四、『居酒屋風カフェ喫茶』
『居酒屋風カフェ喫茶』
作、幽霊 原案、石川くん
街の高台にあるカフェの小狭いテーブル席に座り、ビールを頼む。
この店が夜も営業していることを知ったのは、高校の同級生である優人に誘われたからだ。オレンジの屋根の建物は絵本に出てきても良さそうなメルヘンな外観だったから、お酒が飲めるのは少し意外だった。
「急に誘ったけど、仕事大丈夫だった?」
優人に聞かれ、僕は首を振る。
「大丈夫」
優人にある相談しようか、しまいか。ちょうど悩んでいたところだったから。落ち着いた店内は話をしやすい。
「彼女できた?」
オーダーを取り終えた店員がいなくなると、優人は見計らったように切り出した。
「いないよ」
「でも、気になる人はいるでしょ」
「いや、いないよ」
僕は答える。メニューを見ているふりをしながら、動揺を隠しながら。
「またまた白々しい」
優人は目を光らせた。窓際の席なら街を見下ろせるはずだが、ここは奥まった壁際。逃げられそうにない気分にさせる。
「この前、最近入った新人さんと仲良くなったって言ってたよね」
「まあね」
優人は鋭い。彼女はいないけど彼女になって欲しい人ができた。それがその新人さんだった。そういえば、この前、優人と飲んだ時に何となくしゃべったかもしれない。でも、気になっていることまでは言っていないはずなのに。
「凛奈と別れてから元気なかったけどさ、ここのところ明らかにテンション高いし」
突然元カノの名前を出されて気分がやや落ちる。
「それで。その新人の子とどうなったの?」
窺うような優人から目をそらした。
「いや、何もないよ」
「名前なんだっけ」
「名前なんて別にいいじゃない」
「別にいいなら、教えてくれても別にいいじゃないか。色々話を聞いた仲だろ?」
その時、ガタイのいい店主がビールを持ってきた。とりあえず、僕らは丸みを帯びたグラスに注がれかた金色のビールを飲むことにした。
確かに。元カノとのことで凹んでいるとき、泥酔するまで付き合ってくれたのは優人だ。それに、答えないと終わらなそうだ。僕はもう観念することにした。
「ーー梅田さんっていうんだ」
「下の名前は?」
「そういえば聞いてないな」
仕事中は名字で呼んでいて、名前は聞いていない。何だか恥ずかしくて聞けていない。
「その梅田さんって、どんな人?」
「すごい素直だし、真面目だし、よく笑うし」
優人はうんうんと頷いた。
「実は、俺も知ってるんだよね」
「えっ!?」
意外な言葉が帰ってきた。
「梅田さんを知ってるの?」
「仲いいよ」
僕はひっくり返るかと思った。まさか優人の知り合いだなんておもわなかった。
「なんで?」
「菜央の友だちっていうのかな」
菜央とは優人の彼女だ。
「マジで?」
「マジで」
「ほんと? 優人も仲いいの?」
「そうだよ。仲いいよ」
優人、いいなぁ。そう言いかけて口をつぐむ。
「梅田さん、彼氏いるかな」
「どうだかねぇ」
優人にはぐらかされつつ僕はグラスのビールを飲み干した。
「花火大会に誘ってみようかな」
「再来週の?」
「うん」
ここのところ、僕は梅田さんを誘おうか迷っていたのだ。
「優人も彼女と来てよ。二人だと恥ずかしいから」
こんなことを友人に頼んでいるのも、実は恥ずかしい。
「いや」
しかし、優人は首を横に振った。
「他に一緒に行く人がいるらしいよ」
「梅田さんに?」
「梅田さんに」
「まさか男?」
「まあ、男だね」
「彼氏いるってことじゃないか」
さっきは「どうだかねぇ」、なんて言ったくせに。
でも、優人は非難めいた僕の声にも少しも動じない。
「男って彼氏じゃないよ」
動じるどころか、わけの分からないことを言い出した。
「なんだよそれ。彼氏じゃない男なら誰なんだよ」
心臓がバクバクする。
それは父親か? 兄か? 弟か?
