九、『エゴノキ』1
『エゴノキ』
作、幽霊 原案、石川くん
覚えているのは、そこにあった木には白い花が咲いていて、地面にボドボド落ちていたこと。木の根元に白い円を描き、まるで、舞台俳優を照らすスポットライトみたいだった。
その木のそばから、僕は突き落とされた。
「死んで詫びろ」
誰かがそう囁いて、僕の背中を強く押したのだ。
耳の奥に残るのは殺意。
誰かに向けられた殺意。
そして、目が覚めたらベッドの上だった。
病院ではない。
自分の家の、自分の部屋の、自分のベッドの上だ。
(夢か)
安堵して起き上がるとTシャツは汗ビッショリだった。
僕はスマホを見ると5月1日。火曜日。平日だ。
昨日まで休みを取ってキャンプにいったせいか、体が少し重い。
(家が静かだ)
妙に静かすぎる。
とりあえず水分を取るために2階の寝室から1階のキッチンへと向かった。
(リアルな夢だった)
見慣れたキッチンに入り、まだ4月のままの壁掛けのカレンダーを破り取ると、いつも通り冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出そうとしたときだった。
誰かの気配を感じると同時に背中に衝撃が走った。
寒気に似た衝撃は、次第に熱を帯びた。それから全身を痛みに変わる頃、意識が段々と遠のいていった。
何が起きてきるかわからない。
薄らいでいく視界に、誰かの脚が見えた。スリッパを履いていた。
その向こうの食器棚のガラス戸には倒れた自分の姿が映り、その背中に深く刺さっていたのは、たしかに包丁だった。
★
そして、目が覚めたらベッドの上だった。
自分の家の、自分の部屋の、自分のベッドの上だ。
(あれもこれも夢だったのか?)
自問自答をしても答えはでない。
スマホをみると、今日から5月だということに気づいて、
(ゴールデンウィーク中の平日に、休みの大人っているのかな。そりゃ、いるか)
と、毎年過るどうでもいいことを思い浮かべた。
(さっきも5月1日だった)
背中に過る嫌な予感を振り切り、僕は起き上がると洗面所へ行き顔を洗う。仕事へ行かなくてはならない。
しんと静まり返ったキッチンへ行くとカレンダーを破り取り、背後を確認してから冷蔵庫から水を取り出した。今回は誰かに刺されたりはしなかった。
少しホッとして、何事もなかったかのように、いつも通りの朝の身支度を進めていく。
(いつもと家の匂いが違う)
そんな気がした。
僕は鈴木大輔。二十七歳の男。勤め先は最寄りの駅から電車で三つ目。スーツを着て出社する。
(何もかもいつも通りだ)
しかし、洗顔フォームを手に取ったとき、僕は気づいた。
手の甲に油性ペンでメモが残っていた。
ーー喫茶カフェ。合言葉は「美しいですね」
(喫茶カフェって何なんだ?)
ふと鏡を見ると、僕のボサボサの髪に白い何かがついていた。
それは、包丁でさされる前の夢で見た。あの崖の上で咲いていた花だった。
(あれ夢ではない)
あの崖に、僕はいたんだ。