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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたの未来を変えます

「男同士は無理」


 ずっと好きだった先輩に告白してふられた。そりゃそうだよな、ととぼとぼ放課後の廊下を歩く。しんと静まり返った廊下にひとりいると、周りのすべての人がいなくなってしまったように感じる。世界にただひとり取り残されたのではないか――そんな感覚。失恋の感傷も手伝ってどこかノスタルジックな気分に浸っていると、背後から肩を叩かれた。


新保(しんぼ)くん」

「え……」


 振り返るとそこにいたのは学校一のイケメンで人気者の倉田(くらた)先輩だった。一瞬江島先輩が追いかけてきてくれたのかと期待してしまった。

 向かい合って背の高い倉田先輩を見上げる。一度も話したことがないし、接点もまったくない俺になんの用だろう。


「俺はきみの未来を変えられるよ」

「は?」


 意味がわからず首を傾げる。倉田先輩はどこか緊張したような面持ちで俺をまっすぐ見つめる。


「江島にふられたんだよね?」

「……」

「江島は俺を目の敵にしてる。新保くんが俺とつき合ったらあいつは必ずきみを奪いたくなる。結果的に江島とつき合えるんだ。江島を諦める未来から、江島とつき合える未来に変えてあげるよ」

「なにが言いたいんですか?」


 言っていることが全然わからなくて問いかけると、倉田先輩は「うん」とひとつ頷いて微笑む。


「俺を利用しなよ」


 ますますわからない。


「江島先輩とつき合うために倉田先輩とつき合うということですか?」

「そう。江島が奪いたくなるように」

「……それ、倉田先輩にメリットがありませんけど」

「あるよ。俺には俺の目的がある」

「目的……?」

「うん」


 なんにしても人を利用するなんて嫌なので断ろうと口を開きかけたところで倉田先輩に手をとられた。


「ただつき合ってるふりをしたらいいんだ。他はなにもしないから俺を利用して」


 綺麗な瞳が縋るようにゆれていて、そんなふうに見つめられたら断れない。「でも」と口には出したけれど言葉は続けられなかった。

 利用されたいなんておかしい話はない。でも倉田先輩は真剣に提案している。俺は結果的に江島先輩とつき合える――。


「……わかりました」


 本当にそんなにうまくいくのだろうかと不安もあるけれど、もとがマイナススタートなのでこれ以上悪くなることはない。俺が了承すると倉田先輩はほっとしたように息をついた。


「よろしく、(ゆず)くん」

「はい……えっと」


 そうか、名前で呼ぶのか。でも倉田先輩の名前がわからずもごもごしていると先輩が気づいてくれた。


知亮(ともあき)

「よろしくお願いします。知亮先輩」


 こうして俺は知亮先輩と恋人になった。






 翌日、登校すると教室の前に人だかりができていた。なんだろうと思ったら、みんな俺を見に来た人だった。


「どうして……」

「おはよう、柚くん」

「知亮先輩」


 通学バッグを机に置くと同時に知亮先輩が教室の扉から顔を出した。ざわめきが一際大きくなり、注目されるなか知亮先輩のもとに向かう。


「あの、なんかみんな知ってるみたいなんですけど……」

「うん。俺が言った」

「えっ」


 人生で一番目立っているんですけど、と言いたくて言えなかった。いつも目立っている知亮先輩には俺の感覚はわからないだろう。


「俺と柚くんがつき合ってるって知られないと意味がないからね」


 どこか寂しげに見える知亮先輩に首を傾げる。

 そこでふと疑問が湧き起こった。どうして俺の名前を知っていたのだろうか。初対面で知亮先輩は地味で目立たない俺のフルネームを知っていた。

 聞いていいのかわからずなんとなく口を噤むと、髪を撫でられた。周りの視線がすごい。


「ちょっとの我慢で江島とつき合えるよ」


 耳もとで囁かれ、吐息が触れて頬が熱くなる。こんな距離感はまるで本当の恋人のようだ。間違いなく恋人なのだけれど、江島先輩とつき合うために俺がこの人を利用しているだけの関係だ。だから恋人であって恋人ではない。そっと距離をとって深呼吸をした。