「いや、夫らしいよ」
氷で頭をぶっ叩かれた気がした。
予想外すぎる答えだった。
「梅田さん、結婚してるの?」
「うん、三人子どもがいるんだって」
「子どももいるの?」
「でも、三人とも社会人だってさ」
「子ども独立してるのか?」
「長女が去年結婚して、今年孫が生まれたってさ」
「孫までいるの?」
「三人目の孫らしいよ」
「三人も?」
「ちなみに、一人目の孫の名前が井上凛奈だってさ」
「えっ?」
聞き覚えのある名前だ。いや、聞き覚えどころか頭に張り付いている名前だ。
忘れるものか。忘れたりしない。井上凛奈は元カノの名前だ。
「まさか。梅田さんの孫が元カノ?」
「かわいい孫を手酷くフッたお前への復讐を企んでいるらしい」
「手酷くなんてフッてない」
「いや、彼女によると酷いフリ方だったらしい。だから梅田さんがお仕置きする」
「梅田さんが?」
「梅田さんが」
「俺にお仕置き?」
「そう。お前にお仕置き」
僕はしばらく考えた。
「それ、ちょっといいね」
優人は真顔で僕を見つめる。
「お前、気持ち悪いな」
「あはは」
軽く笑って、大きく深呼吸をした。
「嘘だよね」
答えた優人も笑っている。
「嘘に決まってんだろ。色々合わないだろ。まず年齢が合わない。孫が存在するためには人間の体では無理だ」
「優人に騙された」
「騙されんなよ」
その時、頼んでいた料理が届いた。そのついでに、僕らは揃ってレモンサワーを頼む。
「梅田さんの下の名前は菜央な」
ふと、箸を取った優人が言った。
「お前の彼女と同じ名前か」
「いや、俺の彼女だから」
「梅田菜央は俺の彼女だから」
「まさか」
優人はスマホの写真を見せてきた。
画面の中には梅田さんが映っている。優人の隣で笑っていた。確かに梅田さんだった。だけど、見たことがないほど幸せそうな笑顔をした梅田さんだった。
「同一人物ってこと?」
優人は大きく頷いた。
優人の彼女と、梅田さんは、同一人物?
「ーーカノジョビジンデスネ」
僕はそういうことしかできなかった。
「ありがとう」
優人の声はいつも通りだけど、どこか怒りに似た複雑な感情がにじみ出ている。
優人はスマホをしまった。
「ちなみに、あの写真はうちの家族に見せる用の写真ね」
「家族に?」
「結婚するから紹介するの。つまり、彼氏から夫になる。俺は数年後にパパなってじいじになる予定」
「そっかぁ」
梅田さんは俺の彼女だから、手を出すな。
そうハッキリ言えばいいじゃないか。言えばいいのだけれど……言い出しづらかったのかもしれない。
「おめでとう」
僕が言うと、小さく「ありがとう」と言った。
「優人、また会える?」
ちょっと不安になっている。
「友だちつづけてくれる?」
優人は吹き出して、呆れ顔でこちらを見た。
「たまたまだろ?」
たまたま、優人の彼女を好きになってしまった。いや、なりかけてしまっただけ。
「たまたまだよ」
でも、やっぱり、失恋してしまったんだろう。
「だからさ。花火大会の日にこの店でまた飲もう」
「彼女は?」
「独身最後の夏になるから友だちと行くって」
優人はチラリと店の大きな窓に視線を向けた。
「この店から見えるんだよ」
「窓から?」
「そうそう。ちょうど花火が見えて、穴場なんだ」
それから、
「結婚式にも呼ぶよ」
と、さらりと言った。
「複雑な関係にならなくてよかった」
友人の彼女を花火大会に誘う前で。
「そうだね」
ようやく夕食を食べる手が進むようになった。
僕らは気前よくビールを飲んだ。
今日はとにかく飲みたかったし、何だか、本当に酔いの回る夜だった。
「エスプレッソ、お飲みになりますか?」
ラストオーダーの直前に店主に訊かれ、二人で頼む。
ビックリするくらい小さなカップに、店主が淹れた苦いエスプレッソ。
二人で猫背になりながら啜り、何だか笑える夜になった。
完
★
「こんな感じでどう?」
たった9行の話がこんなに長い物語に変わるとは思わなかった。
幽霊は得意げだ。鼻息荒く、明らかに褒められ待ちをしている。
「違う話になってる」
僕は不満だった。
「女の子出てこないの?」
「えっ、気に入らないの?」
「うん。つまらない」
僕はファイルを突き返した。