第7話 計画実行、頼れる幼馴染
あれから、数日が過ぎた。
天峰と放課後の図書室で、思いがけず一緒に過ごしたあの日から、俺の日常は、確実に色を変え始めていた。
教室で隣に座る彼女の存在を、以前よりもずっと強く意識するようになった。ノートをとる指先、ふとした瞬間の横顔、授業中にペン先で唇を軽くつつく癖。些細な仕草一つひとつが、妙に鮮やかに目に焼き付く。友人たちとの会話の中に、彼女の名前が出るだけで、心臓が小さく跳ねる。まだ「付き合っている」わけじゃない。むしろ、始まったのは「友達」という、曖昧で手探りの関係だ。それなのに、こんなにも心が浮き立ち、同時に落ち着かないのは、自分でも滑稽だと思う。けれど、その感情が嫌ではなかった。
もっと、彼女に近づきたい。自然な形で、お互いを知る時間を作りたい。そう考えた末に思いついたのが、「昼休みにグループで一緒に食事をする」という計画だった。天峰には、百合川桜と北条沙織という親しい友人がいる。俺にも、浅倉悠貴がいる。いきなり二人きりではなく、まずは気心の知れた仲間を交えて、和やかな雰囲気を作ることから始めたい。
問題は、どうやってその機会を作るかだ。俺が一人で突っ走っても、空回りするだけだろう。こういう時、うまく場を取り持ってくれそうな人物に相談するのが定石だ。
――頭に浮かんだのは、やはり彼女の名前だった。北条沙織。
現生徒会長であり、そして、俺の幼馴染。小学生の頃は家が隣で、毎日のように一緒に遊んだ。引っ込み思案で、いつも俺の後ろをついてくるような、そんな女の子だった。それが今や、堂々と全校生徒の前に立ち、学校を動かしている。正直、俺が首席で入学したことよりも、彼女が生徒会長になったことの方が、よっぽど大きな驚きだった。同時に、少しだけ誇らしいような気持ちもある。人は変わるものだ。
とはいえ、高校で再会してからは、昔のように気安く話す機会は減っていた。彼女は学校の中心人物で、俺も何かと注目される立場。校内で二人きりでいると、余計な憶測を呼ぶ可能性もあった。それでも、今回の計画のキーパーソンは、沙織しかいないと思った。彼女なら、天峰と百合川を自然に巻き込めるだろうし、悠貴ともうまくやってくれるはずだ。
土曜日の午後。俺は事前にLINEで「相談したいことがある」とだけ伝え、沙織を校外の喫茶店に呼び出した。学校から少し離れた、隠れ家のような店。昔、俺が引っ越した後、こちらに戻ってきたときにたまに二人で立ち寄った場所だ。
店内には落ち着いたジャズが流れ、午後の柔らかな陽射しが差し込んでいる。先に着いた俺は、奥のテーブル席でメニューを眺めながら彼女を待った。この店のコーヒーは美味いが、沙織はきっと甘いものを頼むだろう。昔から、彼女はパフェやケーキに目がなかった。
やがて、ドアベルが鳴り、沙織が入ってきた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「いや、俺も今来たところだ」
お決まりのやり取りに、お互い小さく笑う。「怜央はいつもそう言うわね」と言いながら、沙織は向かいの席に腰を下ろした。
店員が水を運んでくる。俺はブレンドコーヒー、沙織は予想通り、クリームたっぷりのコーヒーフロートを注文した。
「こうして二人で来るの、久しぶりね」
沙織がストローの袋を丁寧に破りながら言った。
「ああ。校内じゃ、なかなかゆっくり話せないからな」
「そうね。お互い、ちょっと目立つし?」
悪戯っぽく笑う沙織。昔の彼女からは想像もできないような、余裕のある表情だ。
「……それで、相談って?」
フロートのクリームをスプーンで掬いながら、彼女は本題を促した。その目は、すべてお見通しだと言わんばかりに、俺を真っ直ぐに見据えている。
「……まあ、お前の予想通りだと思うけど。天峰のことだ」
観念して切り出すと、沙織は「やっぱり」と小さく頷いた。
「屋上でのこと、聞いたか?」
「澄香から、少しだけね。クラスでも噂になってるわよ。あなたたち、本当に目立ってるんだから」
やれやれ、といった表情で沙織は続ける。
「澄香を好きな男子は怜央を警戒してるし、怜央ファンの女子は澄香に敵意むき出し。それ以外の子たちは、二人がくっつけばライバルが減るって、むしろ応援してるみたいよ?」
「……勘弁してくれ」
思わず額に手を当てる。沙織は楽しそうにケタケタと笑っている。
「それで、澄香とどうしたいの?」
