結び目を袋に入れ、封をした。

 袋は透明だが、袋の内側には匂いが残る。匂いは、紙に染みない。だが、袋には嗅ぎ残る。



一 観察の稽古


 午後、署の駐車場で、安田に“結び”の稽古をさせた。

 〝ひと結び〟、〝本結び〟、〝外科結び〟、速度を変えて、目をつぶって、十回ずつ。

 人間は、手に嘘が出る。

 速さが上がると、末端の揃えが雑になる。

 末端を揃える癖は、職能だ。


「警察学校でロープワークはやりましたが……」

「現場で必要なのは、結び方じゃない。人間の骨格のほうだ。末端を揃える人間は、紙も揃える。揃える人間は、ログを揃える。整える人間は、露出を上げる。――同じだ」


 安田は汗を拭い、息を整えた。

 彼の結び目は、左右が不均等で、ほどくのは簡単だ。

「いい。お前は乱れの側にいる。乱れは、整えを呼ぶ」



二 辞書を切る手


 競合会社のロビー。

 紙魚川は受付の署名簿に〝訪問者名〟を書いた。鉛筆は硬め、Bの芯。

 その隣で、秘書室の若い職員が、訪問者片付けの伝票を〝追記〟した。

 字の終いが、跳ねた。

 目線で追うと、若い職員の指は、キー入力のときに母指球でスペースキーの左を二度、短く叩く癖を持っている。

 辞書を切っていると、空白の扱いが変わる。

 紙魚川は、職員が書き終わるのを待ち、丁寧に頭を下げた。


 奥の会議室に通されると、大森佳奈が現れた。

 今日は香りが弱い。雨の尾がすっかり消えたのだろう。

「先日の件、法務から回答をお送りします」

「結構だ」

 紙魚川は、席に着かず、会議室のホワイトボードに近づいた。

 上部のレールに、細い粉が溜まっている。人の手の届きにくいところだけ、わずかに埃っぽい。

 彼は指で粉をつまみ、掌で潰した。

 潰した粉は、香りを持たない。整えられた部屋は、匂いを殺す。匂いを殺した部屋で、匂いを残せるのは、身体だけだ。


「一筆、お願いしたい」

「内容は法務に」

「内容じゃない。癖だ」

 微笑が薄く、堅くなる。

「“昨夜の移動経路、覚えている範囲で”を、手書きで。来訪者カードの裏を使え。万年筆じゃなく、そこにあるボールペンで」

 佳奈は短く息を吸い、また吐いた。そして座り、カードを裏返した。

 “覚えている範囲で”は、整える人間を呼び込む。整える人間は、範囲を揃える。


 滑らかな線。

 終いが小さく跳ね、縦画の止めが上に逃げる。

 行頭は揃い、行末は、目に見えない罫をなぞるように揃う。

 “駅”“社屋”“会議”――Kの縦画が、同じ角度で跳ねる。

 紙魚川は、何も言わずカードを受け取り、封筒に入れた。


「ありがとう」

 それだけ言って、会釈もせずに出た。

 丁寧に礼を尽くすのは、整える側の仕事だ。こちらは、乱れの側に立つ。



三 端末の呼吸


 署の技官が、秘書室端末の操作ログを横串で可視化した。

 クリック間隔のヒストグラムは、二峰性。

 タブ切り替えは、一秒弱の短い間合いで連打されるパターンと、三秒の呼吸を置いてからまとめて整理するパターンに分かれる。

 ファイル名は、年月日で始まり、接頭辞K-が補助的に付される。

 ――Kの粒度管理。


「呼吸が二つある。二人体制か、ひとりが役割を変えているかだ」

「佳奈と、若手の職員……」

「若手は、跳ねが浅い。仕事の字は、まだ疲れてない。Kの跳ねは、疲れを知ってる」

 紙魚川は、カードの裏の筆跡と、掲示板の苦情の片鱗、クリーニング受取票の筆圧を並べた。

 終速、縦画、跳ね――重なる。

 機械は「似ている」を「同じ」とは言わない。

 だが、現場は言う。

 指が、同じように止まる。



四 切符の金