「昼一緒に食べようね」


 こんなに注目されて食事は喉をとおるだろうかと思うが一応頷くと、満足そうに微笑んだ知亮先輩は自分のクラスに戻って行った。

 その後俺は、周囲の羨望の眼差しを一身に浴びて縮こまりながら授業を受けた。




 昼になると知亮先輩が迎えに来てくれた。いつも教室でひとりでパンを食べる俺を中庭に連れ出す。木陰で並んで座り、パンを食べる。


「知亮先輩はいつも外で食べてるんですか?」

「特に決まってない。いつもその日の気分」


 天気がよければ屋上や中庭で、校舎裏でひっそり食べることもあると言う。


「倉田知亮、十八歳。誕生日は四月七日、血液型はA、趣味は漫画を読むこと、好きな食べ物は――」


 突然自己紹介を始めた知亮先輩に首を傾げる。


「体重は、きっと抱きついたら体形がわかると思う」

「だ……っ!? え、遠慮します!」

「残念」


 笑って言うけれど、俺は顔に火がついたように熱くなる。抱きつくなんて、そんなことは恋人のふりですることではない。

 知亮先輩が自己紹介をしたということは、俺もしたほうがいいのだろうか。でもたいしておもしろいことは言えない。


「えっと、新保柚です。年齢は――」

「ストップ」

「むぐ」


 手で口を塞がれ、変な声が出てしまう。知亮先輩は困ったような顔をして首を左右に振る。


「柚くんのことは、あんまり知りすぎたくないんだ」

「……?」


 だったら知亮先輩も自分のことを話さなければいいのに。

 それでも外側はわかった。心の中はなにを考えているかわからない。「利用して」と言ってくる不思議な人。俺がふられたところをどこかで見ていて可哀想だからと同情しているのだろうか。


「あ」

「え?」

「ほら、見て」


 知亮先輩が視線を向ける先には江島先輩がいて、こちらを見ている。


「めっちゃ見てる。睨んでる。この分だと意外と早く奪いに来るかもね」

「はあ……」


 そんなにうまくいくものだろうか。

 そして引っ掛かる。江島先輩が好意をもって俺を奪いに来るのではないことがわかってしまったから。ただ知亮先輩に勝ちたい一心だけで奪いにくるのだ。俺の心は置いてきぼり。






 知亮先輩はわざと人目につくように俺と一緒にすごす。それだけ俺へのきつい視線は強くなるけれど、直接文句を言われることはなかった。それは陰で知亮先輩がかばってくれているからだと思う。


「……」


 こんなにいい人を利用していることに罪悪感を覚えるようになってきた。やはりやめたほうがいいのではないかと考えて、実際に知亮先輩に「やっぱりやめにしませんか」と言ったこともある。でも頷いてはくれなかった。


「俺には俺の目的があるって言ったでしょ」


 ぽんぽんと頭を撫でられ、頬が微かに熱を帯びる。

 知亮先輩の目的はなんだろう。恋人のふりをした俺を江島先輩に奪われることで、知亮先輩はなにか得るものがあるのだろうか。

 考えても考えてもわからない。外側のことは教えてもらったけれど、内側は謎だらけだ。






 登校すると今日も知亮先輩が会いに来てくれる。周囲は慣れてきたのか、それとも知亮先輩がフォローをしてくれたのか、最初ほどは騒がれなくなった。

 ふたりでいると江島先輩と目が合うことが多い。

 サッカー部の部長をやっている江島先輩。いつも活躍していて恰好いいと思い惹かれていった。

 あれほど好きだったのに、今は江島先輩の視線を嫌なものに感じてしまう。そんな自分が不思議で、思わず首を傾げる。もう一度江島先輩のほうを見る。知亮先輩を睨んでいるのがわかってなぜだか腹が立つ。


