五、幽霊は書くのをやめない
僕の書いた話はこんな男の友情物語じゃない。
「書き直して」
僕の言葉にショックを受けたのか、幽霊は眼鏡の下で大きく目を見開いた。その顔を見てようやく後悔が押し寄せる。感情的になってしまった。ひどいことを言った。
「あの……」
謝ろうとしたその時、不意に幽霊は宙に浮き、満面の笑みを浮かべた。それから、
「よっしゃ!」
と、叫んだ。楽しそうに僕を見ている。
「やってやりますよ。書き直しますよ。覚悟してくださいね。それじゃあ、また明日の午前零時に」
そういうなり、幽霊はご機嫌な笑顔を残して消えてしまった。
僕は消えた辺りの虚空を呆然と眺める他ない。
(ひどいことを言ってしまったのに)
幽霊は素直に受け入れ、あんなにも楽しそうだった。
それに比べて僕は自分のことを棚に上げて、つまらないだなんてひどいことを言った。
たった九行の、小説とも言えないようなものしか書けないくせに。
自己嫌悪のあまり、その日はなかなか眠ることができなかった。
★
次の夜。ベッドに寝そべって幽霊を待っていた。
そういえば、母親以外と話をしたのは何日ぶりだったのだろう。今は夏休みだから(それだけでもないが)、特に人に会わない。だから本当に久々に誰かと喋った。知らぬ間に胸の中がちょっとだけ軽くなっている。
(会話をするってすごいのかもしれない)
内容はさほど関係ないのかもしれない。ただ話すだけでいいのかもしれない。
でも、今の僕にはハードルの高いだ。
その相手になってくれた人に偉そうに書き直せと言ったことを後悔しながら、天井を見つめていたら、いつの間にかウトウトしていた。
「おやおや」
どれくらい寝ていたのか。聞いたことのある声に目を覚ました。
「寝てしまったんですか?」
どうやら0時を越えたらしい。目を開けると幽霊が寝ている僕の顔を覗き込んでいた。相変わらずの黒縁眼鏡の白装束で。
「緊張感ないですね」
呆れ顔の幽霊は昨日と同じトートバッグをまさぐると、クリアファイルを僕のお腹の上に置いた。
「書きましたよ」
僕は起き上がり、ファイルからA4の紙を取り出す。
どうやら怒っていない。昨日のことは気にしていない様子でこちらを見ている。
「また書いてきたのかよ」
そっけなく僕は言った。
何故この幽霊はこんなに早く書けるのだろうか。もしかして幽霊になる前は小説家だったのだろうか。
「僕は書いてないよ」
幽霊みたいには書けない。
「わかっています」
幽霊は椅子に座り、大きくため息をついた。
「もう書かなくていいから、とりあえず読んでください」
僕は紙へと視線を移した。書いてないことを見透かされてムッとしたのと、怒っていないことにホッとしたのとが同時だった。幽霊の目的が見えてこない。そんな状況で物語を綴るなんてできない。だから、僕は言われるまま読むことにした。
題名は『覗き穴』だった。