表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アナログ探偵・紙魚川  作者: 全てChatGPTというAIが書きました。
6/9

第六章 擦り付けられた役者

 朝、空の底に色はなく、風だけが乾いていた。

 署の一角、証拠品室の蛍光灯は白く、音を立てずに明滅する。

 紙魚川は、透明な袋に入れられた“バッグ”を取り出した。カメラに映っていたのと同型と報告されたものだ。報告書には、AI解析による形状一致率九十八パーセント、とある。


「一致、ね」

 紙魚川は、指先で縫い目を撫でた。麻のように硬い指を、一本ずつ。

 縫い幅が僅かに違う。純正が六ミリだとすれば、これは七ミリ弱。端の折り返しの角度が甘く、コーナーの丸みが太い。肩紐の裏地も薄い。根元に、目に見えぬ程度の遊びが出るはずだ。

 肩に掛けてみる。筋肉に記憶されている重みが、数秒遅れて伝わる。

「軽い」

 誰に言うでもなく、低く。

「中身のほうで重さを作った。外見は後回し、シルエット優先だ。……役者の衣装ってのは、たいていそうだ」


 安田が横で頷く。

「タオル四枚の買い物。シルエットを“太らせる”のにちょうどいい量です」

「ああ。輪郭は騙せる。細部は騙せない」


 紙魚川は、肩紐の裏に指を差し入れ、爪の先で一度だけ軽く弾いた。乾いた、上ずった音。

 純正なら、もっと鈍い音が出る。厚みが違う。

「模造品だな。おそらくネットか、路地の小さな店。誰かが日常で使ってた風を出すため、角をわざと擦った跡もある。だが擦り方が均一だ。人間はもっと偏って擦る。癖で」


 安田がタブレットに何かを記録する。

 記録の音は軽く、紙魚川の鉛筆の線は重い。重さは、昔からの相棒だけが持っている。


 証拠品室の奥で、別の箱が開かれた。切符の印字、タオルの繊維、クリーニングの受取票。

 受取票のカーボン紙に残った筆圧の沈みを、紙魚川は横から覗く。

 筆致は、速い。終いが跳ね、上へ逃げる。

 掲示板の苦情の字。被害者手帳の「K報告」。そして、ここ。

 跳ねは、名刺よりも正直だ。


 証拠品室を出る前に、紙魚川は“バッグ”をもう一度肩に掛けて、廊下を数歩進んだ。肩紐が静かに軋む。

「これを背に、カメラに“映る”――そのためだけに用意された重さだ」


 安田が小さく息を吸う。

「つまり、映像の“三宅”は、舞台衣装の役者だった、と」

「そういうこった」


 蛍光灯が一度、音もなく震えた。



一 歩容の作為


 昼過ぎ、映像解析室。

 壁の一面に、監視映像が並ぶ。AIは三宅の歩行姿勢を“本人と一致”と判定した。

 紙魚川は、映像の速度を少し落とし、音を切り、動くだけの影にした。

 踵の接地が浅い。右足の踏み込み前、膝の角度が通常より二度ほど少ない。歩幅は二センチ縮む。肩の上下動が、三宅本来の映像よりも半拍ずれる。

 半拍。

 テンポの違いは、素人には見えない。だが、現場の人間は“追う身”の耳を持っている。


「練習してる」

 紙魚川は言った。

「“歩容解析を通る歩き方”ってのが、世の中にはある。猫背を二センチ、足を半歩抑え、腕を振りすぎない。背筋を落として目線を一定に保つ。……“通る”歩き方ってやつだ」