「……?」


 俺は江島先輩が好きだったはずなのに。

 知亮先輩は優しくて俺を大事にしてくれる。毎日一緒にすごすうちに本当に恋人になったような気持ちになってしまい、これは違うのだと自分に言い聞かせる。知亮先輩も自分の目的のために俺を利用しているのだ――そう考えて胸が痛む。絞られるように痛む胸に手を当て、ぐっと唇を噛む。知亮先輩の顔が見られない。

 俺も知亮先輩を利用しているのだから、利用されるのはおかしくない。それなのに納得できない。

 俺の心はどうなってしまったのだろう。






 心の温かい毎日が続いていた。休みの日には外で会って、いつでも隣に知亮先輩がいた。

 ある日、放課後に江島先輩に呼び出された。行きたくなくて、でも知亮先輩に送り出されてしまったので渋々江島先輩のクラスに向かう。教室にふたりきりになって身体が強張る。


「おまえ、俺が好きなんだろ。つき合ってやるよ」

「……」


 なにさまだ、と思うような発言に眉を顰める。以前の俺ならば、そんなところも恰好いいと思っていたのかもしれない。


「これで倉田の悔しがる顔が見られる」


 ほくそ笑んでいる姿に吐き気がする。


「知亮先輩は悔しがったりしませんよ」

「は?」

「知亮先輩が俺とつき合っていたのは、ふりだからです」

「ふり……?」


 訝しげに顔を歪める江島先輩が、俺のずっと好きだった人だと思うと胸くそ悪い。江島先輩の目を見ずに答える。


「知亮先輩とつき合ってるふりをすれば江島先輩が奪いに来るだろうから結果としてつき合える。自分を利用してって知亮先輩に言われたんです」

「な……っ」


 江島先輩の顔がみるみる真っ赤になっていく。それが怒りからだというのはその表情の険しさでわかった。そばにある机を拳で叩き、それから笑い出す江島先輩を気味悪く感じる。


「おまえ、騙されてんだよ」

「え……?」

「倉田はずっとおまえを見てた」


 言葉の意味がわからず「まさか」と返すが、江島先輩は頭を振る。


「俺をずっと見てるおまえを倉田が見てたことを知ってる」


 自慢げに言い放たれ、信じられない気持ちになるが、同時にすっと納得できた。名前を知っていたことも、俺のことをずっと知っていたのならばおかしいことではない。


「あんな目で見てたくらいだから、倉田はよっぽどおまえが好きなんだろうな」


 強引に肩を抱かれて鳥肌が立つ。


「あいつを利用するなんておとなしい顔してやるじゃん」


 江島先輩の声が聞こえない。知亮先輩が俺を好き、まさか――そう考えて頭に浮かぶのはいつでも優しく微笑みかけてくれた姿。


「今から倉田のとこ行ってキスシーンでも見せてやろうか」


 なあ、と抱き寄せられてその手を乱暴に振りほどく。


「あなたみたいなクズを好きだった自分が情けない」


 ぽかんとしている江島先輩に言い捨てて教室を出る。自然と駆け出す足が向かう先は一か所。知亮先輩のところに行かないと。




 知亮先輩の行きそうなところを探すけれど見つからない。もう帰ってしまったのだろうか。

 廊下の窓から中庭を見おろすと、いつもふたりで昼食を食べた木陰に知亮先輩が佇んでいるのを見つける。慌てて方向転換して中庭に向かうが、そこに着いたとき、木に触れて俯いている知亮先輩になんと声をかけていいかわからなかった。ただじっと見つめていると、その視線に気づいたのか、知亮先輩が顔をあげる。