「……もう少し、自然に話せる機会が欲しいんだ。いきなり二人きりだと、彼女も警戒するだろうし。だから、グループで昼飯を一緒に食べられないかなって思ってる。俺と悠貴、それから天峰と百合川。沙織も一緒に」
俺の提案を聞き、沙織は少し考えるようにフロートのグラスに視線を落とした。そして、ふっと顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「いいんじゃない? 楽しそうだし。でも、場所はどうするの? 学食だと席の確保が大変よ?」
「だよな。だから困ってるんだ。どこか、人目を気にせず、落ち着いて話せる場所があれば……」
「それなら、生徒会室を使えばいいじゃない」
沙織の提案に、俺は目を見開いた。生徒会室。確かに、そこは盲点だった。
「あそこなら、昼休みは私たちくらいしか使わないし、テーブルもあるから5人でも十分座れるわよ。それに、部外者が勝手に入ってくることもないし」
「……いいのか? 生徒会の部屋を、そんな私的な目的で使って」
「大丈夫よ。昼休みに生徒が利用してる方が、むしろ活動的に見えるでしょ? それに、活動がないときはいつも澄香が入り浸ってるし、桜も、私もいるんだから、問題ないわ」
彼女は自信たっぷりに言う。さすがは生徒会長、そのあたりの匙加減は心得ているらしい。
「……助かる。本当にありがとう、沙織」
「ふふ。怜央にそんな風に頼られるなんて、なんだか新鮮」
昔の、いつもおどおどしていた彼女の姿が重なり、俺は改めて、彼女の成長に感嘆する。
「それで、いつからにする? 曜日とか、決めておいた方がいいわよね」
沙織はスマホを取り出し、スケジュールを確認し始めた。
「生徒会の定例が木曜だから……火曜と金曜あたりなら、比較的空いてるかな。浅倉くんの部活の都合とかもあるでしょうけど」
「悠貴なら、昼休みは問題ないはずだ。火曜と金曜か……いいな。じゃあ、早速来週から始められないか?」
「いいわよ。澄香と桜には、私から話しておくわ。桜は『面白そう!』って絶対食いつくし、澄香も……まあ、断らないと思うわよ、たぶん」
沙織の言葉に、俺は安堵と期待で胸が高鳴る。
「悠貴には俺から連絡する。……これで、少しは、天峰と話せる機会が増えるな」
「そうね。良かったじゃない」
沙織は微笑みながら、フロートの最後のクリームを口に運んだ。その横顔は、どこか大人びて見えた。
「怜央、なんだか嬉しそうね。澄香のこと、本当に好きなんだ」
茶化すような口調だが、その声には温かさがあった。
「……ああ。初めてなんだ。こんな気持ちになるのは」
素直な言葉が、口をついて出た。沙織は、何も言わずに、ただ静かに頷いた。昔から、彼女は聞き上手なところがあった。
「……澄香もね、怜央のこと、気にしてるみたいだったわよ。『別に興味ない』とか強がってたけど、顔は正直だったし」
「……本当か?」
「ええ。だから、あんまり気負わずに、普通に接してあげればいいと思うわ。あの子、見た目よりずっと繊細だから」
沙織の言葉が、じんわりと胸に沁みる。そうだ、焦る必要はない。まずは、友達として、自然体で。
「……わかった。ありがとう、沙織。本当に助かった」
「どういたしまして。私も楽しみだわ。みんなで食べるお昼ご飯」
会計を済ませ、店を出る。午後の陽射しは、来た時よりも柔らかくなっていた。学校までの道を、二人並んで歩く。
「生徒会長って、やっぱり忙しいんだな」
「まあね。でも、自分で決めたことだし、周りのみんなが助けてくれるから。……怜央も、何かあったら、いつでも言いなさいよ? 幼馴染なんだから」
「……ああ。頼りにしてる」
学校前で沙織と別れ、俺はすぐにスマホを取り出した。悠貴に『グループランチ計画、始動』とメッセージを送る。すぐに「了解!楽しみにしてる!」と返信があった。
あとは、沙織が天峰と百合川を説得してくれるのを待つだけだ。きっと、うまくいく。そんな予感がした。
来週の火曜日。生徒会室での、初めての昼食会。
そこで、天峰はどんな顔を見せてくれるだろうか。彼女の、まだ知らない一面に触れることができるだろうか。
想像するだけで、足取りが軽くなる。高鳴る胸を押さえながら、俺は自宅への道を急いだ。初恋は、まだ始まったばかりだ。
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