「そんなことまで真似できるんですか」

「できちまう。人間ってのは器用だからな。自分を整えることにかけては、な」


 安田が別の映像を呼び出す。

 路地入り口のカメラ。雨粒が光を壊している。

 白飛びが強い。肩から下だけがハッキリ出て、顔の上半分は空に溶けた。

 AIは、肩の傾き、腕の振り幅、荷の位置、足の角度から一致率をはじいた。

「顔が要らない時代だ」

 紙魚川の声に、乾いたものが混ざる。

「顔は最後だ。最初に頼ると、間違う」


「この映像、フレームの繰り返しが一度あります」

 若い技官が言った。「補正のログに“ノイズ除去”が二度かかってる。夜間の露出を自動で上げる段階で、明度が跳ねたんでしょう」

「跳ねる、ね」

 紙魚川は“跳ね”の言葉に反応する癖がある。

 字の跳ね。踵の跳ね。露出の跳ね。――跳ねは、揺らぎだ。

 揺らぎの上に、作為は生まれる。



二 衣装部屋


 路地裏、古い雑居ビルの三階に、ブランドの残反で作った模造品を売る店があるという。

 場所は“円”の外れ。

 ビルの踊り場は湿気を吸い、木の階段の端が丸くなるほど磨耗している。

 扉のベルは、針金のような音で鳴った。


 店主は、目尻に笑い皺が定着した初老の男だった。

「“似せる仕事”は、悪いもんじゃないよ。人に喜ばれる」

「似せる相手を間違えると、死人が出る」

 紙魚川は、棚の上段のバッグを一つ取り、肩紐の裏地に指を入れて弾いた。さっきと同じ、上ずった音。

「この型は?」

「在庫、三つ。昨日、一つ、女性が持っていった」

「どんな女だ」

「背筋の真っ直ぐなひと。言葉が乾いてる。紐の長さを“数値”で指定してきた。センチ単位で」

「香りは」

「甘い。最後に辛い尾」

 男は、記憶の引き出しをゆっくり開ける。

「“ショルダーの根元をあと二ミリ詰めて”って言った。人はふつう、二ミリの言葉を使わない。職業柄だろうね」


 安田が横で息をのみ、紙魚川は頷きもせず、店主の言葉を手帳に“二ミリ”と太く書いた。

 二ミリは、数値の世界のものだ。現場の人間は、指で測る。


「支払いは」

「現金。袋は要らないって、肩にすぐ掛けて出ていった」

 肩にすぐ。

 衣装合わせは早い。舞台の時間は、客を待たない。



三 白い廊下


 夕方、競合会社の白い廊下で、紙魚川と安田はしばらく待たされた。壁は艶を持ち、匂いは薄い。清掃がよく行き届いている。

 会議室のドアが開き、大森佳奈が現れた。

 黒のジャケット。髪は後ろで束ね、無駄のない結い目。視線はまっすぐで、通る声。

 そのまま、広報としてのテンプレートで話し始めることもできたろう。

 だが彼女は、最初の一言を選んだ。

「先日はどうも」

 同じ角度の微笑。

 揺れない。


「社内の夜間カメラ、原データを確認したい」

 紙魚川は挨拶を省いた。

「補正の前」

「セキュリティの都合でお見せできません」

「補正は、誰が管理してる」

「外注です。詳しくはシステム部門に」

「窓口は秘書室だろ」

 微笑が一瞬だけ硬度を増し、また戻る。

「業務上の便宜です」


 安田が資料を差し出す。

「昨夜、券売機前での“香りの苦情”と“右踵”。クリーニング店の“固い結び目”。コンビニの“利き手じゃない畳み方”。いずれも、あなたの職場の帰りの動線上です」

 佳奈は資料を軽く見て、整った指で揃える。

「推測だと思います。どれも不確実な証言でしょう」

「不確実は、嘘の覆いにちょうどいい」

 紙魚川の声は低く、部屋の空調に混じる。

「人は、整えるために嘘をつく。あなたは整える側だ」


「侮辱ですか」

「敬語だ。俺はあなたの技術を買ってる」

 紙魚川は、唇だけで笑い、すぐ消した。

「あなたは舞台監督だ。舞台の袖で、照明、衣装、音響を合わせる。観客に正しい視線を送る。──昨夜の舞台は、よく出来てた。顔がいらない劇は、とくに緻密だ」


 空気に、薄い張りが出た。

 佳奈は、目を細めて言う。

「私がなぜ、その劇に関わる必要があるんです」

「関わる必要が、あなたの側にあった」

「根拠は」

 紙魚川は、手帳の端を親指で折った。

「“K”だ。被害者の手帳の“K報告”。USBの“折衝テンプレ”の脚注の“K”。あなたの部署が停止をかける合図だ。記録の粒度を落とし、露出を上げ、白飛びで顔を消す。……“整える”合図だ」