「うまくいった?」


 首を横に振ると、整った顔が驚きの表情に変わる。


「俺が江島先輩をふりました」


 信じられない、と言うように俺をじっと見つめる瞳は不安の色をたたえている。まっすぐに見つめ返すと視線が絡まり、すぐに知亮先輩が目を逸らした。


「どうして? 柚くんは江島が好きだったんでしょ?」

「答える前に知亮先輩の話を聞かせてください」

「俺の話?」


 首を傾げる知亮先輩の瞳を強く見つめる。その表情の変化のひとつも見逃さないという気持ちでただ知亮先輩だけを見る。周りの風景も霞んでいく。


「知亮先輩の目的はなんですか?」

「……」


 口を噤む姿を見ながら、問いを重ねる。


「なにが目的で俺とつき合っているふりをしたんですか?」


 知亮先輩の目をまっすぐ見て聞くけれど、もう一度交わった視線はまた一方的に絶たれた。顔を背けた知亮先輩は首を横に振る。


「俺は知りたいです。江島先輩が、知亮先輩は俺を見ていたと言ってました」

「……余計なことを」


 苦々しい表情をする知亮先輩に一歩近づいてさらに問いかける。


「知亮先輩の目的は、なんですか?」


 じっと見つめると、自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた知亮先輩が負けた、と言うように俺に視線を戻してくれる。


「俺の目的は、柚くんといること」

「……」

「利用されてもなんでも、たとえたったひとときでも柚くんといたかった」


 せつなげに歪んだ表情に胸が締めつけられる。きゅっと痛む心が知亮先輩を抱きしめたいと言っていて、伸ばしそうになった腕を留める。

 知亮先輩は心細そうに微笑み、俺に触れようとしてその手をぐっと握り込む。


「あるとき、江島を見てるきみに気づいて気になっていった。注意して見てるとよく江島を見ていて、好きなんだなって思った」

「……はい」

「江島ばかり見ていて段差で躓いたり、持っているものを落としたり、あぶなっかしい子だなと思って気になって仕方なかった」

「……」


 そんなところを見られていたのか。恥ずかしさに頬がじんわり熱を持つ。


「気がつけば柚くんばかり見ていた。学年とクラスがわかったら、同じクラスの子にさりげなくきみの名前を聞いたりもした。そのうち柚くんにも俺を見て欲しいと思うようになった……好きになっていた」


 大きく息を吐き出し、苦しそうに目をぎゅっと閉じる知亮先輩から語られる真実に心臓が跳ねて暴れる。


「だから柚くんが江島に告白するところを見かけて、このチャンスを逃しちゃいけないと思った。利用してとお願いすればきっときみは断れない。柚くんといたくて、俺はずるいことをしたんだ……」

「そんな、ずるいなんて……」


 そんなふうには感じない。ただ不器用で、それだけ俺を好きでいてくれたということだ。


「柚くんといた時間は夢にまで見た幸せな時間だった。……いや、想像した以上だった。たったひとときのつもりが、ずっと江島が奪いに来なければいいと思った」

「そう言ってくれたらよかったのに……」

「言えないよ。俺がどんなに柚くんを好きでも、きみは江島が好きなんだから」


 ぎゅっと目を閉じ、唇を噛む知亮先輩の手は小さく震えている。


「なんで江島をふったの? 俺はまた柚くんといたいと思ってしまう……きみのことをもっと知りたいと思ってしまう」


 知亮先輩の中では、もう俺との時間は終わっている。自分の行く先と俺の行く先が交わらないと思っている。

 どうしたらいいだろう。どう言ったら伝わるだろう。


「……俺は知亮先輩の未来を変えられますよ」


 いつか言われた言葉を口にすると、正面に立った人は目を見開く。


「知亮先輩が終わりだと思った俺との時間を続けられるようにすることが、俺にはできます」

「……できるの?」


 信じられない、と顔に書いてある。でもその瞳は期待にゆれている。


「できます。だって俺も知亮先輩が好きだか――」


 すべて言い切る前に抱きしめられた。力強い腕の中に閉じ込められ、知亮先輩を見上げると震える手で頬を撫でられる。


「俺の未来を変えてくれるの?」

「はい。あなたの未来を変えます」


 頬を撫でる手を握ると、知亮先輩の顔が近づいてきて優しく唇が重なった。唇が離れ、泣き出しそうな微笑みが目の前にある。


「信じられない……」


 声を震わせる知亮先輩の背中に腕を回し、広い胸に顔をうずめる。


「信じてください。知亮先輩の未来には俺がいます」


 顎を持たれ、そっと目を閉じるともう一度唇が重なった。




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