 大森の会社の小口現金帳。

 経理担当は渋い顔で言った。

「交通費の精算は電子マネーですが、先週だけ、切符が一枚、現金で落ちてます。立替の摘要欄が空欄で。……見落としかもしれません」

 見落とし。

 整える部署の周辺は、整えきれない端が、かえって目立つ。

 金額は、切符と一致する。

 時刻は、発券から十五分後に入力――“遅れた”整えだ。


 紙魚川は、その伝票の角に、指の脂の楕円が残っているのを見た。

 伝票は吸う。紙は、人の手を吸う。

 吸われた脂は、整えでは落ちない。



五 匂いの試薬


 夕刻、通路に小さな紙片を二枚、等間隔で貼った。

 紙片には無臭の試薬が薄く塗られており、特定の香料のベースに触れると淡い色を持つ。――法に触れない範囲の、玩具のような化学だ。

 紙魚川は通路の向こうで、地図を畳むふりをして待った。

 五時三十分。

 社員の流れが一度ゆるんだとき、黒のジャケットが視界の縁を横切った。

 十分後、紙片は、薄く色を持っていた。

 香りは、嘘をつかない。

 香りは、整える前に出る。



六 縫合


 夜。

 手帳の上に、断片を並べる。

 ――券売機前・左手で傘・右踵・香りの苦情。

 ――クリーニング受取票・固い結び目・終速の跳ね。

――掲示板の苦情・上ずる終い。

 ――被害者手帳・K報告・辞書切り。

――USB・折衝テンプレ・粒度を落とす脚注K。

――小口現金・切符の現金立替・遅れて入力。

 ――白飛びログ・露出の跳ね・秘書室端末の呼吸。

 ――昼の実地観察・乱れを整える手・本結び。


 点は多いほど、嘘が居場所を失う。

 嘘は、単線を好む。

 アナログは、縫い目を増やす。


「安田」

「はい」

「“名前”を置く。――大森佳奈だ」

 静かに名を置く。

 刃は、骨の上に当てる。

 紙魚川は、封筒を三つ用意した。

 一つは、筆跡と筆圧の鑑定依頼――終速、縦画、跳ね。

 一つは、端末ログの解析――クリック間隔、タブ切り替えのテンポ、K接頭辞の規則性。

 一つは、小口現金の立替と切符時刻の照合――“遅れた整え”の証明。


「……送る」

 投函の音は小さく、しかし確かだ。



七 バインダーの音


 夜更け、署の廊下は乾いた。

 佐久間が現れ、バインダーを掲げた。

「送検準備は整ってる」

「整えるのが、好きだな」

 紙魚川は、バインダーの金具が鳴る音で、紙の枚数を推し量る。

 書類は多いのに、言葉は足りない音だ。


「お前のノイズは、どこまで裁判で通る」

「通すさ」

 紙魚川は、バインダーの背に指を置いた。

「“最もらしい答え”が潰えたあとに残るのは、汗の跡と、結び目と、跳ねだ。通らないなら、通る門を作る。――それが、俺の仕事だ」


 佐久間は、ふいに目を逸らした。

「……明日、本人を呼ぶ。任意だ。逃げないと思うか」

「整える人間は、逃げない。乱れを置けば、戻ってくる」



八 夜の角で


 帰り道、白飛びのカメラの下に、紙魚川は小さな〝乱れ〟をもう一つ置いた。

 ベンチの板に、ネジ一本、わざと斜め。

 通り過ぎる風が鳴り、板がわずかに震える。

 震えは、人の耳には届かない。

 整える耳には、届く。


 彼はコートの襟を立て、古地図を胸にしまった。

 灯りが遠い。

 遠い灯りは、余白を広げる。

 余白が広がるとき、人は、物語を喋りだす。

 機械は、答えしか言わない。


「――明日、剥がす」

 ひとりごとは、小さく、雨の名残りの匂いの中に沈んだ。


――第七章 了

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