「Kは社内の合図です。私個人ではありません」

「そうだろう。だが、“個人の癖”が残ってる。二ミリ詰める。固い結び目。辞書を切る。跳ねる字。右踵。利き手じゃない畳み方。香りの尾。──どれも、あなたの身体から出た」

 安田が息を呑み、佳奈の顔に、微細な揺れが走った。

 それは怒りではなく、整っていた面の、ほんの一瞬の剥離だった。


「失礼します。これ以上は法務を通してください」

 微笑は、元に戻った。

 扉が閉まると、白い廊下の匂いが、急に薄くなった気がした。



四 舞台裏の段取り


 署へ戻ると、佐久間が待っていた。

「どうだった」

「舞台は整ってる」

「詩をやめろ」

「詩じゃねえ。段取りの話だ」

 紙魚川は、古地図に矢印を引く。

「映像の三宅を“作る”段取り。

 一、模造バッグ。二、タオルで太らせる。三、歩容の練習。四、補正で白飛び。五、役者の退場。

 役者は、券売機で切符を買い、足を庇い、香りを振り、結び目を固くし、利き手を偽る。舞台監督は、袖で露出を上げ、ログを薄める」


「役者は誰だ」

「まだ名は呼ばない。だが、女だ。背筋が真っ直ぐ。仕事帰りの匂い。ヒールの癖はない。ゴム底の平らな靴を選び、踵を庇う。……整える身体だ」


 佐久間は苛立ちを隠さない。

「名を言え。証拠を出せ」

「出すよ。だが順番がある。順番を狂わすと、嘘のほうが先に出る」

 紙魚川は、鉛筆の芯を折り、新しい芯を差した。小さな音が、机の上で硬い。



五 実験


 夜、署の駐車場で簡易の実験をした。

 模造バッグにタオルを詰め、体格の似た巡査に肩から掛けさせる。

 歩容を合わせるため、巡査には猫背を二センチ、歩幅を二センチ狭め、腕の振りを抑えるよう指示。

 安田がカメラを設置し、露出を上げ、白飛びを作る。


 映像を見返す。

 AIは一致率九十六パーセントを返した。

 人間の目には、別物でも。

 数値は、別物を同じにする技術に優しい。

「通るな」

 安田が唇を噛む。

「通るように、作られてる。……俺たちの現場が、いつの間にか“通ること”を目指してたのかもしれません」


「だから、通さない」

 紙魚川は低く言った。

「通す門を、別の場所に作る。香り。結び目。跳ね。辞書。踵。門は、まだ残ってる」



六 綻び


 翌朝、クリーニング店。

 受け取り票の控えに、微細なインクの滲み。紙魚川は老女に頼み、店の筆記具で同じ字を何度か書いてもらう。

 老女の“跳ね”は下へ落ちる。

 受け取り票の“跳ね”は上へ上がる。

 跳ねの終速が違う。

 安田が即席で筆圧センサーを当てる。スマートではない道具だが、十分だ。

「終わりの加速度が高い。止められないタイプの跳ねです」

「訓練された手は、最後に速度を残す。……整える人間の手だ」


 マンションの掲示板の字と照合する。似ている。

 掲示板の苦情を書いた住人は名乗らなかった。だが、管理人が言う。

「いつも“整った字”で書く人がいる。名前は出さない。気持ち悪いくらい整ってるって、みんな言ってる」

 整った字ほど、跳ねが目立つ。

 跳ねは、身体から出る。



七 白飛びの後ろ


 技官が、競合会社の夜間カメラのログをさらに剥いだ。

 露出補正が自動で二度かかる瞬間、フレームの間に数ピクセルの“ズレ”が出ている。

 ズレは、人の呼吸と一致する。

 呼吸のテンポは、歩幅と呼応する。

 “役者”がカメラの前を通過するとき、歩幅は二センチ縮む。

 ログのタイムスタンプは、秘書室の端末からの操作時間と重なっている。

 端末の使用者欄は“秘書室”。名は出ない。だが、針は同じ方向を指す。


「安田。端末の使用権限を横串で洗え。操作の“癖”が出る。クリックの間隔、タブ切り替えの速さ、ファイル名の付け方。整える人間は、ファイル名も整える」

「了解」

 安田は小走りに出ていった。



八 役者を舞台から下ろす


 夕刻。

 競合会社のロビー。

 紙魚川は、受付で名乗らず、旧式の名刺入れから“空白の名刺”を出した。

「どなた宛でしょう」

「舞台の袖に」

「は?」

「秘書室だ」

 受付は困った顔をしたが、やがて内線が鳴った。


 会議室。

 佳奈は、前と同じ位置に座り、同じ角度で微笑した。

「今度は、何を整えに来られたんです?」

「剥がしに来た」

「何を」

「衣装を」

 紙魚川は、透明袋から“バッグ”を取り出し、肩紐を弾いた。上ずった音が、静かな室内で浮く。

「二ミリ詰めたな」

 佳奈は答えない。

「あなたは舞台監督だ。だが昨夜は、役者も兼ねた。フードをかぶり、右踵を庇い、利き手じゃない手で傘を畳む。香りを強く残し、固い結び目を作る。──AIに“通る”歩き方を、練習した」


「証拠は」

「香りは残る。結び目は残る。跳ねは残る。辞書を切ったログは残る。白飛びをかけた時刻も、端末の呼吸も」

「呼吸?」

「あなたの呼吸だ。端末は、使う人間の呼吸を映す。タブを切り替える間合いが、あなたの歩幅と同じだ。……人間は、無意識に合わせるものだ。身体のテンポに」


 佳奈は、初めて目を伏せた。

 その伏せ方も、美しい。

「……あなたは、何を守りたいんです」

「迷惑をかけるな」

「え?」

「“規定”に。あんたらの規定は、誰かの生活に迷惑をかける。整えて、均して、白くする。白くなった場所に、人は住めない」


「私たちが悪だと言いたいんですか」

「悪なんざ、簡単な言葉は使わない。あんたは技術者だ。技術で、人の見せ方を整えた。……昨夜は、人の罪まで整えた」


 安田がファイルを机に置く。

「端末操作ログ。クリック間隔、ファイル名、タイムスタンプ。切符の発券時刻と重なる“辞書切り”。クリーニング受取票の筆圧。掲示板の跳ね。マンション管理人の証言。タクシー運転手、コンビニ、酒場の男、子どもの窓。──断片は揃いました」


 佳奈は、長い息を吐いた。

 香りが、薄く広がる。

「……舞台は、必要なんです。こちらも生きていくために」

「なら、せいぜい観客の前でやれ。袖でやるな。袖でやる舞台は、事件になる」

 紙魚川は、バッグを袋に戻した。

「役者を、舞台から下ろす」


 外は、夕立の気配があった。

 窓を打つ前の空気が、薄く冷える。

 室内の静けさに、最初の一滴が、遠くで落ちた。



九 雨に入る


 ビルを出ると、雨が来た。

 大粒ではないが、濡れる雨だ。

 人々はそれぞれの傘を広げ、色の違いが通りに咲く。香りは洗われ、足音は低くなる。

 紙魚川は、傘を持たない。コートの襟を上げ、古地図を濡らさないように内側へしまった。

 安田が横で傘を差し出す。

「どうして傘をささないんです」

「雨は、匂いを連れてくる。いまは、降らせとけ」

 雨の匂いは、均質を壊す。

 整えられたものは、水に弱い。


 交差点の向こうで、白いロールスクリーンに雨が映り、車のライトが丸く溶ける。

 紙魚川は、足を止めた。

 舞台は、まだ終わらない。

 終幕のカーテンを引く手は、いつも袖にいる。

 袖から手を引き剥がすには、雨が便利だ。匂いが混ざり、境界が崩れ、声が届く。


「安田。明日、もう一度、あの白飛びのカメラ前に立たせる。役者は自分の舞台を忘れない。忘れたふりをしても、足が覚えてる」

「立たせるって、どうやって」

「香りを流す。固い結び目を一つ、路地に落としておく。──“整えたい”人間は、乱れに吸い寄せられる」


 安田は、半信半疑の顔で、それでも頷いた。

 雨脚が少しだけ強くなり、路面の水が、細い川になって流れ出す。

 その川は、昨夜の血の色を知らない顔で、歩道の端から端へ、まっすぐ進んでいった。


――第六章 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